【冒頭】
たいてい末弟が、よく出来もしない癖に、まず、まっさきに物語る。そうして、たいてい失敗する。けれども末弟は、絶望しない。こんどこそと意気込む。
【結句】
祖母を追い出してから、末弟は、おもむろに所謂、自分の考えなるものを書き加えた。
「けれども、これから不仕合せが続きます。魔法使いの娘と、王子とでは、身分があまりに違いすぎます。これから不仕合せが起るのです。あとは大姉さんに、お願いいたします。ラプンツェルを大事にしてやって下さい。」と祖母の言ったとおりに書いて、ほっと溜息をついた。
「ろまん燈籠 その二」について
・新潮文庫『ろまん燈籠』所収。
・昭和15年12月5日頃までに脱稿。
・昭和16年1月1日、『婦人画報』新年号に発表。
全文掲載(「青空文庫」より)
その二
たいてい末弟が、よく出来もしない癖に、まず、まっさきに物語る。そうして、たいてい失敗する。けれども末弟は、絶望しない。こんどこそと意気込む。お正月五日間のお休みの時、かれらは、少し退屈して、れいの物語の遊戯をはじめた。その時も、末弟は、僕にやらせて下さい僕に、と先陣を志願した。まいどの事ではあり、兄姉たちは笑ってゆるした。このたびは、としのはじめの物語でもあり、大事をとって、原稿用紙にきちんと書いて順々に廻すことにした。締切は翌日の朝。めいめいが一日たっぷり考えて書く事が出来る。五日目の夜か、六日目の朝には、一篇の物語が完成する。それまでの五日間、かれら五人の兄妹たちは、
末弟は、れいに依って先陣を志願し、ゆるされて発端を説き起す事になったが、さて、何の腹案も無い。スランプなのかも知れない。ひき受けなければよかったと思った。一月一日、他の兄姉たちは、それぞれ、よそへ遊びに出てしまった。祖父は勿論、早朝から
――むかし北の国の森の中に、おそろしい魔法使いの婆さんが住んでいました。実に、悪い醜い婆さんでありましたが、一人娘のラプンツェルにだけは優しく、毎日、金の
「この坊ちゃんは、肥えているわい。この肌の白さは、どうじゃ。
「あっ!」と婆さんは叫びました。婆さんは娘のラプンツェルに、耳を
「ラプンツェルや、ゆるしておくれ。」と婆さんは、娘を可愛がって甘やかしていますから、ちっとも怒らず、無理に笑ってあやまりました。ラプンツェルは、婆さんの背中をゆすぶって、
「この子は、あたしと遊ぶんだよ。この綺麗な子を、あたしにおくれ。」と、だだをこねました。可愛がられ、わがままに育てられていますから、とても強情で、一度言い出したら、もう後へは引きません。婆さんは、王子を殺して塩漬けにするのを一晩だけ、がまんしてやろうと思いました。
「よし、よし。おまえにあげるわよ。今晩は、おまえのお客様に、うんと御馳走してやろう。その代り、あしたになったら、婆さんにかえして下され。」
ラプンツェルは、
「お前があたしを嫌いにならないうちは、お前を殺させはしないよ。お前、王子さまなんだろ?」
ラプンツェルの髪の毛は、婆さんに毎日すいてもらっているお蔭で、まるで黄金をつむいだように美事に光り、脚の辺まで伸びていました。顔は天使のように、ふっくりして、黄色い
「ええ。」と王子は低く答えて、少し気もゆるんで、涙をぽたぽた落しました。
ラプンツェルは、黒く澄んだ目で、じっと王子を見つめていましたが、ちょっと首肯いて、
「お前があたしを嫌いになっても、人に殺させはしないよ。そうなったら、あたしが自分で殺してやる。」と言って、自分も泣いてしまいました。それから急に大声で笑い出して、涙を手の甲で拭い、王子の目をも同様に拭いてやって、「さあ、今夜はあたしと一緒に、あたしの小さな動物のところに寝るんだよ。」と元気そうに言って隣りの寝室に案内しました。そこには、
「これは、みんな、あたしのだよ。」とラプンツェルは教えて、すばやく手近の一羽をつかまえ、足を持ってゆすぶりました。鳩は驚いて羽根をばたばたさせました。「キスしてやっておくれ!」とラプンツェルは鋭く叫んで、その鳩で王子の頬を打ちました。
「あっちの
「君は寝る時も、そのナイフを傍に置いとくのかね?」と王子は少しこわくなって、そっと聞いてみました。
「そうさ。いつだってナイフを抱いて寝るんだよ。」とラプンツェルは平気な顔で答えました。「何が起るかわからないもの。それはいいから、さあもう寝よう。お前が、どうしてこの森へ迷い込んだか、それをこれから聞かせておくれ。」ふたりは藁の上に並んで寝ました。王子は、きょう森へ迷い込むまでの事の次第を、どもりどもり申しました。
「お前は、その家来たちとわかれて、淋しいのかい?」
「淋しいさ。」
「お城へ帰りたいのかい?」
「ああ、帰りたいな。」
「そんな泣きべそをかく子は、いやだよ!」と言ってラプンツェルは急に跳ね起き、「それよりか、嬉しそうな顔をするのが本当じゃないか。ここに、パンが二つと、ハムが一つあるからね、途中でおなかがすいたら、食べるがいいや。何を愚図愚図しているんだね。」
王子は、あまりの嬉しさに思わず飛び上りました。ラプンツェルは母さんのように落ちついて、
