記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日刊 太宰治全小説】#205「パンドラの匣」十

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【冒頭】

拝啓。ひどい嵐だったね。野分(のわき)というものなのかしら。これでは、アメリカの進駐軍もおどろいているだろう。

【結句】

男って、いいものだねえ。マア坊だの、竹さんだの、てんで問題にも何もなりゃしない。以上、地獄の燈火と題する道場便り。失敬。 
 十月十四日
 

パンドラの匣」について

新潮文庫パンドラの匣』所収。
・昭和20年11月9日頃に脱稿。
・昭和20年10月22日付「河北新報」と「東奥日報」に連載開始。「東奥日報」は10月29日付「パンドラの匣」第八回で連載中断。「河北新報」は翌21年1月7日付まで、64回連載、完結。


パンドラの匣 (新潮文庫)

 

全文掲載(「青空文庫」より)  

 

固パン




 拝啓。ひどいあらしだったね。野分のわきというものなのかしら。これでは、アメリカの進駐軍もおどろいているだろう。E市にも、四、五百人来ているそうだが、まだこの辺には、いちども現われないようだ。矢鱈やたらにおびえて、もの笑いになるな、と場長からの訓辞もあったし、この道場の人たちは、割合いに泰然としている。ただひとり、助手のキントトさんだけ、ちょっとしょんぼりしていて、皆にからかわれている。キントトさんは、二、三日前、雨の中を用事でE市に行って来たそうだが、道場へ帰って夜、皆と一緒に就寝してから、シクシク泣いた。どうしたの? どうしたの? と皆にたずねられて、キントトさんのしゃくり上げながら物語るのを聞けば、おおよそ次のごとき事情であったという。
 キントトさんは、まちで用事をすまして、帰りのバスを待合所で待っていたら、どしゃ降りの中を、アメリカのからのトラックが走って来て、そうしてどうやら故障を起したらしく、バスの待合所のちょうど前でとまり、運転台から子供のような若いアメリカ兵が二人飛び降り、雨に打たれながら修理にとりかかって、なかなか修理がすまぬ様子で、濡鼠ぬれねずみの姿でいつまでも黙々と機械をいじくり、やがて、キントトさんたちのバスがやって来たが、キントトさんは待合所から走り出て、バスに乗りかけ、その時まるで夢中で、自分の風呂敷ふろしき包の中のなしを一つずつそのアメリカの少年たちに与え、サンキュウという声を背後に聞いてバスの奥にけ込んだとたんに発車。それだけの事であったが、道場へ帰り着き、次第に落ちついて来ると共に、何とも言えずおそろしく、心配で心配でたまらなくなり、ついに夜、蒲団ふとんを頭からかぶってひとりでめそめそ泣き出すにいたったのだというのである。このニュウスはもうその翌朝、早くも道場全体にひろがり、無理もないと言う者もあり、けしからぬという者もあり、わけがわからんと言う者もあり、とにかくみんな大笑いであった。キントトさんは、からかわれても、にこりともせず、首を振って、まだ胸がどきどきすると言っている。
 それと、もうひとり、同室の固パンさんが、このごろひどく浮かぬ顔をしている。何か煩悶はんもんの様子に見受けられたが、果して彼にもまた一種奇妙な苦労があったのである。
 いったいこの固パンという人物は、秘密主義というのか、もったい振っているというのか、僕たちをてんで相手にせず、いつまでも他人行儀で、はなはだ気づまりな存在であったが、おとといの夜、あのような嵐で、七時少し過ぎたころから停電になって、そのために夜の摩擦も無かったし、また拡声機も停電のため休みになって、夜の報道も聞かれなかったから、塾生たちは、みんな早寝という事になったのである。けれども、風の音がひどいので、誰も眠られず、かっぽれは小声で歌をうたうし、越後獅子えちごじしは、自分のベッドの引出しから蝋燭ろうそくを捜し出して、それに点火して枕元まくらもとに立て、ベッドの上に大あぐらをかいて自分のスリッパの修繕に一生懸命である。
「ひどい風ですね。」
 と、固パンが、妙に笑いながら私たちのほうへやって来た。固パンが、他人のベッドのところへ遊びに来るなんて、実に珍らしい事であった。


