記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

ペヤンガーとしての誇りをかけて。

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まるか食品株式会社HP(http://www.peyoung.co.jp/)より

ペヤングソース焼きそばを販売するまるか食品株式会社」は、群馬県伊勢崎市に本社を置く、即席麺の製造販売、不動産賃貸業を行う企業。

主力ブランドのペヤングは1973年(昭和48年)7月に発売開始となり、ペヤングヌードル』から使用された。語源は「ペア+ヤング」。当時カップ麺は袋麺と比べ高価でファッション要素が強い食品であったため、カップ麺を高いと感じた"若いカップルに2人で1つのものを仲良く食べて欲しい"という願いから名付けられた。

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まるか食品株式会社HP(http://www.peyoung.co.jp/)より

その中でも、絶大な知名度を誇るペヤングソース焼きそばは、1975年(昭和50年)3月にカップ焼きそばとして発売開始。「日清焼そばU.F.O.」(日清食品)、「マルちゃんやきそば弁当」(東洋水産)と共にカップ焼きそばのロングセラー商品である。

ペヤングソース焼きそばは、カップ焼きそばとして初めて四角形のパッケージを使用した。当時主流だった円形パッケージを使用しないことでの他社との差別化と、「屋台の焼きそば」で使用されていた容器からの発想によるものである。(Wikipediaより)

 

これくらいの知識は、一般常識だと思っている自称:ペヤンガーが、巷で話題になっているコレに挑戦しました。

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『超超超大盛GIGA MAX』

レギュラーサイズ4個分に相当する大ボリューム。

エネルギーは2,142kcalにも及び、これだけで成人男性1日分の摂取カロリーに匹敵する。

普通に考えて化け物なのだが、自分が"痩せの大食い"であるというのと、Twitter「2分半で食べた」「6分半で完食」といったつぶやきを見つけ、自分も最終的にはスマホのストップウォッチのスクリーンショットTwitterにアップするつもりで挑んでみた。

 

GIGA MAX、襲来。

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我が家に襲来した『超超超大盛GIGA MAX』

「※1日1食までにして下さい。カロリー摂取基準を上回る恐れがあります。」なんて注意書きがあるカップ麺、生まれて初めて見た気がする…。

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内容量439g。

麺だけで330gもある(レギュラーサイズは90g)、圧巻のスペックとボリューム

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ひとまず、外装フィルムを剥がしてみる。

…すると、驚愕の文字が目に飛び込んできた。

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ね、熱湯3分!?

そ、そんなに待てるかッ!!…ではなく、

「お湯の目安量 1300ml」だとっ!?

我が家で常用の電気ケトル一度に沸かせるお湯の量は800ml

お、お、お、お湯が足りんッ!!

2度に分けてお湯を沸かすことに。
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アルミシール式の蓋を点線まで剥がすと、ひょっこり恐ろしいものが顔を覗かる…。
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そうそうコレ、コレ!

発売当初から変わらぬペヤングソース焼きそば』のウスターソースは、液体状で他社とは違った「まろやかソース」を使用。

それまでのカップ焼きそばは、全て「粉末ソース」だったけど、この液体ソースを業界で初めて開発したのはまるか食品なんだよね!

そして、そのソースを吸収しやすいように小麦の配合を工夫した麺を採用。麺も、具材が絡みやすいよう、従来とは反対の、粗い方の面を上にして容器に入っているんだ!………じゃな〜いッ!!

蓋の下から、とんでもない大きさのかやくソースの袋が出てきた。

350mlの缶ビールとの対比が、ヤバい

 

圧倒的ペヤングとの対峙

電子ケトルで2度に分けてお湯を沸かし、発泡スチロール製の容器に、一気にお湯を注ぎ入れる。

そして、待つこと3分。

当然ながら湯切りをするわけだが、この世に生を受けてから今日までの間、こんなに長い時間を湯切りにかけた事があっただろうか!?

永遠とも思える程、湯切りの時間が長く感じられた。

 

湯切りを終え、「まろやかソース」を纏って、私の目の前に降臨した『超超超大盛GIGA MAX』が、コレだッ!!

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なんという、圧倒的存在感!!

湯気立ち上る発泡スチロール製容器に顔を近づけると、鼻孔に広がる香しいソースの匂い

ソースが均等に絡み、黒光りする、美しい麺

ふりかけのゴマ・アオサ・紅生姜がそこに彩りを加える

あまりの神々しさに圧倒されてしまいそうだ。
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再度、350mlの缶ビールとの対比。

圧倒的存在感をもって、我々に迫ってくる様子、お分り頂けるだろうか?

 

いざ、実食!

ストップウォッチを起動させ、いざ、実食!

完食後、ストップウォッチのスクリーンショットTwitterにアップし、「完食宣言」する気満々で食べ始める。

大好きなカップ麺の乾燥キャベツが、こんなにもたくさん食べられるなんて!

幸福感に包まれながら、繰る箸を止めず、ひたすら掻き込んでいく。

 

帰宅後、あえて直ぐに食べ始めず、空腹にさらに磨きをかけて挑んだ『超超超大盛GIGA MAX』

非常に好調なペースで食べ進めていく。

 

…が、しかし開始6分を過ぎたあたりで、事件は起きる。

は、は、は、箸が進まないッ!

唐突に襲って来た拒絶感

2/3程度を6分程度で一気にかき込む事には成功したものの、突如、それより箸を進める事が出来なくなってしまった。

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少し時間を置いたり、別の事をしてみたりと、少しでもお腹に空きができるのを待つが、待てど暮らせど、その時はなかなか訪れない…。

気がつくと、ストップウォッチの針は、冷酷にも1時間を回っていた…。

嗚呼、無念。

敗北感に打ちひしがれながら、発泡スチロール製容器にサランラップをかけ、冷蔵庫にしまう事にした。

 

ちなみに、その日の夜、カップ焼きそばの海に溺れ、鼻から焼きそばが出て来る夢にうなされた事は、決して誰にも言うまい。。。

 

スタッフが残さずいただきました

さて、悪魔の一夜が明け、意を決して、敗戦処理を行う事に。

冷蔵庫で一晩冷えた麺はダマになってしまったため、それを包丁で刻む。

熱したフライパンに刻んだ麺を入れ、少しパラパラになるまで炒めた後、そのままそこにご飯を投入。

ウスターソースを少しかけ、麺と米が混ざり合うまで炒める。

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あっという間に「そば飯」の完成。

ウスターソースの香りが、食欲をそそる。

たまたま冷蔵庫に入っていたのでトッピングしたカイワレダイコンの辛みがアクセントになり、ススム、ススム。

最後まで美味しくいただきました。

 

というか、一度で二度楽しめるというか、そもそもボクは、最初からそば飯も食べたかったんだよね…。

最初から、コレ狙ってたんです!

