記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を、自由に旅する。

【日刊 太宰治全小説】#81「女の決闘」第四

f:id:shige97:20181210205824j:plain

【冒頭】

決闘の勝敗の次第をお知らせする前に、この女ふたりが拳銃を構えて対峙した可憐陰惨、また奇妙でもある光景を、白樺の幹の蔭にうずくまって見ている、れいの下等の芸術家の心懐に就いて考えてみたいと思います。

【結句】

女房は真っ直ぐに村役場に這入って行ってこう云った。「あの、どうぞわたくしを縛って下さいまし、わたくしは決闘を致しまして、人を一人殺しました。」

 

「女の決闘 第四」について

新潮文庫『新ハムレット』所収。

・昭和15年1月下旬から2月上旬までの間に脱稿。

・昭和15年4月1日、『月刊文章』四月号に発表。

新ハムレット (新潮文庫)

 

 全文掲載(「青空文庫」より)

    第四

 決闘の勝敗の次第をお知らせする前に、この女ふたりが拳銃を構えて対峙たいじした可憐陰惨、また奇妙でもある光景を、白樺しらかばの幹の蔭にうずくまって見ている、れいの下等の芸術家の心懐にいて考えてみたいと思います。私はいま仮にこの男の事を下等の芸術家と呼んでいるのでありますが、それは何も、この男ひとりを限って、下等と呼んでいるのでは無くして、芸術家全般がもとより下等のものであるから、この男も何やら著述をしているらしいその罰で、下等の仲間に無理矢理、参加させられてしまったというわけなのであります。この男は、芸術家のうちではむしろ高貴なほうかも知れません。第一に、このひとは紳士であります。服装正しく、挨拶あいさつも尋常で、気弱い笑顔は魅力的であります。散髪を怠らず、学問ありげな、れいの虚無的なるぶらりぶらりの歩き方をも体得して居た筈でありますし、それに何よりも泥酔でいすいする程に酒を飲まぬのが、決定的にこの男を上品な紳士の部類に編入させているのであります。けれども、悲しいかな、この男もまた著述をなして居るとすれば、その外面の上品さのみを見て、油断することは出来ません。何となれば、芸術家には、殆ど例外なく、二つの哀れな悪徳が具わって在るものだからであります。その一つは、好色の念であります。この男は、よわい既に不惑ふわくを越え、文名やや高く、可憐無邪気の恋物語をも創り、市井しせい婦女子をうっとりさせて、汚れない清潔の性格のように思われている様子でありますが、内心はなかなか、そんなものではなかったのです。初老に近い男の、好色の念の熾烈しれつさに就いて諸君は考えてみたことがおありでしょうか。或る程度の地位も得た、名声さえも得たようだ、得てみたら、つまらない、なんでもないものだ、日々の暮しに困らぬ程の財産もできた、自分のちからの限度もわかって来た、まあ、こんなところかな? この上むりして努めてみたって、たいしたことにもなるまい、こうして段々老いてゆくのだ、と気がついたときは、人は、せめて今いちどの冒険に、あこがれるようにならぬものであろうか。ファウストは、この人情の機微に就いて、わななきつつ書斎で独語しているようであります。ことにも、それが芸術家の場合、黒煙濛々もうもう地団駄じだんだ踏むばかりの焦躁でなければなりません。芸術家というものは、例外なしに生れつきの好色人であるのでありますから、その渇望も極度のものがあるのではないかと、笑いごとでは無しに考えられるのであります。殊にも、この男は紅毛人であります。紅毛人の I love you には、日本人の想像にも及ばぬ或る種の直接的な感情が含まれている様子で、「愛します」という言葉は、日本に於いてこそ綺麗きれいな精神的なものと思われているようですが、紅毛人に於いては、もっと、せっぱつまった意味で用いられているようであります。