記憶の宮殿

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【日刊 太宰治全小説】#117「新ハムレット」八

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【冒頭】

王。「裏切りましたね、ポローニヤス。子供たちを、そそのかして、あんな愚にも附かぬ朗読劇なんかをはじめて、いったい、どうしたのです。気が、へんになったんじゃないですか?

【結句】

王。「涙。わしのような者の眼からでも、こんなに涙が湧いて出る。この涙で、わしの罪障が洗われてしまうといいのだが、ポローニヤス、君は一体なにを見たのだ。君の疑うのも、無理がないのだ。あっ! 誰だ! そこに立っているのは誰だ! 逃げるな。待て! おお、ガーツルード。」

 

「新ハムレット 八」について

新潮文庫『新ハムレット』所収。

・昭和16年5月末に脱稿。

・昭和16年7月2日、最初の書下し中篇小説『新ハムレット』を文藝春秋社から刊行。

新ハムレット (新潮文庫)

 

 全文掲載(「青空文庫」より)      

 

八 王の居間

 王。ポローニヤス。

 王。「裏切りましたね、ポローニヤス。子供たちを、そそのかして、あんな愚にも附かぬ朗読劇なんかをはじめて、いったい、どうしたのです。気が、へんになったんじゃないですか? 自重して下さい。わしには、たいていわかっています。君は、あんなふざけた事をしてわしたちを、おどかし、自分の娘の失態を、容赦させようとたくらんでいるのでしょう? ポローニヤス、やっぱり、あなたも親馬鹿ですね。なぜ直接に、わしに相談しないのですか。うらみがあるなら、からりとそのまま打ち明けてみたらいいのだ。君は、不正直です。陰険です。それも、つまらぬ小細工ばかりろうして、男らしい乾坤一擲けんこんいってきの大陰謀などは、まるで出来ない。ポローニヤス、少しは恥ずかしく思いなさい。あんな、くちばしの青い、ハムレットだのホレーショーだのと一緒になって、歯の浮くような、きざな文句を読みあげて、いったい君は、どうしたのです。なにが朗読劇だ。遠い向うの、遠い向うの、とおちょぼ口して二度くりかえして読みあげた時には、わしは、全身、鳥肌とりはだになりました。ひどかったねえ。見ているほうが恥ずかしく、わしは涙が出ました。君は、もとから神経が繊細で、それはまた君の美点でもあり、四方八方に、こまかく気をくばってくれて、遠い将来の事まで何かと心配し、わしに進言してくれるので、わしは大変たすかり、君でなくてはならぬと、心から感謝し、たのもしくも思っていたのですが、それが同時に君の欠点でもあって、豪放磊落らいらくの気風に乏しく、物事にこせこせして、愚痴っぽく、思っていることをそのまま言わず、へんに紳士ふうに言い繕う癖があります。詩人肌とでもいうのでしょうかね。どうも陰気でいけません。胸の中に、いつも、うらみを抱いているように見えるものですから、城中の者どもにも、けむったがられ、あまり好かれないようじゃありませんか。たいして悪い事も出来ない癖に、どこやら陰険に見えるのです。性格が、めめしいのです。濁っているのです。」
 ポロ。「この王にして、この臣ありとでも言うところなのでしょう。ポローニヤスのめめしいところは、王さまからの有難い影響でございましょう。」
 王。「血迷って、何を言うのです。無礼です。何を言うのです。その、ふくれた顔つきは、まるで別人のように見えます。ポローニヤス、君は、本当に、どうかしているのではないですか。さきほどは、あんな薄気味のわるい黄色い声を出して花嫁とやらの、いやらしい役を演じ、もともと神経が羸弱るいじゃくで、しょげたり喜んだり気分のむらの激しい人だから、何かちょっとした事件に興奮して地位も年齢も忘れて、おどり出したというわけか、でも、それにも程度がある、ポローニヤスとわしとは、三十年間、わばまあ同じ屋根の下で暮して来たようなものですが、今夜のように程度を越えた醜態は、はじめてだ、これには、あるいは深いわけがあるのかも知れぬ、ゆっくり問いただしてみましょう、と思ってわしは君をここへお呼びしたのですが、なんという事です。一言のおびどころか、顔つきを変えて、このわしに食ってかかる。