 

こうして、辛うじて"ペヤンガーとしての誇り"を保ったのでありました。

【太宰散歩】津軽、太宰ゆかりの地を歩く2018(前編)

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撰ばれてあることの

恍惚と不安と

二つわれにあり

                      ーヴェルレエヌ

太宰の処女作『晩年』の冒頭を飾る作品「葉」冒頭のエピグラフからはじめます。

この詩は、39年におよぶ人間・太宰治の心境を集約した言葉だと思います。

 

自己に対する、文学者として「撰ばれてあること」への自信と不安の入り乱れた「恍惚と不安」を感じつつ、加えて、青森県内で4番目という津軽屈指の大地主である津島家に六男坊として生まれ、幼い頃から総ヒバ造りの豪華な家に住み、30人もの使用人に囲まれ、農民に金を貸し、抵当にした田畑の搾取によって富や恵まれた暮らしが成り立つ環境を見、「撰ばれ」た環境を与えられながらも、その環境に対する罪の意識も持ち合わせ、「恍惚と不安」を感じるという複雑な心境が、太宰文学の根幹を成しています。

 

…と、小難しい話はここまでにしておいて、2018年、今年のGWに、久し振りに故郷・青森に帰省しまして、太宰のゆかりの地を巡ってきました。

父親が転勤族だったので、これまでは「自分の故郷=家族の住んでいるところ」だったのですが、父親が退職し、故郷が太宰の生まれ育った五所川原に落ち着きました(太宰の生まれた金木町は、2005年3月28日に五所川原市市浦村と合併し、新市政による五所川原市となった)。

太宰治はソウルフレンド」と公言している自分が、まさか太宰と故郷を同じにするとは…と驚いています。

そんなこんなで、太宰ゆかりの地すべてを回れた訳ではないのですが、帰省期間中に巡った太宰ゆかりの地『太宰・津軽散歩』と題して、まとめていきます。

 

太宰・津軽散歩のバイブル

津軽で太宰のゆかりの地を歩くとなると、バイブルになるのが1944年(昭和19年)11月に小山書店から刊行された紀行文津軽

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当時、小山書店は「新風土記叢書」というシリーズを組み、作家に自らの郷里を案内する紀行文を書かせていました。

津軽シリーズ7冊目の刊行。小山書店の加納正吉からの勧めで、津軽の執筆と、その取材という形で津軽旅行をすることが決定しました。

 

太宰はこの津軽』取材旅行3年前である1941年(昭和16年)8月に、太宰の世話人である北芳四郎の勧めで、10年振りに帰郷しています。

この時の滞在時間「ほんの三、四時間ほどのもの」だったそうですが、冒頭でも少し触れたように、太宰は自身の出身に対してコンプレックスを抱いており、また、過去の度重なる自殺未遂などの負い目もあったため、かなり決心のいる帰郷だったと想像できます。

 

そして、翌1942年(昭和17年)10月母・タ子(たね)重態の知らせを受け、再び帰郷をします。

前年の帰郷は、北さんに連れられての帰郷でしたが、今回は、実家・津島家の人々と初対面妻・美知子さんと娘・園子さんを連れての帰郷。

久し振りの実家に入る際には、周囲の目を憚って、裏口から入ったそう。

 

この2度の帰郷について、それぞれ『帰去来』『故郷』という短篇を記しています。

この2つの短篇を読むと、太宰の生家に対するわだかまりが氷解していく様が感じられます。

ようやくコンプレックスの源と和解することができたのです。

 

幼い頃のコンプレックスとの和解という経緯を経て、依頼を受けた紀行文津軽執筆。

この作品には、津軽の風景・人が愛情を持って描写されていて、太宰の故郷愛が最も感じられる作品です。

 

それでは、バイブル津軽を片手に、今回の私の帰郷で巡った、太宰ゆかりの地を振り返っていきます。

 

津軽の味覚

太宰は、津軽』執筆旅行の際、1944年(昭和19年)5月12日に、ジャンパーを着て、きちんとゲートルを巻いて、戦時型の軽装をして、リュックサックを背に、弁当と水筒持参という、自称「乞食のような姿」三鷹の自宅を出発し、午後5時30分上野発の青森行き急行列車に乗り、故郷の津軽を目指しました。

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   新潮文庫津軽』冒頭の口絵より)

翌5月13日の朝8時に青森へ到着、"T君"こと外崎勇三とそのお嬢さんの出迎えを受け、バスで蟹田へと向かいます。

午後、旅路を共にする、蟹田のN君"こと中村貞次郎と会い、N君宅へ四泊五日逗留します。

 

 そして、その晩。

松尾芭蕉行脚掟から「一、好みて酒を飲むべからず、饗応により固辞しがたくとも微醺にて止むべし、乱に及ばずの禁あり」という一箇条を引用しながら、「酒はいくら飲んでもいいが失礼な振舞いをするな、という意味」「泥酔などして礼を失しない程度ならば、いい」という独自解釈から、津軽の饗応、盃の応酬がはじまります。

最後には、「私はアルコールには強いのである。芭蕉翁の数倍強いのではあるまいかと思われる」である。太宰の言い訳、おそるべし(笑)

 

また、このシーンで「蟹の山」として登場するのが、これ

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太宰も愛した、津軽の味

津軽地方ではお花見のお供である、トゲクリガニです。

もぎたての果実のように新鮮な軽い味である。」と書かれたトゲクリガニは、小さいながらも、しっかりと甘みのある蟹の味がします。

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 私も実家で食べてきたのですが、やっぱり、美味。

カニ味噌も、しっかり、カニ味噌の味

津軽の春の風物詩津軽にお越しの際には、ぜひ一度、ご賞味あれ!

 

…と、太宰の津軽』執筆旅行では、翌5月13日に、青森市から朝一番のバスで駆けつけた、三鷹の家を訪ねたほどの太宰ファン・外崎勇三と、その知人・下山清次松尾清照などの小説愛好家が会いに来て、一緒に観瀾山(かんらんざん)へ花見に出かけます。

 

 そして、お花見の後、太宰一行は、場所を変えて、また飲むのですが、その時に登場するのが、私も大好きな、これ

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 干鱈(ひだら)です。

大きい鱈を吹雪にさらして凍らせて干したものなんですが、絶妙の塩加減お酒がススム、ススム

寂しいことに、東京ではなかなかお目にかかりませんが、大好きな故郷の酒の肴です。

 

「ここは、本州の袋小路だ。」

観瀾山でのお花見の翌日、翌々日は執筆に充てたようです。

さすがは売れっ子作家・太宰治。旅の最中だって、忙しい!

 

そして、5月18日。中村貞次郎とともに蟹田を出発。観瀾山で杯を酌み交わした松尾清照の家に立ち寄った後、三厩(みんまや)丸山旅館で一泊。

そのまま徒歩で北上し、翌5月19日「午后五時」三厩村大字竜飛奥谷旅館に到着しました。

 

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私たちも奥谷旅館を目指して、車で日本海沿岸を走っていきます。

奥にぼんやりと写っているのは北海道

青森と北海道って、こんなに近いんです。

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そうこうしているうちに辿り着いたのが、ここ

太宰の文学碑です。

この文学碑には、

ここは、本州の袋小路だ。讀者も銘肌せよ。諸君が北に向かつて歩いてゐる時、その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、必ずこの外ケ濱街道に到り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかのぼれば、すぽりとこの鶏小屋に似た不思議な世界に落ち込み、そこに於いて諸君の路は全く盡きるのである。

という、津軽からの引用文が刻まれています。

 

太宰が宿泊した、奥谷旅館

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道路を挟んで、文学碑のすぐ近くにあるのが、太宰が津軽執筆のための取材旅行で宿泊した奥谷旅館です。

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郷愁を感じさせる、いい雰囲気が漂っています。

この奥谷旅館、現在は竜飛岬観光案内所となっていて、無料で観覧することができます。

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中に入ると、入口に、いわゆる宿帳が。

これは、太宰の筆ではないそうですが、太宰とN君こと中村貞次郎が泊まった痕跡が、しっかりと残っています。

太宰の住所が「東京都下三鷹下連雀一一三」と記されています。

 

 この奥谷旅館は二階のない小さな旅館で、風呂もなく、酒を飲み、歌をうたって就寝したそうです。

ここで津軽から、この時の様子を少し引用してみます。

露路をとおって私たちは旅館に着いた。お婆さんが出て来て、私たちを部屋に案内した。この旅館の部屋もまた、おや、と眼をみはるほど小綺麗で、そうして普請も決して薄っぺらでない。まず、どてらに着換えて、私たちは小さい囲炉裏を挟んであぐらをかいて坐り、やっと、どうやら、人心地を取りかえした。