よろずに奔放で熾烈しれつであります。いいとしをして思慮分別も在りげな男が、内実は、中学生みたいな甘い咏歎えいたんにひたっていることもあるのだし、たかが女学生の生意気なのに惹かれて、家も地位も投げ出し、狂乱の姿態を示すことだってあるのです。それは、日本でも、西欧でも同じことであるのですが、ことにも紅毛人に於いては、それが甚だしいように思われます。この哀れな、なんだか共感を誘う弱点にって、いまこの男は、二人の女のうしろについてやって来て、そうして、白樺の幹の蔭に身をかくし、息を殺して、二人の女の決闘のなりゆきを見つめていなければならなくなった。もう一つ、この男の、芸術家の通弊として避けられぬ弱点、すなわち好奇心、言葉を換えて言えば、誰も知らぬものを知ろうという虚栄、その珍らしいものを見事に表現してやろうという功名心、そんなものが、この男を、ふらふら此の決闘の現場まで引きずり込んで来たものと思われます。どうしても一匹、死なない虫がある。自身、愛慾に狂乱していながら、その狂乱の様をさえ描写しようと努めているのが、これら芸術家の宿命であります。本能であります。諸君は、藤十郎の恋、というお話をご存じでしょうか。あれは、坂田藤十郎が、芸の工夫のため、いつわって人妻に恋を仕掛けた、ということになっていますが、果して全部が偽りの口説くぜつであったかどうか、それは、わかったものじゃ無いと私は思って居ります。本当の恋をささやいている間に自身の芸術家の虫が、そろそろ頭をもたげて来て、次第にその虫の喜びのほうが増大して、満場の喝采かっさいが眼のまえにちらつき、はては、愛慾も興覚めた、という解釈も成立し得ると思います。まことに芸術家の、表現に対する貪婪どんらん、虚栄、喝采への渇望は、始末に困って、あわれなものであります。今、この白樺の幹の蔭に、すずめを狙う黒い猫みたいに全身緊張させて構えている男の心境も、所詮は、初老の甘ったるい割り切れない「恋情」と、身中の虫、芸術家としての「虚栄」との葛藤である、と私には考えられるのであります。
 ああ、決闘やめろ。拳銃からりと投げ出して二人で笑え。したら、なんでも無いことだ。ささやかなトラブルの思い出として残るだけのことだ。誰にも知られずにすむのだ。私は二人を愛している。おんなじように愛している。可愛い。怪我けがしては、いけない。やめて欲しい、とも思うのだが、さて、この男には幹の蔭から身を躍らせて二人の間に飛び込むほどの決断もつかぬのです。もう少し、なりゆきを見たいのです。男は更に考える。
 発砲したからといっても、必ず、どちらかが死ぬるとはきまっていない。死ぬるどころか、双方かすりきず一つ受けないことだって在り得る。たいてい、そんなところだろう。死ぬるなんて、並たいていの事ではない。どうして私は、事態の最悪の場合ばかり考えたがるのだろう。ああ、けさは女房も美しい。ふびんな奴だ。あいつは、私を信じすぎていたのだ。私も悪い。女房を、だましすぎていた。だますより他はなかったのだ。家庭の幸福なんて、お互い嘘の上ででも無けれあ成り立たない。いままで私は、それを信じていた。女房なんて、わば、家の道具だと信じていた。いちいち真実を吐露とろし合っていたんじゃ、やり切れない。私は、いつもだましていた。それだから女房は、いつも私を好いてくれた。真実は、家庭の敵。嘘こそ家庭の幸福の花だ、と私は信じていた。この確信に間違い無いか。私は、なんだか、ひどい思いちがいしていたのでは無いか。このとしになるまで、知らずにいた厳粛な事実が在ったのでは無いか。女房は、あれは、道具にちがいないけれど、でも、女房にとって、私は道具でなかったのかも知れぬ。もっと、いじらしい、懸命な思いで私の傍にいてくれたのかも知れない。女房は私を、だましていなかった。