記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を、自由に旅する。

せんべろ遍路 六箇所目〜長崎・銅座でハシゴ巡礼

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さぁ〜て、今回は九州までやって来ましたよ!

今回は長崎出張

以前、長崎を訪れたのは、ちょうど一年前。

その時に宿泊したのは長崎駅前だったので、繁華街の銅座まで出て来られませんでした。

しかし、今回予約した宿は銅座のすぐ近く

今回の出張スケジュールの中でも、特に楽しみにしていた場所でもあります。

前回、長崎を訪れた時に初めて食べたアナゴ刺しきびなご刺しの味が忘れられず、完全にこの二品狙いです。

さてさて、今回の巡礼もどうなることやら。

それでは、行ってみましょう!

(長崎訪問は2018年8月末でした。)

 

長崎有数の繁華街  銅座へ!

テルチェックインは20時少し前

荷物を部屋に置いて、ささっと着替えを済ませたら、意気揚々と夜の街へ繰り出します。

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日本三大中華街の一つ、長崎新地中華街を横目に、一目散にお店を目指します。

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今回はコチラ、五人百姓を訪問!
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まずは、やっぱりビールから!

突き出しのメンマもいい感じ。

早速メニューを拝見!

残念ながら、そこにアナゴの文字は見つけられませんでしたが、やっぱりきびなごはあるじゃないですか!

一気に120%まで上がるテンション!

「きびなご刺し、お願いします!」

ニコニコで注文した訳なんですが、

「すいません、終わってます…」

との回答が。

まだ食べてもいないのに、あまりにもご満悦の表情で注文してしまったのでしょうか…。

店員さんも苦笑いしてました。

きびなごは二軒目に譲るとして、ここは普段なかなか食べられない魚を…ということで、太刀魚をセレクト!
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太刀魚刺身(680円)

おぉ、金箔が散らしてある!

太刀魚の背びれ

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おぉ〜っ。

お皿が見えるくらい透き通ってます。

もう一皿頼もうかな…と、再びメニューを。

ハタとかヒラスとか、温帯の海じゃないと穫れない魚がいいなぁ…ということで。

「すいませ〜ん、ハタ刺しありますか?」

「ハタ、終わっちゃってます…」

本日、二度目の撃沈!

こんな事ってあるんでしょうか…。

気を取り直して、ヒラスを注文しました。f:id:shige97:20180827125110j:image

ヒラス刺身(780円)

よくブリと間違われるそうです。

確かにブリに似ているけど、コリコリというかシャキシャキといった食感。歯応えがあって美味しい。

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【お店情報】

    五人百姓

    長崎県長崎市銅座町13-13

        銅座サンライトビル1F

    営業時間:17:00〜翌1:00(月〜木)

                      17:00〜翌2:00(金〜土)

                      17:00〜23:00(日・祝)

    Tel:050-5868-9241

 

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きびなごを求めて、もう一軒!

少し酔いを醒ましながら、自分の嗅覚を頼りに、二軒目できびなごを狙いにいきます。

二度の失敗は許されませんので。

少し歩き回って暖簾をくぐったのはさかな市場 銅座店

お店の写真は撮り忘れました…。

だが、そんな失態も忘れてしまうほどの感動と、ここで出会います。

これが見たかったぁ〜ッ!!

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きびなご刺身(580円)

酢味噌が添えてあり、醤油でも酢味噌でも、どちらでも楽しめます。

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広げてみると、こんなちっちゃい〜!

しっかり脂も乗っていて、醤油に浮かぶ脂もキレイです。

 

そして、コチラが本日のフィナーレ!

思いがけずの収穫でした。お初にお目にかかります。
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長崎ハーブ鯖刺身(850円)
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ちとお高めですが、フルーツ魚といわれる養殖魚だそうで。

鯖なのにみずみずしく、でも、しっかり脂が乗っていて味はしっかり鯖

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シュッとつけただけなのに、醤油に浮かぶ脂がヤバい!

舌の上にしっかりと脂が残るけど、サラッとしていて、全然イヤらしさがない。

ハーブを食べているだけあって、全然臭みがなく、旬の冬以外にも食べられる"生食用ブランド鯖"というコンセプトで開発されたそうです。

知名度はまだまだこれから!というところですが、一度食べてみる価値はあります!

【↓長崎ハーブさば生産グループ HP↓】

http://nagasaki-herbsaba.jp/

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【お店情報】

    さかな市場 銅座店

    長崎県長崎市銅座町11-2

    営業時間:17:00〜24:00

    Tel:095-827-2966

 

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【太宰散歩】桜桃忌を歩く(後編)

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前編・三鷹聖地巡礼に続いて、桜桃忌の太宰散歩を続けていきます。

【前回の記事はこちら!】

 

太宰が通ったうなぎ屋へ

三鷹から場所を移します。

JR中央線に乗って、電車に揺られること10分程度。国分寺に到着です。

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国分寺駅南口から7分程度歩くと、目的地である太宰が鰻を食べた『若松屋に到着。三鷹で太宰が一番通った飲み屋です。

現在は代が替わって三代目が跡を継ぎ、太宰が当時通った三鷹から国分寺に移転して営業してます。

三鷹散歩の帰りは、ここで夕食を取って帰ります。年に一度の贅沢

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17時の開店に合わせて入店。一番目のお客さんでした。中串鰻重麦酒(ビール)、訊いたらあるとのことだったので肝焼きを注文。

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太宰は鰻が好きだったといっても、串焼きより肝焼きの方がメインだったようです。太宰は「通は肝を食べるもんだよ」なんて言ってたみたいですが、麦酒と肝焼きで、すっかり太宰と飲んでいる気分に。

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太宰を担当していた編集者の一人、野原一夫が書いた『回想 太宰治「仕事のあとの酒はまず若松屋。奥の腰掛けに坐って、のれんのあいだから道行く人をぼんやり眺めながら、うなぎの肝でコップ酒ということになる。肝を好んだようであるが、安かったせいもあるかもしれない」と書いてあります。

どうやら、昔は鰻が安かったらしいです。

良いなぁ…と思いながら、麦酒を飲み干し、続けて日本酒を注文。鰻は全て静岡産で、日本酒も静岡の地酒を多く置いているそうです。

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鰻の焼ける匂いを肴にちびちびやっていると、鰻重がやって来ました。肝吸とお新香付です。

初代の頃から継ぎ足しで使っているタレ少し濃口。脂の乗った鰻、濃口のタレ、キリッと辛口の日本酒、これ以上ない組合せで、太宰と乾杯

途中からは「桜桃忌帰りだと思ったよ」と声を掛けてくれた女将さんとも仲良くなり、色々と楽しくお話しさせて頂きました。

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帰りがけに女将さんから、ポストカードと松屋も登場する太宰の短編「メリイクリスマス」の小冊子を頂きました。美味しい鰻だけではなく、最後の最後までありがとうございます。また来ます!

 

桜桃忌に思うこと

国分寺を最後に、今回の桜桃忌・太宰散歩は終了となります。

三鷹で降りても、国分寺で降りても、ルートが頭に入っており、既に散歩道だなぁ…と思いながら、その時、その場だけの一期一会も多くあり、楽しく、とても収穫のある1日でした。

 

最後に、ふと思い出したことを。

文学サロンを訪問した時。6月19日桜桃忌と呼ぶのか、生誕祭と呼ぶのかで、議論をしていました。

近年、生誕祭とも呼ばれるようになり、特に生家のある青森・五所川原市ではそう呼ばれています。亡くなった日として悼むより、生まれた日として祝う方が印象が良い、ということでしょうか。奇遇にも、太宰治は生まれた日も亡くなった日(玉川上水で死体が上がった日)も同日の6月19日です。

しかし、あえて今さら桜桃忌を生誕祭と言い換える必要も無いのではないかとも思います。桜桃忌は俳句の季語になるくらい定着していますし。

太宰が生まれた青森では「生誕祭」と。

多くの作品を生み出し、39年間の人生に幕を降ろした三鷹では「桜桃忌」と。

太宰が生まれなければ、作品は読めなかったから、生誕祭として祝う。

多くの人から愛されているから、亡くなった日を桜桃忌と呼び、故人を悼む。

それで良いのではないでしょうか。

 

…という訳で、桜桃忌の太宰散歩は、これで以上となります。

取り留めのないTweetになりましたが、何かの参考になったり、太宰に興味を持って頂けるきっかけになれば幸いです。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

【増補1】

太宰が松屋さんで鰻の肝を食べるシーン、『「通は肝を食べるもんだよ」なんて言ってたみたいですが』と書きましたが、それを読んだ記憶はあれど、ネットで検索すると、自分が過去にネットで書いたまとめが出てきてしまい、出典が不明でした。

改めて調べてみたところ、本文中でも引用した、野原一夫『回想 太宰治44ページで見つけました。松屋の大将とのやり取り「通は、肝を食うものです。な、そうだろう。」「そういうもんですかねえ。」というやり取りの記載が記憶の出どころでした。

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回想 太宰治(新潮文庫)

この会話の後、若松屋の前を林聖子さん(【増補4】を参照)が通ったところを太宰が呼び止め、大将に鰻を注文するのですが、「中串のほうがいいだろう。肝はオトナが食べるものだからね。」と言います。昔、父親が焼き秋刀魚の肝を美味しそうに食べていたのと似た感覚でしょうか。

肝をおいしいと感じる事が出来るようになった私は、太宰言うところの「オトナ」になる事ができた、という事で良いのでしょうか(笑)

 

【増補2】

桜桃忌の三鷹・太宰散歩TweetまとめTogetterにアップした後、いくつか感想を頂いた中で、山崎富栄さんに関する部分への反響もありました。

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この機会に、富栄さんへの理解をさらに深めたいと思い、2017年6月22日江戸川橋にある曹洞宗寺院・永泉寺へお墓参りに行って来ました。駅から歩いて徒歩5分程度のところにあります。

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長篠康一郎太宰治文学アルバム 女性篇』から、富栄さんのお墓に関するエピソードを抜粋します。

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太宰治文学アルバム〈女性篇〉 (1982年)

山崎富栄の遺骨は密葬のあと父の山崎晴弘が八日市町に持ち帰り、母信子との最後の別れののち再び上京、山崎家の菩提寺である永泉寺に埋葬された。

だが山崎晴弘は、娘が世間を騒がせて申し訳ないとの考えから、富栄には白木の墓標を建てただけで、住職の安田弘達師に対しても、富栄の墓所が永泉寺に在ることを世間には公表しないで欲しいと依頼したという。

亡くなった後、根も葉もない噂が広まり、特に太宰関係者や縁者サイドから、太宰の首を絞めてから玉川上水に引き摺り込んだだとか、青酸カリを飲ませてから入水した、といった誹謗中傷が飛び交っていたそうです。