「ええと、お酒はありますか」N君は、思慮分別ありげな落ちついた口調で婆さんに尋ねた。答えは、案外であった。

「へえ、ございます」おもながの、上品な婆さんである。そう答えて、平然としている。N君は苦笑して、

「いや、おばあさん。僕たちは少し多く飲みたいんだ」

「どうぞナンボでも」と言って微笑んでいる。

私たちは顔を見合わせた。

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津軽「お婆さん」として登場する、奥谷旅館の初代女将・奥谷たんさん。

奥谷旅館は、明治35年頃から平成11年までの約100年間営業。二代目女将・ツカ(光江)母子二代で切り盛りした、歴史ある旅館だそうです。

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入口付近には、奥谷旅館の説明や当時の平面図等が展示されています。

赤く丸いシールが貼ってあるのが、太宰一行が宿泊した部屋だそうです。
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入口から手前右に曲がり、通路を奥まで進んだ右手の部屋が、太宰一行が宿泊した部屋です。

奥谷旅館自体は、当時から増改築されたそうですが、部屋は復元して残し、現在に至るとのこと。

ドキドキしながら、廊下を突き当りまで進んでいきます。

そこが、奥谷旅館の袋小路だ。

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ここが、太宰治中村貞次郎が宿泊した部屋です。

たんさんの「どうぞ、ナンボでも」という返答を聞いた二人は、半信半疑ながら、顔を見合わせて、「よしっ」と思ったことでしょう。

以下津軽から、続きをもう少し引用してみようと思います。

このお婆さんは、このごろお酒が貴重品になっているという事実を、知らないのではなかろうかとさえ疑われた。

「きょう配給がありましてな、近所に、飲まないところもかなりありますから、そんなのを集めて」と言って、集めるような手つきをして、それから一升瓶をたくさんかかえるように腕をひろげて、「さっき内の者が、こんなに一ぱい持ってまいりました」「それくらいあれば、たくさんだ」と私は、やっと安心して、「この鉄瓶でお燗をしますから、お銚子にお酒をいれて、四、五本、いや、めんどうくさい、六本、すぐに持って来て下さい」お婆さんの気の変らぬうちに、たくさん取寄せて置いたほうがいいと思った。「お膳は、あとでもいいから」

 お婆さんは、言われたとおりに、お盆へ、お銚子を六本載せて持って来た。一、二本、飲んでいるうちにお膳も出た。

「どうぞ、まあ、ごゆっくり」

「ありがとう」

六本のお酒が、またたく間に無くなった。

「もう無くなった」私は驚いた。「ばかに早いね、早すぎるよ」

「そんなに飲んだかね」とN君も、いぶかしそうな顔をして、からのお銚子を一歩ずつ振って見て、「無い。何せ寒かったもので、無我夢中で飲んだらしいね」

「どのお銚子にも、こぼれるくらい一ぱいお酒がはいっていたんだぜ。こんなに早く飲んでしまって、もう六本なんて言ったら、お婆さんは僕たちを化物じゃないかと思って警戒するかも知れない。つまらぬ恐怖心を起させて、もうお酒はかんべんして下さいなどと言われてもいけないから、ここは、持参の酒をお燗して飲んで、少し間をもたせて、それから、もう六本ばかりと言ったほうがよい。今夜は、この本州の北端の宿で、一つ飲み明かそうじゃないか」と、へんな策略を案出したのが失敗の基であった。

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写真や、私の拙い文章などなくても、太宰の文章を読んでいるだけで、その時の様子が目の前に浮かんできます。

お酒を飲みながら、二人が暖をとった火鉢も残っています。

もう少しだけ津軽からの引用を続けます。

私たちは、水筒のお酒をお銚子に移して、こんどは出来るだけゆっくり飲んだ。そのうちにN君は、急に酔って来た。

「こりゃいかん。今夜は僕は酔うかも知れない」酔うかも知れないじゃない。既にひどく酔ってしまった様子である。「こりゃ、いかん。今夜は、僕は酔うぞ。いいか。酔ってもいいか」

「かまわないとも。僕も今夜は酔うつもりだ。ま、ゆっくりやろう」

「歌を一つやらかそうか。僕の歌は、君、聞いた事が無いだろう。めったにやらないんだ。でも、今夜は一つ歌いたい。ね、君、歌ってもいいだろう」

「仕方がない。拝聴しよう」私は覚悟をきめた。

 いくう、山河あ、と、れいの牧水の旅の歌を、N君は眼をつぶって低く吟じはじめた。想像していたほどは、ひどくない。黙って聞いていると、身にしみるものがあった。

「どう? へんかね」

「いや、ちょっと、ほろりとした」

「それじゃ、もう一つ」

 こんどは、ひどかった。彼も本州の北端の宿へ来て、気宇が広大になったのか、仰天するほどのおそろしい蛮声を張り上げた。

 とうかいのう、小島のう、磯のう、と、啄木の歌をはじめたのだが、その声の荒々しく大きい事、外の風の音も、彼の声のために打消されてしまったほどであった。

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壁には、N君こと中村貞次郎の歌った、若山牧水の歌「幾山河 越えさり行かば 寂しさの 終(は)てなむ国ぞ 今日も旅ゆく」が飾られています。

ちなみに、同じくN君がもう一つ歌った石川啄木の歌は「東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」

 

酔っ払い、気持ちよく歌までうたいはじめた太宰ご一行。

津軽から、この日の宴の顛末まで引用してみましょう。

「ひどいなあ」と言ったら、

「ひどいか。それじゃ、やり直し」大きく深呼吸を一つして、さらに蛮声を張り上げるのである。東海の磯の小島、と間違って歌ったり、また、どういうわけか突如として、今もまた昔を書けば増鏡、なんて増鏡の歌が出たり、呻くが如く、喚くが如く、おらぶが如く、実にまずい事になってしまった。私は、奥のお婆さんに聞えなければいいが、とはらはらしていたのだが、果せる哉、襖がすっとあいて、お婆さんが出て来て、

「さ、歌コも出たようだし、そろそろ、お休みになりせえ」と言って、お膳をさげ、さっさと蒲団をひいてしまった。さすがに、N君の気宇壮大の蛮声には、度肝を抜かれたものらしい。私はまだまだ、これから、大いに飲もうと思っていたのに、実に、馬鹿らしい事になってしまった。

「まずかった。歌は、まずかった。一つか二つでよせばよかったのだ。あれじゃあ、誰だっておどろくよ」と私は、ぶつぶつ不平を言いながら、泣寝入りの形であった。

酔っ払って、調子に乗ってしまって、宴は終演を迎えたのでした。

 

 

この後津軽は、生家を訪れ、小泊感動のクライマックスを迎えるのですが、長くなったので、続きは津軽、太宰ゆかりの地を歩く2018(後編)」に譲りたいと思います。

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 そして、最後に、冒頭の写真。

三鷹時代の太宰の代名詞ともいうべき、二重廻しのマント

けっこう、ずっしりと重たいのですが、奥谷旅館では、羽織って記念撮影ができます。

マントに袖を通して、太宰に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

 【竜飛岬観光案内所(旧奥谷旅館)】

 青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩龍浜59‐12

 Tel:0174-31-8025

 会館時間:9:00~16:30

 休館日:無休(4月25日~11月30日)

 入館料:無料

 

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【参考文献】(順不同)

・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年12月20日、初版)

・小野才八郎『太宰治語録』(津軽書房、2011年9月30日、2刷)

松本侑子太宰治の愛と文学をたずねて』(潮出版社、2011年6月19日、初版)

木村綾子太宰治と歩く文学散歩』(角川書店、2010年2月27日、初版)

太宰治津軽』(新潮文庫、2009年2月5日、111刷)

太宰治走れメロス』(新潮文庫、2007年6月5日、81刷)

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【ほかにも太宰関連記事を書いてます!】

太宰治に乾杯!

