記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日刊 太宰治全小説】#132「正義と微笑」四

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【冒頭】

四月五日。水曜日。

大風。けさの豪壮な大風は、都会の人には想像も出来まい。ひどいのだ。ハリケーンと言いたいくらいの凄い西風が、地響き立てて吹きまくる。

【結句】

このごろの兄さんは、とてもこわい。

夜は寝ながら、テアトロを読みちらした。

 

「正義と微笑」について

新潮文庫パンドラの匣』所収。

・昭和17年3月19日に脱稿。

・昭和17年6月10日、書下し中篇小説『正義と微笑』を「新日本文藝」叢書の一冊として錦城出版社から刊行。

パンドラの匣 (新潮文庫)

 

全文掲載(「青空文庫」より)      

 四月五日。水曜日。
 大風。けさの豪壮な大風は、都会の人には想像も出来まい。ひどいのだ。ハリケーンと言いたいくらいのすごい西風が、地響き立てて吹きまくる。それに家の西側の松が、二、三本切られているので、たまらない。ばりばりとの家をたたき割るような勢いであった。とにかくひどい。小気味がいいくらいだ。一歩も外に出られなかった。午後になって、西風が、北東の風に変ったようだ。僕は、午前中は川越さんの犬ころを座敷にあげて遊んでいた。五匹いるのだ。つい先日、生れたばかりなんだそうだ。実に、可愛い。やっぱり風がこわいのか、ぷるぷる震えている。ほおずりしたら、お乳のにおいが、ぷんと来た。どんな香水のにおいより、高貴だ。五匹をみんな、ふところへいれたら、くすぐったくて、僕は思わず「わあっ!」と悲鳴を挙げた。
 兄さんは、午後から机に向って、原稿用紙になにか熱心に書いている。僕はそばに寝そべって、「夜明け前」を少し読んだ。読みにくい文章である。
 風は、夜になって、少しおさまった。けれども、雨戸をさかんに、ゆり動かしている。外は、とてもよい月夜なのに。風よ、どんなに荒く吹いてもいいけど、あの月と星とだけは、吹き流さないでおくれ。兄さんは、夜もずっと執筆を継続。僕は、「夜明け前」を寝床の中でまた少し読みつづける。
 あすは、R大学の発表である。木島さんが電報で、結果を知らせてくれるはずである。ちょっと気になる。