ポローニヤス! さ、落ちついて、はっきり答えて下さい。君は、いったい、なんだってあんな子守っ子だって笑ってしまうような甘ったるい芝居を、年甲斐としがいもなくはじめる気になったのですか。とにかくあの芝居は、いや、朗読劇か、とにかくあの、くだらない朗読劇は、君の発案ではじめたものに違いない。わしには、ちゃんとわかっています。ハムレットだって、ホレーショーだって、もっと気のきいた台本をえらびます。あんな大仰な、身震いせざるを得ないくらいの古くさい台本は、君でなくては、択べません。何もかも、君の仕業です。さ、ポローニヤス、答えて下さい。なんだってあんな、無礼な、馬鹿な真似まねをするのです。」
 ポロ。「王さまは御聡明ごそうめいでいらっしゃるのですから、べつにポローニヤスがお答え申さずとも、すべて御洞察ごどうさつのことと存じます。」
 王。「こんどは又、ばか丁寧に、いや味を言う。すねたのですか? ポローニヤス、そんな気取った表情は、およしなさい。ハムレットそっくりですよ。君も、ハムレットのお弟子でしになったのですか? さっき王妃から聞いた事ですが、このごろあちこちにハムレットのお弟子があらわれているそうですね。ホレーショーは、あれは前からハムレットには夢中で、口の曲げかたまでハムレットの真似をしているのですが、このごろはまた、わかい女のお弟子も出来たそうです。それからまた、ただいまは、おじいさんのお弟子も出来たようです。ハムレットも、こんなにどしどし立派な後継者が出来て、心丈夫の事でしょう。ポローニヤス、いいとしをして、そんなにすねるものではありません。不満があるなら、からりと打ち明けてみたら、どうですか。オフィリヤの事なら、わしはもう覚悟をきめています。」
 ポロ。「おそれながら、問題は、オフィリヤではございません。あれの運命は、もうきまってります。田舎のお城に忍んで行って、ひそかにおなかを小さくするだけの事です。そうしてわしは、職を辞し、レヤチーズの遊学は中止。わしたち一家は没落です。それはもう、きまっている事です。ポローニヤスは、あきらめて居ります。ハムレットさまは、やはりイギリスから姫をお迎えなさらなければなりませぬ。一国の安危にかかわる事です。オフィリヤも不憫ふびんではありますが、国の運命には、かえられませぬ。ポローニヤス一家は、いかなる不幸にも堪え忍んで生きて行くつもりでございますから、その点は御安心下さい。さて、問題は、オフィリヤではございませぬ。問題は、正義です。」
 王。「正義? 不思議な事を言いますね。」
 ポロ。「正義。青年の正義です。ポローニヤスは、それに共鳴したという形になっているのでございます。王さま、いまこそポローニヤスは、つつまず全部を申し上げます。」
 王。「なんだか、朗読劇のつづきでも聞かされているような気がします。へんに芝居くさく、調子づいて来たじゃありませんか。」
 ポロ。「王さま、ポローニヤスは真面目まじめです。王さまこそ、そんなに茶化さずに、真剣にお聞きとりを願います。まず第一に、わしから王さまにお伺い申し上げたい事がございます。王さまは、このごろの城中の、実に不愉快千万のうわさいて、どうお考えになって居られますか。」
 王。「なんですか、君の言う事は、よくわからないのですが、オフィリヤの噂だったら、わしは、けさはじめて君から聞いて知ったので、それまでには夢にも思い設けなかった事でした。」
 ポロ。「おとぼけなさっては、いけません。オフィリヤの事など、いまは問題でございません。それはもう、解決したも同然であります。わしのいまお伺い申しているものは、もっと大きく、おそろしく、なかなか解決のむずかしい問題でございます。王さまは、本当に何もご存じないのですか。お心当りが無いのでしょうか。そんなはずはない。そんな筈は、――」
