記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日刊 太宰治全小説】#57「火の鳥」⑧(『愛と美について』)

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【冒頭】

高野さちよは、そのひとつきほどまえ、三木と同棲をはじめていた。数枝いいひと、死んでも忘れない、働かなければ、あたし、死ぬる、なんにも言えない、鷗(かもめ)は、あれは、唖(おし)の鳥です、とやや錯乱に似た言葉を書き残して、八重田和枝のアパアトから姿を消した。

【結句】

芝居がはじまって、この二、三日、何かと気がもめて、きょうはホオルを休んで楽屋に来ている。

 

火の鳥」について

新潮文庫新樹の言葉』所収。

・昭和13年11月末から12月初めまでの間頃に中絶。

・昭和14年5月20日、書下ろし短篇集『愛と美について』収載。

新樹の言葉 (新潮文庫)

  

 全文掲載(「青空文庫」より)

         *

 高野さちよは、そのひとつきほどまえ、三木と同棲をはじめていた。数枝いいひと、死んでも忘れない、働かなければ、あたし、死ぬる、なんにも言えない、かもめは、あれは、おしの鳥です、とやや錯乱に似た言葉を書き残して、八重田数枝のアパアトから姿を消した。淀橋の三木の家を訪れたのは、その日の夜、八時頃である。三木は不在であったが、小さく太った老母がいた。家賃三十円くらいの、まだ新しい二階建の家である。さちよが、名前を言うと、おお、と古雅に合点して、お噂、朝太郎から承って居ります、何やら、会があるとかで、ひるから出かけて居りますが、もう、そろそろ、帰りましょう、おあがりなさい、と小さい老母は、やさしく招いた。顔も、手も、つやつやして、上品な老婆であった。さちよは、張りつめていた気もゆるんで、まるで、わが家に帰ったよう、案内する老母よりさきに、階下の茶の間へさっさとはいって、あたかも、これは生きかえった金魚、ひらひら真紅のコオトを脱いで、
「おかあさまで、ございますか。はじめてお目にかかります。」とお辞儀して、どうにも甘えた気持になり、両手そろえてお辞儀しながら、ぷっと噴き出す仕末であった。
 老母は、平気で、
「はい、こんばんは。朝太郎、お世話になります。」と挨拶かえして、これものんきな笑顔である。
 不思議な蘇生そせいの場面であった。
 長火鉢へだてて、老母は瀬戸の置き物のように綺麗に、ちんまり坐って、伏目がち、やがて物語ることには、――あれは、わたくしの一人息子で、あんな化け物みたいな男ですが、でも、わたくしは信じている。あれの父親は、ことしで、あけて、七年まえに死にました。まあ、昔自慢してあわれなことでございますが、父の達者な頃は、前橋で、ええ、国は上州でございます、前橋でも一流中の一流の割烹かっぽう店でございました。大臣でも、師団長でも、知事でも、前橋でお遊びのときには、必ず、わたくしの家に、きまっていました。あのころは、よかった。わたくしも、毎日毎日、張り合いあって、身を粉にして働きました。ところが、あれの父は、五十のときに、わるい遊びを覚えましてな、相場ですよ。崩れるとなったら、早いものでした。ふっと気のついた朝には、すっからかん。きれい、さっぱり、可笑おかしいようですよ。父は、みんなに面目ないのですね。そうなっても、まだ見栄張っていて、なあに、おれには、内緒でかくしている山がある。きんの出る山ひとつ持っている、とまるで、子供みたいな、とんでもない嘘を言い出しましてな、男は、つらいものですね、ながねん連れ添うて来た婆にまで、何かと苦しく見栄張らなければいけないのですからね、わたくしたちに、それはくわしく細々とその金の山のこと真顔になって教えるのです。嘘とわかっているだけに、聞いているほうが、情ないやら、あさましいやら、いじらしいやら、涙が出て来て困りました。父は、わたくしたち、あまり身を入れて聞いていないのに感附いて、いよいよ、むきになって、こまかく、ほんとうらしく、地図やら何やらたくさん出して、一生懸命にひそひそ説明して、とうとう、これから皆でその山に行こうではないか、とまで言い出し、これには、わたくし、当惑してしまいました。まちの誰かれ見さかいなくつかまえて来ては、その金山のこと言って、わたくしは恥ずかしくて死ぬるほどでございました。