【冒頭】
四月二十六日。水曜日。
晴れ。夕刻より小雨。学校へ行ったら、きのうもやはり、靖国神社の大祭で休みだったという事を聞いて、なあんだと思った。つまり、きのうと、おとといと二日つづいて休みだったのだ。そうと知ったら、もっと安心して、らくらくと寝ていたものを。
【結句】
ずいぶん、サッパリした気持である。ことしの春は、一生涯、あざやかな思い出となって残るような気がする。
「正義と微笑」について
・昭和17年3月19日に脱稿。
・昭和17年6月10日、書下し中篇小説『正義と微笑』を「新日本文藝」叢書の一冊として錦城出版社から刊行。
全文掲載(「青空文庫」より)
四月二十六日。水曜日。
晴れ。夕刻より小雨。学校へ行ったら、きのうもやはり、靖国神社の大祭で休みだったという事を聞いて、なあんだと思った。つまり、きのうと、おとといと二日つづいて休みだったのだ。そうと知ったら、もっと安心して、らくらくと寝ていたものを。どうも、孤立派は、こんな時、損をするようだ。でもまあ、当分は、孤立派で行こう。兄さんも、大学では孤立派だったらしい。ほとんど友人がない。島村さんと、小早川さんが、たまに遊びに来るくらいのものだ。理想の高い人物は、どうしても一時、孤立せざるを得ない工合になってしまうものらしい。淋しいから、不便だからと言って、世の俗悪に負けてはならぬ。
きょうの漢文の講義は少し
昼休みの時間に、僕は教室にひとり残って、
「
「芹川は、僕ですけど。」と僕は、顔をしかめて答えたら、
「なんだ、そうか。しっけい、しっけい。」と言って頭を
僕は校庭に連れ出された。桜並木の下で、本科の学生が五、六人、立ったりしゃがんだり、けれども一様に
「これが、その、芹川進だ。」れいの、あわて者が笑いながらそう言って、僕を皆の前へ押し出した。
「そうか。」ひどく
「え、よしたんです。」僕は、ちょっとお
「考え直してみないかね?」やはり、にこりともせず、僕の眼をまっすぐに見ながら問いかける。
「惜しいじゃないか。」傍から、別の本科生も言葉を添えて、「中学時代に、あんなに鳴らしていたのにさ。」
「僕は、――」はっきり言おうと思った。「雑誌部へなら、はいってもいいと思ってるんですけど。」
「文学か!」誰かが低く、けれども、あきらかに
「だめか。」額の広い学生は、
僕は、ひどく、つらかった。よっぽど、蹴球部にはいろうかと思った。けれども、大学の蹴球部は中学校のそれよりも更に猛烈な練習があるだろうし、それではとても演劇の勉強などは出来そうもないから、心を鬼にして答えた。
「だめなんです。」
「いやに、はっきりしていやがる。」誰かが、また嘲笑を含めて言った。
「いや、」と額の広い学生は、その嘲笑の声をたしなめるように、うしろを振り向いて、「無理にひっぱったって仕様がねえ。なんでも好きな事を、一生懸命にやったほうがいいんだ。芹川は、からだを悪くしているらしい。」
「からだは丈夫です。」僕は、図に乗って抗弁した。「いまは、ちょっと風邪気味なんですけど。」
「そうか。」その重厚な学生も、はじめて少し笑った。「ひょうきんな
「ありがとう。」
やっとのがれる事が出来たが、あの、額の広い学生の人格には感心した。キャプテンかも知れない。R大の蹴球部のキャプテンは、去年は、たしか太田という人だったと記憶しているが、あの額の広い学生は、あるいは、あの有名なキャプテン太田なのかも知れない。太田でないにしても、とにかく、大学の運動部のキャプテンともなるほどの男は、どこか人間として立派なところがある。
きのうまでは、大学に全然絶望していたのだが、きょうは、漢文の講義と言い、あのキャプテンの態度と言い、ちょっと大学を見直した。
さて、それから、きょうは大変な事があったのだけれど、その大活躍のために、いまは、とても疲れて、くわしく書く事が出来ない。実に、痛快であった。明日、ゆっくり書こう。
四月二十七日。木曜日。
雨。一日、雨が降っている。朝は猛烈な雷。きのうは、あんまり活躍したので、けさになっても、疲れがぬけず、起きるのが
それから、きょうの聖書の講義で、感心した事なども書いて置きたいのだけれど、それはまた、後に書く機会もあろう。きょうは、とにかく、きのうの出来事を忘れぬうちに書いて置かなければならぬ。なにしろ、たいへんだったのだ。