 王。「知っている。みな知っています。先王の死因に就いて、けしからぬ臆測おくそくささやき交されているという事は、わしも承知して居ります。怒るよりも、わしは、自分の不徳を恥ずかしく思いました。そんな途方も無い滅茶な噂が、まことしやかに言い伝えられるのも、わしの人徳のいたらぬせいです。わしは、たまらなくさびしく思っています。けれども、噂は、ひろがるばかりで、このごろは外国の人の耳にもはいっている様子でありますから、このまま、わしが自らを責めて不徳を嘆いているだけでは、いよいよ噂も勢いを得て、とりかえしのつかぬ事態に立ちいたるかも知れぬと思い、この噂の取締りに就いて、君と相談してみたいと考えていたところでした。わしは、まあ、平気ですが、王妃は、やはり女ですから、ずいぶん此の噂には気を病んで、このごろは夜もよく眠っていない様子であります。このまま荏苒じんぜん、時を過ごしていたなら、王妃は死んでしまいます。わしたちの、つらい立場を知りもせぬ癖に、わかい者たちは何かと軽薄な当てこすりやら、厭味いやみやらを言って、ひとの懸命の生きかたを遊戯の道具に使っています。なさけ無い事と思っていたら、こんどは君まで、どんな理由か、わかりませんが、わかい者の先に立って躍り狂っているのだから、本当に世の中がいやになります。ポローニヤス、まさか君まで、あの噂を信じているわけじゃないだろうね。」
 ポロ。「信じて居ります。」
 王。「なに?」
 ポロ。「いいえ、信じて居りません。けれども、わしは信じている振りをしていようと思っています。ポローニヤスの、これが置土産の忠誠でございます。王さま、いや、クローヂヤスさま。三十余年間、臣ポローニヤスのみならず、家族の者まで、御寵愛ごちょうあい御庇護ごひごを得てまいりました。此度このたびオフィリヤの残念なる失態にり、おいとましなければならなくなって、ポローニヤスの胸中には、さまざまの感慨が去来いたして居ります。つらい別離の御挨拶ごあいさつを申し上げる前に、一つ、忠誠の置き土産、御高恩の万分の一をお報いしたくて、けさほどから、わかい人たちに対して、最善と思われる手段を講じて置きました。わかい人たちは、あの噂を、はじめは冗談みたいに扱って、たわむれに大袈裟おおげさに騒ぎまわっていたのですが、わしはその騒ぎを否定せず、かえって、あの噂には根拠がある、あの噂は本当だと教えてあげました。」
 王。「ポローニヤス! それが、なんの忠誠です。若い者をそそのかし、蜚語ひごきちらして、忠誠も御恩報じもないものだ。ポローニヤス、君の罪は、単に辞職くらいでは、すまされません。わしは、君を見そこなった。こんな、くだらぬ男だとは思わなかった。」
 ポロ。「お怒りは、あと廻しにしていただきたく思います。もし、ポローニヤスの此度の手段が間違って居りましたら、どんな御処刑でも甘んじてお受けいたします。クローヂヤスさま、おそれながら此度の奇怪の噂は、意外なほど広く諸方に伝えられ、もみ消そうとすればするほど、噂の火の手はさかんになり尋常一様の手段では、とても防ぐ事の出来ぬと見てとりましたので、死中に活を求める手段、すなわち、わしがすこぶる軽率に騒ぎ出して、若い人たちに興覚めさせ、王に同情の集るように仕組んだものでございますが、果して、もうハムレットさまも、ホレーショーも、いまでは、わしが正義、正義と連呼して熱狂する有様に閉口し、王さまの弁護をさえ言い出している始末でございます。この風潮が、城中の奥から起って、やがて、ざわざわ四方に流れていって、噂の火焔かえんを全部消しとめてくれるのも、遠い将来ではございますまい。すべてが、うまく行ったようです。噂というものは、こちらで、もみ消そうとするとかえってひろがり、こちらから逆に大いにあおいでやると興覚めして自然と消えてしまうものでございます。わしだって、いいとしをして、若い人たちにまじって、やれ正義だの、理想だのと歯の浮くような気障きざな事を言って、とうとう、あの花嫁の役まで演じなければならなくなり、ずいぶんつらい思いをしました。いま考えても、冷汗ひやあせきます。微衷をおみ取り願い上げます。」
 王。「よく言った。見事な申し開きでありました。けれども、ポローニヤス、わしは子供ではありません。そんな、馬鹿げた弁解を、どうして信じる事が出来ましょう。信じたくても、馬鹿らしくて、つい失笑してしまいます。噂の火の手を消すために、逆に大いに扇いだ、なんて、そんな、馬鹿な、子供だましの言い繕いは、ハムレットあたりに聞かせてあげると、或いは感服させる事が出来るかも知れんが、わしには、ただ滑稽こっけいに聞えますよ。たいへんな忠臣も、あったものだ。ポローニヤス、もう何も言うな! ばからしくて聞いて居られぬ。わしから言ってあげます。