当時の遺族の方の心労は計り知れません。

もちろん、本にも書かれているように、残された晴弘さんには「娘が世間を騒がせて申し訳ない」という想いもありつつ、一方で「娘を守ってあげたい」という気持ちも大きかったのではないかと思います。

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山崎家のお墓に着くと、白百合が供えられていました。桜桃忌の際に供えられたものでしょうか。山崎富栄さんの命日は『白百合忌』と呼ばれています。享年28歳。早すぎる死です。

道中、太宰と富栄さんについて書かれている本を読んでいたせいか、目を瞑った瞬間、脳裏に富栄さんのお顔が鮮明に浮かび上がって来ました。心からご冥福をお祈りします。

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前回の記事でも触れたように、お墓は昭和36年3月に建て直され、はじめて富栄さんの名前が暮石に刻まれました

先に触れた両親の配慮から、没年月日も、享年も、彫られてはいません

お墓参りを終え、富栄さんへの理解を深めたいとの想いから、本棚から、長篠康一郎太宰治武蔵野心中』を引っ張り出して、再読しました。

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太宰治武蔵野心中 (1982年)

冒頭の太宰が富栄さんに殺されたという事が、如何にして世間の『定説』となっていったか、という部分を読んでいるだけで、胸が痛みます。

昭和51年度版、高校生の現代国語(三)の教科書に載っていた、太宰に関する文書というのも衝撃的でした。

敗戦後、かれは東京に転入したが、結果から言うとむざんな最後を遂げるために東京に出て来たようなものであった。

かれは女といっしょに上水に身を投げた。その死に場所を見ると、かれの下駄で土を深くえぐひ取った跡が二条残っていて、いよいよのときかれが死ぬまいと抵抗したのをしのぶことができた。

その下駄の跡は連日の雨でも一ヶ月後まで消えないで残っていた。

    ー井伏鱒二『点滴』(太宰治 (中公文庫)所収)

こんな根拠に乏しい文章が堂々と掲載されている教科書の編集委員に、ことごとく有名大学の教授の名前が連ねられているというのだから驚きです。

しかも、日本は先進国の中でも珍しく、文部科学省の検定が入らないと、教科書として使用する事ができない。いわば、根も葉も無く、文壇で悪意を持って作られた誹謗中傷が、そのまま高校生の『定説』と化してしまっているのです。

現在の国語の教科書で、太宰がどのように紹介されているのかは分かりませんが、私が高校だった時には「女の人と入水した暗い作家」というイメージでした。こうやって、パブリックイメージは作られていくんだな、という過程を垣間見た気がします。

 

三鷹の文学サロンでも話題にのぼったのですが、山崎富栄さんのお父様・山崎晴弘さんは日本で最初の美容学校・東京婦人美髪美容学校を創設した美容界の功労者であり、富栄さんもその技術を引き継ぎ、将来を期待された方でした。

亡くなっていなければ、更なる日本の美容界の躍進に尽力されていたであろう女性です。

普通なら敬遠するであろう、晩年の太宰の結核の看病を献身的に行ったのも富栄さんでした。

 

当事者が亡くなってしまった以上、真相は闇の中です。晩年の太宰の体調が芳しくなかったという事実もあります。

また、それまでに幾度も自殺未遂の経歴がある以上、今回で本当に死のうと思ったのか、どうせまた生き残っちゃうだろう、という気持ちで行われた、という可能性も否定はできません。

ただ、勝手な憶測や感情で、故人を誹謗中傷するのは、気分が良いものではないです。

それぞれの想いを胸に一生懸命に時代を駆け抜けた人として、これからも向き合っていきたいと思います。

 

【増補3】

訪問したのは2017年6月23日

有名な下の写真(※ディープネットワークによる色付け加工をしています。Automatic Image Colorization・白黒画像の自動色付け)が撮影された『銀座バー・ルパン』の訪問記です。

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『銀座バー・ルパン』は、みゆき通りから少し脇に逸れた路地にあります。

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開店時間の17時より少し早く到着したため、太宰の好きだった煙草・ゴールデンバットを近くのコンビニへ買いに行って、時間を潰します。

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路地裏にぽっと光る「Lupin」の看板。

これを見つけただけで、ドキドキが止まりません。

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いよいよ念願の『銀座バー・ルパン』の入り口までやって来ました。

扉を開けて、いざ中へ!

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昔ながらの雰囲気が残る階段を地下へ降りていきます。

階段正面には、太宰の写真が入った広告が額縁に入って飾ってあります。興奮は最高潮

興奮しっ放しで、店内の写真が全く無いのですが、店内一番奥の太宰が座っていた席に案内してもらいました。 ここに太宰が座っていたと想像するだけで、もう感無量でした。

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マッチで火をつけたバットを吸いながら、ウイスキーを。 気分はすっかり太宰治です。

 

この『銀座・ルパン』、1928年(昭和3年)に里見弴・泉鏡花菊池寛久米正雄といった文豪の支援を受けて開店しました。 その影響で、永井荷風川端康成林芙美子などの文壇関係者画壇関係者映画・演劇関係者といった文化人の方々が常連でした。

開店当時は、「カフエー」という、女給のサービスでお酒を飲ませる洋風の酒場スタイルで、開店から7年後の1935年(昭和10年)9月に改装。その時に、控室だった一階も改装し、現在のヤチダモのL型カウンターで営業を始めたのだそうです。

その後、第二次世界大戦が始まり、1941年(昭和16年)には洋風の店名が禁止されたため、『麺包亭(ぱんてい)』と名乗るように。 1944年(昭和19年)には戦局も苛烈を極め、政令により一斉休業に追い込まれます。

1945年(昭和20年)1月に銀座は大空襲を受け、向かいのビルに爆弾が直撃。その爆風で入口の扉が飛ばされたり、一階の手洗所の天井が落ちたり、水道管の漏水が起こったりと、少なからず損害を被ってしまいます。

戦後、飲食営業緊急措置令で酒類の販売はできなかったものの、1946年(昭和21年)1月にはコーヒー店として営業を再開。1949年(昭和24年)5月に酒類が自由販売になるまでは、様々な手立てで酒を仕入れて売る時代が続いたそう。

酒不足のこの時代、日本各地で甘藷(さつまいも)や雑穀を使った密造焼酎「カストリ」が作られ、闇市で販売、庶民に愛されました。しかし、工業用アルコールに強い毒性を持つメチルアルコールを加えた「バクダン」と呼ばれる粗悪品も流行。これを飲んで、亡くなったり、失明した人もいました。

しかし、こんな時代でも、ルパンなら安心と、作家や出版関係者を中心に大勢のお客様が帰って来てくれたそうです。

その中に、太宰治織田作之助坂口安吾といった無頼派作家写真家・林忠彦がいたという訳です。

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そして、ようやくこの写真の登場です。

撮影されたのは1946年(昭和21年)11月25日坂口安吾織田作之助と来店。太宰はビール、安吾ウイスキー、織田はコーヒーを飲んでいたといいます。

そこへやって来た写真家・林忠彦に太宰は「おい、俺も撮れよ。織田作(織田作之助)ばっかり撮ってないで、俺も撮れよ。」と言ったそうで。

林は辛うじて1個だけ残っていたフラッシュバルブを使い、ワイドレンズがなく引きがないため、トイレのドアを開け、便器にまたがりながら夢中で撮影したとのこと。

この写真を撮影した1年後、太宰は入水。帰らぬ人となりました。

その影響で、この時の写真は貴重な1枚となり、注文が相次ぎ、林忠彦出世作といえる作品となったそうです。

マスター曰く、使用しているウイスキーグラスは太宰の来店当時からあるものとのこと。太宰と乾杯した気分に。

その後、1972年(昭和47年)に、戦時中の爆風で痛み、老朽化が進んだビルを壊して、新しいビルが建築されましたが、今までの『ルパン』を残すため、全ての内装を丁寧に取り外して保管。1974年(昭和49年)に元通りの状態で営業再開したそうです。

トイレのドアも当時のままとのこと。「太宰もこのドアノブを回したかもしれませんね」とマスター。店内の色々なところで、太宰に想いを馳せることができます。

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ぜひ一度足を運んで、太宰に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

ちなみに、今年で開店90周年を迎えたそうです。

 

【増補4】

2018年6月18日新宿五丁目の文壇バー『風紋』を訪問しました。

新宿はよく飲みに行く街で、そこに太宰ゆかりの『風紋』があることは知っていましたが、なかなか足を運ぶ機会がありませんでした。

しかし、「何が何でも行かねば!」と、私の重い腰を動かしたのが、新宿ゴールデン街にあるプチ文壇バー『月に吠える』(@puchi_bundanbar)さん、2018年6月4日付の以下のTweetでした。

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「名前しか知らなかったけど、『風紋』が今年の6月いっぱいで閉店してしまう!?」

衝動に駆られた私は、居ても立っても居られず、『風紋』へと向かったのでした。

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お店の前に着くと、シャッターが。

「今日はたまたまお休みだったのかな?」と思い、続けて翌週も訪問するも、またシャッターが。

自分には運がないのかと思いながら、三度目の正直で訪問したのが桜桃忌前日6月18日でした。

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暗闇にぼんやりと光る『風紋』の灯り。

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ドキドキはやる気持ちを抑え、一歩一歩地下への階段を降りていきます。

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『風紋』は新潮社や筑摩書房で働いたことのある林聖子さん(常連さんには「聖子ママ」と呼ばれてます)が1961年に開いたバーです。

筑摩書房・創業者古田晁さん(太宰ともゆかりのある方)が常連となるなど、文壇バーとして知られていました。聖子ママ太宰の短編「メリイクリスマス」に出てくるシズエ子ちゃんのモデルとしても有名です。

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ドアを開けると、店内は多くの常連さんで賑わっていました。暖かいお客さんに囲まれ、初めての訪問ながら、とても楽しい時間が過ごせました。

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恥ずかしながら、過去2度訪れた日曜は定休日だったことも教えてもらいました。

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風紋五十年

持参した『風紋五十年』にサインを頂きました。

この本は2011年『風紋』開店50年を記念して出版されたものです。

たまたまこの本の出版に携わった出版社の方にもお会いできました。『風紋』閉店のニュースは様々なメディアで取り上げられていたため、Amazonで注文が相次ぎ、『風紋五十年』は一時期在庫切れの状態になったそうです。

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大切な宝物が、また一つ増えました。

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『風紋』でお話しした方、太宰の描いた絵が長谷川利行と作風が似ていると話されていました。

絵には疎い私ですが「こんな絵だよ」と見せて頂くと、確かにタッチや雰囲気が似ているような。

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長谷川利行は新宿界隈で飲む事もあったそうで、太宰と交流があったり、絵画について議論をしていたら面白いなぁ…なんて思いを巡らせてしまいました。 

 

【今回の記事はこちらの加筆修正版です!】

 

【ほかにも太宰関連記事を書いてます!】

【太宰散歩】桜桃忌を歩く(前編)

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今年2018年は、没後70年

来年2019年は、生誕110年

ソウルフレンド・太宰治にまつわる年が2年続くのですが、こういうのも珍しいのではないでしょうか。

いわゆる太宰イヤー。ソウルフレンドのために何かしたいと思うのは必然で、色々考えた結果の1つが今回の記事です。

 

今回の記事は2回に分けてアップしますが、昨年2017年6月19日の桜桃忌に三鷹を訪問した様子をTwitterでつぶやき、それを2017年6月20日付Togetterにまとめたものに大幅に加筆・修正を加えたものです。

まとめ公開から1年3ヶ月経過した現在も、じわりじわりと閲覧数が増え、おかげさまで6112人の方にご覧頂いています(2018年9月30日現在)。

文字を編む人間としては、自分の文章が長い期間・多くの人に読まれることは嬉しいことです。

しかし、Twitterでのつぶやきをまとめたため、誤字脱字等の修正が出来ない点はもどかしくもありました。

さらに長く読んで頂ける文章になるよう修正を加えながら、Twitterでのライヴ感も残してリライトできればと思っています。

また、Togetterにはなかった書下ろし【増補】という形で後編に収録予定ですので、お楽しみに!