きのう学校からの帰り道、ふと目黒のチョッピリ叔母さんのところへ寄って行こうかと思って、そう思ったら、どうしてもきょう行かなければいけないような気がして来て、午後からはお天気も悪くなって雨が降り出しそうだったのだが、ほとんど夢中で目黒まで行ってしまった。チョッピリ女史は在宅だった。姉さんもいた。姉さんは、ちょっと
「あら、坊やは少し
「あ、坊やは、よしてくれ。いつまでも坊やじゃねえんだ。」と僕は、姉さんの前に、あぐらをかいて言った。
「まあ。」と姉さんは眼を見はった。
「痩せる
「なんです、その口のききかたは!」叔母さんは顔をしかめた。「すっかり、不良になっちゃったのね。」
「不良にもなるさ。兄さんだって、このごろは、毎晩お酒を飲んで帰るんだ。兄弟そろって不良になってやるんだ。お茶をくれ。」
「進ちゃん。」姉さんは、あらたまった顔つきになり、「兄さんは、お前に何か言ったの?」
「何も言やしねえ。」
「お前が大病したって本当?」
「ああ、ちょっとね。心配のあまり熱が出たんだ。」
「兄さんが、毎晩お酒を飲んで帰るって、本当?」
「そうさ。兄さんも、すっかり人が変ったぜ。」
姉さんは、顔をそむけた。泣いたのだ。僕も泣きたくなったが、ここぞと
「叔母さん、お茶をくれよ。」
「はい、はい。」チョッピリ女史は、ひとを馬鹿にし切ったような返事をして、お茶をいれながら、「どうにか大学へはいって、やれ一安心と思うと、すぐにこんな、不良の
「不良? 僕はいつ不良になったんだい? 叔母さんこそ不良じゃないか。なんだい、チョッピリ女史のくせに。」
「ま、なんという事です。」叔母さんは、本当に怒った。「私にまで、あくたれ口をきいて。ごらん! 姉さんが泣いちゃったじゃないの。私は知っているんですよ。兄さんにけしかけられて、子供のくせに、あばれ込んで来たつもりなんだろうけど、みっともない、楽屋がちゃんと知れていますよ。いったい、チョッピリ女史なんて、なんの事です。少し、言葉をつつしみなさい。」
「チョッピリ女史ってのはね、叔母さんの綽名だよ。僕のうちじゃそう呼ぶ事にしているんだ。知らなかったのかい? それじゃ、お茶をチョッピリいただきますよ。」お茶を、がぶがぶ飲んで、僕は横目で姉さんを見た。うつむいている。あわれだった。何もかも叔母さんが悪いのだと、僕は、いよいよ叔母さんを憎む気持が強くなった。
「
「兄さんの悪口は言わないで下さい。」僕も本気に怒ってしまった。「叔母さんこそ、言葉をつつしんだらどうですか。僕は何も、兄さんにけしかけられて、ここへ来たんじゃないよ。子供、子供って、甘く見ちゃ困るね。僕にだって、いい人と悪い人の見わけはつくんだ。僕はきょう叔母さんと、
「さ、お菓子は、どう?」叔母さんは
「カステラ? いただきます。」僕は、むしゃむしゃたべた。「おいしいね。叔母さん、怒っちゃいけない。お茶をもう一ぱいおくれ。叔母さん、僕はこんどの事に就いては、なんにも知っちゃいないんだけど、だけど、姉さんの気持も、わかるような気がするよ。」ちょっと軟化したみたいな振りをして見せた。
「何を言うことやら。」叔母さんは、せせら笑った。けれども、少し
「さ、どうかな? でも、はっきりした原因は、きっとあるに相違ない。」
「それぁね、」と乗り出して、「お前みたいな子供に言ったって仕様がないけど、アリもアリも
「いいじゃないか、そんな事は。」さすがに少し、うるさくなって来た。
「いいえ、よかないよ。
「脱線してるよ、叔母さん。」僕は笑っちゃった。
「もういいわよ。」姉さんも、笑い出した。「そんな事より、ねえ、進ちゃん? お前も兄さんも、下谷の家を、とってもきらっているんでしょう? 俊雄さんの事なんか、お前たちは、もう、てんで馬鹿にして、――」
「そんな事はない。」僕は
「だって、ことしのお正月にも、来てくれなかったし、お前たちばかりでなく、
なるほど、そんな事もあるのか、と僕は思わず長大息を発した。
「ことしのお正月なんか、進ちゃんの来るのを、とっても楽しみにして待っていたのよ。鈴岡も、進ちゃんを、しんから