君は、ガーツルードに、昔から或る特種な感情を抱いて居った筈でした。この度、先王が急になくなって、ガーツルードが悲嘆の涙にくれていた時、君の慰めの言葉には、異様な真情がこもっていたので、わしには、はっきりわかったのです。不埒ふらちなやつだ。あわれな男だ、とその時から、わしは君を、ひそかに警戒していたのです。ポローニヤス、君は、ご自分では気が附かず、ただもう、いらいらして、オフィリヤの失態に極度に恐縮してみたり、かと思うと唐突に、正義だの潔癖だのと言い出して子供たちのお先棒をかついで、わしたちに当り散らしたり、または、にわかに忠臣を気取ってみたり、このたびのオフィリヤの事件を転機として、しどろもどろに乱れていますが、それは君のきょうまで堪えに堪えて来た或る種の感情が、いま頗る滑稽な形で爆発したというだけの事です。君は、ご自分では気がつくまい。ただもう、いらいらして、老いのかんしゃく玉を誰かれの区別なくぶっつけてやりたいような気持なのでしょうが、ポローニヤス、その気持は、昔から或る名前で呼ばれて、ちゃんと規定されてあります。さっきの朗読劇でハムレットの読み上げた言葉の中にもありましたね。気がつきましたか。嫉妬しっと、と呼ばれているようですね。」
 ポロ。「ぷ! 自惚うぬぼれもたいがいになさいまし。恋ゆえ人は、盲目にもなるようです。王さまこそ、どうかなさって居られます。ご自分が恋していらっしゃると、人も皆、恋しているもののように見えるらしい。とにかく、その、嫉妬とやらいうお言葉だけは、お返し申し上げます。ポローニヤスは、男やもめの生活こそ永く致してまいりましたが、不面目の色沙汰いろざたばかりは致しませぬ。王さまこそ、へんな嫉妬をなさって居られる。本当に、王さまの只今ただいまの御心情こそ、嫉妬とお呼びしてしかるべきものと存じます。永い間の秘めたる思いが先方にとどいて、王さまも、お喜びなさって居られるのが当然のところ、こんな、わしみたいな野暮ったい老人にまで嫉妬なさるとは、さては、お内の首尾があまり上乗でないと、ポローニヤス拝察つかまつりますが、いかがなものでありましょう。」
 王。「だまれ! ポローニヤス、気が狂ったか。誰に向って言っているのだ。娘の失態から、もはや、破れかぶれになっているものと見える。いまの無礼の雑言ぞうごんだけでも充分に、免職、入牢にゅうろうの罪にあたいします。けがらわしい下賤げせんの臆測は、わしの最も憎むところのものだ。ポローニヤス、建設は永く、崩壊は一瞬だね。君の三十年間の忠勤も、今宵こよいの無礼で、あとかたも無く消失した。はかないものだね。人の運命なんて、一寸いっすんさきも予測出来ないものだね。どんな事になるものか、まるっきり、わからない。宿命を、意志でもって左右できると、わしはこれまで信じていたが、やっぱり、どこかに神のお思召ぼしめしというものもあるらしい。ポローニヤス。わしは、ついさきまで君を、ゆるして上げるつもりで居りました。オフィリヤの事も、わしは最悪の場合を覚悟していたのです。ハムレットが、真実、オフィリヤにまいっていて、わしたちの忠告に耳を傾けてくれそうも無い時には、仕方がありません、イギリスの姫の事は断念して、オフィリヤとの結婚を、ゆるしてあげるつもりでした。王妃は、もはや、オフィリヤの味方になっています。王妃は、きょうの夕刻このわしに、泣いてひざまずいてたのみました。きょうまでわしを冷笑して来たガーツルードが、はじめて誇りを捨ててたのみました。わしとしても、覚悟せざるを得なかった。イギリスから姫を迎える事は、重大な政策の一つではあったが、わが家を不和にして迄、それを敢行する勇気は、わしには無いのだ。わしは、弱い! 良い政治家ではないようだ。デンマーク国の運命よりも、一家の平和を愛している。よい夫、よい父にさえなれたら、それで満足なのです。わしには、国王の資格が無いのかも知れぬ。わしは君たちを、ゆるしてやろうと思っていました。みんな、弱い者同志だ。助け合って、これからも仲良くやって行こうと覚悟をきめた矢先に、ポローニヤス、君はなんという馬鹿な男だろう。ひとりで、ひがんで、君たち一家が、もう没落するものとばかり思い込み、自暴自棄になってしまって、王妃には、かなわぬ恋の意趣返し、つまらぬ朗読劇などで、あてこすりを言い、また、のわしには、はじめは忠臣の苦肉の策だ等と言いくるめようとして、見破られると今度は居直って、無礼千万の恐喝きょうかつめいた悪口雑言をわめき立てる。ポローニヤス、わしは、もう君たちを許すのが、いやになった。君は、おろかだ。見え透いている。わしは、人間のあくを許す事は出来ますが、人間のおろかさは、許す事が出来ない。愚鈍は、最大の罪悪だ。ポローニヤス、此度は、職を辞するくらいでは、済みませんよ。わかっているでしょうね。」
