記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を、自由に旅する。

太宰に乾杯!

【日刊 太宰治全小説】#229「トカトントン」

【冒頭】拝啓。一つだけ教えて下さい。困っているのです。私はことし二十六歳です。生れたところは、青森市の寺町です。たぶんご存じないでしょうが、寺町の清華寺の隣りに、トモヤという小さい花屋がありました。私はそのトモヤの次男として生れたのです。 …

【日刊 太宰治全小説】#228「親友交歓」

【冒頭】昭和二十一年の九月のはじめに、私は、或(あ)る男の訪問を受けた。この事件は、ほとんど全く、ロマンチックではないし、また、いっこうに、ジャアナリスチックでも無いのであるが、しかし、私の胸に於(お)いて、私の死ぬるまで消し難い痕跡(こんせき…

【日刊 太宰治全小説】#227「男女同権」

【冒頭】これは十年ほど前から単身都落ちして、或(あ)る片田舎に定住している老詩人が、所謂(いわゆる)日本ルネサンスのとき到(いた)って脚光を浴び、その地方の教育会の招聘(しょうへい)を受け、男女同権と題して試みたところの不思議な講演の速記録である…

【日刊 太宰治全小説】#226「薄明」

【冒頭】 東京の三鷹(みたか)の住居を爆弾でこわされたので、妻の里の甲府へ、一家は移住した。甲府の妻の実家には、妻の妹がひとりで住んでいたのである。昭和二十年の四月上旬であった。聯合機(れんごうき)は甲府の空をたびたび通過するが、しかし、投弾は…

【日刊 太宰治全小説】#225「たずねびと」

【冒頭】 この「東北文学」という雑誌の貴重な紙面の端をわずか拝借して申し上げます。どうして特にこの「東北文学」という雑誌の紙面をお借りするかというと、それには次のような理由があるからです。 【結句】 そのひとに、その女のひとに、私は逢いたいの…

【日刊 太宰治全小説】#224「雀」

【冒頭】 この津軽へ来たのは、八月。それから、ひとつきほど経(た)って、私は津軽のこの金木町から津軽鉄道で一時間ちかくかかって行き着ける五所川原という町に、酒と煙草(たばこ)を買いに出かけた。キンシを三十本ばかりと、清酒を一升、やっと見つけて、…

【日刊 太宰治全小説】#223「春の枯葉」第三場

【冒頭】 (舞台中央まで来て、疲れ果てたる者の如く、かたわらの漁船に倒れるように寄りかかり)ああ、頭が痛い。これあ、ひどい。 【結句】 (奥田を見送り、それから、しゃがんで野中の肩をゆすぶる)もし、もし。風邪をひきますよ。さ、一緒に帰りましょ…

【日刊 太宰治全小説】#222「春の枯葉」第二場

【冒頭】 (洗濯物を取り込み、それを両腕に一ぱいかかえ、上手(かみて)に立ち去りかけて、ふと縁側のほうを見て立ちどまり)あら、奥田先生、お鍋が吹きこぼれていますよ。 【結句】 (夢遊病者の如くほとんど無表情で歩き、縁側から足袋はだしで降りて)僕…

【日刊 太宰治全小説】#221「春の枯葉」第一場

【冒頭】 (蒼(あお)ざめた顔に無理に微笑を浮べ)何も、叱るんじゃないのだ。なんだいお前は、もう高等科二年にもなったくせに、そんなに泣いて、みっともないぞ。さあ、ちゃんと、涙を拭(ふ)け。 【結句】 そうよ。あたしたちは音楽会をひらくのよ。音楽会…

【日刊 太宰治全小説】#220「チャンス」

【冒頭】 人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだ。と、したり顔して教える苦労人が多いけれども、私は、そうでないと思う。 【結句】 庭訓(ていきん)。恋愛に限らず、人生すべてチャンスに乗ずるのは、げびた事である。 「チャンス」につい…

【日刊 太宰治全小説】#219「苦悩の年鑑」

【冒頭】 時代は少しも変らないと思う。一種の、あほらしい感じである。こんなのを、馬の背中に狐(きつね)が乗ってるみたいと言うのではなかろうか。 【結句】 まったく新しい思潮の擡頭(たいとう)を待望する。それを言い出すには、何よりもまず、「勇気」を…

【日刊 太宰治全小説】#218「冬の花火」第三幕

【冒頭】 お母さん、お母さん。 【結句】 冬の花火さ。あたしのあこがれの桃源郷も、いじらしいような決心も、みんなばかばかしい冬の花火だ。 「冬の花火」について ・新潮文庫『グッド・バイ』所収。・昭和21年3月15日に脱稿。・昭和21年6月1日、…

【日刊 太宰治全小説】#217「冬の花火」第二幕

【冒頭】 どなた? どなたです。 【結句】 仕様が無いわ。仕様が無いわ。あたしと睦子が生きて行くためには、そうしなければいけなかったのよ。あたしが、わるいんじゃないわよ。あたしが、わるいんじゃないわよ。 「冬の花火」について ・新潮文庫『グッド…

【日刊 太宰治全小説】#216「冬の花火」第一幕

【冒頭】 負けた、負けたと言うけれども、あたしは、そうじゃないと思うわ。ほろんだのよ。滅亡しちゃったのよ。 【結句】 殴らなくちゃいけねえ。正気にかえるまで殴らなくちゃいけねえ。 「冬の花火」について ・新潮文庫『グッド・バイ』所収。・昭和21…

【日刊 太宰治全小説】#215「未帰還の友に」

【冒頭】 君が大学を出てそれから故郷の仙台の舞台に入営したのは、あれは太平洋戦争のはじまった翌年、昭和十七年の春ではなかったかしら。それから一年経って、昭和十八年の早春に、アス五ジウエノツクという君からの電報を受け取った。 【結句】 自分だけ…