太宰と飲みてぇなぁ…。

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 今年2018年は、太宰 没後70年
 来年2019年は、太宰 生誕110年
 2年続けて節目の年が続きます。

 2年も関連する年が続くと、太宰をソウルフレンドと謳って止まない身としては、こう、コツンとグラスを交わして、太宰と乾杯してぇなぁ…と思う訳です。
 ビール中瓶を、お互いに手酌で進めながら、2本くらい空けたところで、カップ…。

あぁ、たまらない…。

(※実はカップ酒(ONE CUP OZEKI)って、1964年10月10日の東京オリンピック開催に合わせて発売されました。太宰が亡くなったのは、1948年なので、太宰って、ワンカップ知らないんですね。太宰が飲んでたのは、コップ酒です。)

 

太宰を知る人のエピソード

 2017年10月16日に放送された「激レアさんを連れてきた。」(テレビ朝日系)で、太宰の叔母・きゑさんのお孫さん 津島廉造さんが、太宰とお酒を飲んだ時のエピソードをお話しされていました。

1945年の太平洋戦争末期、20歳の歯科大学生だった津島さんは、故郷の青森に疎開していたそうだ。ある日、家の中が慌ただしい様子で、祖母に確認をすると太宰がやって来ると返されたという。

津島さんいわく、太宰が有名な作家なのは知っていたが、自殺未遂などを繰り返して世間を騒がせる人物だったので一族からは勘当されていたらしい。津島家では、親族間でも太宰の話題はタブーとなっていたそうだ。だが津島さんは、破天荒な太宰の訪問に期待を膨らませていたという。

しかし、実際に対面すると「全然普通の人と変わりなかった」という感想を抱き、太宰から「すべての仕草が特別な感じは一切しませんでした」と印象を振り返る。

一方で、太宰は酒が進むと冗談を言うことを発見したとか。だが太宰は、自分の話に自分でウケて大笑いしていたので「話は一方通行」だったと告白。話の内容について言及されると、津島さんは聖書の隣人愛が中心だったと吐露していた。

最後に、津島さんは当時の太宰の印象について「酒飲み失格」だと語ったのだった。

 太宰の朋友 伊馬春部『桜桃の記』にも、以下のような記述があります。

彼はよくわらった。わらうというよりは噴き出すと、あの長身を折り曲げ、眉を波うたせ顔中くしゃくしゃにしていつまでも笑う。

 太宰は、よく笑った人みたいです。

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 残ってる写真は、ちょっと斜に構えてカッコいい写真が多いですが、こういう側面は 、生前の太宰を知ってる人ならではのエピソードですね。

(※太宰は、自分の鼻が大きいのを気にしていて、正面からの写真を嫌ったそうです。)

 お酒の飲み方については一家言あったようで、酔っ払って人に絡んだり、絡まれたりを、ひどく毛嫌いしていたようです。
 また、飲酒量が限度に達すると、くしゃみをする、といったエピソードも残っています。
 酒豪・太宰治には「酒の追憶」「酒ぎらい」「禁酒の心」など、お酒について書かれた短篇や随筆も多くあります。

 こういうエピソードや作品も、今後ブログで紹介していければと思っています。

 

太宰治との出会い

 さて、あまり長くなってもいけないですが、太宰と私の出会いについて、少し書いておこうかなと思います。

 

 私と太宰治との出会いは上京した10年前。

 青森で採れた私ですが、太宰作品で読んだ事があるのは走れメロス程度。

 「地元の作家だよ」と、国語の授業で教わった人間像も、人間失格」を書いて入水自殺した暗い人…というイメージでした。

 

 太宰を本格的に読み始めたのは、大学1年生。

 春休みに、実家に帰りたくても、部活やバイトで時間がなく、お金もない…とホームシックになっていた時、毎日のように通っていた駅近くの本屋の棚の中で、たまたま私を呼んでくれたのが、新潮文庫の黒い背表紙だったのです。

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 最初に手に取ったのは走れメロス
 授業で読んだことがあるという、親近感と懐かしさからだと思います。

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 ほぼ10年ぶりに出会う走れメロスは懐かしく、小学生時代に途中で読むことを放棄した「富岳百景」も面白く、「東京八景」は、自分と同じく上京し、東京で悩んで生きた同郷人なんだな…という同郷意識が一気に芽生えたのを覚えています。

 『走れメロス所収の「帰去来」「故郷」を経て、流れで次に手に取ったのは津軽
 本を読んでいると、里帰りした気分になり、「青森には何もない!」と言って上京したはずなのに、故郷の良さや、青森って良いところだなぁ…という同郷愛が芽生えました。
 故郷の青森や、家族に対して、自分を育ててくれたという感謝の念を抱くキッカケをくれたのが、この本でした。
 この2冊で、太宰の魅力に取り憑かれてしまい、毎日文庫1~2冊程度のペースで読み進め、新潮文庫から出ていた17冊(現在は18冊を)イッキ読みしてしまいました。
 そして、タイムリーなことに、私と太宰との出会いは、ちょうど生誕100周年の年だったのです。

 もともと、好きになったらトコトン!のオタク気質に加え、同郷人という親近感から、「人間」太宰治について、もっと知りたくなりました。

 生誕100周年で出版物も多く、書店でもコーナーが設けられているところが多かったため、太宰について知るには、とてもタイムリーなタイミングだったと思います。

 こんな感じで、研究書にも目を通したり、ゆかりの地を巡る、いわゆる聖地巡礼をしてみたり…と、気付いたら、太宰はソウルフレンドに。

 あまり知られていない、ひとりの「人間」としての太宰のエピソードは面白いものも多く、これをキッカケに太宰を知り、太宰の本を手に取る人が増えてくれたら…と思うようになりました。

 奇しくも、今年は私と太宰が出会ってからも、ちょうど10年の節目の年。

 これまで集めたエピソードを個人的な備忘録としてまとめていきながら、皆さんに太宰を知ってもらう、ひとつのキッカケづくりができれば幸いです。

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 どうぞ、お付き合い下さいませ。

 

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本ブログに掲載している太宰のカラー写真は、ディープネットワークによる色付け加工をしています。

http://hi.cs.waseda.ac.jp:8082/

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【ほかにも太宰関連記事を書いてます!】

せんべろ遍路 二箇所目〜福井駅前でハシゴ巡礼

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どうも、フクイラプトです。

出張で北陸地方をぐる〜っと横断したんですが、今回は、一番最初に上陸した福井の巡礼記です。

 

北陸地方は、海の幸も美味しく、日本酒も美味しく、たまらなく好きな地方なんですが、ついつい呼ばれる声に抗えず(誰に?)、2軒ハシゴしてしまったのでした。

 

出張に行くと、地場のものを色々と食べたくて、せんべろで済まなくなる事がほとんどなので、初回投稿から主旨を無視してしまうんですが、ご勘弁を!

 

1軒目 福井おでんが美味しい『石田屋』

東京から飛行機で福井・小松空港入りし、福井駅に到着したのが18時を少し回ったころ。
駅前に宿をとっていたので、早々にチェックインし、夜の街に繰り出します。

 

福井は、昨年10月にも訪れました。

福井に来ると、個人的に外せないお店がありまして、1軒目(既に2軒目がある前提ですね(笑))はココ!と決めています。

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それが、『石田屋』さん!

