記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

晩年

【週刊 太宰治のエッセイ】檀君の近業について

◆「檀君の近業について」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。

【週刊 太宰治のエッセイ】もの思う葦(その三)④

◆『もの思う葦(その三)』④ 「『晩年』に就いて」 「気がかりということに就いて」 「宿題」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。

【日めくり太宰治】7月26日

7月26日の太宰治。 1936年(昭和11年)7月26日。 太宰治 27歳。 七月二十六日付で、中畑慶吉(なかはたけいきち)に葉書を送る。 中畑慶吉(なかはたけいきち)に宛てた自身の近況報告 太宰がハガキを書いた中畑慶吉(なかはたけいきち)は、青森県…

【日めくり太宰治】7月11日

7月11日の太宰治。 1936年(昭和11年)7月11日。 太宰治 27歳。 午後五時から、山崎剛平、浅見淵の尽力で、不忍池畔の上野精養軒において『晩年』の出版記念会が持たれた。 『晩年』の出版記念会 1935年(昭和11年)7月11日、午後5…

【日めくり太宰治】6月25日

6月25日の太宰治。 1936年(昭和11年)6月25日。 太宰治 27歳。 六月二十五日付で、『晩年』が砂子屋(すなごや)書房から刊行された。 処女短篇集『晩年』刊行 1936年(昭和11年)6月25日付で、処女短篇集『晩年』が、砂子屋(すなごや…

【日めくり太宰治】6月22日

6月22日の太宰治。 1936年(昭和11年)6月22日。 太宰治 26歳。 出来上がったばかりの『晩年』を、井伏鱒二宛に送付。 出来上がったかりの『晩年』を 太宰の処女短篇集『晩年』は、1936年(昭和11年)6月25日付で、砂子屋書房から刊…

【日めくり太宰治】1月11日

1月11日の太宰治。 1938年(昭和13年)1月11日。 太宰治 28歳。 東京市杉並区天沼一ノ二一三 鎌滝方より 東京市下谷区上野桜木町二七 山崎剛平方 尾崎一雄宛 拝啓 昨年は、いろいろ御むりをお願いいたし、さぞ ごめいわく でございましたでし…

【日刊 太宰治全小説】#号外 『虚構の彷徨 ダス・ゲマイネ』について

昭和12年(1936年)6月1日。新潮社から「新選純文学叢書」の一冊として、太宰2冊目の作品集『虚構の彷徨 ダス・ゲマイネ』が刊行されました。 処女作品集『晩年』の刊行から約1年後。パビナール中毒による東京武蔵野病院への入院や最初の妻・初代さんとの心…

【日刊 太宰治全小説】#号外『晩年』について

昭和11年(1936年)6月25日、太宰が27歳の時に、砂子屋書房から出版した処女作品集『晩年』。 口絵写真一葉。初版500部。菊判フランス装。241頁。定価2円。 そこに収められた15編(全25回)が【日刊 太宰治全小説】で全て公開になりました。1編1編、様々な趣…

【日刊 太宰治全小説】#25「めくら草紙」(『晩年』)

【冒頭】太古のすがた、そのままの蒼空(あおぞら)。みんなも、この蒼空にだまされぬがいい。これほど人間に酷薄(こくはく)なすがたがないのだ。おまえは、私に一箇の銅貨をさえ与えたことがなかった。おれは死ぬるともおまえを拝(おが)まぬ。 【結句】いま読…

【日刊 太宰治全小説】#24「陰火」尼(『晩年』)

【冒頭】九月二十九日の夜更(よふ)けのことであった。あと一日がまんをして十月になってから質屋へ行けば、利子がひと月分もうかると思ったので、僕は煙草(たばこ)ものまずにその日いちにち寝てばかりいた。昼のうちにたくさん眠った罰で、夜は眠れないのだ…

【日刊 太宰治全小説】#23「陰火」水車(『晩年』)