【日刊 太宰治全小説】#214「十五年間」

【冒頭】 れいの戦災をこうむり、自分ひとりなら、またべつだが、五歳と二歳の子供をかかえているので窮し、とうとう津軽の生家にもぐり込んで、親子四人、居候(いそうろう)という身分になった。 【結句】 アメリカは自由の国だと聞いている。必ずや、日本の…

【日刊 太宰治全小説】#213「やんぬる哉」

【冒頭】 こちら(津軽)へ来てから、昔の、小学校時代の友人が、ちょいちょい訪ねて来てくれる。私は小学校時代には、同級生たちの間でいささか威勢を逞(たくま)しゅうしていたところがあったようで、「何せ昔の親分だから」なんて、笑いながら言う町会議員…

【日刊 太宰治全小説】#212「貨幣」

【冒頭】 私は七七八五一号の百円紙幣です。あなたの財布の中の百円紙幣をちょっと調べてみて下さいまし。或(ある)いは私はその中に、はいっているかも知れません。 【結句】 仲間はみんな一様に黙って首肯(うなず)きました。 「貨幣」について ・新潮文庫『…

【日刊 太宰治全小説】#211「嘘」

【冒頭】 「戦争が終ったら、こんどはまた急に何々主義だの、あさましく騒ぎまわって、演説なんかしているけれども、私は何一つ信用できない気持です。主義も、思想もへったくれも要らない。男は嘘をつく事をやめて、女は慾(よく)を捨てたら、それでもう日本…

【日刊 太宰治全小説】#210「親という二字」

【冒頭】 親という二字と無筆の親は言い。この川柳は、あわれである。「どこへ行って、何をするにしても、親という二字だけは忘れないでくれよ。」「チャンや。親という字は一字だよ。」「うんまあ、仮りに一字が三字であってもさ。」この教訓は、駄目である…

【日刊 太宰治全小説】#209「庭」

【冒頭】 東京の家は爆弾でこわされ、甲府市の妻の実家に移転したが、この家が、こんどは焼夷弾(しょういだん)でまるやけになったので、私と妻と五歳の女児と二歳の男児と四人が、津軽の私の生れた家に行かざるを得なくなった。 【結句】 兄は、けさは早く起…

【日刊 太宰治全小説】#208「パンドラの匣」十三

【冒頭】 謹啓。きょうは、かなしいお知らせを致します。もっとも、かなしいといっても、恋しいという字にカナしいと振仮名をつけたみたいな、妙な気持のカナしさだ。 【結句】 「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽(ひ)が当るようです。」…

【日刊 太宰治全小説】#207「パンドラの匣」十二

【冒頭】 昨日の御訪問、なんとも嬉しく存じました。その折には、また僕には花束。竹さんとマア坊には赤い小さな英語の辞典一冊ずつのお土産。いかにも詩人らしい、親切な思いつきで、殊(こと)にも、竹さんとマア坊にお土産を持って来てくれたのは有難(あり…

【日刊 太宰治全小説】#206「パンドラの匣」十一

【冒頭】 御返事をありがとう。先日の「嵐の夜の会談」に就いての僕の手紙が、たいへん君の御気に召したようで、うれしいと思っている。 【結句】 もっとも君は、既に、君の周囲に於いて、さらにすぐれた清潔の美果を味っているかも知れないが。 十月二十日 …

【日刊 太宰治全小説】#205「パンドラの匣」十

【冒頭】 拝啓。ひどい嵐だったね。野分(のわき)というものなのかしら。これでは、アメリカの進駐軍もおどろいているだろう。 【結句】 男って、いいものだねえ。マア坊だの、竹さんだの、てんで問題にも何もなりゃしない。以上、地獄の燈火と題する道場便り…

【日刊 太宰治全小説】#204「パンドラの匣」九

【冒頭】 一昨日は、どうも、つくし殿の名文に圧倒され、ペンが震えて文字が書けなくなり、尻切とんぼのお手紙になって失礼しました。 【結句】 マア坊の夢は悪い夢で、早く忘れてしまいたいが、竹さんの夢は、もしこれが夢であったら、永遠に醒(さ)めずにい…

【日刊 太宰治全小説】#203「パンドラの匣」八

【冒頭】 僕がいつも君に、こんな下手な、つまらぬ手紙を書いて、時々ふっと気まりの悪いような思いに襲われ、もうこんな、ばかばかしい手紙なんか書くまいと決意する事も再三あったが、しかし、きょう或るひとの実に偉大な書翰(しょかん)に接し、上には上が…

【日刊 太宰治全小説】#202「パンドラの匣」七

【冒頭】 さっそくの御返事、たのしく拝読しました。高等学校へはいると、勉強もいそがしいだろうに、こんなに長い御手紙を書くのは、たいへんでしょう。 【結句】 僕はみんなを愛している。きざかね。 九月二十六日 「パンドラの匣」について ・新潮文庫『…

【日刊 太宰治全小説】#201「パンドラの匣」六

【冒頭】 こないだから、女の事ばかり書いて、同室の諸先輩に就いての報告を怠っていたようだから、きょうは一つ「桜の間」の塾生たちの消息をお伝え申しましょう。 【結句】 冗談、失礼。朝夕すずしくなりました。常に衛生、火の用心とはここのところだ。僕…

【日刊 太宰治全小説】#200「パンドラの匣」五

【冒頭】 さっそくの御返事、なつかしく拝読しました。こないだ、僕は、「死よいものだ」などという、ちょっと誤解を招き易(やす)いようなあぶない言葉を書き送ったが、それに対して君は、いちぶも思い違いするところなく、正確に僕の感じを受取ってくれた様…