記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【太宰散歩】三鷹での出会い ー『太宰婚』、太宰治文学サロンー

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あさ、眼をさましたときの気持ちは、うぅ…寒い。

 2019年3月3日、日曜日。あいにくの雨天。

 ぶるっと身震いをしてから、ごそごそ布団から抜け出して、エアコンのスイッチをオン。

 暖かい日が続いていましたが、久し振りに10°を下回り、体感温度は4°の予報。う~んと少し悩んだ後、温かいコーヒーを胃袋に流し込み、コートを羽織って、よいこらせ!と重い腰を持ち上げて外に出ました。

 目的の地は、三鷹

 しかも、2つの重要なミッションを帯びての訪問です。

 

三鷹に到着後…

 新宿でJR中央線快速に乗り換え、約18分。太宰も中央線に揺られていたのかなぁ…、なんて思いを巡らせていると、あっという間に三鷹駅に到着です。

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 大学の時に青森から上京して、早11年。

 ほぼ毎年訪れているので、三鷹歩きは慣れたもの。

 南口から外に出ると、空は真っ白、ひたひたと降り続く雨。

 折り畳み傘を開き、意を決して、最初の目的地へ向かいます。

 

まずは太宰にご挨拶

 さて、ミッションを開始する前に、三鷹に来たら、一番最初に訪れなければいけない場所。それが、禅林寺太宰治のお墓があるお寺です。

 ここ禅林寺には、2014年8月11日に亡くなられた太宰の弟子・小野才八郎さんも眠っています。

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 門をくぐって…。

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 スロープを下り、アーチをくぐって、お墓のある側に出ます。異なる世界に来た訳ではないですが、毎回アーチをくぐると、急に「ここに太宰さんが眠っているんだな…」という想いが押し寄せて来ます。

 入口にあった案内板に従って、墓地の中を進んでいきます。
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  太宰治、津島家之墓の前までやって来ました。

 毎年お墓参りに来ていますが、雨の中のお墓参りは、初めてかもしれません。

 太宰のお墓には、いつ行っても、その季節の綺麗なお花が供えてあります。手前で束ねられた枝は、梅でしょうか。

 このお墓には、太宰治(本名:津島修治)と奥様・津島美知子さん、長男・津島正樹さんが眠っています。

 太宰のお墓の前に立つと、とても心が落ち着く自分がいます。お墓の前で手を合わせて眼を閉じると、目の前で太宰さんが微笑んでくれているような気がします。

 私も上京してから11年間、いろいろなことがありました。

 「自分は、うまく生きられているでしょうか?」

 「今のままで、自分は大丈夫でしょうか?」

 心の中でそんなことを問いかけると、太宰さんはウンウンと頷いてくれます。

 太宰さんも、私と同じ青森から上京し、いろいろ苦しみながら、39年間という短い生涯を全力で駆け抜けた人。

 そんな太宰さんが頷いてくれると、ちょっと不安になった時でも、少し自分に自信が持てます。太宰さん、勝手ながら、ソウルフレンドと呼ばせて頂いております。

 

1つ目のミッション:『太宰婚』の入手

 名残り惜しい気持ちをグッと堪え、1つ目のミッションを果たすために、目的地へと向かいます。

 禅林寺から、歩くこと10分とちょっと。最初の目的地は、こちらです。

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『古本カフェ・フォスフォレッセンス』

 写真は2017年の桜桃忌に訪問した際に撮影したものです。

 今年で開店17周年を迎えられる通称:フォスさんは、全国から太宰好きが集まる憩いの場です。

 所狭しと並ぶ本。世田谷ボロ市で購入されたという柱時計の音。珈琲の香り。

 落ちつく雰囲気の中で、数え切れない程の素敵な出会いが繰り広げられたことでしょう。

 そして、今回来店するキッカケになったのが、Twitterでのフォスさん(@phos_bookcafe)の以下のツイート。

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 オーナーの駄馬さんは、1999年の桜桃忌に旦那さんと出会い、当時生活されていた京都から三鷹に引っ越して、フォスフォレッセンスを開業されました。

 そんな旦那さんとの出会いを『太宰婚』命名し、お店の開店やお店での出会い、太宰治への想いをまとめられたのが、この本です。

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 夕方に予定があったため、本を購入するだけの短い滞在になってしまいましたが、

「2017年の桜桃忌に訪問し、『あはれわが歌』を買った者なんですけど…」

と話すと、覚えていて下さり、

「ブログ書かれてますよね?」

との一言が。恥ずかしさもありながら、とても嬉しく、退店間際の

「太宰の生誕110周年、一緒に盛り上げていきましょう!」

の一言が、とても嬉しかったです。

 

早速、読ませて頂きました!