 

桜桃忌とは

2017年6月19日は、親愛なる太宰治69回目の桜桃忌生誕から数えると108年目にあたる年です。

桜桃忌とは、同郷青森の親友・今官一命名太宰が好きだった桜桃(さくらんぼ)に因んだものです。

今回は『太宰散歩』と題して、桜桃忌の三鷹で撮った写真に、過去撮影した写真を織り交ぜながら、2017年桜桃忌を振り返っていきます。

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1947年、太宰治今官一(撮影・伊馬春部

太宰治と私

太宰治と私の出会い上京した10年前

青森で採れた私ですが、小学校の教科書に掲載されていた走れメロスしか読んだことがなく、授業で教わった印象も人間失格」を執筆して、最後は愛人と入水自殺した暗い人』という、あまり良いものではありませんでした。

本格的に太宰を読み始めたのは、大学一年生。実家に帰りたくても、部活やバイトで時間が無く、おまけにお金も無い…と、ホームシックに掛かっていた時、毎日通っていた本屋の棚の中で、私を手招きしていたのが、新潮文庫の黒い背表紙でした。

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最初に手に取ったのは走れメロス。授業で読んだ親近感からだと思います。走れメロスは懐かしく、同文庫所収で、小学生時代に面白さが分からず途中で放棄した富嶽百景にも魅せられ、「東京八景」では、東京で悩んで生きた同郷人なんだな…という意識が芽生えました。

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走れメロス (新潮文庫)

走れメロス所収の「帰去来」「故郷」を経て、続いての流れで名作津軽を。

里帰りした気分になり、上京の時、「青森には何も無い!」と言っていたのに、田舎の良さや、青森って良いところだなぁ〜と、青森で家族や友人と過ごした思い出が次々と思い出されるのでした。

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津軽 (新潮文庫)

ここまで来ると、完全に太宰の魅力に取り憑かれてしまい、毎日1〜2冊のペースで読み進め、新潮文庫から出ていた17冊(現在は18冊)をイッキ読みしてしまいました。

そして、イムリなことに、私と太宰との再会は、ちょうど生誕100周年の年でした。

もともと、好きになったらトコトン!のオタク気質に加え、同郷人という親近感から、「人間」太宰治についてももっと知りたくなりました。生誕100周年記念の出版物も多く、太宰について知るには、とてもタイムリーな時期だったと思います。

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そんな感じで、研究書にも目を通したり、ゆかりの地を巡る聖地巡礼をしてみたり…と、気付いたら太宰の人間的な魅力の虜になっていました。

故郷の作家・長部日出雄さんの太宰伝記『辻音楽師の唄』『桜桃とキリスト』の影響もあり、太宰の追っ掛けをライフワークにしていきたい、と考えるようになりました。

桜桃とキリスト―もう一つの太宰治伝 (文春文庫)

桜桃とキリスト―もう一つの太宰治伝 (文春文庫)

ピカレスク 太宰治伝 (文春文庫)

ピカレスク 太宰治伝 (文春文庫)

まだまだ知られていない太宰の魅力に、少しでも興味を持って頂けるキッカケになれれば幸いです。

 

【太宰・三鷹散歩】桜桃忌を歩く

2017年6月19日、10時頃。

JR三鷹駅に到着しました。

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三鷹には、ほぼ毎年、太宰のお墓に手を合わせに来ていますが、桜桃忌の訪問は初めてだったので、いつもと少し違う気持ちでした。

三鷹駅から歩いて15分程度。まず初めに向かったのは、太宰のお墓がある黄檗宗禅林寺

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東京都三鷹市 霊泉山 禅林寺 公式ホームページ

時間が早かったので、人は少なかったですが、大学生や出勤前の社会人、老夫婦と、幅広い年代の方がお参りしていました。

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上の写真は以前に撮影したものですが、太宰が好きだった煙草・ゴールデンバットカップ桜桃(さくらんぼ)など、たくさんのお供え物がありました。

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これも以前の桜桃忌の写真。

夕方頃だったでしょうか。

太宰のお墓、名前の凹部分にさくらんぼをはめ込むのが風物詩になっています。普通に考えると不謹慎かもしれませんが、こういうのが許される雰囲気も太宰ならでは。独特のものかもしれません。

 

太宰ファン、憩いの場所へ

10時半頃にお墓参りを終え、古本カフェ・フォスフォレッセンスへ向かう事に。禅林寺から10分程度の立地で、太宰ファンの方がされてる古本屋兼喫茶店です。

ただ、調べてみるとフォスフォレッセンス12時開店とのことだったので、茶店近くの砂防公園で太宰作品に浸ることにしました。

太宰散歩の時に、いつも悩むお供。

『グッドバイ』との二択で悩んだ結果、今回はヴィヨンの妻に軍配が上がりました。

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ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

ヴィヨンの妻所収の短編「親友交歓」「家庭の幸福」「桜桃」を読んで、太宰ワールドにどっぷり。改めての感想は省きますが、どこで開いてもグイグイ引き込まれちゃいます。

ようやく12時を迎え、フォスフォレッセンスに。

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少し狭い店内は、本棚の古書オーナーの駄馬さん、他のお客さんとの距離が近く、とても良い感じ。開業して15年になるそうで、とても太宰愛に溢れた空間でした。

2015年3月、フォスフォレッセンスの入っているビルオーナーから、ビル売却の話が出て退去の危機が迫ったこともあり、当時ニュースを見ていた際には、非常にハラハラドキドキしたものでした。

しかし、仲介不動産の社長が手を差し伸べてくれ、同年5月中旬に金融機関からの融資でビル自体を買い取る事で、お店を続ける事ができたそうです。こういう憩いの場は、ファンとして、とても有難いので、辛い時期もあったと思いますが、続けて下さっていることに感謝です。

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そして、実は一番のお目当てが『太宰ラテ』

心なしか太宰の顔が笑っているように見えます。桜桃忌ということで、桜桃もサービスしてもらいました。来客も多く忙しい中、時間のかかるラテ注文、失礼しました。とても美味しく頂きました。

 

静かな佇まいの店内、同席した方との出会いも不思議な出会いでした。

お顔は知っていたのですが、青森出身でフリーアナウンサー・朗読家の方と相席になり、津軽弁トークで一気に地元に帰ったような心地に。

まさに、太宰が繋いでくれた縁

もう一人相席した方も朗読家さんのようで。

お顔までは存じあげなかったのですが、なんとその方のお父様は、むかし荻窪で教師をしていて、太宰が玉川上水から引き上げられる所を見に行ったんだとか。

当時、荻窪三鷹間は自転車で移動する距離だったそうです。お母様は臨月で、太宰が亡くなった一週間後に生まれたのが、そのお方…ということ。

運命の悪戯ですかね。人との出会いって、やっぱり面白いなぁ…と改めて実感しました。

 

人との出会いに感謝しながら、もう一つの出会いも。

本棚の中に、太田静子『あはれわが歌』長篠康一郎『山崎富栄の生涯』を見つけちゃったんです。

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既に絶版の希少本『あはれわが歌』は、参考文献に記載されている程度しか知らず、実物を手に取るのは初めてでした。

興奮を隠せないまま、お会計時に「あの本って販売してるんですか?」と駄馬さんにお訊ねしたところ「はい」とのお返事が。

もちろん高価な本ではあったのですが、これも何かの縁と、思わず購入してしまいました(購入価格は、秘密)。

「私も好きな本なので、桜桃忌に売れて嬉しいです」と駄馬さん。本当、桜桃忌に運命感じてしまいました。

しかも、『山崎富栄の生涯』の見返しには長篠先生直筆のサインが!

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桜桃忌の素晴らしい出会いに、言葉もありません。太宰さん、ありがとう!

 

再び禅林寺

フォスフォレッセンスでまったりと時間を過ごした後、再び禅林寺へ向かいました。桜桃忌の14時から墓前での読経が恒例になっていたからです。

しかし、待てど暮らせど、読経は始まらず。

30分待っても音沙汰が無かったので、気を利かせて下さった男性が、禅林寺に直接電話を掛けて下さり、「今年から読経はやりません、との正式回答を禅林寺側から頂きました」と発表。

その場は一時、騒然とし、当然、怒る方も。

記者の方もいらっしゃったので、全く告知等はされていなかったようです。遠方からの方も多い様子でした。

毎年の恒例行事で、多くの人が集まってくるのが想定される以上、何らかの形で事前アナウンスが欲しかったなと思います。

後で聞いた話だと、後日のお墓周りの清掃も含めて面倒が多く、数年前から禅林寺側としては、読経を辞めたかったとのこと。そんな中、太宰の直弟子である小野才八郎さんが旗振り役となって続けられていましたが、2014年に小野さんが亡くなられてしまい、お寺側との折衝役を欠いてしまった結果が、今回現れたようです。

2016年2月、太宰の次女・津島佑子さんが亡くなられたのが決定打でしょうか。

確かに、禅林寺側としては施設や御手洗を無料開放し、お供え物の片付けもあるため、手間の掛かるボランティアであることは想像できます。

しかし、長く続けられ、皆に愛されている作家を悼む唯一の日が、この様な形で終焉を迎えてしまうのもとても悲しいです。

三鷹市のサイドからすると、市民の税金を使ってイベントを主導するのは難しいらしく、旗振り役がいて、それを市としてバックアップするというのが理想形のようです。

 

太宰ファン 情報交換の場へ

少しモヤモヤが残ってしまいましたが、続いて向かったのは太宰治 文学サロン』三鷹に寄る度にお邪魔させて頂いてます。

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太宰治文学サロン | 公益財団法人 三鷹市スポーツと文化財団