「腹が痛かったんだ、腹が。」しどろもどろになった。あんな事でも、姉さんの身にとっては、ずいぶん手痛い打撃なんだろうな、とはじめて
「それぁ、行かないのが当り前さ。」叔母さんは、こんどは僕の味方をした。
「いけませんでした。」姉さんは、落ちついて言った。「鈴岡も、書生流というのか、なんというのか、麹町や目黒にだけでなく、ご自分の親戚のおかた達にも、まるでもう、ごぶさただらけなんです。私が何か言うと、親戚は
「それでいいじゃないか。」僕は、鈴岡さんをちょっと好きになった。「まったく、肉親の者にまで、他人行儀のめんどうくさい
「そう思う?」姉さんは、うれしそうな顔をした。
「そうさ。心配しなくていいぜ。このごろ兄さんと毎晩おそくまでお酒を飲み歩いている相手は誰だか知ってるかい? 鈴岡さんだよ。大いに共鳴しているらしい。しょっちゅう、鈴岡さんから電話が来るんだ。」
「ほんとう?」姉さんは眼を大きくして僕を見つめた。その眼は歓喜に輝いていた。
「当り前じゃないか。」僕は図に乗って言った。「鈴岡さんはね、毎朝、
「あらためます。」姉さんは浮き浮きしている。「だって鈴岡がそう言うもんだから、私までつい口癖になって。」僕には、おのろけのように聞えた。けれども、それをひやかすのは下品な事だ。
「僕も悪かったし、兄さんだって、うっかりしてたところがあったんだ。叔母さん、ごめんね。さっきはあんな乱暴な事ばかり言って。」と叔母さんの御機嫌もとって置いた。
「それぁ私だって、まるくおさまったら、これに越した事は、ないと思っていたさ。」叔母さんも、さすがに機を見るに
「あらためます。」
僕は、いい気持だった。叔母さんのところで夕ごはんをごちそうになって、家へ帰った。
その夜ほど、兄さんの帰宅を待ちこがれた事が無い。お母さんは、僕が目黒の家で晩ごはんをたべて来たという事を聞いて、やたらに姉さんの様子を知りたがり、何かとうるさく問い掛けるのであるが、僕は、教えるのが、なんだか惜しくて、要領を得ないような事ばかり言って、あとで兄さんからお聞きなさいよ、僕には、よくわからないんだもの、とごまかして、お母さんの部屋から逃げ出してしまった。
十一時ごろ、兄さんは、ひどく酔っぱらって帰って来た。僕は、兄さんの部屋へついて行って、
「兄さん、お水を持って来てあげようか。」
「要らねえよ。」
「兄さん、ネクタイをほどいてあげようか。」
「要らねえよ。」
「兄さん、ズボンを
「うるせえな。早く寝ろ。風邪は、もういいのか。」
「風邪なんて、忘れちゃったよ。僕は、きょう目黒へ行って来たんだよ。」
「学校を、さぼったな。」
「学校の帰りに寄って来たんだよ。姉さんがね、兄さんによろしくって言ってたぜ。」
「聞く耳は持たん、と言ってやれ。進も、いい加減に、あの姉さんをあきらめたほうがいいぜ。よその人だ。」
「姉さんは、僕たちの事を、とっても思っているんだねえ。ほろりとしちゃった。」
「何を言ってやがる。早く寝ろ。そんなつまらぬ事に関心を持っているようでは、とても日本一の俳優にはなれやしない。このごろ、さっぱり勉強もしていないようじゃないか。兄さんには、なんでもよくわかっているんだぜ。」
「兄さんだって、ちっとも勉強してないじゃないか。毎日、お酒ばかり飲んで。」
「生意気言うな、生意気を。鈴岡さんにすまないと思うから、――」
「だから、鈴岡さんをよろこばせてあげたらいいじゃないか。姉さんは、鈴岡さんを、ちっともきらいじゃないんだとさ。」
「お前には、そう言うんだよ。進も、とうとう買収されたな。」
「カステラなんかで買収されてたまるもんか。チョッピリ、いや、叔母さんがいけないんだよ。叔母さんが、けしかけたんだ。財産を知らせないとか何とか下品な事を言っていたぜ。でも、そいつは重大じゃないんだ。本当は、僕たちが、いけなかったんだ。」
「なぜだ。どこがいけないんだ。僕は、失敬して寝るぜ。」兄さんは、寝巻に着換えて、
「兄さん。姉さんが泣いていたぜ。兄さんが、毎晩そとへ出てお酒を飲んで夜おそくまで帰って来ないと言ったら、姉さんは、めそめそ泣いたぜ。」
「それあぁ泣くわけだ。自分でわがままを言って、みんなを苦しめているんだから。進、そこから
「そうしてね、進も兄さんも、下谷の家が大きらいなんだろう? って言ってたぜ。」