 が燈火を慕って飛んで来るように、人間もまた、こんな嵐の夜には、蝋燭の貧しげな光でもなつかしく、吸い寄せられて来るのかも知れない、と僕は思った。
「ええ、」僕は上半身を起して彼を迎え、「進駐軍も、この嵐には、おどろいているでしょう。」と言った。
 彼はいよいよ妙に笑い、
「いや、なに、それがねえ、」と少しおどけたような口調で言い、「問題はその進駐軍なんです。とにかく君、これを読んでみて下さい。」そうして、僕に一枚の便箋びんせんを手渡した。
 便箋には英語が一ぱい書かれている。
「英語は僕、読めません。」と僕は顔を赤くして言った。
「読めますよ。君たちくらいの中学校から出たての年頃が一ばん英語を覚えているものです。僕たちはもう、忘れてしまいました。」にやにや笑いながら言って、僕のベッドの端に腰をおろし、僕にだけ聞えるように急に声を低くして、「実はね、これは僕の書いた英文なんです。きっと文法の間違いがあるだろうから、君に直してもらいたいんです。読めばわかるだろうが、どうもこの道場の人たちは、僕をよっぽど英語の達人だと買いかぶっているらしく、いまにこの道場へアメリカの兵隊が来たら、あるいは僕を通訳としてひっぱり出すかも知れないんだ。その時の事を思うと、僕は心配で仕様がないんですよ。察してくれたまえ。」と言って、てれ隠しみたいにうふふと笑った。
「だって、あなたは本当に英語がよくお出来になるようじゃありませんか。」と僕は、便箋をぼんやりながめながら言った。
「冗談じゃない。とてもそんな通訳なんて出来やしないよ。どうも僕は少し調子に乗って、助手たちに英語の披露ひろうをしすぎたんだ。これで通訳なんかにひっぱり出されて、僕がへどもどまごついているところを見られたら、あの助手たちが、どんなに僕を軽蔑けいべつするか、わかりゃしない。どうも、こんなに弱った事は無い。このごろ、それが心配で、夜もよく眠られぬくらいなんだ。御賢察にまかせるよ。」と言って、また、うふふと笑った。
 僕は便箋の英文を読んで見た。ところどころ僕の知らない単語などがあったが、だいたい次のような意味の英文であった。
 君、怒リたもウコトなかレ。コノ失礼ヲ許シ給エ。我輩ハアワレナ男デアル。ナゼナラバ、我輩ハ英語ニイテ、聞キトルコトモ、言ウコトモ、ソノホカノコトモ、スベテ赤子あかごごとキデアル。ソレラノ行為ハ、我輩ノ能力ノハルカ、カナタニ横タワッテイルノデアル。ノミナラズ、カツマタ、我輩ハ肺病デアル。君、注意セヨ! アア、危イ! 君ニ伝染ノ可能性スコブル多大デアル。シカシナガラ、我輩ハ君ヲ深ク信ジル。神ノ御名みなニ於イテ、君ハ非常ニ気品高キ紳士デアルコトヲ認メル。君ハ必ズコノアワレナ男ニ同情ヲ持ツデアロウコトヲ我輩ハ疑ワナイノデアル。我輩ハ英語ノ会話ニ於イテ、ホトンド不具者デアルガ、カロウジテ、読ム事ト書ク事ガ出来ル。モシ、君ガ充分ノ親切心ト忍耐力トヲ保有シテイルナラバ、君ノ今日ノ用事ヲコノ紙片ニ書キシタタメテ欲シイ。シカシテ、一時間ノ忍耐ヲ示シテ欲シイ。我輩ハソノ期間ニ、我輩自身ヲ我輩ノ私室ニ密閉シ、君ノ文章ヲ研究シ、シカシテ、我輩ノ答ヲ、我輩ノ能力ノ最大ヲ致シテ書キシタタメルデアロウ。
 君ノ健康ヲ熱烈ニ祈ル。我輩ノ貧弱ニシテ醜悪ナル文章ヲ決シテ怒リ給ウナ。