今回もいろいろ拝聴した後、銀座のバー・ルパンのカウンターに見立てた席で、ファイリングされた資料を見せて頂きました。

この文学サロン、2008年没後60年翌年の生誕100年を記念して、太宰が通った酒屋・伊勢元酒店の跡地に開設されました。公益財団法人 三鷹市スポーツと文化財市民ボランティアの方々協同で運営されています。

3ヶ月を周期に様々な企画展を催されており、貴重な資料に触れ、太宰ファンと交流できる、貴重な場所でもあります。

今回、伺ったお話。

太宰の遺体が発見されたのは、明星学園近くの新橋という橋の下で、学園の先生が第一発見者なのですが、その明星学園小栗旬の出身校でもあるそうです。

太宰と関係なかった………(笑)

その新橋について。

太宰が身を投げた玉川上水は当時、自殺の名所でもあり「人喰い川」とも呼ばれていたそうで、30人の自殺者が出た年もあったそうです。

玉川上水三鷹市から武蔵野市へ流れ込んでいるため、市境の杭に死体が引っかかると、「杭から外して武蔵野へ流せ!」なんてやり取りもあったとか。警察の都合なんですがね。

 

こんなやり取りをしていると、あっという間に夕方が近づいて来たので、太宰散歩も佳境に。

ここから最後の目的地を目指すのですが、ここで当日の三鷹散歩からは少し脱線して、過去の三鷹・太宰散歩の写真を振り返りながら、ゆかりの地を辿る聖地巡礼をしていきたいと思います。

 

三鷹・太宰、聖地巡礼の旅

太宰が生きた昭和10〜20年代の建物はすでに建て替わってしまいましたが、市内のいたるところに、没後60年の2008年に設置されたプレートが残っています。

そのプレートを足がかりに、太宰と一緒に三鷹市内を散歩していきましょう。

 

ゆかりの地① 伊勢元酒店

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先ほどの太宰治 文学サロン』です。

太宰が通った酒店の跡地であることを紹介する案内板が出ています。

 

ゆかりの地② 野川家跡

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太宰と一緒に心中した山崎富栄さんが、ここの2階に住んでいました。ここから二人で玉川上水に向かいました。太宰が最後の夜を過ごした場所です。

 

ゆかりの地③ 千草跡

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太宰の通った小料理屋です。野川家跡の斜め向かいです。

2階を仕事場として使っていました。太宰発見の後、検死の場所としても使われたそうです。

 

ゆかりの地④ 井心亭(せいしんてい)

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三鷹市の和風文化施設。今は民家ですが、この向かい辺りに太宰の住居がありました。

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井心亭の前にある案内板。

太宰の住居前にあった百日紅さるすべりの木が移植されていて、今でも季節になると花をつけます。

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8月頃、同場所で撮影した百日紅

 

ゆかりの地⑤ 連雀湯跡

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今はホンダカーズになっていますが、太宰が通った銭湯です。

 

ゆかりの地⑥ 陸橋(跨線橋

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陸橋(三鷹電車庫跨線橋)|観光スポット

三鷹駅ができる前年1929年(昭和4年)に竣工。当時の姿を留めている、唯一の場所です。

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見晴らしが良い場所で、編集者や弟子を連れて来ていたそうです。

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当時は無かったであろう金網もつけられていますが、手摺に手を掛けると、何だかしみじみしてしまいます。

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写真家・田村茂が撮影した有名なこの写真は、この陸橋でのものです。

 

ゆかりの地⑦ 中鉢家跡

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東京空襲で津軽疎開し、三鷹へ戻って来た太宰が仕事場を借りたのがここ。三鷹駅前郵便局の斜向かいに当たります。ヴィヨンの妻等を執筆しました。「朝」の舞台にもなっています。

 

ゆかりの地⑧ うなぎ若松屋

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太宰が雑誌編集者との打ち合わせにしていた場所。太宰の執筆時間は15時まで。それ以降に太宰に会いたければ、ここに行け!というのが暗黙の了解だったそうです。

 

ゆかりの地⑨ 田辺肉店離れ跡

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1947年(昭和22年)4月から、「斜陽」執筆のために借りた場所。「犯人」の舞台にもなっています。

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田辺肉店離れ跡の下にもう一つ出ている案内板。通称・太宰横丁と呼ばれ、軒を連ねる飲食店に、太宰は通っていたそう。行きつけの小料理屋・喜久屋も、この近くに。

 

続いて、ゆかりの地プレートが設置されていない太宰関連スポットをご紹介します。

 

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草木が生い茂り見辛いですが、太宰が入水したとされている場所です。現在、水量はだいぶ少なくなっています。

 

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玉鹿石(ぎょっかせき)

太宰が入水した場所の近くにあります。太宰の生まれ故郷である青森県金木町(現・五所川原市)から1996年6月に寄贈されたものです。なかなか珍しく、現在では県外への持ち出しはできないという話も聞いたことがあるので、貴重なモニュメントとなっています。

 

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このレリーフも太宰が入水した場所の近くにあります。短編「乞食学生」のフレーズが引用されています。

 

 

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三鷹散歩の最後は井の頭公園。弟子や学生が来訪した際、「外に行こう」と言って、よく訪れていたようです。

 

今回、太宰さんの賑やかな桜桃忌を見ていて、好きな作家をこんなに多くの人たちと共有できる事が嬉しかった反面、ふと頭をよぎった事がありました。

そう、太宰は玉川上水で心中したということは、その相手がいたんです。

 

桜桃忌と白百合忌

文京区関口にある曹洞宗寺院の永泉寺

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永泉寺 - 曹洞禅ナビー寺院検索― 曹洞宗公式 寺院ポータルサイト

6月19日は太宰と一緒に亡くなった山崎富栄さんの命日でもあり、「白百合忌」とも呼ばれています。

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山崎家のお墓。

世間の風体を憚り、当初は富栄さんの名前が彫られていなかったそうですが、1961年(昭和36年)建て直され、供養のために名前が彫られたそうです。

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暮石側面に5つ名前があり、左端に富栄さんの名前があります。没年月日も享年も刻まれていません。娘の過ちは永久に償わなければならず、死後の娘が鞭打たれる事のないようと考えたお母様の計らいのようです。

未だに、太宰は山崎富栄さんに殺されたと信じている人もいるようですが、太宰が絞殺されたとか、無理矢理引き込まれたという事実はありません角川書店編集者の野原一夫『回想 太宰治(昭和55年)で次のように書いています。

太宰が絞殺されたという発言に対して、

「断じて、そのような痕跡はなかった。私はすぐ間近かで、検死医と同じくらいの間近かさで、太宰さんに見入っていたが、その首筋には、締められた痕跡など、断じてなかったのである」。

新潮社の編集者である野平健一『矢来町半世紀』(平成4年)の中で、同様の事を述べています。

間違ったパブリックイメージを貼り付けられたままでは、富栄さんも浮かばれないだろうと思います。

これを機会に事実を知って頂ければと思います。

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山崎富栄さんについて興味がある方がいらっしゃれば、光文社文庫刊・松本侑子『恋の蛍』が入手しやすく、お勧めです。

恋の蛍―山崎富栄と太宰治 (光文社文庫)

恋の蛍―山崎富栄と太宰治 (光文社文庫)

太宰治との愛と死のノート―雨の玉川心中とその真実 (女性文庫)

太宰治との愛と死のノート―雨の玉川心中とその真実 (女性文庫)

 

※『【太宰散歩】桜桃忌を歩く(後編)』へ続きます!

 

【ほかにも太宰関連記事を書いてます!】

【いじめについて考える】春名風花『いじめているきみへ』を読んで

じつは私、今日9月7日誕生日で、8時22分で29歳になりました。流行りの言い方を真似るなら、『20代最後の誕生日』ってやつです。

このタイミングで、どうしても書いておきたった内容が、今回の記事です。

20代はあと1年あるし、20代を後悔のないカタチで締め括りたいと思ったからこそ、敢えて辛かった瞬間を切り抜いておきたい、と思いました。

この記事を通して、告発したいとか、同情が欲しい…ということではなく、同じような状況にいる人の背中を押すキッカケになったり、自分と関係ないと思っている方も、ちょっとでも考えてもらえるキッカケになれば幸いです。

 

絵本『いじめているきみへ』

大学卒業後、私は金融機関に就職し、丸5年間をそこで過ごしましたが、昨年3月末で退職をし、転職を決意。今は社会人になって二社目で働いています。

そして、金融機関を退職するキッカケになったのが、職場でのパワハラでした。

精神的に徐々に追い詰められ、辞表を提出するも、営業店の人材不足を理由に手続きを引き延ばされ、最終的には出勤途中に職場の最寄駅で倒れ、救急搬送されました。

 

正直、辛かった記憶を掘り起こすことになるので、思い出したくない気持ちもあります。

未だに当時の夢を見たり、頻度はかなり少なくなりましたが、フラッシュバックもあります。

でも、文章にまとめてみようと思ったキッカケをくれたのが、この絵本でした。

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いじめているきみへ

2018年8月20日朝日新聞出版から刊行、「はるかぜちゃん」こと春名風花さんが執筆、イラストレーターのみきぐちさん挿画の絵本いじめているきみへです。

2012年8月17日付朝日新聞に掲載のコラム「いじめている君へ」に大幅な改稿を加えたものとのこと。

綴られている言葉はシンプルだけど、それだけに色々と考えるキッカケをくれる絵本です。

 

必ず、自分の居場所はある。

何の意味もなく、この世に生を受けた人なんていない。

 

今ではそう思えるし、絵本を読んで、そのことを改めて実感できました。

辛くて、苦しくて、何度も自ら命を絶つことを考たし、そのことを口にして、親に涙させてしまったこともありました。

非常に申し訳ないことをしてしまったという記憶ですが、今、こうして、当時の状況を自分の口から語ることができるようになったことは、前向きに大きく前進できている証拠だと考えています。

今は、親に「この世に産んでくれてありがとう」という気持ちでいっぱいです。

この想いが、あえて誕生日の今日、記事をアップしようと思った根底にあります。

そして、自分が発信していくことで、似たような経験をした人の心の支えになったり、今、まさに悩んでいる人の助けになれば、と思います。

 

私の5年間① 〜第一志望へ就職

私が金融機関で働き始め、倒れて辞めるまでの5年間を振り返ります。

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大学を卒業し、都内の金融機関に就職したのは2012年でした。

この年は東日本大震災があり、就職活動中に被災した記憶は、忘れられません。

就職氷河期と呼ばれた時代も相まって、就職活動は困難を極め、震災の影響で採用を取り止めた企業による内定切りに悩まされた友達もいました。

そんな中、何とか第一志望だった金融機関で辛くも内定をもらい、親や親戚からは「安定した企業に就職できて良かったね」と言われました。

 