 四月六日。木曜日。
 晴れたり曇ったり。朝、少し雨。海浜の雨は、サイレント映画だ。降っても、なんにも音がせず、しっとりと砂に吸い込まれて行く。風は、すっかりやんでいる。起きて、しばらく雨の庭を眺めて、それから、「ええ、寝ちまえ!」とひとりごとを言って、また蒲団の中に、もぐり込んでしまった。兄さんは、プウシキンのような顔をして、すやすや眠っている。兄さんは御自分の顔の黒いのを、時々自嘲じちょうなさっているが、僕は、兄さんのように浅黒くて陰影の多い顔を好きだ。僕の顔は、ただのっぺりと白くて、それにほっぺたが赤くて、少しも沈鬱ちんうつなところがない。頬ぺたをひるに吸わせると、頬の赤みが取れるそうだが、気味が悪くて、決行する勇気は無い。鼻だって、兄さんのは骨ばって、そうして鼻梁びりょうにあざやかな段がついていて、オリジナリティがあるけれども、僕のは、ただ、こんもりと大きいだけだ。いつか僕が友人の容貌ようぼうの事などを調子づいて話していたら、兄さんが傍から、「お前は美男子だよ。」と突然言って、座を白けさせてしまった事があったけれど、あの時は、うらめしかった。何も僕は、自分だけが美男子で、他のひとは皆、醜男ぶおとこだなんて思ってやしない。とんでもない事である。自分が絶世の美男子だったら、ひとの容貌なんかには、むしろ無関心なものだろうと思う。ひとの醜貌に対しても、すこぶる寛大なものだろうと思う。ところが僕のように、自分の顔がはなはだ気にいらない者には、ひとの容貌まで気になって仕様がないのだ。さぞ憂鬱ゆううつだろうな、と共感を覚えるのである。無関心では居られないのだ。僕の顔など、兄さんにくらべて、百分の一も美しくない。僕の顔には、精神的なものが一つも無いのだ。トマトのようなものだ。兄さんは御自分では、色の黒いのを自嘲してられるが、いまに文筆で有名になったら、小説界随一の美男子だなんて人に言われて、その時は、まごついてしまうに違いない。ちょいとプウシキンに似ていますよ。僕の顔は、百人一首の絵札の中にあります。うつらうつら眠って、いろいろな夢を見た。なんでも上野駅あたりの構内らしかったが、僕は四方を汽車に取りかこまれながら、風呂桶ふろおけのお湯にひたって、きょろきょろしていた。突然、頭上で、ベートーヴェンの第七が落雷のごとく響いた。あわてふためいて僕は立ち上り、裸のままで両手を挙げ、指揮をはじめた。或る時は激しく、或る時は悠然ゆうぜんと大きく、また或る時は全身を柔かにもだえさせて指揮した。交響楽は、ふっと消えた。汽車の乗客たちは汽車の窓々から僕を冷静に見つめている。僕は恥ずかしくなった。全裸で、悶えの指揮の形のまま、僕は風呂桶の中に立っているのだ。なんとも言えない、恥ずかしい形であった。自分で噴き出して、眼が覚めた。短い夢だったが、でも、聞きたいと思っていたベートーヴェンの第七を久し振りで聞く事が出来て、ありがたかった。また、うつらうつら眠ったら、こんどは試験だ。正面に舞台があったりして、いやに立派な試験場だと思ったら、帝大の入学試験だという。けれども、試験官としてやって来たのは、たぬきだったので、いぶかしく思った。受験生も、みんな顔なじみの四年生だ。英語の試験だというのに、問題の紙にはとらの絵がかかれてある。どうしても解けない。たぬきは傍に寄って来て、僕に教えてやろうかと言う。僕は、いやだ、あっちへ行け、と言う。いや教えてやる、と言って、たぬきは、クスクス笑うのである。いやでいやで、たまらなかった。悲劇を書けばいいんだろう、と僕が言ってやったら、たぬきは、いや羽衣はごろもだよ、と言う。へんな事を言うなあと思ったら、ベルが鳴った。僕は、白紙を、たぬきに手渡して廊下に出た。廊下では、みんながやがや騒いでいる。
「明日の試験は何だい?」
「遠足の試験だい。骨が折れるぜ。」
「お菓子に気をつけろってんだ。」
「おれぁ、相撲部じゃねえよ。」これは、木村らしい。
「二十五円の靴だってさ。」
「お酒飲んで、それから紅葉を見に行こうよ。」これも、木村らしかった。
「お酒でたくさんだい。」