【冒頭】橋へさしかかった。男はここで引きかえそうと思った。女はしずかに橋を渡った。男も渡った。 【結句】水車は闇のなかでゆっくりゆっくりまわっていた。女は、くるっと男に背をむけて、また歩きだした。男は煙草(たばこ)をくゆらしながら踏みとどまっ…

【日刊 太宰治全小説】#22「陰火」紙の鶴(『晩年』)

【冒頭】「おれは君とちがって、どうやらおめでたいようである。おれは処女でない妻をめとって、三年間、その事実を知らずにすごした。こんなことは口に出すべきでないかも知れぬ。 【結句】まずこの紙を対角線に沿うて二つに折って、それをまた二つに畳(た…

【日刊 太宰治全小説】#21「陰火」誕生(『晩年』)

【冒頭】二十五の春、そのひしがたの由緒(ゆいしょ)ありげな学帽を、たくさんの希望者の中でとくにへどもどまごつきながら願い出たひとりの新入生へ、くれてやって、帰郷した。 【結句】生れて百二十日目に大がかりな誕生祝いをした。 「陰火(いんか) 誕生(…

【日刊 太宰治全小説】#20「玩具」(『晩年』)

【冒頭】どうにかなる。どうにかなろうと一日一日を迎えてそのまま送っていって暮しているのであるが、それでも、なんとしても、どうにもならなくなってしまう場合がある。 【結句】いまもなお私の耳朶(みみたぶ)をくすぐる祖母の子守歌。「狐の嫁入り、婿(…

【日刊 太宰治全小説】#19「ロマネスク」嘘の三郎(『晩年』)

【冒頭】むかし江戸深川に原宮黄村という男やもめの学者がいた。支那(しな)の宗教にくわしかった。一子があり、三郎と呼ばれた。ひとり息子なのに三郎と名づけるとは流石(さすが)に学者らしくひねったものだと近所の取沙汰(とりざた)であった。 【結句】嘘の…

【日刊 太宰治全小説】#18「ロマネスク」喧嘩次郎兵衛(『晩年』)

【冒頭】むかし東海道三島の宿に、鹿間屋逸平という男がいた。曾祖父(そうそふ)の代より酒の醸造をもって業(なりわい)としていた。酒はその醸造主のひとがらを映すものと言われている。鹿間屋の酒はあくまでも澄み、しかもなかなかに辛口であった。酒の名は…

【日刊 太宰治全小説】#17「ロマネスク」仙術太郎(『晩年』)

【冒頭】むかし津軽の国、神梛木村(かなぎむら)に鍬形惣助(くわがたそうすけ)という庄屋がいた。四十九歳で、はじめて一子を得た。男の子であった。太郎と名づけた。生れるとすぐ大きいあくびをした。 【結句】ちなみに太郎の仙術の奥義は、懐手(ふところで)…

【日刊 太宰治全小説】#16「彼は昔の彼ならず」(『晩年』)

【冒頭】君にこの生活を教えよう。知りたいとならば、僕の家のものほし場まで来るとよい。其処(そこ)でこっそり教えてあげよう。 【結句】それなら君に聞こうよ。空を見あげたり肩をゆすったりうなだれたり木の葉をちぎりとったりしながらのろのろさまよい歩…

【日刊 太宰治全小説】#15「逆行」くろんぼ(『晩年』)

【冒頭】くろんぼは檻(おり)の中にはいっていた。檻の中は一坪ほどのひろさであって、まっくらい奥隅に、丸太でつくられた腰掛がひとつ置かれていた。くろんぼはそこに坐(すわ)って、刺繍(ししゅう)をしていた。このような暗闇でどんな刺繍ができるものかと…

【日刊 太宰治全小説】#14「逆行」決闘(『晩年』)

【冒頭】それは外国の真似ではなかった。誇張でなしに、相手を殺したいと願望したからである。けれどもその動機は深遠でなかった。 【結句】私は泥にうつぶして、いまこそおいおい声をたてて泣こう泣こうとあせったけれど、あわれ、一滴の涙も出なかった。 …