自分で言うのもなんですが、物覚えがよく、仕事の要領もそこそこいい方なので、入社してからは、"期待の新人"と呼ばれていました。

入社一年目は、二年目から営業で出るための基礎づくりということで、半年スパンで預金業務と融資業務の基礎・事務をOJTで学びました。

 

二年目からは営業になり、自分の担当地区を割り振られました。もともと、人と話をするのは好きでしたし、そんな自分のことを好いてくれるお客さんも多くいました

しかし、本部から支店に割り振られたノルマを達成するための、お客さんが望まない定期預金の作成や保険契約、年金受給口座の獲得などをはじめとした自分たち本位のお願いセールスに、疑問も感じていました。

ただ、住宅ローンや法人・個人事業主の融資借換など、お客さんに喜んでもらえる仕事もあり、大変ながら、そこにやり甲斐も感じていました

 

私の5年間② 〜入社三年目の違和感

ちょっと歯車が狂い始めてきたなぁ…と感じたのは、入社三年目の頃でした。

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金融機関の営業は、バリバリ体育会系ノリです。飲み会でのイッキもあるし、夜にプライベートの予定があっても、上司や先輩が「今日、飲みに行くぞ!」と言ったら、キャンセルせざるを得ませんでした。

「お前みたいな細くてナヨナヨしたヤツ、どうせ文系だろ?」なんて言われてましたが、私も高校まではずっと陸上部で、800mを専門に走っていました。

ストイックに自分を追い込んでいくのは好きですが、大人数でワイワイ騒ぐのは、あまり好きではありませんでした。

普段も、飲み会の時も、とにかく上司にゴマをすっている先輩もいましたが、進んでそういうことをしなかったため、上司や先輩から、少し煙たがられていた節はありました。

「元気が足りない。だから、数字も伸びない」

こんなことをよく言われていました。

 

最初は、入社三年目の4月新入社員の歓迎会でした。

私の営業店は、毎年男女が交互に配属される店舗だったので、新入社員の歓迎会は恒例行事となっていたのですが、その席でのことです。

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その出来事の前後の記憶は定かではありませんが、4つ年上で身長が高く、体格の良い先輩が苦手だった私は、飲みの場でも、その先輩を極力避けていました。

しかし、飲み会も終盤に近づいた頃、その先輩に絡まれた私は、ネクタイをグイと掴まれて引き寄せられ、そのまま後ろに突き飛ばされました

勢いよく倒れ込んだので、何人か周りの人も心配してくれましたが、その時は酔っていたのもあって、痛みは全く感じませんでした。

その後も、その先輩に「おい〇〇、次はカラオケだぞ!」と言われ、二次会のカラオケへ移動するためのタクシーを拾うために奔走していたので、そのことは頭から綺麗に消えてしまっていました。

 

翌日土曜の朝に目覚めると、右脇腹に痛み

その時は、突き飛ばされた時に軽くぶつけた打撲だろ…くらいに思っていました。

日曜、月曜、火曜と過ごし、右脇腹に若干の違和感を感じ続けながらも、日々の忙しさの中で慌ただしく生活していました。

 

水曜日

その日は、有給でした。

当時付き合いはじめた彼女が不定休だったので、休みを合わせて、久し振りのデートの予定でした。

アトラクション施設に出掛けるも、強くなる右脇腹の違和感両手を挙げて万歳すると、激痛が走ります。

お昼までは我慢していたのですが、さすがに耐えられなくなったため、デートを切り上げ、家の近くの整形外科に向かいました。

レントゲン撮影の結果は、右脇腹 第6肋骨骨折でした。

医者には「結構痛かったでしょ。なんでこんなに我慢してたの?もうちょっと酷かったら、肝臓とか臓器傷ついてたよ」と怒られました。

 

さすがに腹が立った私は、営業の直属の上司を通して、営業課の課長に全てを伝えました

課長は、先日の飲み会の席で私が突き飛ばされたのを見ており、「あの時のやつか?」といった感じでした。

その日の営業課の夕礼。

課長は他の営業課員の前で「◯◯がアバラ折れたってよ。重たい荷物とか1ヶ月くらい持てないから、荷物運びとかサボってても仕方ないから」と言い、「俺もスノボで転んでアバラくらい折ったことあるし、大したことないのにな」と付け加えました。

夕礼の後、突き飛ばした先輩に呼び出され、「お前、あぁ言うことは、まず俺に言えよ。課長に、気を付けろよ!って怒られたじゃねーか。てか、あれくらいでアバラ折ってんじゃねーよ。お前が弱いのが悪いんだよ」と怒られました。

 

私の5年間③ 〜終わらない日々

肋骨を折られ、その後の対処も含め、会社・職場に対してのモヤモヤを強烈に抱くようになりました。

しかし、営業の部屋ではほぼ無口ながらも、お客さんとの会話・提案は面白く、それがやり甲斐で、会社を辞める選択肢というのは、その時はまだありませんでした。

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その後、私に対して行われた上司・先輩の言動を列挙していきます。

週の半分くらいは、仲が良い同期と一緒に飲みに行っていたため、みんなでグチをこぼしながらも、サラリーマンの営業なんてこんなもんかなぁ…と思っていましたが、少し感覚がマヒしていたのかもしれません。

 

営業での飲み会の後、肋骨を折られた先輩に、駅のホームから突き落とされました

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ちょうど、電車が来ていないタイミングで、ほか一緒にいた上司・先輩が、笑いながら、ホームに落とされた私に手を伸ばし、引き上げてくれました。

その場にいた上司は、突き落とした先輩に「お前、危ねーよ。気を付けろよ」と笑いながら注意しました。

私はレールに尻もちをつき、お尻の左側を打撲。10日間程、自転車をこいでいても、デスクに座っていても、痛みに悩まされる日々を過ごしました。

 

私の営業店では、毎年職員旅行がありました。

その年は箱根で、金曜の夜に大型バスに乗り込み一泊し、翌日に観光して帰って来るという日程でした。

それは、行きのバスの中で起こりました。

私の2歳年上の先輩は、動画編集が得意で、過去1年間の営業店でのイベント時に撮影した写真をスライドショーにして、持参していました。

バス内に1年間の様々な出来事が流され、みんな笑ったり、しみじみと思い出に浸ったりしていました。

そのままスライドショーが終わるかと思った時、「まだまだ続きます」といったスライドの後に、私の家族写真や彼女と一緒に撮った写真が流されました

バスの中は爆笑の渦に巻き込まれましたが、私は写真提供しておらず、全く状況理解ができませんでした。

支店長が、作成した先輩に「お前、この写真どうしたの?◯◯からもらったの?」と聞くと、「この前の飲み会の時、◯◯がトイレに行った時、テーブルにスマホ置きっ放しで、電源入れたらロックかかってなかったんで、面白そうな写真もらっときました」と、得意げに話したところ、「お前、すごいな!」支店長は再び大爆笑していました。

 

日常的な営業の部屋での出来事でした。

私は考えごとをする時、右手で顎の下を触る癖がありました。

それを見た課長が「ん〜、マンダム」と言ったのが始まりでした。

最初は「◯◯、マンダム止めろよ〜」というようなイジりから始まりましたが、顎に手を当てる度に「マンダム!マンダム!」と指を指され、笑われる日々が続きました。

 

私の勤める金融機関では、年に一度、お客さんと一緒に行く一泊旅行がありました。

その年は草津旅行。企画の営業店担当者は私で、支店長と同行することになっていました。

豪華な旅程ですが、その分旅費が高いのと、町内会の旅行と日程が被ったのとで、なかなか参加してくれるお客さんが集まりませんでした。

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私は課長から「旅行での集客率は、お客さんからの人気のバロメーターだ。特に、今回はお前が担当なんだから、お前が一番集めなきゃいけない。しかも、うちの支店は支店長が同行するんだから、バスの中の人が少なくて、支店長に恥をかかせるつもりか?地域のお客さんがダメなら、親を呼んででも数字作れよ!」と何度も言われました。

夕方までに参加するお客さんの名簿を旅行会社に提出しなければいけないリミットの日。

午前中訪問したお客さんにも、ことごとく断られ、お昼の公園で、私は実家・青森の母親に電話しました。

ちょうど祖母の誕生日の時期とも重なったため、2人で参加してくれることになりましたが、青森から旅行の前日に上京して一泊しないと間に合わないため、東京一泊→草津一泊→東京一泊→東京観光して帰る、という強行スケジュールとなりました。

最終的には、最低人数より数名多い人数が集まり、支店長のメンツは潰さずに済んだようでした。

後から母親に聞いた話、支店長はバスの中で私の母親と祖母に「今回は、わざわざ青森からありがとうございます。昨日から東京にいらしたんですか?大変だったでしょ?息子さん、いつも頑張ってますよ。彼女もいるみたいで、良かったですね」という主旨のことだけを何度か話していたそうで、祖母は「不思議な方ね」と話していたそうです。

母親には後輩の歓迎会で突き飛ばされたことや、線路に突き落とされたことを話していましたが、バスの中で支店長に挨拶された時、「こっちが何か言う前に、当たり障りのない不自然な会話で畳み掛けるように話し掛けられ、そそくさと去って行った」ので、すごく不自然な印象だったと後から言われました。

旅行が終わった後、支店長はご満悦のようでした。

 

他にも色々とありましたが、ざっと思い出せる記憶を列挙してみました。

正直、自分が悪いのかな?と何度も悩みました。する側にもされる側にも原因があるんじゃないかと。

しかし、実際は、冷静に考えることすらできないほど、日々の生活の中で精神的に追い詰められていきました。

 

私の5年間④ 〜辞表提出

一番最初に身体に起こった変化は、朝、目覚ましで起きられなくなったことでした。

もともと、朝の目覚めは悪い方でしたが、どんなに爆音で複数の目覚ましをセットしても、目覚ましの音に気づいて起きることが出来なくなりました

また、家を出る直前には、激しい嘔吐下痢が襲って来ました。

しかし、その日に約束しているお客さんのことを思うと、出勤しないという選択肢は自分の中には生まれず、何とか重い身体にムチを打って出勤していました。

 

私の勤めていた営業店には"若手の営業課員は、営業店の職員通用口を開錠する8:00前に出勤して、店舗周辺の掃き掃除をする"という暗黙のルールがありました。

しかし、上記のような状態だったので、走って最寄り駅まで向かって電車に乗り、駅から営業店まで走って向かうという日々が続き、7:55や8:00ギリギリに到着するのが精一杯でした。

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当然、先輩たちは先に来て掃き掃除をしているため、面白くなく、毎日のように、支店長や営業課長から叱責を受ける日々が続きました。

呼び出しを受け、「どうして8:00の10〜15分前に出勤して、掃き掃除が出来ないのか?そんなに難しいことか?」という問いに対し、私は、自分の現状ありのままを伝えました。すると、「朝起きられなかったり、嘔吐したりするのは、営業として、誰しも通る道だ。そんな事を言い訳にしていたら、社会人として失格だ。朝、先輩たちと同じように掃き掃除すら出来ないなら、辞めてしまえ」と言われました。