「進、パスしたぜ。」これは、お兄さんの現実の声であった。まくらもとに立って、笑っている。「見事合格って、木島から電報が来たぜ。」僕は、一瞬、なんだか、ひどく恥ずかしかった。兄さんから、電報を受け取って見ると、ミゴトゴウカク」バンザイと書かれてあった。いよいよ恥ずかしかった。自分のささやかな成功を、はたから大騒ぎされるのは、理由もなく、恥ずかしいものだ。みんなが僕を笑っているような気さえした。
「木島さんも、おおげさだなあ。バンザイだなんて、ばかにしてるよ。」と言って、僕は蒲団を頭からかぶってしまった。他に、どうにも恰好かっこうがつかなかったのである。
「木島も、しんからうれしかったのだろう。」兄さんは、たしなめるような口調で言っている。「木島にとっては、R大学だって、眼がくらむくらい立派な大学なんだ。また、事実、何大学だって、その内容は同じ様なものだ。」
 知っていますよ、兄さん。僕は、蒲団から顔を出して、思わず、にっこり笑ってしまった。笑った顔は、すでに中学生の笑顔でなかった。蒲団をかぶった中学生が、蒲団からそっと顔を出したら、もはや正真正銘の大学生に変化していたという、それこそ「種も仕掛けも無い」手品。ああ少し、はしゃぎすぎて書いた。恥ずかしい。R大学なんて、なんだい。
 きょうは何だか、どこを歩いてみても、足が地についていない感じだった。ふわふわ雲の上を歩いているような感じだった。兄さんも、「僕もきょうは、そんな感じがするぜ。」と言っていた。夜は、二人で片貝の町へ行ってみて、おどろいた。まるで違っているのだ。昔の片貝の町の姿ではなかった。まさか、僕がけさの夢のつづきを見ているのでもあるまい。町は、見るかげも無く、さびれているのだ。どこもかしこも、まっくらなのだ。そうして、シンと静まりかえっている。人の気配もない。五年ほど前の夏には避暑客でごったかえしていた片貝の銀座も、いまは電燈でんとう一つともっていない。まっくらである。犬の遠吠とおぼえも、へんにすごい。季節のせいばかりでなく、たしかに片貝の町そのものがすたれたのだ。
きつねにだまされているみたいだね。」と僕が言ったら、兄さんは、
「いや、本当にいま、だまされているのかも知れん。どうも変だ。」と真面目まじめに言った。
 昔からの馴染なじみの、撞球どうきゅうじょうにはいってみた。暗い電球が一つともっているだけで、がらんとしている。奥の部屋に、見知らぬばあさんがひとり寝ている。
「突くのけええ、」と、しゃがれた声で言うのである。「突くんだば、ここの押入れん中ん球、取ってくれせええ。」
 僕は逃げようかと思った。けれども兄さんは、のこのこ奥の部屋へはいって行って、婆さんの寝床を踏み越え、押入れをあけ、球を取って来たのには驚いた。兄さんも、たしかにきょうは、どうかしている。一ゲエムだけやろうという事になったが、黒ずんだ羅紗らしゃの上をのろのろ歩く球が、なんだか生き物みたいで薄気味が悪くなって来て、勝負のつかぬうちに、よそうや、よそう、と言って、外に出てしまった。そばやへはいって、ぬるい天ぷらそばを食べながら、
「どうしたんだろう、今夜は。意志と行動が全く離れているみたいだ。僕の頭が、変になっているのかしら。」と僕が言ったら、兄さんは、
「なにせ、進が大学生になったというところあたりから、きょうは、あやしい日だという気がしていたよ。」と、にやにや笑って言った。
「あ、いけねえ!」僕は図星ずぼしをさされたような気がした。
 きょうの怪奇の原因は、片貝の町よりも、やっぱり僕が少しのぼせているところにあったのかも知れない。それにしても、兄さんまで、僕と同じ様に、足が地につかない感じだなんて言って賛成するのは、おかしい。兄さんも僕と同じ様に、うれしく、ぽっとしてしまったのかしら。ばかな兄さんだなあ。これくらいの事で、そんなに興奮して。
 いまに、もっともっと喜ばせてあげよう。きょうは一日、夢を見ているような気持だったが、夢だったら、さめないでおくれ。波の音が耳について、なかなか眠れない。でも、もうこれで、将来のみちが、一すじ、はっきりついた感じだ。神さまにお礼を言おう。