 

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まずは景気づけに、おきまりの生中をクイッと。

うん、たまりませんなぁ。

 

さて、ここでのお目当は、何と言っても「福井おでん」

地酒、地ビールなんかは話題になってますが、実は「ご当地おでん」も結構熱いんです!

青森しょうが味噌をつけて食べたり、静岡黒はんぺんだし粉をかけるのが特徴だったり…。

今や地方のコンビニでも、その特徴を楽しめるようになりました。

 

地域によって、具材や味付けに特徴があるのが面白いんですが、その中でも要注目なのが、今回の出張で回っている北陸地方なんです。

北陸地方は、東日本と西日本のおでん文化が融合しているエリアで、福井県・石川県は関西風富山県は関東・関西・東海風の影響を受けているそうです。

 

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そして、これが話題の「福井おでん」

関西風の透き通ったおダシと、地がらしが特徴です。

牛すじ竹の子大根はんぺんをセレクト。

ぷりぷりの牛すじ、コーンのような香ばしさが口中に広がる竹の子は絶品。

この二品は、おかわりしちゃいました。

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そして、おでんのお供に「九頭龍」をば。

福井の地酒で、黒龍酒造さんの日本酒です。

キリッとさっぱりしつつ、トロッと甘みもある。

地がらしをつけて食べるおでんにトゥーマッチ

箸も、お酒も、ぐいぐい進みます。

黒龍酒造株式会社 | KOKURYU | 「黒龍」「九頭龍」

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お供が不在になってしまったので、葉わさびも頂きました。

 

日本酒のラベルシールを貼った、粋な見た目のお品書きも哀愁漂ってます。

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そして最後に、嬉しいのがお会計をお願いした後。

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白ねぎを浮かべた、おでんのダシ汁を出してくれるんです!

これを飲みながら、もう一杯いきたくなってしまう(笑)

惜しみながらも飲み干して、至れり尽くせりのおでんワールドを後にします。

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【お店情報】

    石田屋

    福井県福井市大手2-5-14

    営業時間:17:00〜23:00

      ※月〜土は11:30〜14:00のランチもあり

    Tel:0776-29-1291

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 2軒目 コスパ最強!焼鳥の名門『秋吉』

次を目指す…というか、数軒挟んですぐの場所にあるのが、福井2軒目、やきとりの名門『秋吉』でございます。

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看板に「やきとりの名門」とありますが、その名に恥じる事のない、福井発祥の焼鳥チェーンです。

 

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賑やかで、元気が良い店員さんも気持ちが良いんですが、このお店の何が凄いかって、そのコスパの良さ

基本、串5本〜からの注文なのですが…

 

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まずは、「若どり」 320円

ジューシーなお肉も注目度が高いんですが、1本あたり64円という高パフォーマンス

また、目の前にある銀色のテーブルに串を並べてくれるんですが、常に保温されてるので、話が盛り上がったとしても、焼鳥が冷める心配がないんです。優秀。優秀。

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続いて、「純けい」 340円

純けいというのは、メス鶏のこと。

『秋吉』イチオシのメニュー。

ジューシーなお肉、コリコリした食感も楽しめ、ひたすら食べ続けられる

からしをつけて、ピリッと食べるのが好み。

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こちらは、ししとう」 280円

甘味噌をつけて、いただきます。

ちょっと口休めに、こういうのもいい。

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来ました「ささみ」 320円

何本でも食べられる。

ヘルシーお肉の代表格ですが、あっさりしていて、何本でもイケる。

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そして、「すなぎも」 330円

砂肝とハツ(しんぞう)が大好物だけど、今日はハツが品切れとのことで、残念ながら砂肝だけ。

ジューシーなお肉も良いですが、コリコリ食感が気分転換に。

程よい塩加減も、よいです。よいです。

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 最後は、ピートロ」 340円

 絶妙な甘ダレと、脂の乗ったジューシーなお肉、2軒目なのに、食がススム、ススム。

 

最終的に、串6種類と生中、ハイボール3杯も食べて・飲んでしまった。

私が大食いってのもあるけど、2軒目でもそれ位イケちゃうんです。

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【お店情報】

    やきとりの名門 秋吉 福井駅前店

    福井県福井市大手2-5-16

    営業時間:17:00〜23:30(日曜定休)

    Tel:0776-21-3572

やきとりの名門 秋吉 ホームページ

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満足、満足、大満足のハシゴ巡礼でございました。

こうやって元気チャージすると、まだまだ頑張れる!って気がしてくる(笑)

次回の巡礼記もお楽しみに。

せんべろ遍路 一箇所目〜巡礼をはじめる前に〜

千円でべろべろになれる?
バカぁ、言っちゃいけねぇ。
店に入る前は、千円きっかりで出るつもりが、居心地の良さに、ついつい長居しちまって、ハッとして会計すると…。
…とか、後悔してるような事を言いながら、ほれほれ、今日も。
                                                                                  ーせんべろ巡拝家 shige

  

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とある「せんべろ巡拝家」の名言でスタートしたこのコーナー。

当ブログの他のページとは、ちと異なる趣向でお送りします。

 

何を隠そう、人生の最底辺、常に呑んだくれてる、人呼んで呑兵衛、かの有名な「せんべろ巡拝家」とは、あぁ〜、俺のぉ〜、事だぁ〜。

 

…という事で、兎にも角にも、美味しいご飯とウマいお酒が大好きな私の、せんべろ居酒屋巡礼記でござい。

 

「せんべろ」とは?

みなさん、「せんべろ」って、ご存知ですか?

テレビやネットの記事で話題に上がる事も多いので、耳にした事がある方も多いのではないかと。

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立ち飲みのお店が多いのですが、いわゆる「1,000円でべろべろに酔っ払えるお店」の俗称です。

3年ほど前から、話題になっているせんべろnetのお世話になりながら、私も巡礼の旅によく出掛けています。

1000bero.net

 

そもそも、この「せんべろ」という言葉は、作家の故・中島らも氏と編集者・小堀純氏の共著である『“せんべろ”探偵が行く 中島らも酔いどれ紀行』文藝春秋、2003年10月)で、最初に使われたと言われています。

15年ほど前から、徐々に浸透していった言葉なんですね。

せんべろ探偵が行く (集英社文庫)

せんべろ探偵が行く (集英社文庫)

 

 

せんべろ居酒屋を巡る機会も増え…

私事ながら、昨年、転職しまして。

今は、年に3回ほど大規模な全国出張がある会社におります。

飛行機、新幹線、電車、高速バスを乗り継いで、全国津々浦々…。

なかなかハードな仕事ではあるんですが、その反面、楽しみな事もあるんです。

 

それが、夜の居酒屋巡り

プライベートでの旅行も好きですが、頻度としては、あまり多くは行けません。

でも、会社に「行きなさい!」と言われれば、そりゃぁ、行かない訳には行きませんよね、サラリーマンの性として。

そう、居酒屋に(笑)

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ちゃきちゃきと出張先の訪問準備や、訪問後レポートを移動中に済ませ、夜は居酒屋探訪へ。

私は、青森の田舎生まれですが、その土地のウマいもんを喰らいながら、その土地の地酒を嗜む。

これ以上の贅沢、ほかにあるでしょうか?(いや、ないでしょう。)

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普段生活している東京のせんべろも、もちろんですが、出張先で舌鼓を打った居酒屋も徐々に増えてきたので、備忘録も兼ねて記事にしておこう!という事で、「せんべろ遍路」の記事を書き始める事にしました。

※せんべろではないお店も、多分に含まれるかと。

 

この「せんべろ遍路」ってタイトル、べろべろに酔っ払ってても「しぇんべろへんろ〜」って言いやすいんで、ずっとどこかで使いたくて、結構気に入ってます(笑)

 

せんべろを巡る楽しみ

ブームになっているけど、初めてだと、なかなか入りづらい!という人も多いよう。

実際、私も飲み友達と飲んでいる時に「せんべろ」の話をすると、「入りづらいから連れて行って!案内して!」と言われる事が多数あります。

 

確かに、居酒屋に限らず、初めてのお店って、ちょっと入りづらいですよね。

でも、そこは勇気を振り絞って一歩踏み出して、お店の暖簾をくぐってみてください。

そこには、まばゆいばかりに光り輝く「酒飲み天国」が広がっているのですからッ!