私は悪い。けれども、それだけの話だ。私は女房に、どんな応答をしたらいいのか。私はおまえを愛していない。けれども、それは素知らぬ振りして、一生おまえとは離れまい決心だった。平和に一緒に暮して行ける確信が私に在ったのだが、もう、今は、だめかも知れない。決闘なんて、なんという無智なことを考えたものだ! やめろ! と男は、白樺の蔭から一歩踏み出し、あやうく声を出しかけて、見ると、今しも二人の女が、拳銃持つ手を徐々に挙げて、発砲一瞬まえの姿勢に移りつつあったので、はっと声を呑んでしまいました。もとより、この男もただものでない。当時流行の作家であります。謂わば、眼から鼻に抜けるほどの才智を持った男であります。普通、好人物の如く醜く動転、とり乱すようなことは致しません。やるなら、やれ、と糞度胸くそどきょうを据え、また白樺の蔭にひたと身を隠して、事のなりゆきを凝視しました。
 やるならやれ。私の知った事でない。もうこうなれば、どっちが死んだって同じ事だ。二人死んだら尚更なおさらいい。ああ、あの子は殺される。私の、可愛い不思議な生きもの。私はおまえを、女房の千倍も愛している。たのむ、女房を殺せ! あいつは邪魔だ! 賢夫人だ。賢夫人のままで死なせてやれ。ああ、もうどうでもいい。私の知ったことか。せいぜい華やかにやるがいい、と今は全く道義を越えて、目前の異様な戦慄せんりつの光景をむさぼるように見つめていました。誰も見た事の無いものを私はいま見ている、このプライド。やがてこれを如実に描写できる、この仕合せ。ああ、この男は、恐怖よりも歓喜を、五体しびれる程の強烈な歓喜を感じている様子であります。神を恐れぬこの傲慢、痴夢、我執、人間侮辱。芸術とは、そんなに狂気じみた冷酷を必要とするものであったでしょうか。男は、冷静な写真師になりました。芸術家は、やっぱり人ではありません。その胸に、奇妙な、臭い一匹の虫がいます。その虫を、サタン、と人は呼んでいます。
 発砲せられた。いまは、あさましい芸術家の下等な眼だけが動く。男の眼は、その決闘のすえ始終を見とどけました。そうして後日、高い誇りを以て、わが見たところを誤またず描写しました。以下は、その原文であります。流石さすがに、古今の名描写であります。背後の男の、貪婪な観察の眼をお忘れなさらぬようにして、ゆっくり読んでみて下さい。
 女学生が最初に打った。自分の技倆に信用を置いて相談に乗ったのだと云う風で、落ち着いてゆっくり発射した。弾丸たまは女房の立っている側の白樺の幹をかすって力が無くなって地に落ちて、どこか草の間に隠れた。
 その次に女房が打ったが、矢張りあたらなかった。
 それから二人で交る代る、熱心に打ち合った。銃の音は木精こだまのように続いて鳴り渡った。そのうち女学生の方が先にのぼせて来た。そして弾丸が始終高い所ばかりを飛ぶようになった。
 女房も矢張り気がぼうっとして来て、なんでももう百発も打ったような気がしている。その目には遠方に女学生の白いカラが見える。それをきのう的を狙ったように狙って打っている。その白いカラのほかには、なんにも目に見えない。消えてしまったようである。自分の踏んでいる足下の土地さえ、あるか無いか覚えない。
 突然、今自分は打ったか打たぬか知らぬのに、前に目に見えた白いカラが地に落ちた。そして外国語で何か一言云うのが聞えた。
 その刹那せつなに周囲のものが皆一塊になって見えて来た。灰色の、じっとして動かぬ大空の下の暗い草原、それから白い水潦みずたまり、それから側のひょろひょろした白樺の木などである。白樺の木の葉は、この出来事をこわがっているように、風を受けて囁き始めた。
 女房は夢のめたように、堅い拳銃を地に投げて、着物のすそをまくって、その場を逃げ出した。