 四月七日。金曜日。
 晴れ。東から弱い風がそよそよ吹いている。もう、東京へ帰りたくなった。九十九里も、少しあきて来た。朝ごはんを食べて、それからすぐに二人で砂浜へ出てゴルフを始めたが、最初の時ほど面白おもしろくなかった。興が乗らない。ゴルフの最中に、別荘の隣りに住んでいる生田繁夫いくたしげおという十八になる中学生が、「こんにちは」と言ってやって来て、こちらが、「こんにちは」と挨拶あいさつを返したらすぐに、「この代数の問題を解いて下さい。」と言ってノオトブックを僕の鼻先に突きつけた。ずいぶん失敬だと思った。この人とは、小さい時分、よく一緒に遊んだものだが、それにしても、久し振りでって挨拶のすむかすまぬかのうちに、「この問題を解いて下さい」は、ずいぶん失敬な事だと思う。なにか僕たちに敵意でも抱いているのではないかとさえ疑われた。皮膚も見違えるほど黒くなって、もうすっかり、浜の青年になっている。
「出来そうもないなあ。」と僕は、ノオトブックの問題を、ろくに見もせずに言ったら、
「だって、あんたは大学へはいったんでしょう?」と詰め寄る。まるで喧嘩けんか口調だ。僕は、とてもいやな気がした。
「どこからお聞きになったのですか?」と兄さんは、おだやかに尋ねた。
「きのう電報が来たそうじゃないですか。」と繁夫さんは意気込んで言う。「川越のおばさんから聞きましたよ。」
「ああ、そうですか。」兄さんは首肯うなずいて、「やっとはいったのです。進は、ろくに受験勉強もしていなかったようですから、あなたにも解けないようなむずかしい問題は、やはり解けないでしょうよ。」と微笑ほほえんで言ったら、繁夫さんはみるみる満面に喜色をたたえて、
「そうでしょうか。僕はまた、四年から大学へはいる程の秀才なら、こんな問題くらいわけなく解けるだろうと思って、お願いに来たんですけど、本当に失礼しました。この因数分解の問題は、なかなかむずかしいんですよ。僕も来年、高等師範へ受けてみようと思っているんです。僕は秀才でないから五年から受けます。はははは。」と、とても空虚な浅間しい笑いかたをして帰って行った。馬鹿なやつだ! 環境がこの人を、こんなに、ねじけさせてしまったのかも知れないが、でも、こんな馬鹿がいるために世の中がどんなに無意味に暗くなる事か。いちいち僕に、張り合って、けちをつけなくたっていいじゃないか。R大学へはいったからって、僕には、これぼっちもおごった気持は無いんだし、ひとを軽蔑けいべつするなんて、思いも及ばぬ事なのだ。兄さんも、繁夫さんの意気揚々たるうしろ姿を見送って、
「あんな人もいるからなあ。」とつぶやいて、溜息ためいきをついた。
 僕たちは、すっかりしょげてしまって、なんだか、こんなところで、のんきに遊んでいるのは、ひどく悪い事のような気もして来て、
「狐には穴あり、鳥にはねぐら、か。」と僕が言ったら、兄さんは、
よ! 新郎はなむこをとらるる日きたらん。」と言って笑った。こんな会話も、繁夫さんたちが聞いたら、さぞ鼻持ならない、気障きざったらしいもののような気がするのだろう。そんなら僕たちは、どうすればいいのだ。僕たちは、ちっとも思い上ってなんかいないのだ。いつでも、とても遠慮をしているのに。ああ、東京へ帰りたい。田舎は、とてもむずかしい。ゴルフをつづける気力も無く、僕たちは悲しい冗談を言い合いながら、家へ帰った。
 お昼には、また一つ失敗した。これは大きな失敗だった。しかも、それは、一から十まで僕ひとりが悪かったのだから、たまらない。
 お昼ごはんをすましてから、僕は兄さんをお庭にひっぱり出して、写真をとってあげていたら、垣根かきねの外で石塚いしづかのおじいさんの孫が二人、こそこそ話合っているのが聞えた。
「おらも、三つの時、写真とってもらっただ。」男の子が得意そうに言う。
「三つん時?」妹の声である。
「そうだだ。おらは帽子かぶってとっただ。だけんど、おらは覚えてねえだ。」
 兄さんも僕も噴き出した。
「遊びにいらっしゃい。」と兄さんは大きい声で言った。「写真をとってあげますよ。」
 垣根の外は、しんとなった。石塚のおじいさんは、昔この別荘の留守番をしてくれていた人で、いまもやはりの辺に住んでいるのである。お孫さんは、上の男の子が十くらい、下の女の子が、七つくらい。やがて二人は、顔を真赤にして、ちょこちょこと庭へはいって来て、すぐに立ちどまり、二人とも、いよいよ顔を燃えるように赤くしてはにかみ、一歩も前にすすまない。その、もじもじしている様は、とても上品で感じがよかった。
「こっちへいらっしゃい。」と兄さんが手招きして、それから、ああ、僕は実にまずい事を言ってしまった。
「お菓子をあげるぜ。」
 女の子は、ふっと顔をあげて、それからくるりと背を向け、ぱたぱたと逃げた。男の子は、女の子ほど敏感でないらしく、ちょっとまごついていたが、これもすぐ女の子の後を追って逃げてしまった。
「だしぬけに、お菓子をあげるなんて言ったら、子供だって侮辱を感ずるよ。そんな気で来たんじゃないというプライドが、あるんだよ。」兄さんは、残念そうな顔をして言った。「ばかだなあ。これだから、繁夫さんにも反感を持たれるんだよ。」
 一言の弁解も出来なかった。やはり僕には、どこかに思い上った気持があるのだろう。くだらないおっちょこちょいだよ、僕は。
 どうも田舎はいけない。つまずいてばかりいる。暗い気持である。よっぽど、石塚のおじいさんのところへ行って、あの小さい兄妹きょうだいにおびをして来ようと思ったけれど、やはり行けなかった。大袈裟おおげさのような気がして、恥ずかしく、どうしても行けなかった。
 あすは東京へ帰ろうと思う。兄さんに相談したら、兄さんも、そろそろ帰りたいと思っていたところだ、と言って賛成してくれた。
 夕方、風呂からあがって鏡を見たら、鼻頭が真赤に日焼けして、漫画のようであった。まぶたが二重になったり三重になったり一重になったり、パチクリする度毎たびごとに変る。眼が落ちくぼんだのかも知れない。運動しすぎて、かえってせたのだ。ひどく損をしたような気がした。早く東京へ帰りたい。僕は、やっぱり都会の子だ。