 つくしのあの奇怪にして不可解な手紙にくらべて、このほうは流石さすがにちゃんと筋道がとおっている。けれども僕は、読みながら可笑おかしくて仕様が無かった。固パン氏が、通訳として引っぱり出される事をどんなに恐怖し、また、れいの見栄坊みえぼうの気持から、もし万一ひっぱり出されても、何とかして恥をかかずにすまして、助手さんたちの期待を裏切らぬようにしたいと苦心惨憺さんたんして、さまざま工夫をこらしているさまが、その英文にっても、充分に、推察できるのである。
「まるでもうこれは、重大な外交文書みたいですね。堂々たるものです。」と僕は、笑いをみ殺して言った。
「ひやかしちゃいけません。」と固パンは苦笑して僕からその便箋をひったくり、「どこか、ミステークがなかったですか?」
「いいえ、とてもわかりやすい文章で、こんなのを名文というんじゃないでしょうか。」
「迷うほうのメイブンでしょう?」と、つまらぬ洒落しゃれを言い、それでも、ほめられて悪い気はしないらしく、ちょっと得意げな、もっともらしい顔つきになり、「通訳となると、やはり責任がね、重くなりますから、僕は、それはごめんこうむって筆談にしようと思っているんですよ。どうも僕は英語の知識をひけらかしすぎたので、或いは、通訳として引っぱり出されるかも知れないんです。いまさら逃げかくれも出来ず、やっかいな事になっちゃいましたよ。」と、いやにシンミリした口調で言って、わざとらしい小さい溜息ためいきいた。
 人に依っていろいろな心配もあるものだと僕は感心した。
 嵐のせいであろうか、或いは、貧しいともしびのせいであろうか、その夜は私たち同室の者四人が、越後獅子の蝋燭の火を中心にして集り、久し振りで打解けた話を交した。
自由主義者ってのは、あれは、いったい何ですかね?」と、かっぽれは如何いかなる理由からか、ひどく声をひそめて尋ねる。
「フランスでは、」と固パンは英語のほうでこりたからであろうか、こんどはフランスの方面の知識を披露する。「リベルタンってやつがあって、これがまあ自由思想を謳歌おうかしてずいぶんあばれ廻ったものです。十七世紀と言いますから、いまから三百年ほど前の事ですがね。」と、まゆをはね上げてもったいぶる。「こいつらは主として宗教の自由を叫んで、あばれていたらしいです。」
「なんだ、あばれんぼうか。」とかっぽれは案外だというような顔で言う。
「ええ、まあ、そんなものです。たいていは、無頼漢ぶらいかんみたいな生活をしていたのです。芝居なんかで有名な、あの、鼻の大きいシラノ、ね、あの人なんかも当時のリベルタンのひとりだと言えるでしょう。時の権力に反抗して、弱きを助ける。当時のフランスの詩人なんてのも、たいていもうそんなものだったのでしょう。日本の江戸時代の男伊達おとこだてとかいうものに、ちょっと似ているところがあったようです。」
「なんて事だい、」とかっぽれは噴き出して、「それじゃあ、幡随院ばんずいいん長兵衛ちょうべえなんかも自由主義者だったわけですかねえ。」


 しかし、固パンはにこりともせず、
「そりゃ、そう言ってもかまわないと思います。もっとも、いまの自由主義者というのは、タイプが少し違っているようですが、フランスの十七世紀の頃のリベルタンってやつは、まあたいていそんなものだったのです。花川戸はなかわど助六すけろく鼠小僧次郎吉ねずみこぞうじろきちも、或いはそうだったのかも知れませんね。」
「へええ、そんなわけの事になりますかねえ。」とかっぽれは、大喜びである。
 越後獅子も、スリッパの破れを縫いながら、にやりと笑う。
「いったいこの自由思想というのは、」と固パンはいよいよまじめに、「その本来の姿は、反抗精神です。破壊思想といっていいかも知れない。圧制や束縛が取りのぞかれたところにはじめて芽生える思想ではなくて、圧制や束縛のリアクションとしてそれらと同時に発生し闘争すべき性質の思想です。よく挙げられる例ですけれども、はとが或る日、神様にお願いした、『私が飛ぶ時、どうも空気というものが邪魔になって早く前方に進行できない、どうか空気というものを無くして欲しい』神様はその願いを聞きれてやった。しかるに鳩は、いくらはばたいても飛び上る事が出来なかった。つまりこの鳩が自由思想です。空気の抵抗があってはじめて鳩が飛び上る事が出来るのです。闘争の対象の無い自由思想は、まるでそれこそ真空管の中ではばたいている鳩のようなもので、全く飛翔ひしょうが出来ません。」
「似たような名前の男がいるじゃないか。」と越後獅子はスリッパを縫う手を休めて言った。
「あ、」と固パンは頭のうしろをき、「そんな意味で言ったのではありません。これは、カントの例証です。僕は、現代の日本の政治界の事はちっとも知らないのです。」
「しかし、多少は知っていなくちゃいけないね。これから、若い人みんなに選挙権も被選挙権も与えられるそうだから。」と越後は、一座の長老らしく落ちつき払った態度で言い、「自由思想の内容は、その時、その時で全く違うものだと言っていいだろう。真理を追及して闘った天才たちは、ことごとく自由思想家だと言える。わしなんかは、自由思想の本家本元は、キリストだとさえ考えている。思いわずらうな、空飛ぶ鳥を見よ、かず、刈らず、蔵に収めず、なんてのは素晴らしい自由思想じゃないか。わしは西洋の思想は、すべてキリストの精神を基底にして、或いはそれを敷衍ふえんし、或いはそれを卑近にし、或いはそれを懐疑し、人さまざまの諸説があっても結局、聖書一巻にむすびついていると思う。科学でさえ、それと無関係ではないのだ。科学の基礎をなすものは、物理界に於いても、化学界に於いても、すべて仮説だ。肉眼で見とどける事の出来ない仮説から出発している。この仮説を信仰するところから、すべての科学が発生するのだ。日本人は、西洋の哲学、科学を研究するよりさきに、まず聖書一巻の研究をしなければならぬ筈だったのだ。わしは別に、クリスチャンではないが、しかし日本が聖書の研究もせずに、ただやたらに西洋文明の表面だけを勉強したところに、日本の大敗北の真因があったと思う。自由思想でも何でも、キリストの精神を知らなくては、半分も理解できない。」