「へえ? 妙な事を言いやがる。」
「だって、そうだったじゃないか。いまは違うけど、前は、兄さんだって下谷の家へ、ちっとも遊びに行かなかったじゃないか。」
「お前も行かなかったぞ。」
「そう、僕も悪かったんだ。なにせ、柔道四段だっていうんで、こわくってね。」
「俊雄君の事も、お前はひどく
「軽蔑ってわけじゃないけど、なんだか、
「ばか。」兄さんは、笑った。「鈴岡さんも俊雄君も、とてもいい人だよ。やっぱり、苦労して来た人たちは、違うね。以前だって、悪い人だとは思っていなかったけど、また、悪い人だと思ったら姉さんをお嫁になんかやりゃしないんだけど、あんなにいい人だとは思わなかった。こんど、つくづくそう思った。姉さんには、鈴岡さんのよさが、まだよくわかっていないんだ。なんだい、僕たちが遊びに行かないから鈴岡さんと、わかれるって言うのかい? ちっとも、なってないじゃないか。それが、わがままというものなんだ。十九や
「それぁ、姉さんにだって、鈴岡さんのよさくらい、ちゃんとわかっているんだ。」僕は必死であった。「その鈴岡さんと、僕たちと、どうも気が合わないらしいというので、姉さんは考えてしまったんだ。姉さんは、とても兄さんや僕の事を大事にしているんだぜ。僕たちも、いけなかったんだよ。よそへ嫁にやったから、他人だなんて、そんな事は無いと思うよ。」
「じゃいったい、僕にどうしろっていうんだ。」兄さんも真剣になって来た。
「別に、どうしなくても、いいんだ。姉さんは、もう大喜びだよ。兄さんと鈴岡さんが、このごろ毎晩お酒を飲んで共鳴してるって僕が言ったら、姉さんは、ほんと? と言ってその時の
「そうか。」
兄さんを下谷へ送り出してから、僕は落ちついてその日の日記にとりかかったが、さすがに疲れて、中途でよして寝てしまった。兄さんは、下谷の家へ泊った。
きょう、学校から帰って来ると、兄さんは、にやにや笑いながら、なんにも言わずお母さんの部屋に連れて行った。
お母さんの
「進ちゃん!」と言って、姉さんが泣いた。姉さんは、お嫁に行く朝にも、こんなふうに僕の名を呼んで泣いた。
兄さんは、廊下に立って渋く笑っていた。僕は、少し泣いた。お母さんは寝たままで、
「きょうだい仲良く、――」を、また言った。
神さま、僕たち一家をまもって下さい。僕は勉強します。
あしたは、姉さんの結婚満一周年記念日だそうだ。兄さんと相談して、何か贈り物をしようと思う。
四月二十八日。金曜日。
晴れ。よく考えてみると、いやしくも男子たるものが、たかが一家内のいざこざの
けさ、大学の正門前でバスから降りた、とたんに、こないだの蹴球部の本科生と逢った。あの日、僕を捜しに教室へやって来た
「おはようございます。」と
朝から、もういい加減に腐っていたら、午後になって僕が教練に出ようとして、ふと、ゲエトルを忘れて来たのに気附いて、あわてて隣りのクラスに行き、一時間だけ貸してくれるように、三人の学生にたのんだけれど、どの学生も、へんに、にやにや笑って、そうして返事さえしない。僕は、ぎょっとした。貸すのは、いやだとか困るとか、そんなはっきりした気持でもないらしい。ただ、そんな法はないよ、というような、白痴的な利己主義らしい。困っている人に貸すという経験が、生れた時から一度もなかったようなふうである。そんな人には、いくらたのんだって、
あの蹴球部の本科生と言い、けさの教室の、あさましい馬鹿騒ぎと言い、となりのクラスの学生たちと言い、実に見事なものだ。きょうは僕は、ずたずたに切られた。でも、「まあ、いい」と僕は思っている。僕には、僕の道があるのだ。それを、まっすぐに追究して行けばいいのだ。
僕は、今夜、兄さんにお願いした。
「もう学校の様子も、だいたいわかったから、そろそろ本格的に演劇の勉強をはじめたいと思っているんだけど、兄さん、早くいい先生のところへ連れて行ってね。」
「今夜は、ひどく
あすは天長節である。何か、僕の前途が祝福されているような気がした。津田さんというのは、兄さんの高等学校時代の
夜はおそくまで、部屋の
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