 ポロ「うそだ! 嘘だ。王さまの、おっしゃる事は、みな嘘だ。ハムレットさまとオフィリヤとの結婚を、ゆるす気でいらっしゃったなんて、嘘も嘘、大嘘だ。お弱い? よい政治家ではない? デンマーク国よりも、一家の平和のほうを愛していらっしゃる? 何もかも嘘だ。王さまほどのお強い、卓抜の手腕をお持ちの政治家は、欧洲おうしゅうにも数が少うございます。ポローニヤスは、かねてより、ひそかに舌を巻いて居ります。王さま、おかくしになってはいけません。此の部屋には、王さまと、ポローニヤスと二人きり、ほかには誰も居りません。時刻も、もはや丑満時うしみつどきです。城内の者は、もとより、軒端のきばに宿る小鳥たち、天井裏に巣くうねずみ、のこらずぐっすり眠って居ります。聞いている者は、誰も無い。さあ、おっしゃって下さい。ポローニヤスは何もかも、よく存じ上げて居るのです。王さまは、此の二箇月間、ポローニヤスの失脚の機会を、ひそかにねらって居られた筈です。」
 王。「つまらぬ※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)うわごとばかり言っている。丑満時が、どうしたというのです。恥ずかしげもなく、芝居がかった形容詞を並べたて、いったい、何をそんなに、いきまいているのですか? みっともない。ポローニヤス、もう、おさがりなさい。追って、申し渡す事があります。」
 ポロ。「いますぐ、お沙汰を承りましょう。ポローニヤスは、覚悟をしています。とても、のがれられぬと、あきらめて居ります。此の二箇月間、わしは王さまに、つけねらわれて居りました。何か失態は無いものかとの目、たかの目で、さぐられていたのです。わしはそれを知っていたので、何事も、王さまの御意向にさからわぬよう充分に気をつけて、きのう迄は、どうやら大過なく勤めて来たつもりで居りました。わが子のレヤチーズを、フランスへ遊学にやったのも、一つには、王さまの恐しい穿鑿せんさくの眼から、のがれさせてやるためでもありました。わしに失態が無くとも、レヤチーズが若い粗暴の振舞いから何かしくじりを、しでかさぬものでもない。レヤチーズに多少の落度おちどでもあったなら、待っていたとばかりに王さまは、わしの一家を罰してほうむり去るのは、火を見るより明かな事ゆえ、わしは万全を期してレヤチーズをフランスへ逃がしてやり、やれ安心と思うまもなく、意外、残念、わしの一ばん信頼していたオフィリヤが、とんでも無い間違いをやらかしているのを、きのう知って、足もとの土が、ざあっと崩れて、もう駄目だめだと観念いたしました。いまは、せめてオフィリヤの幸福だけでもと、わら一すじにすがる気持で、けさほどハムレットさまに御相談申し上げたところ、失礼ながらハムレットさまは未だお若く、黒雲がもくもく湧き立ったとか、乱雲がおおいかぶさったとか、とりとめのない事を口走るばかりで一向に、たよりにも何もなりませぬ。よくおたずねしてみたら、ハムレットさまは只今、オフィリヤの事よりも、先王の死因に就いてのあの恐ろしい噂の事ばかり気にして居られて、必ず噂の根元こんげんを突きとめてみたい、と意気込んでおっしゃるような始末なので、こんな無分別なお若い人たちのなさる事を黙って傍観していると、やぶからへびみたいな、たいへんな結果が惹起じゃっきするかも知れぬ、ここはポローニヤス、一世一代の策略、または忠誠の置土産、躊躇ちゅうちょせずに若い人たちの疑惑を支持し、まっさきけて、正義を叫び、あのような甘ったるい朗読劇を提唱し、若い人たちのほうであきれて、興覚めするように仕組んだのだという事は、まえにも申し上げましたが、王さまは、てんで信じて下さいませんでした。わしの心の奥隅おくすみには、やはりオフィリヤがいじらしく、なんとかして、あの子だけでも仕合せになれるように祈っているところもあったのでございましょう。