 それから、みんな、しばらく、黙っていた。かっぽれまで、思案深げな顔をして、無言で首を振ったり何かしている。
「それからまた、自由思想の内容は、時々刻々に変るという例にこんなのがある。」と越後獅子は、その夜は、ばかに雄弁だった。どこやら崇高な、隠者とでもいうような趣きさえあった。実際、かなりの人物なのかも知れない。からださえ丈夫なら、いまごろは国家のためにも相当重要な仕事が出来る人なのかも知れないと僕はひそかに考えた。「むかし支那しなに、ひとりの自由思想家があって、時の政権に反対して憤然、山奥へ隠れた。時われに利あらずというわけだ。そうして彼は、それを自身の敗北だとは気がつかなかった。彼には一ふりの名刀がある。時来とききたらば、この名刀でもって政敵を刺さん、とかなりの自信さえ持って山に隠れていた。十年経って、世の中が変った。時来れりと山から降りて、人々に彼の自由思想を説いたが、それはもう陳腐な便乗思想だけのものでしか無かった。彼は最後に名刀を抜いて民衆に自身の意気を示さんとした。かなしいかな、すでにびていたという話がある。十年一日ごとき、不変の政治思想などは迷夢に過ぎないという意味だ。日本の明治以来の自由思想も、はじめは幕府に反抗し、それから藩閥を糾弾し、次に官僚を攻撃している。君子は豹変ひょうへんするという孔子こうしの言葉も、こんなところを言っているのではないかと思う。支那に於いて、君子というのは、日本に於ける酒も煙草たばこもやらぬ堅人かたじんなどを指さしていうのと違って、六芸りくげいに通じた天才を意味しているらしい。天才的な手腕家といってもいいだろう。これが、やはり豹変するのだ。美しい変化を示すのだ。醜い裏切りとは違う。キリストも、いっさい誓うな、と言っている。明日の事を思うな、とも言っている。実に、自由思想家の大先輩ではないか。きつねには穴あり、鳥には巣あり、されど人の子にはまくらするところ無し、とはまた、自由思想家の嘆きといっていいだろう。一日も安住をゆるされない。その主張は、日々にあらたに、また日にあらたでなければならぬ。日本に於いて今さら昨日の軍閥官僚を攻撃したって、それはもう自由思想ではない。便乗思想である。真の自由思想家なら、いまこそ何を置いても叫ばなければならぬ事がある。」
「な、なんですか? 何を叫んだらいいのです。」かっぽれは、あわてふためいて質問した。
「わかっているじゃないか。」と言って、越後獅子はきちんと正坐せいざし、「天皇陛下万歳! この叫びだ。昨日までは古かった。しかし、今日に於いては最も新しい自由思想だ。十年前の自由と、今日の自由とその内容が違うとはこの事だ。それはもはや、神秘主義ではない。人間の本然の愛だ。今日の真の自由思想家は、この叫びのもとに死すべきだ。アメリカは自由の国だと聞いている。必ずや、日本のこの自由の叫びを認めてくれるに違いない。わしがいま病気で無かったらなあ、いまこそ二重橋の前に立って、天皇陛下万歳! を叫びたい。」
 固パンは眼鏡をはずした。泣いているのだ。僕はこの嵐の一夜で、すっかり固パンを好きになってしまった。男って、いいものだねえ。マア坊だの、竹さんだの、てんで問題にも何もなりゃしない。以上、嵐の燈火と題する道場便り。失敬。
十月十四日

 

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