その後で、「どうする?会社辞めるか?明日から掃き掃除するか?」と問われ、自信がないながらも「明日から早く来ます」と答えるのでした。

その夜は、翌朝に怒られるのが怖く、寝る前に何度も心の中で「明日は早く起きて出社する」と唱えます。結局、そのことばかりが気になって、熟睡もできぬまま朝を迎えてしまうのですが…。

誓いを立てた翌日や翌々日は何とかなっても、4日目には朝起きられなくなってしまい、文字通り三日坊主でした。

最終的には、ほとんどの職員が通用口の前に集まって解錠を待っている7:55に到着し、みんなの前で「朝来れないようなヤツは辞めちまえ!明日の朝、早く起きれるように今日はもう帰っていいぞ!」と怒鳴られることも多くありました。

その後、精神科に通い始めてから、その事を医師に話すと、朝起きられなくなるのはうつ病の兆候、と言われましたが、当時の上司からしたら、そもそも"うつ病になること自体が社会人として失格"だったのかもしれません。

 

そんな状況下で、さらに追い詰められるような事態が続きました。

二個下の男性後輩の退職です。

私のいた会社では、男性の新入社員は二年目から営業担当になり、女性の新入社員は二年目から預金窓口担当になるというのが、オーソドックスなパターンでした。

しかし、私の後に営業デビューするはずだった二個下の後輩は、私がパワハラを受けているのを見ているうちに、営業になるのが怖くなったようで、営業に上がる人事が発令される直前に辞表を提出し、退職してしまいました。

そのタイミングの退職では、代わりの人事異動もままならず、その年の営業課は一名欠の状態で営業しなくてはならなくなりました。それぞれの営業担当が各々の地区を担当しているため、当然、空白地区が1つできる形になりました。

そこで、様々な要因が重なり、白羽の矢が立ったのが、私だったのです。

その頃は、「不甲斐ない〇〇も、この地区を担当すれば、少しは自分の仕事に責任を持てるだろう」という支店長の計らいで、当初の担当地区から、重点地区である店周地区の担当に地区替えとなっていました。

しかし、たまたま今回の後輩の退職で空白地区になったのが、私が以前担当していた地区。しかも、その地区を分割したり、誰かに引き継ぐ時間的な余裕もない…。前年の店舗業績があまり良くなかったため、4月からの獲得目標スタートダッシュは必然…。

ということで、私が以前の担当地区も含めて、二地区を担当することになったのでした。

 

担当地区が広がり、ルーティンだけで1日が終わってしまう程、スケジュールは埋まってしまっていましたが、もちろん与えられるノルマも増える。

昼食を摂る時間もなく、自転車をこいで駆けずり回るため、体重は激減。お客さんにまで、「体重減った?」と気にされるまでになってしまいました。

また、営業店には食堂が設けられており、毎月の給料から自動で7,000円天引きされる代わりに、11:00〜14:00の間で昼食が用意されていました。

しかし、その時間に食堂に行く余裕が無く、昼食を摂れないことが多く、それでも夕方には空腹に耐えられなくなってしまい、コンビニでおにぎりを1〜2個買って近くの公園で流し込んでいたので、昼食代も2倍かかっていました。

 

続く執拗ないじめ自分ではどうしようもない朝の時間回っても回り切れない担当地区…。

自分の限界を感じた私は、たまたま支店長と同行でお客さん訪問した帰りに、支店長に辞表を提出しました。

社会人四年目の夏のことでした。

本来ならば、上司や営業課長へ先に辞めたい旨を伝えるのが筋ですが、もはや信頼のカケラすらなかったので、直接、支店長に提出することにしました。

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支店長は差し出された辞表に驚くも、今は受け取れない、と言われ、営業店の人員が足りないため、辞められると困ること、今我慢すれば時が解決してくれることもある、と説かれました。

その後、私が辞表を提出しようとしたことは営業課長の耳にも届いたようで、「順序がちげーだろ!」と怒り、私の先輩たちにも「〇〇、会社辞めたいってよ!」と大声で言いふらしていました。

当然、私への当たりは、一層強くなっていきました。

 

私の5年間⑤ 〜限界

辞表を提出するも拒否され、自分の限界を感じながらの苦痛な日々が続きました。

朝起きられないのは変わらず、8:00ギリギリに出社すると「お前なんか辞めちまえ!明日起きられるように、今日はもう帰っていいぞ!」と怒鳴られながらも、実際には辞めさせてもらえない日々が続きました。

 

そして、忘れもしない2016年12月29日

その日を含め、あと2日出社すれば正月休み、という日の朝。

私の身体は限界を迎えました

電車の中でも、意識が少し朦朧としていましたが、「あと2日頑張れば…」と自分に言い聞かせ、つり革に捕まっていました。

職場の最寄駅で降車し、改札を通り、地上階に上がるためのエスカレーターに乗ろうとした時、瞼の上からゆっくりとシャッターが降りるようなイメージで、目の前が徐々に暗くなっていきました。

エスカレーターに乗るのは危ないと咄嗟に判断し、近くの壁に寄り掛かると、全身から力が抜けていくと同時に、目の前が真っ暗になり、その場に崩れ落ちました。

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駅員さんが駆けつけ、何やら遠くで呼びかけていましたが、あまり記憶にありません

ただ、遠くで自分が救急搬送されている救急車のサイレンが鳴っていました。

 

その日は点滴を打って帰宅し、翌日は有給をもらいました。

その年の正月は全く記憶にありません。実家にも帰れず、ずっと部屋で一人で過ごしていました。

 

異変があったのは、初出勤の2017年1月4日

前日に、明日から出勤だなぁ…と布団に入って目を閉じて、次に目を開けたのが、翌日の夕方6時でした。

無断欠勤を心配した営業課長がお昼頃に私の住まいまで来て、インターホンを鳴らし続けていたそうですが、全く気付きませんでした。

連絡がとれず、支店長が、倒れたり死んでいると困るから部屋に入りたいと、不動産屋に連絡するも、両親の許可なく部屋には入れられないと、実家の両親に連絡がいき、母親から何度も携帯に着信が入っていました。

あと一回鳴らしても出なかった場合は、不動産屋さんのスペアキーを使って部屋に入ることになり、母親が最後のワンコールをした時に、ようやく目を覚まし、電話を取りました。

母親は、電話口で「よかった…。よかった…。」と泣いていました。

部屋のドアを開けると、外には支店長と不動産屋さんが突入の準備で待機していました。

支店長からは「正月開けで、まだ取引先もそんなに仕事始まってないから、ひとまず明日もゆっくり休んで、病院に行け」と言われました。

 

私の5年間⑥ 〜退職まで

精神科を受診し、パニック障害と診断され、「2ヶ月間の休職を要する」という診断書をもらった私は、2017年3月末を以って退職できることになりました。

診断書には「動悸を訴え平成29年1月10日初診。」とありますが、当時、常に自分の心臓の音が大きく聴こえ、「耳元で心臓が鼓動しているような感じがする」と言って受診したのを記憶しています。心臓の音が異様に大きく、そのことがとても不安でした。

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しかし、3月末までは会社に籍を置く事になるため、書類関係の引き継ぎをするために出勤し、引き継ぎ作業を行うことと、毎朝、営業課長宛に電話をし、その日の担当地区のルーティン業務を伝える、という条件付きでした。

 

引き継ぎに関しては、「お客さんの前には出せない状態」と判断されたため、机上の引き継ぎのみで、"体調の良い日に半日でも可"という条件で出勤し、引き継ぎ書類作成を行いました。

2〜3回の出勤で終わるだろ、と思われていたようですが、結局1週間かかって書類は完成しました。

担当していた件数が多かったのが要因ですが、引き継ぎ資料を見て初めて「お前、こんなにたくさん担当持ってたんだな」と言われました。

 

そして、一番辛かったのは毎朝の営業課長への電話引き継ぎです。

これは、退職するまでの3ヶ月間、毎日続けました

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電話をすると、課長は面倒臭そうに受話器を取り、「はい、はい。忙しいんだから…、余計な仕事増やしやがって…」と言いながら要件を聞いたあと、「もう終わり?終わり?」と言って、ガシャン!と思い切り強く受話器を置いて電話を切りました。

ガシャン!という通話終了の音が耳に残り、脅迫されているような気分になって怖くなり、何度も嘔吐しました。電話の後、半日以上体調不良が続いたことも、何度もありました

 

電話引き継ぎと精神科への通院を3ヶ月続け、なんとか退職の日を迎えました。

その日、会社からもらった雇用保険被保険者離職票の退職事由の欄には「(個人的理由で)転職」と書かれてありました。

ハローワーク提出時、担当者に説明し、直筆で加筆してあります。)

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退職をしてからは、精神的に不安定な日が続き、電車にも乗れず、日中外に出ることもままならず、夜になると飲み歩き、記憶を無くして家に帰る…といった日々でした。

手や足から血を流して帰ったり、頭をどこかにぶつけて血を流し、叫んだこともあります。

突然、何かに襲われるような妄想に取り憑かれ、「殺してやる!殺してやる!」と喚き散らし、近所の人に通報され、警察が来たこともありました。

辛い日々が続きましたが、そんな日々の中に居続けることも怖くなり、「もう少し体調が良くなるまで、待った方がいい」という周囲の忠告を振り切って、転職活動を開始。2017年7月1日から、現在の会社で働き始めました。

最初は、休みがちで迷惑をかけてしまいましたが、それでも事情を理解してくれ、辛抱強く回復に期待してくれたおかげで、今では、楽しく元気に仕事ができるまでになりました。

 

かなり辛い5年間で、29年間の短い人生の中でも、群を抜いて印象深い期間でした。

しかし、金融機関で働いていたからこそ、出会えたお客さんも多く、そこで教えてもらった知識は、何物にも代え難い宝物だと感じています。

また、同じ職場で、自分のことを心配して声を掛けてくれた人たちもいたので、その人たちには感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、辛い経験を自分がしたからこそ、他の人には同じような思いをして欲しくない、とも強く思います。

いじめ・パワハラは自分の意図している、していないに関わらず、意図せずして加害者になってしまっているケースもあるので、注意も必要です。

今、同じように悩んでいる人がいたとしたら、この文章が、勇気ある行動を起こすための後押しになること、それだけが願いです。

 

大丈夫。

悩んでいるのは、あなた一人ではないのだから。

 

 

【あとがきにかえて】

2018年8月25日

渋谷ヒカリエにて、絵本の出版記念サイン会および、はるかぜちゃんと村本大輔さん(ウーマンラッシュアワー)の特別対談イベント「いじめているきみへ 伝えたいこと」が行われました。

私は、対談の時間に先約が入っていたので、サイン会のみの参加でした。

 

はるかぜちゃんは、NHK教育テレビストレッチマンの頃から見ていましたが、今や17歳。

実際にお会いするのは初めてでした。

今回の絵本の内容について、色々と思うところもあったので、その話をしようと思っていたのですが、本人を前にすると、あまりの可愛さに、まともな会話もできずに終わってしまいました。

でも、絵本にサインをもらっている時、何も話せないでいる私に「しげさんって、呼びやすい名前ですね」って言ってもらったのが嬉しかったです。

いっそのこと、「しげさんって、呼んでもらってもいいですか?」って、お願いすれば良かった…と激しく後悔です。(←アホか。)

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いじめているきみへ

いじめているきみへ

 

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※本ブログの内容は、私が働いていた営業店での体験であり、その他同社の営業店および、その他の金融機関については、この限りではありません。

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せんべろ遍路 五箇所目〜心も舌もオドル♪アワオドリ!