 四月八日。土曜日。
 九十九里は晴れ、東京は雨。家へ着いたのは、午後七時半ごろだった。姉さんが来ていた。へんな気がした。「ついさっき、ちょっと遊びに来たの。」と姉さんは澄まして言っていたが、後で木島さんは、うっかり、おとといの晩から来ているのだという事を僕たちにもらしてしまった。姉さんは、どうしてそんな不必要なうそをつくのだろう。何かあるのかも知れない。とにかく疲れて、僕たちは風呂へはいって、すぐに寝た。


 四月九日。日曜日。
 曇天。午後一時に起きた。やはり自宅は、ぐっすり眠れる。蒲団ふとんのせいかも知れない。兄さんは、僕よりずっと早く起きたようだ。そうして姉さんと、何か言い争いをしたらしい。姉さんも、兄さんも、互いにツンとしている。何かあったのに違いない。そのうち、真相が、わかるだろう。姉さんは、僕にもろくに話掛けずに、夕方、下谷したやへ帰って行った。
 夜、兄さんは僕を連れて、神田かんだへ行き、大学の制帽と靴とを買ってくれた。僕はその帽子を、かぶって帰った。帰りのバスの中で、
「姉さんどうしたの?」と僕が聞いたら、兄さんは、ちえっと舌打ちして、
「馬鹿な事を言うんだ。馬鹿だよ、あれは。」と言って、それっきり黙ってしまった。それこそ、苦虫にがむしみつぶしたような顔をしていた。ひどく怒っているようだ。
 何かあったに違いない。けれども僕は、なんにも知らないから、口を出す事も出来ない。当分、傍観していよう。
 あすは洋服屋が、洋服の寸法をとりにやって来る筈だ。兄さんは、レインコートも買ってくれると言っていた。だんだん、名実ともに大学生らしくなって行くのだ。流れる水よ。R大学にパスして、やっぱりよかったなあ、と今夜しみじみ思った。も少しったら、演劇の勉強も本格的にはじめるつもりだ。兄さんは、まず、演劇のいい先生に紹介してあげると言っている。斎藤さいとう氏の事かも知れない。斎藤市蔵氏の作品は、日本ではもう古典のようになっていて、僕なんか批評する資格もないが、内容が、ちょっと常識的なところがあって物足りない。けれども、スケエルは大きいし、先生とするには、あんな人が一ばんいいのかも知れない。
 兄さんは、芸術の道はむずかしいと言っている。けれども、勉強だ。勉強さえして置けば、不安は無い。やってみたいと思う道を、こうしてやってゆけるようになったのも、兄さんのおかげだ。一生涯いっしょうがい、助け合って努めて、そうして成功しよう。お母さんだって、いつも、「兄弟仲良く」とおっしゃっているのだ。お母さんも、きっと喜んでくれるだろう。
 兄さんは、さっきからお母さんの部屋で、何か話込んでいる。ずいぶん永い。いよいよ、何かあったのに違いない。じれったい。