いやな疑惑を一刻も早く、ハムレットさまのお心から追い払ってあげて、そうしてあとはオフィリヤの事ばかりを考えて下さるよう、全力を挙げてオフィリヤの為にたたかって下さるよう、そのような、オフィリヤの為にもよかれ、と思って仕組んだところも無いわけではなかった。けれども、決してそればかりでは、ございません。王さま、お信じ下さい! 人間には、よい事をしたいという本能があります。ひとに感謝をされたいと思って生きているものです。ポローニヤスは、きょう一日、王さまのため、王妃さまのため、ハムレットさまのため、忠誠の立派な置土産をしたつもりで居ります。おめにあずかって当然のところ、おろかな言い繕いだの、破れかぶれだのおっしゃって嘲笑ちょうしょうなされ、はては、嫉妬なぞと思いも掛けぬ濡衣ぬれぎぬを着せようとなさるので、ポローニヤスもつい我慢ならず、失礼な雑言を口走りました。ポローニヤスは、もはや観念して居ります。王さまは此の二箇月間、ポローニヤスがこのような窮地に落ちいるのを、待ちに待って居られたのです。さぞ、本懐でございましょう。ポローニヤスは、なるほど馬鹿でございます。デンマーク一ばんの、おろか者でございます。どうせこんな結果になるのが、はじめからわかっていたのに、忠誠の置土産などと要らざる義理立てをしたばかりに、かえって不利な立場に押し込まれました。御処罰も、数段と重くなった事でございましょう。自ら墓穴を掘りました。」
 王。「ああ、わしは眠っていました。たくみな台詞せりふまわしに、つい、うっとりしたのです。ポローニヤス、少し未練がましくないかね。いまさら愚痴を並べてみても、はじまらぬ。おさがりなさい。わしの心は、きまっています。」
 ポロ。「わるいお方だ。王さま、あなたは、わるいお方です。わしは、あなたを憎みます。申しましょうか。あの事を、わしは知らないと思っているのですか。わしは、見たのです。此の眼で、ちゃんと見たのです。二箇月前、あれを、一目ひとめ見たばかりに、それ以来わしは不幸つづきなのだ。王さまは、わしに見られた事に気附いて、それからわしを失脚させようと鵜の目、鷹の目になられたのです。わしは、王さまからきらわれてしまった。そのうち必ず、わしは窮地におとされて、此の王城から追い払われるだろうとわしは覚悟をしていました。ああ、見なければよかった。何も、知らなければよかった。正義! 先刻さっきまでは見せかけだけの正義の士であったが、もういまは、腹の底から、わしは正義のために叫びたくなりました。」
 王。「さがれ! 聞き捨てならぬ事を言う。自分の過失を許してもらいたいばかりに、何やら脅迫がましい事まで口走る。不潔な老いぼれだ。さがれ!」
 ポロ。「いや、さがらぬ。わしは見たのだ。ふたつき前の、あの日、忘れもせぬ、朝は凍えるように寒かったが、ひる少しまえからがさして、ぽかぽか暖くなって先王は、お庭に、お出ましなさったが、その時だ、その時。」
 王。「乱心したな! 処罰は、ただいま与えてやる。」
 ポロ。「処罰、いただきましょう。わしは見たのだ。見たから、処罰をもらうのだ。あ! 畜生! 短剣の処罰とは!」
 王。「ゆるせ。殺すつもりは無かったが、つい、さやが走って、突き刺した。さきほどからの不埒の雑言、これも自分の娘可愛かわいさのあまりに逆上したのだ、不憫ふびんの老人と思いこらえて聞いていたのだが、いよいよ図に乗り、ついには全く気が狂ったか、奇怪な恐ろしい事までわめき散らすので、前後のわきまえも無く短剣引き抜き、突き刺した。ゆるせ。君の言葉も過ぎたのだ。オフィリヤの事なら心配するな。ポローニヤス、わしの言う事が、わかるか。わしの顔が、わかるか。」
 ポロ。「正義のためだ。そうだ、正義のためだ。オフィリヤ、よろいを出してくれ。お父さんは、いけないお父さんだったねえ。」
 王。「涙。わしのような者の眼からでも、こんなに涙が湧いて出る。この涙で、わしの罪障が洗われてしまうとよいのだが。ポローニヤス、君は一体なにを見たのだ。君の疑うのも、無理がないのだ。あっ! 誰だ! そこに立っているのは誰だ! 逃げるな。待て! おお、ガーツルード。」

 

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