 そして帰宅後、早速読ませて頂きました。

 読みやすい文章で、数多くのエピソードに想いを馳せながら、一気に読了。

 前半の旦那さんとの出会いの場面に、胸キュンの連続。

 作品全体に旦那さん、お店、そして太宰。“たくさんの愛”に溢れた素敵な一冊でした。

 特に、お店の中央に位置する「太宰棚」に展示されている『晩年』初版本の誰が書いたのか分からない、「昭和十一年六月廿五日 太宰治に見参せんとす。」という書き込みに関するエピソードが好きで、

「これは太宰本人の落書きではないか? 太宰さんはそういうの好きだし」という感想が印象に残っている。太宰治本人と直接会ったわけではないのに「そういうの好きだし」と言えてしまう気持ちがわかりすぎて。なんというか、他人と思えない人なのだ。みんな「私の太宰さん」がいる。

という部分は、にやにやしながら、何度も頷いてしまいました。

 読み終えるとすぐ、お店に感想を話しに行きたくなってしまいます。

 太宰ファンに対する素敵なプレゼント

 全ての一期一会に感謝したくなる、そんな一冊になっています。

ぜひ、ご一読下さい!

 

 2つ目のミッション:企画展示「太宰治今官一

 1つ目のミッションをコンプリートし、続いて向かうは、次なる目的地のこちら。

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 『太宰治文学サロン』

 2008年3月1日に開館して以来、太宰に関する情報を発信し続け、2018年9月22日には、入館者15万人を達成したそうです。

 入場無料で、毎回趣向を凝らした展示が行われ、私も三鷹を訪れる度に必ず立ち寄る場所になりました。

 そして、今回の企画展示が、こちら。
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 「太宰治今官一 ~郷里から三鷹へ~」

 太宰治今官一(こん かんいち)も、同い年の青森・津軽出身の作家です。

 今官一は、太宰治の勧めで昭和17年(1942年)12月8日に三鷹の「上連雀字山中南九七ノ二」に転居し、約22年間をそこで過ごしています。

 今回の企画展では、複製原稿や複写葉書、初出掲載紙など18点もの資料が展示されており、葉書でのやりとりや、今官一が太宰の命日を「桜桃忌」と命名した時のエピソードに触れることができます。

昭和19年4月10日に召集を受けた今は、「直筆原稿を置いていけ」という太宰の一言で600枚もの原稿を託した。その重量は二貫(7キログラム)を超える。太宰は疎開先までこの預り原稿を守り抜き、金木の生家ではなく五所川原の親戚宅に保管されていたという。

という戦時中のエピソードから、二人の絆の強さが感じられます。

 今官一は太宰の死後、矢継ぎ早に太宰についての原稿を記しており、太宰の死の直後に発表された人間失格をセンセーショナルな心中事件と関連付けて語る識者が多い中、

太宰の文学を過大にでもなく過少にでもなく、正当に評価しようとする努力がなされなければ、日本の文学観は、一向に、進歩がない

と記しています。

 

三鷹の陋屋」との再会

 企画展示を堪能し、後ろを振り返った瞬間、この日テンションMAXの瞬間がやって来ます。

 それが、こちら!
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 太宰が昭和14年(1939年)9月1日から7年半を過ごし、全小説155作品のうち、『走れメロス』『正義と微笑』『右大臣実朝』『斜陽』『人間失格』など、生涯の代表作の大部分である約90作品を記した、三鷹「陋屋」の模型です。

 この模型は、残された資料写真や回想などを元にして、不明確な点は、同時代の三鷹の住宅を調査した報告書や専門書を元にもくきんど工芸さんが作製し、2018年6月16日~7月16日まで三鷹市美術ギャラリーで開催された特別展太宰治 三鷹とともにー太宰治没後70年ー」で展示されていました。