 四月十日。月曜日。
 晴れ。学校から正式の合格通知が来る。始業式は二十日である。それまでに洋服が間に合えばいいが。きょう洋服屋さんが、寸法をとりに来た。流行の型でなく、保守的な型のを註文ちゅうもんした。流行型の学生服を着て歩くと、頭が悪いように見えるからいけない。じみな型の洋服を着て歩くと、とても、秀才らしく見えるものだ。兄さんも、なんでもない普通の型の学生服を着ていた。そうして、とても秀才らしく見えた。
 夕方、よしちゃんが遊びに来た。商大生、慶ちゃんの妹である。まだ女学生であるが、生意気である。
「R大にはいったんだって? よせばいいのに。」ひどい挨拶である。
「商大はいいからねえ。」と言ってやったら、あんなのもつまらない、と言う。何がいいのかと聞いたら、中学生は、可愛くって一ばんいいと言う。話にならない。
 梅やに、スカートのほころびを縫わせて、縫いあがったら、さっさと帰って行った。また洋服の事だが、女学生の制服ってどうしてあんなに野暮臭く、そうして薄汚いのだろう。も少し、小ざっぱりした身なりが出来ないものか。みちを歩いても、ひとりとして、これは! と思うようなものが無いではないか。みんな、どぶねずみみたいだ。服装があんな工合ぐあいだから、心までどぶ鼠のように、チョロチョロしている。どだい、男子を尊敬する気持が全然、欠如しているのだから驚く。
 きょうは兄さん、午後からお出掛け。いまは夜の十時だが、まだ帰らぬ。事件の輪郭がほぼ、ぼくにもわかって来た。