 

「あんまりお酒、飲めないからなぁ…」という方も、お気になさらず!

美味しいお酒だけではなく、美味しい食べ物も食べられるのが、せんべろ居酒屋なのです!

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また、お店の常連さんと仲良くなれるのも、せんべろ居酒屋のいいところ。

特に、出張先では、その土地の話題を居酒屋で仕込んでおくと、翌日のアポイント先での、アイスブレイクの話題にもなるんです。

 

美味しいお酒が、飲める!

美味しいご飯が、食べられる!

仕事も、デキる!

 

こんな素晴らしい、三拍子揃った「せんべろ居酒屋」に、行かない手はないでしょう!

 

…と、ちと大袈裟かつ強引な展開ではありますが、「せんべろ遍路」は、ここから始まります!

お出掛け先での居酒屋探訪のお供になったり、未知の世界に飛び込むきっかけになれば嬉しいなと思います。

私の出張シーズンに合わせて、短期集中更新が基本的なスタイルになる予定です。

 

と言いながらも、年がら年中飲んでるので、東京都内のせんべろも併せて紹介していければと思ってます!

 

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ぜひ、ご贔屓に!

『ヌード展』〜漆黒の闇に浮かぶ、美しき裸体@横浜美術館(2018.3.31)

春の美術館巡り

春の陽気。

桜満開、快晴の土曜日。

一時間ほど、電車に揺られて外出。
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一人ぶらりと訪れた、横浜・みなとみらい

春の温かい陽射しと、海からの爽やかな風が気持ちいい。

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実は先週、仕事の関係でもらったチケットを持って、上野・国立西洋美術館で開催中のプラド美術館展ーベラスケスと絵画の栄光へ行って来た。

 アートはあまり詳しくないが、気になる作品を、ぼんやりと眺めているのが好きだ。

就活生時代、会社の説明会・面接が終わると、気になる企画展が開催されている都内の美術館めぐりをしていた。

 

そんな感じで、大学時代の自分に想いを馳せながら、2時間強かけて、ゆっくりと世界に浸ってきた。

ポスターデザインにもなっている、フェリペ4世の息子カルロスくんを描いた王太子バルタサール・カルロス騎馬像」の可愛さに感激しつつ、17世紀のスペイン王室で収集された70点もの作品群を堪能してきた(下写真が、カルロスくん。カルロスくんが5歳くらいの時に描かれた。次代の王として期待されるも、16歳で亡くなったため、王位に就くことはなかった。)。

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 で、その帰り道、他美術館の企画展のパンフレットが並べられている中で、見つけてしまったのが、今回訪れたヌード展ー英国テート・コレクションより』

なんと、そそられるテーマ(笑)

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プラド美術館展』の展示にも一部あった裸体画。

カルロスくんの父親・フィリペ4世は、王宮の中に、裸体画だけを集めたティツィアーノの間(丸天井の間)」と呼ばれた空間を持っていたそう。

 

時代によって批判や論争の対象とされながらも、美の象徴・愛の表現として、西洋の芸術家たちが絶えず向き合ってきた、いわば永遠のテーマ「ヌード」

 

「そのヌードには、秘密がある。」

このキャッチコピーも、「見てはいけないものを覗いてみたいっ!」という、鶴の恩返し的な気持ちをくすぐられる。

 

「近現代美術の殿堂 英国テートのコレクションで、ヌードの軌跡200年をたどる。」

ロダン彫刻でもっともエロティック。大理石彫刻《接吻》日本初公開!」

こんな宣伝をされてしまったら、居ても立っても居られなくなってしまう。

 

そして、運よく手に入ってしまうチケット(笑)

こうして、2週続けての美術館めぐりが決定したのだった。

 

横浜美術館に到着

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横浜美術館は、みなとみらい線みなとみらい駅3番出口を出て、マークイズみなとみらいの中を通り、徒歩5分程度。

美術館の前は公園になっており、青空の下、家族連れやカップルで賑わっていた。

高層ビルが林立する中に、こういう光景がいきなりバ~ン!って出てくるとこ、都会恐るべし、と思う。

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先週3月24日からはじまり、6月24日まで3ヶ月間開催。

結論から言うと、久し振りに、かなり心を揺さぶられた。

今以上に、部屋に物が増えるのは困るので、パンフレットや図録の類は購入しないと心に決めているのだが、美術館を出た時には、右手にしっかり図録の入ったビニール袋を握り締めていた…(笑)

 

展示作品は、19世紀後半のヴィクトリア朝の神話画・歴史画から現代の身体表現にまでおよび、西洋美術における裸体表現の歴史200年を辿ることができる。

デフォルメ・デザイン化された抽象的なものから、ここまで赤裸々に描いてしまっていいのかと思うほど直截的なものまで、多彩なテート・コレクション134点(一部、横浜美術館富山県美術館、東京国立近代美術館所蔵のものを含む)を堪能することができた。

 

展示作品について

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1番最初に迎えてくれるのが、フレデリック・レイトン『プシュケの水浴』

縦189.2cmもあるカンヴァスに描かれた作品。

古代神話に材をとって描かれた作品だが、もう美しいの一言。

プシュケは、キューピッドに一目惚れされる人間の娘だけど、こりゃ、男なら誰でも惚れてまうやろ。

ため息の出る美しさ、とは、まさにこのこと。

 

この『プシュケ』を皮切りに、「物語とヌード」「親密な眼差し」「モダン・ヌード」「エロティック・ヌード」「レアリスムとシュルレアリスム」「肉体を捉える筆触」「身体の政治性」「儚き身体」という8つのテーマに分かれて、展示が進んでいく。

 

「親密な眼差し」では、観られることを想定し、ポーズをとったヌードではなく、自然な光景の中でのヌードも描かれる。

関連画像

エドガー・ドガ『浴槽の女性』は好きな1枚だが、そこにはエロティシズムというより、湯あみの女性を見つめる画家の、温かい眼差しが感じられる。

神話や聖書に材を取り、理想化された女性ではなく、近代的かつ日常的な女性が描かれていることも、ヌードに対する意識の変化を示しているのだろう。

 

『エロティック・ヌード』コーナー、有名なパブロ・ピカソ『156シリーズ』『347シリーズ』には、度肝を抜かれた。

エロティシズムと覗き趣味を主題とした連作だが、これはエロティックというか、なんというか。

ピカソならではのデフォルメがなされているものの、展示作品の中で、視覚的にもっとも直截的な表現がされている作品だったと思う。

正直、目のやり場に困る(笑)

 

「レアリスムとシュルレアリスム「身体の政治性」も非常に興味深い内容だった。

特に私は、Funkを好きで聴く関係で、音楽も含めた芸術作品と政治との関係について、もう少し深く掘り下げて学んでいきたいな、と思った。

 