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ヤットサーヤットサー♪

四国出張の旅、徳島に訪問は8月15日

12日・13日・14日・15日4日間行われる阿波おどりオーラスの日でした。

空港に到着すると、滝のような雨に稲光

こんな荒天じゃあ、中止なのかなぁ…?という部外者の心配もよそに、徳島駅前に着くと、想像以上の熱気!

そんじょそこらの雨じゃ、徳島人の阿波おどりに対する情熱の炎は消せないらしいです。

ということで、今回もせんべろではないですが、阿波おどり徳島の居酒屋ルポいってみたいと思います。

 

平成最後の阿波おどり

さてさて、今回の阿波おどりですが、平成最後というのに加え、毎日最後の30分間に行われる総踊り決行の如何でもニュースを賑わせていました。

悪天候も重なって、人出は例年と比べると、15万人ほど少なかったようです。

しかし、そんなことはいざ知らず、雨に打たれ雷に慄きながら、初めての阿波おどりを堪能させて頂きました。

ホテルに最寄りの演舞場で観覧したのですが、何組か動画も撮影したので、雰囲気を味わって頂ければと思います。

お囃子を聴いていて思ったのは、地元のお祭りとお囃子が似ているなぁ…ということ。

私は、青森の八戸出身なのですが、地元のお祭りというと例年7月31日〜8日4日までの5日間開催される八戸三社大祭が有名です。

阿波おどりのお囃子は、チンドン屋さんのような鐘の音が特徴的でしたが、お囃子の根本的なリズムの部分に類似性を感じました。

初めての阿波おどり観覧ではありながら、ここ4〜5年見ていなかった地元のお祭りの光景もフラッシュバックしてくるような、不思議な体験になりました。

今年は花火大会等、夏のお祭りに足を運んでいなかったのですが、やっぱり日本の夏祭りって、良いものです。

 

舌も踊る、阿波尾鶏

阿波おどり観覧前に腹ごしらえを済ませていたのですが、こちらでは心だけじゃなく、舌も踊る体験ができました。

今回、お店の写真を撮り忘れてたのですが、訪問したのは『一鴻(いっこう) 徳島駅前店』

阿波おどり同様、お店の中も賑わってました。

カウンター席に通してもらったら、ひとまずビールですよね。

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お通し・ゴボウの和え物と一緒に、ビール降臨

ぷはぁ〜っ…。

毎回、この一杯のために頑張ってるんだよなぁ〜と思わせてくれる。

 

さてさて今日は、何を食べてやろうかなぁ…とメニューを繰ると、どうやら地鶏『阿波尾鶏』というのを推してるらしい。

徳島県養鶏協会 徳島県阿波尾鶏ブランド確立対策協議会

見るからにダジャレなネーミングですが、食べてみないことには…ということで、もも砂ずりを頂きました。

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もも(720円)ほろっと柔らかく、塩加減がちょうど良い

ビールを飲み干してしまったので、ここで二杯目を注文。

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二杯目のビールで頂く、大好きな砂ずり(550円)

こりこり食感がたまらない。

レモンを絞って、さっぱり頂くのも、また良い。

ここで、ちょっと日本酒が欲しくなってきたので、メニューを拝見。

おススメの『水ト米』(グラス 463円)を頂きました。

『全米日本酒歓評会2018』(U.S.National Sake Appraisal 2018)の純米部門で金賞を受賞したお酒だそうです。

酒母には酵母以外は添加せず、純粋に「水と米」だけで作られた日本酒で、アルコールのとげとげしさがなく、「これまで日本酒を飲まなかった女性や若い方々など、日本酒ビギナーに飲んでいただきたい純米酒とのことでした。

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これが、とても美味しかった!

水のような口当たりで、さらっと入って来るも、後からお米の甘みがぶお〜って押し寄せて来る感じ

徳島・新発見!っていう気分でした。

 

最後まで徳島の味覚を堪能!

もう一品くらい欲しいな…とメニューを見ていると、面白そうな物を見つけたので、早速注文!

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和田島のフィッシュカツ(カツ天)(370円)

これ、徳島のソウルフードみたいで、魚のすり身にカレー粉などの香辛料を入れ、パン粉をまぶして揚げたもの

徳島で「カツ」というと、「トンカツ」ではなく「フィッシュカツ」を指すんだとか。

カレー風味が食欲をそそり、そのままでも、ソースでも、マヨネーズでも美味しい!

 

ここらで日本酒が切れたので、最後の一杯を。

徳島に来たら、やっぱりコレを飲まないとね!ということで、『スーパーすだちサワー』(420円)を注文。

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通常のすだちサワーよりも、すだちが多く入っているので「スーパー」なんだとか。

甘さとすだちの酸味がちょうど良く、すいすい入って来てしまう

スーパーすだちサワーで、フィッシュカツの残りを頂いて、お会計へ!

今回は、4,060円(税込)でした。

そしてそのまま、ほろ酔い気分阿波おどり観覧に出掛けた…という訳なのでした。

 

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そういえば、徳島は、横断歩道の線の方向も面白かったなぁ〜と。

 

※記事中の値段は、表記のあるものを除いて、税抜きです!

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【お店情報】

    一鴻(いっこう) 徳島駅前店

    徳島県徳島市島本町3-12-8

    営業時間:17:00〜24:00

    Tel:088-678-5995

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せんべろ遍路 四箇所目〜松山『誠』バーのマスターが勧める"間違いないお店"

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はろぉ〜、松山駅バリィさんです。

出張で四国巡礼をしてきたんですが、四国はどこに行っても食べ物が美味しい!

仕事をしに行ったのか、ヨダレを垂らしに行ったのか分かりませんが(冗談です!)四国のナイトライフを存分に満喫してきた訳であります。

今回も、せんべろでは収まってない訳なんですが、愛媛は松山市内で「こんなお店あるんかい!?」という感動的な出会いがあったので、紹介したいと思います。

 

松山の繁華街  大街道

夜の松山といえば、大街道

ホテルも大街道の入り口のホテルだったので、荷物を置いて、スーツから着替えたら、早速夜の松山へ繰り出します。

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香川県高松から松山への特急が少し遅れて到着したのもあって、ホテルを出たのは20時半。

お腹と背中はくっつきそうです。

 

実は今回、すでに行くお店が決まっていました。

というのも、四国出張で松山宿泊が決まった時に、いつもお世話になっているバーのマスターから「ここのお店は間違いないよ」と紹介してもらっていたからです。

お店の名前を聞いてから、出張が楽しみで楽しみでしょうがなかった、という訳です。

 

さてさて、大街道を闊歩し、ちょこっと脇に逸れたところに、それはあるとのこと。

大街道は賑やかな繁華街ですが、道を一本外れると少し薄暗く、飲み屋が軒を連ねています。

ころころと目移りしながらも、目指す目的地はひとつ

はやる気持ちを抑えながら、着実にお店に近づいていきます。

 

落ち着いた雰囲気 『小料理  誠』

さてさて、大街道の入り口から歩いて5分程度。

ここが目的地の『小料理  誠』です。

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「あれ?行ったの夜じゃないの?」と思った方。正解ですが、それは言わないお約束。

お店の写真を撮るのを忘れていたので、次の日の朝に撮りに行きました。

 

お店の引き戸は、店内に風を入れるために少し開いていて、お店の前には猫ちゃんがゴロンとしていました。

気持ち良さそうな猫ちゃんに「ごめんね〜」と言いながら、猫ちゃんを跨いで、カラカラと引き戸を開けます。

 

お店には、靴を脱いで上がります。

カウンターは10席程度だったでしょうか。

お店は、気さくなおばあちゃんが一人で切り盛りしていました。

人によってはお盆休みの最中という事もあってか、20時半の入店時にはお客さんはいませんでした。

カウンターに空いたお皿が載っていたので、食事ピークが過ぎたところだったのでしょうか。

 

カウンター席に着くと、「今日は市場がお休みだから、お刺身ないのよ…。ごめんね。でも、それは他のお店行っても一緒だから」と。

ありゃ、残念。

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ひとまず、生ビールをお願いして、店内を見渡すと…お品書きが、ない!?

キョロキョロしていると、「お腹空いてる?今日の予算はどれくらい?」と。

一瞬、脳内会議が開かれ、「5,000〜6,000円くらいですかね…」と回答。

すると、「じゃ、それくらいで見繕ってあげるね」との返答が。

ここからサプライズが始まったのですが、この時点では、この先どうなるのか少し不安でした。

 

想定外の "天然もの"

最初に頂いたのは、自家製の甘味噌がかかったキュウリ

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味噌には小魚が入っていて、田作(カタクチイワシのつくだ煮)のような感じでした。

乾ききった身体中に染み渡るビールと一緒に、ホイホイ箸が進みます。

これ、ご飯にかけても美味しそうだし、舐めながら日本酒もイケそう。

 

「これ、すぐに出せるから、次はこれね」という事で、次に頂いたのがこちら。

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揚げたアマギ(上)とアジ(下)のマリネです。

"アマギ"って、初めて聞いた名前だったんですが、愛媛県ではイボダイの事をそう呼ぶようです。

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アマギ(Wikipediaより)

アジはそのまま頭からパクっと。

アマギは身をほぐしながら、玉ねぎと一緒に頂きます。

お酢でさっぱりしてて、ビールが進む!

 

満面の笑みがこぼれたタイミングで、「鮎、食べる?」と聞かれました。

鮎は好きなので、「ぜひ、食べたいです!」と即答。

常連さんが釣り好きで、この時期になると、釣れた鮎を売ってくれるんだそう。

「もう少し早く来てたら、刺身でも出してたんだけど…。鮎は鮮度が命だからね」

鮎の刺身なんて、食べた事ない!惜しい事したなぁ…。

目の前のグリルで焼いてくれます。

ぱちぱちという音が、食欲をそそる。

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二匹も焼いてくれました。

添えられたすだちを絞って、一匹目はビールと一緒に

「うーん、美味!」

思わず、「美味しいです!」と叫んでしまいました。

「そうでしょ。天然の鮎だからね。養殖の鮎とは違うよ」

おぉ…!と感動しながらも、「俺って天然の鮎なんて食べちゃって大丈夫なのか?」と一抹の不安が頭をよぎる。

…も、もう一匹も美味しく頂くために、日本酒を冷やでお願いしました。

日本酒を飲みながら頂く鮎も、格別です。

 

怒涛の愛媛ラッシュ!