 四月二十四日。月曜日。
 晴れ。われ、大学に幻滅せり。始業式の日から、もう、いやになっていたのだ。中学校と少しもかわらぬ。期待していた宗教的な清潔な雰囲気ふんいきなどは、どこにも無い。クラスには七十人くらいの学生がいて、みんな二十歳前後の青年らしいのに、智能ちのうの点に於ては、ヨダレクリ坊主ぼうずのようである。ただもう、きゃあきゃあ騒いでいる。白痴ではないかと疑われるくらいである。僕のほうの中学からは、赤沢がひとり来ているだけだが、赤沢は、五年からはいって来た人だから、僕とはそんなに親しくはない。ちょと目礼を交すくらいのところである。だから僕は、クラスに於ては、全くの孤立である。白痴五十人、点取虫十人、オポチュニスト五人、暴力派五人、と僕は始業式の時に、早くもクラスの学生を分類してしまったのである。この分類は正確なところだと思う。僕の観察には、万々ばんばんあやまりは無いつもりである。天才的な人間は、ひとりも見当らない。実に、がっかりした。これでは僕が、クラス一番の人物ということになるようだ。張り合いの無い事おびただしい。共に語り、共にはげまし合う事の出来る秀抜のライバルが、うようよいるかと思ったら、これではまるで、また中学校の一年へ改めてはいり直したようなものだ。ハーモニカなどを教室へ持って来る学生なんかあるのだから、やり切れない。二十日、二十一、二十二と、三日みっか学校へかよったら、もういやになった。学校をよして、早くどこかの劇団へでもはいって、きびしい本格的な修業にとりかかりたいと思った。学校なんて、全然むだなもののような気がした。きのうは一日、家にいて「綴方つづりかた教室」を読了し、いろいろ考えて夜もなかなか眠られなかった。「綴方教室」の作者は、僕と同じとしなのだ。僕もまったく、愚図愚図ぐずぐずしては居られないと思ったのだ。貧乏で、そうして、ちっとも教育の無い少女でも、これだけの仕事が出来るのだ。芸術家にとって、めぐまれた環境というのは、かえって不幸な事ではあるまいか、と思った。僕も早く、現在の環境からけ出して、劇団のまずしい一研究生として何もかも忘れて演劇ひとつに打ち込んでみたいと思った。朝の四時過ぎに、やっと、うとうと眠って、けさの七時に目ざまし時計におどろかされて、起きたら、くらくら目まいがした。それでも、つらい義務で、学校まで重い足を運ぶ。
 あまり校舎が静かなので、はてな? と思って事務所へ行ったら、ここにも人の気配が無い。ハッと気附きづいた。きょうは靖国やすくに神社の大祭で学校は休みなのだ。孤立派の失敗である。きょうが休みだと知っていたら、ゆうべだって、もっと楽しかったであろうに。馬鹿馬鹿しい。
 でも、きょうはいい天気だった。帰りには、高田馬場たかだのばばの吉田書店に寄って、ゆっくり古本をあさった。時々、目まいが起る。テアトロ数冊、コクランの「俳優芸術論」タイロフの「解放された演劇」、それだけ選び出して、包んでもらう。どうも、目まいがする。まっすぐに家へ帰り、すぐに寝た。熱も少しあるようだ。寝ながら、きょう買って来た本の目次などを見る。演劇の本は、本屋にもあまりないので、困っている。洋書だったら、兄さんが演劇に関するものも少し持っているようだが、僕にはまだ読めない。外国語を、これから充分にマスターしなければならぬ。語学が完全でないと、どうも不便だ。
 一眠りして、起きたのは午後三時。梅やにおむすびを作ってもらって、ひとりで食べた。けれども、一つ食べたら、胸が悪くなって、へんな悪寒おかんがして来て、また蒲団にもぐり込む。杉野さんが、心配して熱を計ってくれた。七度八分。香川先生に来ていただきましょうか、という。要らない、と断る。香川さんというのは、母の主治医である。幇間ほうかん的なところがあって、気にいらない。杉野さんから、アスピリンをもらってのむ。うつらうつらしていたら、ひどく汗が出て、気持もさっぱりして来た。もう大丈夫だと思う。兄さんは、朝から、れいの事件で下谷へ行ったそうで、まだ帰らない。簡単には、治まらなくなったらしい。兄さんがいないと、なんだか心細い。また、杉野さんに熱を計ってもらったら、六度九分。勇気を出して寝床に腹這はらばいになって、日記をつける。われ、大学に幻滅せり。どうしてもそれを書きたかったのだ。腕がだるい。いまは夜の八時である。頭がハッキリしていて、眠れそうもない。