 女房は人げの無い草原を、夢中になって駆けている。唯自分の殺した女学生のいる場所からなるたけ遠く逃げようとしているのである。跡には草原の中には赤い泉が湧き出したように、血を流して、女学生の体がよこたわっている。
 女房は走れるだけ走って、草臥くたびれ切って草原のはずれの草の上に倒れた。余り駆けたので、体中の脈がぴんぴん打っている。そして耳には異様な囁きが聞える。「今血が出てしまって死ぬるのだ」と云うようである。
 こんな事を考えている内に、女房は段段に、しかも余程手間取って、落ち着いて来た。それと同時に草原を物狂わしく走っていた間感じていた、うまく復讐を為遂しとげたと云う喜も、次第につまらぬものになって来た。丁度ちょうど向うで女学生の頸のきずから血が流れて出るように、胸に満ちていた喜が逃げてしまうのである。「これでかたきを討った」と思って、物に追われて途方に暮れた獣のように、夢中で草原を駆けた時の喜は、いつか消えてしまって、自分の上を吹いて通る、これまで覚えた事のない、冷たい風がそれに代ったのである。なんだか女学生が、今死んでいるあたりから、冷たい息が通って来て、自分を凍えさせるようである。たった今まで、草原の中をよろめきながら飛んでいる野の蜜蜂みつばちが止まったら、羽をこがしてしまっただろうと思われる程、赤く燃えていた女房の※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみが、大理石のように冷たくなった。大きい為事しごとをして、ほてっていた小さい手からも、血が皆どこかへ逃げて行ってしまった。
「復讐と云うものはこんなににがい味のものか知ら」と、女房は土の上に倒れていながら考えた。そして無意識に唇を動かして、何か渋いものを味わったように頬をすぼめた。しかこの場を立ち上がって、あの倒れている女学生の所へ行って見るとか、それを介抱かいほうしてるとか云う事は、どうしても遣りたくない。女房はこの出来事に体を縛り付けられて、手足も動かされなくなっているように、冷淡な心持をして時の立つのを待っていた。そして此間に相手の女学生の体からは血が流れて出てしまう筈だと思っていた。
 夕方になって女房は草原で起き上がった。体の節節が狂っていて、骨と骨とが旨く食い合わないような気がする。草臥れ切った頭の中では、まだ絶えず拳銃を打つ音がする。頭の狭い中で、決闘が又しても繰返されているようである。此辺の景物が低い草から高い木まで皆黒く染まっているように見える。そう思って見ている内に、突然自分の影が自分の体を離れて、飛んで出たように、目の前を歩いて行く女が見えて来た。黒い着物を着て、茶色な髪をして白く光る顔をして歩いている。女房はその自分の姿を見て、丁度ちょうど他人を気の毒に思うように、その自分の影を気の毒に思って、声を立てて泣き出した。
 きょうまで暮して来た自分の生涯は、ばったり断ち切られてしまって、もう自分となんの関係も無い、白木の板のようになって自分の背後から浮いて流れて来る。そしてその上に乗る事も、それを拾い上げる事も出来ぬのである。そしてこれから先き生きているなら、どんなにして生きていられるだろうかと想像して見ると、その生活状態の目の前に建設せられて来たのが、如何いかにもこれまでとは違った形をしているので、女房はそれを見ておののき恐れた。たとえば移住民が船に乗って故郷の港を出る時、急に他郷がこわくなって、これから知らぬ新しい境へ引きられて行くよりは、むしろ此海の沈黙の中へ身を投げようかと思うようなものである。
 そこで女房は死のうと決心して、起ち上がって元気好く、うなじそらせて一番近い村をさして歩き出した。
 女房は真っ直に村役場に這入はいって行ってこう云った。「あの、どうぞわたくしを縛って下さいまし、わたくしは決闘を致しまして、人を一人殺しました。」

 

【ほかにも太宰関連記事を書いてます!】