「ああ、この毛の長靴をおはき。お前にあげるよ。途中、寒いだろうからね。お前には寒い思いをさせやしないよ。これ、お婆さんの大きな指なし手袋さ。さあ、はめてごらん。ほら、手だけ見ると、まるであたしの汚いお婆さんそっくりだ。」
王子は、感謝の涙を流しました。ラプンツェルは次に鹿を引きずり出し、その鎖をほどいてやって、
「ベエや、あたしは出来ればお前を、もっとナイフでくすぐってやりたいんだよ。とても面白いんだもの。でも、もう、どうだっていいや。お前を、逃がしてやるからね、この子をお城まで連れていっておくれ。この子は、お城へ帰りたいんだってさ。どうだって、いいや。うちのお婆さんより早く走れるのは、お前の他に無いんだからね。しっかり頼むよ。」
王子は鹿の背に乗り、
「ありがとう、ラプンツェル。君を忘れやしないよ。」
「そんな事、どうだっていいや。ベエや、さあ、走れ! 背中のお客さまを振り落したら承知しないよ。」
「さようなら。」
「ああ、さようなら。」泣き出したのは、ラプンツェルのほうでした。
鹿は闇の中を矢のように
「振り向いては、いけません。魔法使いのお婆さんが追い駆けているのです。」と鹿は走りながら教えました。「大丈夫です。私より早いものは、流れ星だけです。でも、あなたはラプンツェルの親切を忘れちゃいけませんよ。気象は強いけれども、淋しい子です。さあ、もうお城につきました。」
王子は、夢みるような気持で、お城の門の前に立っていました。
可哀そうなラプンツェル。魔法使いの婆さんは、こんどは怒ってしまったのです。大事な大事な獲物を逃がしてしまった。わがままにも程があります。と言ってラプンツェルを森の奥の真暗い塔の中に閉じこめてしまいました。その塔には、戸口も無ければ階段も無く、ただ頂上の部屋に、小さい窓が一つあるだけで、ラプンツェルは、その頂上の部屋にあけくれ寝起きする身のうえになったのでした。可哀そうなラプンツェル。一年経ち二年経ち、薄暗い部屋の中で誰にも知られず、むなしく美しさを増していました。もうすっかり
「顔を見せておくれ!」と王子は精一ぱいの大声で叫びました。「悲しい歌は、やめて下さい。」
塔の上の小さい窓から、ラプンツェルは顔を出して答えました。「そうおっしゃるあなたは誰です。悲しい者には悲しい歌が救いなのです。ひとの悲しさもおわかりにならない癖に。」
「ああ、ラプンツェル!」王子は、狂喜しました。「私を思い出しておくれ!」
ラプンツェルの頬は一瞬さっと
「ラプンツェル? その子は、四年前に死んじゃった!」と出来るだけ冷い口調で答えました。けれども、それから大声で笑おうとして、すっと息を吸い込んだら急に泣きたくなって、笑い声のかわりに烈しい
あの子の髪は、
あの子の髪は、虹の橋。
森の小鳥たちは、一斉に奇妙な歌をうたいはじめました。ラプンツェルは泣きながらも、その歌を小耳にはさみ、ふっと素張らしい霊感に打たれました。ラプンツェルは、自分の美しい髪の毛を、二まき三まき左の手に捲きつけて、右の手に
「ラプンツェル。」王子は小声で呟いて、ただ、うっとりと
地上に降り立ったラプンツェルは、急に気弱くなって、何も言えず、ただそっと王子の手の上に、自分の白い手をかさねました。
「ラプンツェル、こんどは私が君を助ける番だ。いや一生、君を助けさせておくれ。」王子は、もはや二十歳です。とても、たのもしげに見えました。ラプンツェルは、
二人は、森を抜け出し、婆さんの気づかぬうちにと急ぎに急いで荒野を横切り、目出度く無事にお城にたどりつく事が出来たのです。お城では二人を、大喜びで迎えました。」
末弟が苦心の
「また、はじめたのかね。うまく書けたかい?」と言って、その時、祖母は末弟の勉強室にはいって来たのである。
「あっちへ行って!」末弟は不機嫌である。
「また、しくじったね。お前は、よく出来もしない癖に、こんな馬鹿げた競争にはいるからいけないよ。お見せ。」
「わかるもんか!」
「泣かなくてもいいじゃないか。馬鹿だね。どれどれ。」と祖母は帯の間から老眼鏡を取り出し、末弟のお
「あたりまえさ。」
「困ったね? 私ならば、こう書くね。お城では、二人を大喜びで迎えました。けれども、これから不仕合せが続きます、と書きます。どうだろうね。こんな魔法使いの娘と、王子さまでは身分がちがいすぎますよ。どんなに好き合っていたって、末は、うまく行かないね。こんな縁談は、不仕合せのもとさ。どうだね?」と言って、末弟の肩を人指ゆびで、とんと突いた。
「知っていますよ、そんな事ぐらい。あっちへ行って! 僕には、僕の考えがあるんですからね。」
「おや、そうかい。」祖母は落ちついたものである。たいてい、末弟の考えというものがわかっているのである。「大急ぎで、あとを書いて、茶の間へおいで。おなかが、すいたろう。おぞうにを食べて、それから、かるたでもして遊んだらいいじゃないか。そんな、競争なんて、つまらない。あとは、大きい姉さんに頼んでおしまい。あれは、とても上手だから。」
祖母を追い出してから、末弟は、おもむろに
「けれども、これから不仕合せが続きます。魔法使いの娘と、王子とでは、身分があまりに違いすぎます。ここから不仕合せが起るのです。あとは大姉さんに、お願いいたします。ラプンツェルを大事にしてやって下さい。」と祖母の言ったとおりに書いて、ほっと