 四月二十五日。火曜日。
 晴れ。風強し。きょうは学校を休む。兄さんも、休んだほうがいいと言う。熱はもう何も無いので、寝たり起きたり。
 事件というのは、姉さんが鈴岡すずおかさんと別れたいと言い出した事である。直接の原因は、何も無いようだ。ただ、いやだというのだ。いやだという事こそ、最も重大な原因だと言って言えない事もないだろうけど、具体的に、これという原因はないらしい。それだから、兄さんは、とても怒ったのである。姉さんを、わがままだと言って、怒ったのである。鈴岡さんに、すまないというのであろう。鈴岡さんの方では、別れる気なんか、ちっとも無い。とても姉さんを気にいっているらしい。けれども姉さんは、理由もなく、鈴岡さんをきらってしまったのだ。僕だって、鈴岡さんを好きではないけど、でも、姉さんも、こんどは少しわがままだったのではないか、と僕も思う。兄さんの怒るのも、無理がないような気がする。姉さんはいま、目黒のチョッピリ女史のところにいる。麹町こうじまちの家には来てもらいたくないと、兄さんがはっきり断った様子である。そうしたら、すぐに荷物を持って、チョッピリ女史のところへ行き、落ちついてしまったのである。どうも、こんどの事件には、チョッピリ叔母さんが陰で糸をひいているように、僕には、思われてならない。鈴岡さんは、ひどく当惑しているらしい。兄さんも、さすがに苦笑して話していたが、鈴岡さんは部屋を掃除し、俊雄君は、ごはんをいて、その有様は、とても深刻で、気の毒なのだけれど、どうも異様で、つい噴き出したくなる程だそうだ。それはそうだろうと思う。柔道四段が尻端折しりはしょりして障子にはたきをかけ、俊雄君は、あの珍らしい顔を、さびしそうにしかめて、おさかなを焼いている図は、わるいけど、想像してさえ相当のものである。気の毒だ。姉さんは帰ってやらなければならぬ。何も原因は無い、という事だが、あるいは何か具体的な重大な原因があるのかも知れぬ。そんなら、みんなでその原因を検討し、改めるべきは改めて、円満解決を計ったらいいのだ。どうも、誰も僕に相談してくれないので、実に、じれったい。事の真相さえ、僕には何も報告されていないのだ。僕はの事件に就いては、しばらく傍観者の立場をとり、内々、真相をスパイするように努めようと思う。僕の考えでは、どうも、チョッピリ女史が、くさい。かれを折檻せっかんしたら、事の真相を白状するかも知れぬ。そのうち一度、チョッピリ女史のところへ、何くわぬ顔をして偵察ていさつに行ってみよう。かれは自分が独身者なもんだから、姉さんをもそそのかして、何とかして同じ独身者にしようと企てているのに違いない。鈴岡さんだって、悪い人じゃないようだし、姉さんだって立派な精神の持主だ。かならず、悪い第三者がいるに相違ない。とにかく事の真相を、もっとはっきり内偵しなければならぬ。お母さんは、断然、姉さんの味方らしい。やっぱり姉さんを、いつまでも自分のそばに置きたいらしい。此の事件は、まだ、他の親戚しんせきの者には知られていないようだが、いまのところでは、姉さんの味方は、お母さんに、チョッピリ女史。鈴岡さんの味方は、兄さんひとり。兄さんは、孤軍奮闘の形だ。兄さんは、このごろ、とても機嫌きげんが悪い。夜おそく、ひどく酔っぱらって帰宅した事も、二三度あった。兄さんは、姉さんよりとしが一つ下である。だから、姉さんも、兄さんの言う事を、一から十までは聞かない。兄さんは、でも、今は戸主だし、姉さんに命令する権利はあるわけだ。その辺が、むずかしいところだ。兄さんも、こんどの事件では、相当強硬に頑張がんばっているらしい。姉さんも、なかなか折れて出そうもない。チョッピリ女史が傍に控えているんじゃ、だめだ。とにかく僕も、も少し内偵の度を、すすめてみなければいけない。いったい、どういう事になっているんだか。
 きょうは兄さんにしかられた。晩ごはんの後で僕は、何気なさそうな、軽い口調で、
「去年の今頃いまごろだったねえ、姉さんが行ったのは。あれからもう一年か。」とつぶやき、何か兄さんから事件の情報を得ようと、たくらんだが、見破られた。
「一年でも一箇月でも、いったんお嫁に行った者が、理由もなく帰るなんて法はないんだ。進は、妙に興味を持ってるらしいじゃないか。高邁こうまいな芸術家らしくもないぜ。」
 ぎゃふんと参った。けれども僕は、下劣な好奇心から、この問題をスパイしているのではないのだ。一家の平和を願っているからだ。また、兄さんの苦しみを見るに見かねて、手助けしようと思っているからだ。でも、そんな事を言い出すと、こんどは、生意気言うな! と怒鳴られそうだから、だまっていた。このごろの兄さんは、とてもこわい。
 夜は寝ながら、テアトロを読みちらした。

 

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