オーギュスト・ロダン《接吻》

そして、最後に、今回の大目玉。

ロダン彫刻でもっともエロティック。大理石彫刻《接吻》日本初公開!」と謳われた大理石像。

『エロティック・ヌード』コーナーに展示されており、この作品のみ撮影可能となっている。

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黒い壁に覆われた展示スペースに足を踏み入れた瞬間、空気が変わったような気がした。

 

 圧巻。


そこに、言葉は、いらない。


全高182.2cmの大理石像が、圧倒的な存在感をもって、観る者に迫って来る。

 

漆黒の闇に浮かぶ、美しき男女の裸体が、そこにあるだけなのだ。

 

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男性の隆々とした筋肉。


女性の柔らかい肌。

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温度・湿度・粘度が、伝わって来る。

2人のものすごい熱量を、ひしひしと感じる。 

 

この作品は1901年~1904年に作成。

1913年、イギリスではじめて公開された際、あまりにもエロティックすぎるという理由から、布で覆い隠された形で公開された過去もある。

 

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男性の手からは、女性への優しい愛が。
女性の手からは、男性への激しい愛が伝わってくる。

 

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他人の情事を覗き見しているような、若干の罪悪感もありながら、眼が釘付けになってしまう。

大理石でここまで表現できるものかと、物質の未知なる魅力に取り憑かれてしまい、舐めるように何度も何度も、作品の周りを徘徊してしまった。

 

これは、いい。
ほんと、いい。
すごく、いい。

いい。

いい。

いい。
未見の方は、会期中に、是非。

 

artexhibition.jp

2018.2.26 Hitori Sugar @中野サンプラザ

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2018年2月26日

スガさんの、記念すべきデビュー21周年の日に、中野サンプラザ『Hitori Sugar』が行われた。

 

チケットはSOLD OUT

当日券の発売はなかった。

 

2階席だったけれど、大興奮大満足の2時間だった。

本当にあっという間。

この最高の体験を、まだ記憶が鮮明なうちに文字に起こしておきたいと思い、PCに向かっている。

 

今回は、セットリストのネタバレ含みます。

スガさんと出会ってからの、私の過去11年間のネタバレも含みます(いらねぇ…)。

ちと、長文になるかと思いますが、よろしければお付き合いください。

 

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開場30分前に、会場の中野サンプラザに到着。

冷たい風が吹く寒空の下、すでに開場を待つ人々の列が。

 

期待で手に汗握りながら、Walkmanでスガさんのお気に入り曲を何度もリピートして開場を待つ。

 

思い起こせば、スガさんとの出会いは11年前。

私はまだ高校3年生だった。

受験を控えながらも、アコギを抱え、尾崎豊の歌を叫び散らす、そんな日々を送っていた。

 

はじめてスガさんの名前を見たのは、ギターの教則本

夜空ノムコウの作詞者としてだった。

その教則本に、収録アルバムとして掲載されていたのは、スガさんの10周年を記念して発売されたシングルベストだった。

ALL SINGLES BEST

あまり音楽を聴く家庭環境ではなく、夜空ノムコウSMAPの曲というくらいで、しっかり聴いたこともなかった。

なぜ、あの時そう思ったのかは分からないが、私は「この人の歌を聴いてみたい」と思い、チャリを飛ばしてベストアルバムを買いに行った。

 

汗をかきながら家までチャリをこいで戻り、コンポにCDをセットする。

 

CDから流れてきた、スガさんの歌に、文字通り、心を鷲摑みにされた感覚は、今でも鮮明に覚えている。

いわば、運命。

あの瞬間を超える音楽体験は、私には、まだ、ない。

松任谷由美「コーヒーみたいな声」と評された、ちょっとざらついたその、独自の詞世界「いつかスガシカオというジャンルを確立したい」と生み出される

全てが新鮮で、そして衝撃だった。

 

今は、まだ短い人生ではあるけれど、自分の人生をスガさんの歌にオーバーラップさせながら、苦み、酸味、甘みも含んだ「コーヒーみたいな声」を味わっている。

 

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思い出に浸っていると、列は徐々に前に進み、会場の中へ…。

チケットをもぎってもらい、前に進むと、目の前に現れた21周年記念のオブジェ。

ハート型のバルーンに彩られたそれは、アイドルかよ!という印象。

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毎度のことながら、名だたるアーティスト・関係者の方々から、お祝いのお花が届いていた。

 

今回は指定席で、会場に入る時間を気にする必要がないため、開演前の時間を利用して、グッズを購入しておく。

この日から発売、Hitori Sugarの序盤公演の音源を商品化した『LIVE BOOTLEG3』クリアファイルを購入。

割と早い順番で会場入りしたため、購入した後の私の後ろには、長蛇の列が。

列に並ぶ人たちを横目で見ながら、会場へ。

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席に座ると、あとは、ドキドキしながら、開場を待つのみ。

開演前の場内には、asgeir『Afterglowが流れていた。

 

 

パッと照明が消えると、大歓声に包まれ、ステージ中央に向かって、スガさんが歩いていく。

「ハロー!東京ォー!」

第一声の後、「今日でデビュー21周年なんで、この曲からいくよー!」と早速、歌い始める。

 

【1.ヒットチャートをかけぬけろ

【2.Party People

デビュー曲からはじまる、21周年記念ライヴ。

ファンへの感謝の気持ちと、次のステージへ向けての新たなステージへ向かっていく決心が伝わってくる。

 

「Hitori Sugarは、ギター一本で弾き語るライヴなので、みんなの拍手が時にはドラムとなり、時にはギターになり、このライヴが完成するのです!」

こんなMCを挟みながら、次々と繰り出されるアコギ・ファンクチューン。

 

【3.Fesitival】

この曲は、個人的にも、とても思い入れのある曲だ。

James Blakeを想起させるダブステップ

 スガさんが前事務所を辞め、独立後の2nd配信シングル。

夏フェスに参加し、その時の想い・情景をそのままパッケージングした曲、ということだった。

 

デジタルな音なのに、温かみが感じられ、眼を閉じると、スガさんがステージ上でギターをかき鳴らしながら熱唱する姿がまぶたに浮かんでくる。

 

配信当時、日付が変わるのを待ってダウンロードして、Walkmanに曲転送し、ベランダでタバコをふかしながらウイスキー片手に、何度も繰り返し聴いたのを覚えている。

Festival

Festival

  • スガ シカオ
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

【4.見る前に跳べ.com】

【5.アシンメトリー

 

名曲『愛について』の前には、こんなMCが。

「デビューする前にサラリーマンをやってて。結構ブラックな会社で、毎日毎日スーツ着て、すげー働かされてさ。いつも遅刻してたんだけど。4年半、5年間…勤めたのかな。どうしても音楽をやりたくて、会社にウソついて辞めたんだよね。その時点では、コンサートに引っ掛かったこともなかったから、なんもない状態だったけど、それでも、絶対音楽でメシを食っていくって決めてた。この曲は、ちゃんと曲として完成させたものとしては、人生で2番目にできた曲です。聴いてください、『愛について』」

私自身、大学生時代は色んなバイトを経験したけど、縁あって、スガさんがサラリーマン時代に働いていた会社に、2度ほどアルバイトで使ってもらったことがあるんです。

その時、たまたま好きなミュージシャンの話になり、スガさんの話をしたら、「ウチで働いてたんだよ」と。

サラリーマン時代から、仕事のデキる方だったようです。

いやぁ、面白い出会い。素晴らしき哉、人生。

【6.愛について】

 