【日刊 太宰治全小説】#13「逆行」盗賊(『晩年』)

【冒頭】ことし落第(らくだい)ときまった。それでも試験は受けるのである。甲斐(かい)ない努力の美しさ。われはその心に心をひかれた。 【結句】盗賊は落葉の如(ごと)くはらはらと退却し、地上に舞いあがり、長蛇のしっぽにからだをいれ、みるみるすがたをか…

【日刊 太宰治全小説】#12「逆行」蝶蝶(『晩年』)

【冒頭】老人ではなかった。二十五歳を越しただけであった。けれどもやはり老人であった。 【結句】老人の、ひとのよい無学ではあるが利巧(りこう)な、若く美しい妻は、居並ぶ近親たちの手前、嫉妬(しっと)ではなく頬(ほお)をあからめ、それから匙(さじ)を握…

【日刊 太宰治全小説】#11「猿面冠者」(『晩年』)

【冒頭】どんな小説を読ませても、はじめの二三行をはしり読みしたばかりで、もうその小説の楽屋裏を見抜いてしまったかのように、鼻で笑って巻を閉じる傲岸不遜(ごうがんふそん)の男がいた。 【結句】男は書きかけの原稿用紙に眼を落してしばらく考えてから…

【日刊 太宰治全小説】#10「道化の華」(『晩年』)

【冒頭】「ここを過ぎて悲しみの市(まち)」友はみな、僕からはなれ、かなしき眼もて僕を眺める。友よ、僕と語れ、僕を笑え。ああ、友はむなしく顔をそむける。友よ、僕に問え。僕はなんでも知らせよう。僕はこの手もて、園を水にしずめた。僕は悪魔の傲慢(ご…

【日刊 太宰治全小説】#9「雀こ」(『晩年』)

【冒頭】長え長え昔噺(むがしこ)、知らへがな。山の中に橡(とち)の木いっぽんあったずおん。そのてっぺんさ、からす一羽来てとまったずおん。 【結句】また、からすあ、があて啼(な)けば、橡の実あ、一つぼたんて落づるずおん。また、からすあ、があて啼けば…

【日刊 太宰治全小説】#8「猿ヶ島」(『晩年』)

【冒頭】はるばると海を越えて、この島に着いたときの私の憂愁(ゆうしゅう)を思い給(たま)え。夜なのか昼なのか、島は深い霧(きり)に包まれて眠っていた。私は眼をしばたたいて、島の全貌(ぜんぼう)を見すかそうと努めたのである。裸の大きい岩が急な勾配(こ…

【日刊 太宰治全小説】#7「地球図」(『晩年』)

【冒頭】ヨワン榎(えのき)は伴天連(バテレン)ヨワン・バッティスタ・シロオテの墓標である。切支丹(キリシタン)屋敷の裏門をくぐってすぐ右手にそれがあった。いまから二百年ほどむかしに、シロオテはこの切支丹屋敷の牢の中で死んだ。彼のしかばねは、屋敷…

【日刊 太宰治全小説】#6「列車」(『晩年』)

【冒頭】一九二五年に梅鉢工場という所でこしらえられたC五一型のその機関車は、同じ工場で同じころ製作された三等客車三輛(りょう)と、食堂車、二等客車、二等寝台車、各々一輛ずつと、ほかに郵便やら荷物やらの貨車三輛と、都合九つの箱に、ざっと二百名…

【日刊 太宰治全小説】#5「魚服記」(『晩年』)

【冒頭】本州の北端の山脈は、ぼんじゅ山脈というのである。せいぜい三四百米(メートル)ほどの丘陵が起伏しているのであるから、ふつうの地図には載っていない。 【結句】やがてからだをくねらせながらまっすぐに滝壺へむかって行った。たちまち、くるくると…