次に頂いたのは、地元産のナスをサッと油に通したものに、いっぱいの味噌を乗せ、万能ネギを散らしたもの。

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スプーンでナスと味噌とネギを混ぜて食べてね、とのこと。

アツアツのまま、口に放り込む。

ナス、肉厚!

旨味汁が口の中にぶわぁ〜っと、ものすごい勢いで広がる!

またまた、日本酒が進む。

 

次に登場したのが、愛媛のブランド豚「愛媛甘とろ豚」を使ったトンカツです。

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愛媛は中国地方でも養豚が盛んな地域なんだそうで。

そして、生産量日本一を誇る愛媛県産裸麦を食べて育った豚は、柔らかさジューシーさ脂身三拍子揃った、料理のプロも絶賛するブランド豚なんだとか。

で…、いざ実食!

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はもっと、簡単に噛み切れてしまうお肉!

なんなんだ!?この柔らかさはッ!!

ぽんぽん口に放り込んでいったら、一瞬で六切れを完食してしまいました。

 

とてつもないもの、登場。

ここまでで、だいぶ胃袋は充たされていました。正直、そろそろお会計でもいいかな…という塩梅。

しかし、ここで、衝撃の一言が聴こえてくる。

「鯛、食べれる?」

  What's!?

しかも、目の前にぶら下げられた鯛は、かなりの大きさ

即答できず、逡巡していると、「これ、郷土料理だから食べてって」と、グリルでの調理が始まってしまった。

 

そして、出て来たのが、こちら。

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で〜んッ!!

なんじゃこりゃあ〜っ!!

瀬戸内海沿岸地域に広く伝わる郷土料理・鯛そうめん

ちょっと写真が残ってないのですが、錦糸卵や椎茸の煮付け、万能ネギの下にそうめんが盛ってあります。

普通のそうめんだと、すぐに伸びてしまうので、モロヘイヤを練りこんだ麺を使っているのは、お店のこだわり。

鯛の尻尾には、北海道産の白ワサビが盛ってあります。

 

ん〜、こんな大きな鯛めったに見ないし、一人で食べたことなんて一度もない

しかし、お腹はかなり充たされている!

でも、作って頂いたら、食べない訳にいかないので、いざ実食!!

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めんつゆに好きな具材とそうめんを入れ、ほぐした鯛の身と一緒にパクリ。

ウマイッ!

…というか、マズい訳がない。

 

愛媛県県魚がマダイとのこと。

天然、養殖ともに日本一の生産を誇り、まさに"めで鯛"魚なんだとか。

しかし、最近テレビで鯛そうめんが紹介された際に、養殖鯛を使っていたそうで、「鯛は県魚で、漁獲量も日本一なのに、郷土料理を作るのに養殖なんて使っちゃダメだ。私は鯛そうめんを作るときに天然しか使わない!」とのこと。

え〜と、鮎に続き、鯛も天然でございますか!?

はてさて、私は無事にお会計できるのでしょうか…?

 

運命のお会計タイム

遺憾ながら、半分ほどしか食べられず、申し訳なさそうにお会計を申し出ます。

すると、「ありゃ、結構残したのね…」とのコメントの後に、「おみやみたいに包んであげるから、明日の朝ごはんに食べなさい」と、くるくるっと包んでくれました。

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そして、ドキドキのお会計なんですが、、、

「最初に言ってた予算通りのお代でいいよ」

「え、でも、私それ以上に食べましたよね?」

「いいから、予算以上には出さなくていいからね」

というやりとりが。

6,000円を渡すと、1,000円返されちゃいました。

お腹も、心も、お財布も満足してしまいました。

思わず、「絶対また来ます!」という言葉が口から出ていました。

 

そのあと…。

おみやをぶら下げてホテルに戻り、シャワーを浴びようとTシャツを脱ぐと…

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でぇ〜ん!!

ジーンズのベルトにお腹が乗っかっちゃってます。

普段は細身で、履けるパンツを探すのにも苦労するほどなのですが、ボタンもはち切れんばかりに、お腹が膨張しちゃってました。

 

そして、翌朝。

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おみやの包みをほどき…。

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ラップを外して…。

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こんなに豪勢な朝ごはん、おそらく、これまでの人生で初めてだと思われます。

というか、後にも先にも、もうなさそう。

割り箸と、おしぼり、湯呑みにめんつゆまで入れて付けてくれた心遣いに、朝から感動

 

次の出張で愛媛を訪れた際には、湯呑み茶碗を持参して、「先日はごちそうさまでした!」と言いながら再訪したいと心に決めました。

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【お店情報】

   

    愛媛県松山市二番町2-5-5

    営業時間:11:30〜14:00、17:00〜23:00

       ※日曜日は定休日。

    Tel:089-943-2419

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せんべろ遍路 三箇所目〜大山『馬ヲムム』リーズナブルに馬刺し三昧!

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ども、のんべぇ12年来のお付き合いをしている愛犬・スヌ男と申します。

せんべろ遍路と謳いながら、全然1,000円じゃないじゃないか!という声が聞こえてきそうなので、今回は真面目に「せんべろ」でいけるお店を紹介します。

(ま、私が大喰いなので、普通にサクッと一、二杯目で、料理2、3品の注文なら、1,000円で収まるんですが…)

 

一度聞いたら忘れない店名!

今回の舞台は東京都板橋区大山です。

池袋から東武東上線に揺られること約5分

ふらっと気軽に立ち寄れる飲み屋も多く、商店街・大山ハッピーロードも賑わっていて、雰囲気が好きな街のひとつです。

ちなみに、東上線急行は止まらないので、ご注意を。

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友達が池袋方面から電車に乗って来るとの事なので、出口が分かりやすい南口で待ち合わせ。

お店は、北口の方が近いです。

 

開店時間の17時に合わせて、賑やかな繁華街を歩いていきます。

南口からだと少し遠回りにはなりますが、それでも徒歩5分くらいでお店に到着できます。

 

積もる話に花を咲かせながら、なんだかんだ17時少し前にお店に到着。

開店を待ちわびるお客さんが数名、すでにお店の前に待機してました。
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のれんには店名『馬ヲムム』の文字が。

千と千尋』的な不思議な雰囲気です。

店名の由来は、お店の電話番号「03-3961-8066なんだそうで。

独特のネーミングセンス!

一度聞いたら忘れられない店名です。

 

ここ『馬ヲムム』は、板橋にある『馬の串ん』や十条『馬ござる』の姉妹店にあたるそうで。

店内は広く、カウンターとテーブル席に分かれています。昭和歌謡が流れ、とても居心地がいいです。

 

早速、注文!

カウンター席に通され、早速メニューを拝見。

写真を撮影したのは、昨年の12月。その際は、まだプレオープンという形で営業されていました。

最近訪問した際には、少しメニューも変わっていたので、後日アップデートしたいと思います。

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ずらりと並ぶ馬肉の部位。

お肉を部位で選んで注文するのは焼き鳥、焼き肉くらいだったので、メニューを見ているだけで楽しい。

ただ、このお店の目玉はメニュー左上の馬刺し

肩ロースモモ肉肩バラ肉胸椎後方の肉(サーロイン)がそれぞれ190円(一人前)で食べられます。

馬刺しって、たまに食べたくなるけど、ちと高くて、出てくる量もあまり多くないのが一般的。

しかし、『馬ヲムム』が、私の馬刺しに対するイメージを良い意味で改変してしまいました。

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どうでしょう?

上記4部位の盛り合わせ

一人前ずつでもこのボリューム感!

これで760円だっていうんだから、驚きです。

九州系のとろりとした甘い醤油と、たっぷりのニンニクを乗せて一緒に頂く贅沢感

これを食べるために頑張ってきたのか…!と、ついつい錯覚してしまう。

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そして、カウンターにずらりと並ぶ、芋焼酎赤兎馬

日に千里を駆ける事ができたといわれ、蜀の名将・関羽が駆った稀代の名馬の名を冠した焼酎は、馬刺しを堪能するにはうってつけ

ぼくも赤兎馬にな〜るッ!

結局、ロックで片っ端から頂いてしまいました。
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こちらは、馬の生タン 480円

ブラックペッパーが効いてて、コリコリ食感

これは完全にビールのつまみです!

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お次は、ハツ刺し 480円

全くクセがなく、とぅるんとした食感。

火を通したのも食べてみたい。
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これは、タテガミ(通称:コウネ) 480円

馬肉特有の希少部位だそうで、プリプリした食感に少し甘みもあります。

コラーゲンが豊富で、美容にも良いとのこと。
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続いては、セキヅイ 580円

ちょっと柔らかく似た太めのうどんといった感じ。まるで、粉物。

たっぷりのカツオ節と、あっさりポン酢でちゅるっと頂きます。

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こちらは、タケノコ 380円

馬の大動脈だそうです。

ポン酢、玉ねぎ和えで、かなりコリコリした食感。

こういうのも、変化があって楽しい。
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最後に、生レバー 580円

個人的に、レバーは鉄板!

一口に馬刺しといっても、色んなバリエーションを楽しむことができ、飽きることがありません。

 

〆まで楽しめる!

かなり馬刺しを堪能しましたが、ここ『馬ヲムム』では、そのまま〆まで楽しめます

オススメはこちら!

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紅しょうがスープ 80円

鶏ガラベースのスープサッパリ紅しょうがごま油も効いてて、香ばしい匂いが広がります。

馬刺しの余韻に浸り、ふぅふぅしながら飲み干すと、優しさに包まれたような気分になれます。

 

来店時はTwitterでチェック!
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お店のホームページはなく、営業状況はTwitterにアップされるので、来店前にはお店のTwitterをチェックしておくことをオススメ!

ちなみに、Twitterの店名英語表記は『vawomm』

外国で通用するのかどうかは疑問ですが、馬のいななきみたいでカッコいい。

ヴァヲムム〜ッ。。。

 

心ゆくまで馬刺しを堪能できた至福の時間となりました。

もちろん、メニューを全て注文すると、せんべろとはいきませんが、一人だとお酒1、2杯と盛り合わせで充分満足できます。

短時間でサクッと済ませるお客さんも多い印象でした!

 

ちなみに、掲載の写真は複数回来店して撮影したもので、一度の来店で注文したものではありません。

また、若干情報が古い場合もあります。

再来店時に更新していく予定ですが、ご了承下さい。

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【お店情報】

    馬ヲムム

    東京都板橋区山東町18-2

    営業時間:17:00〜24:00頃

    Tel:03-3961-8066

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