暗転後、ちょこんとしたかわいいギターに持ち変えたスガさん。

ギタレレっていう、ウクレレに似たギターとのことで。

「ほら、こういうアメリカンな音がするんだけど、俺の曲で、ギタレレで演奏するようなアメリカンな曲がないって、買ってから気付いたんだよね。なので、暗い曲いきます!」

というMCに続いてはじまった次の曲。

7thアルバム『PAREDE』に収録の一曲。

「歌詞が太宰治っぽいね」と言われ、このタイトルになったそうだが、ライヴでの演奏が少ないながらも、好きな曲。

【7.斜陽】

PARADE (初回限定盤)(DVD付)

 

この後、スガさんの歌の中に頻繁に登場するモチーフのひとつ、亡くなった父親について、こんなMCが。

「俺の父親は極度のコミュ障で、俺に対してもそうで。死ぬ時まで変わらなかったけど、きっと俺に対してこう思っていたんじゃないかと書いた曲。バンドkokuaでも評判だった曲。子供がいる親の方も、自分の子供のことを想いながら聴くと沁みるんじゃないかと」

ここから、kokua名義のアルバムに収録の曲が3曲続く。

【8.砂時計】

【9.黒い靴】

【10.Progress

Progress

 

暗転後、なぜかステージ上に運び込まれるアンプ。

スガさんから、東京公演ならではのゲストが登場するというアナウンスが。

ざわつく会場。

続くスガさんのMCで、登場する人物が誰なのか察し、大歓声に湧く中、ステージにストラトを抱えて登場したのは、田中義人

 

2007年からのスガさんのバンドFunk Fireの名ギタリストでありながら、右手首の局所性ジストニアという難病を患い、ステージから長らく退いていた。

田中義人/局所性ジストニアについての手記|スガ シカオ オフィシャルブログ コノユビトマレ Powered by Ameba

脳の手術を受け、成功したという話は聞いていたが、まさか今日、ここで拝めるとは。

しかも、復帰一発目のステージということで。

「プロのミュージシャンとして、ステージで涙を流すのって…」と言いながら、目には涙が浮かんでいるようだった。

 

私も義人のギターが大好きで、ソロ名義アルバム『THE 12-YEAR EXPERIMENT』は愛聴盤のひとつ。

未だにリピートしていて、生で演奏が聴けないのが、どれだけ寂しかったことか。

THE 12-YEAR EXPERIMENT

「俺も事務所を辞めたり色々あって、義人も大変な経験をして、お互いここまで来て。復活した義人とこの曲を、ここでやるのは、本当に意味のあることだと思います」

そんなMCの後、静かにはじまったこの曲。

【11.アストライド

 

スガさんの第2のメジャーデビュー1stシングル。

マイナビ転職のCM曲にもなった。

 

「何度だって やり直せばいい」

 

昨年末のAsia Circuit、六本木での最終公演でもそうだったけど、この曲を聴くと、止めどなく涙が溢れてくる。

優しく背中を押してくれる感じがする。勇気づけられる。

 

私も、前職で色々あり、昨年7月から2社目で働いているが、未だに前職でのトラウマに悩まされることがある。

自分は、本当にこれでよかったのか…。

いつも自問自答する。

そんな時、心の支えになってくれる、大切な曲だ。

アストライド

アストライド

  • スガ シカオ
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

今日の2人のセッションは、本当にぶっつけ本番だったそうで。

演奏曲だけ伝えて、特に打ち合わせもなかったそう。

「Hitori Sugarだっていったのに、なんでエレキ持ってきたんだよ?」

という、スガさんの問いに、

「エレキ弾きたいなぁ、と思ったんで」と。

 

漫才のような掛け合いながらも、演奏していたギターは、病室・手術室にも持ち込んだストラトだそうで。

またステージに復帰したい!という強い意志が伝わってきた。

 

「演奏に関する打ち合わせはひとまず、MCのタイミングが上手く合わないから、次セッションする時は、MCの打ち合わせだけでも…」

そんな冗談の後は、スガさんの最新アルバム『THE LAST』収録、義人がギターレコーディングに参加した曲の演奏が続く。

【12.海賊と黒い海】

【13.ごめんねセンチメンタル】

THE LAST

 

【14.黄金の月】

2人のジャムセッション、最後の曲は、これ。

2ndシングルで、スガさんの数ある名曲の中で、一番好きな曲。

涙はすでに枯れてしまっていたけど、もう、どうにでもなってくれ…という気持ち。

義人のワウギターが沁みた。

黄金の月

 

【15.夜空ノムコウ

【16.真夜中の虹】

ライヴも終盤に。

デビュー2年目にSMAPへ歌詞提供し、スガさんの代名詞となった夜空ノムコウ

2016年6月に亡くなった、ハワイの友人スティーブさんに書いた曲でアルバム『THE LAST』収録の『真夜中の虹』と続く。

今日はみなさんにちょっと残念な報告をしなければなりません。|スガ シカオ オフィシャルブログ コノユビトマレ Powered by Ameba

 

しっとり聴かせる曲が続いた後は、たたみかけるようにクライマックスへ。

「新曲いきまーす!」

と、高らかに宣言した後、昨年の12月26日に配信リリースされた新曲『トワイライト★トワイライト』がはじまる。

 

【17.トワイライト★トワイライト】

ドライな打ち込みサウンドの隙間を、生のアコギ演奏が埋めてゆく。

最近のスガサウンドの真骨頂だ。

過去に「ファンク大好き、でもポップスも大好きというぼくにとって、その二つの音楽的融合は水と油を混ぜるくらい難しいのですが、ポイントになるのは切り替わる瞬間にどんなメロやリズムをブチこむかなのです」と話していたが、『夜明けまえ』『フォノスコープ』のように、FunkyなAメロBメロから、サビで一気にポップに解放される。

三井アウトレットパーク 2017歳末&2018新春セールのタイアップで、CMで聴くと、普通のポップスにしか聴こえないけど、通して一曲聴くと、色を対比させた歌詞、耳に残る「コンビニのコーヒーだけじゃ 夢精慣れしたぼくは 目が覚めやしないみたい」というフレーズ。

決して、取っつきやすい曲ではない。

これを、「コーヒーみたいな声」でさらっと聴かせてしまうのが、スガ・マジック(笑)

 

【18.コノユビトマレ】

【19.19才】

続く怒涛のスガファンクで、本編は終幕。

 

〈Ancore〉

【20.フォノスコープ】

【21.午後のパレード】

大歓声に包まれて演奏された、アンコール2曲。

『午後のパレード』の大サビで、いきなり演奏を止め、今日一番の盛り上がりを煽るため、コーラス指南をするスガさん。

10周年を少し過ぎた頃、ホールツアーで「自分たちはスゴイFunkyなことをやってるつもりなのに、お客さんは席に座って聴いてる」と、自身の音楽性とファンとの間の意識のギャップに悩んでいたスガさん。

その不安を吹き飛ばす、というか、そんな不安もなく、笑顔でFunkしてるスガさんと、最高にFunkyな瞬間を共有できた。

 

 

「歌が主人公の曲をきちんとやりたい」と繰り返し話していた印象がある。

私も、スガさんの歌を、もっと聴きたい。

今年は制作期間に充てたいと宣言した後で、4月まではHitori Sugarで、「ツアー中のホテルでギター抱えて曲作れるかな、と思っていたけど、ライヴが上手くいったら飲むし、失敗しても飲むし、曲作ってるヒマないよね…」と話す、スガさん。

 

もぅ、どうでもいいっス。

とにかく、いつまでも、どこまでも、ついていきまス。

 

大好き、菅 止戈男(笑)

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