記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日刊 太宰治全小説】#246「斜陽」八

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【冒頭】
ゆめ。
皆が、私から離れて行く。
直治の死のあと始末をして、それから一箇月間、私は冬の山荘にひとりで住んでいた。
そうして私は、あのひとに、おそらくはこれが最後の手紙を、水のような気持で、書いて差し上げた。

【結句】
ご不快でしょうか。ご不快でも、しのんでいただきます。これが捨てられ、忘れかけられた女の唯一(ゆいいつ)(かす)かないやがらせと思召(おぼしめ)し、ぜひお聞きいれのほど願います。
M・C マイ、コメデアン。
昭和二十二年二月七日。

 

斜陽(しゃよう) 八」について

新潮文庫『斜陽』所収。
・昭和22年6月末に脱稿。
・昭和22年10月1日、『新潮』十月号に「斜陽(連載長篇完結)」として「七」「八」を掲載。

斜陽 (新潮文庫)

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全文掲載(「青空文庫」より)  

 


 ゆめ。
 皆が、私から離れて行く。
 直治の死のあと始末をして、それから一箇月間、私は冬の山荘にひとりで住んでいた。
 そうして私は、あのひとに、おそらくはこれが最後の手紙を、水のような気持で、書いて差し上げた。

 どうやら、あなたも、私をお捨てになったようでございます。いいえ、だんだんお忘れになるらしゅうございます。
 けれども、私は、幸福なんですの。私の望みどおりに、赤ちゃんが出来たようでございますの。私は、いま、いっさいを失ったような気がしていますけど、でも、おなかの小さい生命が、私の孤独の微笑のたねになっています。
 けがらわしい失策などとは、どうしても私には思われません。この世の中に、戦争だの平和だの貿易だの組合だの政治だのがあるのは、なんのためだか、このごろ私にもわかって来ました。あなたは、ご存じないでしょう。だから、いつまでも不幸なのですわ。それはね、教えてあげますわ、女がよい子を生むためです。
 私には、はじめからあなたの人格とか責任とかをあてにする気持はありませんでした。私のひとすじの恋の冒険の成就じょうじゅだけが問題でした。そうして、私のその思いが完成せられて、もういまでは私の胸のうちは、森の中の沼のように静かでございます。
 私は、勝ったと思っています。
 マリヤが、たとい夫の子でない子を生んでも、マリヤに輝く誇りがあったら、それは聖母子になるのでございます。
 私には、古い道徳を平気で無視して、よい子を得たという満足があるのでございます。
 あなたは、その後もやはり、ギロチンギロチンと言って、紳士やお嬢さんたちとお酒を飲んで、デカダン生活とやらをお続けになっていらっしゃるのでしょう。でも、私は、それをやめよ、とは申しませぬ。それもまた、あなたの最後の闘争の形式なのでしょうから。
 お酒をやめて、ご病気をなおして、永生きをなさって立派なお仕事を、などそんな白々しいおざなりみたいなことは、もう私は言いたくないのでございます。「立派なお仕事」などよりも、いのちを捨てる気で、所謂悪徳生活をしとおす事のほうが、のちの世の人たちからかえって御礼を言われるようになるかも知れません。
 犠牲者。道徳の過渡期かときの犠牲者。あなたも、私も、きっとそれなのでございましょう。
 革命は、いったい、どこで行われているのでしょう。すくなくとも、私たちの身のまわりにいては、古い道徳はやっぱりそのまま、みじんも変らず、私たちの行く手をさえぎっています。海の表面の波は何やら騒いでいても、その底の海水は、革命どころか、みじろぎもせず、狸寝入たぬきねいりで寝そべっているんですもの。
 けれども私は、これまでの第一回戦では、古い道徳をわずかながら押しのけ得たと思っています。そうして、こんどは、生れる子と共に、第二回戦、第三回戦をたたかうつもりでいるのです。
 こいしいひとの子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成なのでございます。
 あなたが私をお忘れになっても、また、あなたが、お酒でいのちをお無くしになっても、私は私の革命の完成のために、丈夫で生きて行けそうです。
 あなたの人格のくだらなさを、私はこないだも或るひとから、さまざま承りましたが、でも、私にこんな強さを与えて下さったのは、あなたです。私の胸に、革命のにじをかけて下さったのはあなたです。生きる目標を与えて下さったのは、あなたです。
 私はあなたを誇りにしていますし、また、生れる子供にも、あなたを誇りにさせようと思っています。
 私生児と、その母。
 けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。
 どうか、あなたも、あなたの闘いをたたかい続けて下さいまし。
 革命は、まだ、ちっとも、何も、行われていないんです。もっと、もっと、いくつもの惜しい貴い犠牲が必要のようでございます。
 いまの世の中で、一ばん美しいのは犠牲者です。
 小さい犠牲者が、もうひとりいました。
 上原さん。
 私はもうあなたに、何もおたのみする気はございませんが、けれども、その小さい犠牲者のために、一つだけ、おゆるしをお願いしたい事があるのです。
 それは、私の生れた子を、たったいちどでよろしゅうございますから、あなたの奥さまに抱かせていただきたいのです。そうして、その時、私にこう言わせていただきます。
「これは、直治が、或る女のひとに内緒に生ませた子ですの」
 なぜ、そうするのか、それだけはどなたにも申し上げられません。いいえ、私自身にも、なぜそうさせていただきたいのか、よくわかっていないのです。でも、私は、どうしても、そうさせていただかなければならないのです。直治というあの小さい犠牲者のために、どうしても、そうさせていただかなければならないのです。
 ご不快でしょうか。ご不快でも、しのんでいただきます。これが捨てられ、忘れかけられた女の唯一ゆいいつかすかないやがらせと思召おぼしめし、ぜひお聞きいれのほど願います。

M・C マイ、コメデアン。
昭和二十二年二月七日。
 【了】

 

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