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 太宰の奥さん・津島美知子さんは『回想の太宰治の中で、

 昭和十四年九月一日から太宰は東京府北多摩郡三鷹下連雀の住民となった。

 六畳四畳半三畳の三部屋に、玄関、縁側、風呂場がついた十二坪半ほどの小さな借家ではあるが、新築なのと、日当たりのよいことが取柄であった。太宰は菓子折の蓋を利用して、戸籍名と筆名とを毛筆で並べて書いて標札にして玄関の左の柱にうちつけた。門柱ぎわの百日紅が枝先にクレープペーパーで造ったような花をつけていた。

 南側は庭につづいて遥か向こうの大家さんの家を囲む木立まで畑で、赤い唐辛子や、風にゆれる芋の葉が印象的だった。西側も畠で夕陽は地平線すれすれに落ちるまで、三畳の茶の間とお勝手に容赦なく射し込んだ。

と書いています。

回想の太宰治 (講談社文芸文庫)

 『善蔵を思う』『東京八景』『帰去来』『おさん』『桜桃』をはじめ、数多くの作品に「陋屋」は登場するものの、いまいちイメージが湧かなかったのですが、特別展で模型を目にし、何とかこの目に焼き付けようと必死でした。

 その模型に、まさか、ここで再会できるとは!

 運命の再会に興奮する気持ちを抑え、ガイドさんに

「この模型って、撮影しちゃダメですか?」

と尋ねたところ、バックヤードで確認して下さり、

「大丈夫ですよ」

とのご回答が。

 そこで、さらに図々しく、

「ブログ書いてるんですが、そこに載せても大丈夫ですか?」

と尋ねると、再度バックヤードで確認して下さり、

「商業目的でなければ、大丈夫ですよ」

とのご回答を頂きました!

 そこで、(おそらく)ネット上、本邦初公開!

 三鷹における太宰治の住居模型写真を掲載させて頂きます!

 私は帰宅後、「陋屋」に関する記述がある作品を読みながら写真と見比べ、妄想の翼を羽ばたかせながら一人でにやにやしていたのですが、同じく妄想の翼をお持ちの方、よろしければ、ご堪能下さいませ。

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三鷹の住居が登場する作品は、こちらでチェックできます!

 

本邦初公開!三鷹の住居模型写真

 それでは、早速、ご覧下さい!
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 これは、当時の玄関を写した写真ですが…

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 ばっちり再現されています!
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 こちらも、ばっちり再現されている、「門柱ぎわの百日紅

 下の写真は、過去8月頃に三鷹訪問した際のものです。

 現在は、太宰旧居跡の向かいにある「みたか井心亭」に移植されています。

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 次の写真は、昭和23年(1948年)4月に長女・園子さんと次女・里子さんと一緒に撮影したものですが…

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 縁側での微笑ましいワンシーンも、ばっちり再現されています!
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最後に…

 最後に、文学サロンでガイドさんと話したことを少し書いておこうかなと思います。

 気になったのが、何気ないこんな一言でした。

「太宰ファンの多くの方って、三鷹を訪れるんですよね」

五所川原へ行って、小泊の記念館に行きたくて路を尋ねると、分からないと言われて。青森って、太宰が生まれたところなのに、斜陽館以外はあまり有名じゃないんですか?」

 最近は、青森でも色々PRしている印象が強いし、何年前の出来事なのか尋ねるのを失念していましたが、こういう何気ない声って重要だよなぁ…と強く感じました。

 観光に来られる方にとっては、「太宰治の故郷であり、津軽の舞台にやって来た!」とウキウキ気分なのに、路を尋ねたら「知らねじゃ」では、ちょっとなぁ…と。

 マニアックなところまでは良しとしても、津軽に登場する、有名なゆかりの地を網羅した「『津軽』ゆかりの地マップ」のようなものは、とてもニーズがあるのではないかと思います。

 今後は、ブログでの発信に加え、情報収集の中で得た意見・感想にも耳を傾け、貢献できるような活動もしていきたいと考えています。

 ああ、それは、何という息もたえだえの大事業であろうか(笑)

 

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本ブログに掲載している太宰のカラー写真は、ディープネットワークによる色付け加工をしています。

http://hi.cs.waseda.ac.jp:8082/

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2019年太宰治生誕110周年を記念して【日刊 太宰治全小説】を、2019年1月1日から毎朝7時に更新中です!
下記「創刊のお知らせ!」作品一覧から、更新済の作品が読めます🍒

 

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