まちの人たちの笑い草にはなるし、朝太郎は、そのころまだ東京の大学にはいったばかりのところでございましたが、わたくしは、あまり困って、朝太郎に手紙で事情全部を知らせてやってしまいました。そのときに、朝太郎は偉かった。すぐに東京から駈けつけ、大喜びのふりして、お父さん、そんないい山を持っていながら、なぜ僕にいままで隠していたのです、そんないい事あるんだったら、僕は、学校なんか、ばかばかしい、どうか学校よさせて下さい、こんな家、売りとばして、これからすぐに、その山の金鉱しらべに行こう、と、もう父の手をひっぱるようにしてせきたて、また、わたくしを、こっそりものかげに呼んで、お母さん、いいか、お父さんは、もうさきが長くないのだ、おちぶれた人に、恥をかかせちゃいけない、とわたくしを、きつく叱りました。わたくしも、そう言われて、はじめて、ああそうだったと気がついて、お恥ずかしい、わが子ながら、両手合せて拝みたいほどでございました。嘘、とはっきり知りながら、汽車に乗り、馬車に乗り、雪道歩いて、わたくしたち親子三人、信濃しなのの奥まで、まいりました。いま、思い出しても、せつなくなります。信濃の山奥の温泉に宿をとり、それからまる一年間、あの子は、降っても照っても父のお伴して山を歩きまわり、日が暮れて宿へかえっては、父の言うこと、それは芝居と思えないほど、熱心に聞いて、ふたりで何かと研究し、相談し、あしたは大丈夫だ、あしたは大丈夫だと、お互い元気をつけ合って、そうして寝て、また朝早く、山へ出かけて、ほうぼう父に引っぱりまわされ、さんざ出鱈目でたらめの説明聞かされて、それでも、いちいち深くうなずいて、へとへとになって帰って来ました。何もかも、朝太郎のおかげです。父は、山宿で一年、張り合いのある日をつづけることができて、女房、子供にも、立派に体面保って、恥を見せずに安楽な死に方を致しました。ええ、信濃の、その山宿で死にました。わしの山は見込みがある、どうだい、身代二十倍になるのだぞ、と威張って、死んでゆきました。まえから、心臓が、ひどく悪かったのです。木枯こがらしのおそろしく強い朝でしてな。あわれな話ですね。けれども、あの子は、見どころあります。それから母子ふたりで、東京へ出て、苦労しました。わたくしは、どんぶり持って豆腐とうふいっちょう買いに行くのが、一ばんつらかった。いまでは、どうやら、朝太郎も、皆様のおかげで、もの書いてお金いただけるようになって、わたくしは、朝太郎が、もう、どんな、ばかをしても、信じている。むかし、あれの父をあんなに大事にかばって呉れたこと思えば、あの子が、ありがたくて、もったいなくて、あの子のことだったら、どんなことがあっても、たとえあれが、人殺ししたって、わたくしは、あれを信じている。あれは、情の深い子です。ほんとに、よろしくお願いします。
 そう言って、軽くお辞儀をし、さちよも思わずそっとお辞儀をかえして、ゆくりなく顔を見合せ、ほ、ほと同時にはなやかに笑って、それから二人、気持よく泣いた。
 十時に三木が、酔ってかえった。久留米絣くるめがすりに、白っぽいごわごわしたはかまをはいて、明治維新の書生の感じであった。のっそり茶の間へはいって来て、ものも言わず、長火鉢の奥に坐っている老母を蹴飛ばすようにして追いたて、自分がその跡にどっかと坐って、袴のひもをほどきながら、
「何しに来たんだい?」坐ったままで袴を脱いでそれを老母にほうってやって、「ああ、お母さん。あなたは、ちょっと二階へ行ってろ。僕は、この子に話があるんだ。」
 二人きりになると、さちよは、
自惚うぬぼれちゃ、だめよ。あたし、仕事の相談に来たの。」
「かえれ。」家に在るときの歴史的さんは、どこか憂鬱で、けわしかった。
「御気嫌、わるいのね。」さちよは、平気だった。「あたし、数枝のアパアトから逃げて来たの。」
「おや、おや。」三木は冷淡だった。がぶがぶ番茶を呑んでいる。
「あたし、働く。」そう言って、自分にも意外な、涙があふれて落ちて、そのまま、めそめそ泣いてしまった。
「もう、僕は、君をあきらめているんだ。」三木は、しんからいまいましそうに顔をしかめて、「君には、手のつけられない横着おうちゃくなところがある。君は、君自身の苦悩に少し自惚れ持ち過ぎていやしないか? どうも、僕は、君を買いかぶりすぎていたようだ。君の苦しみなんざ、てのひらに針たてたくらいのもので、苦しいには、ちがいない、飛びあがるほど苦しいさ、けれども、それでわあわあ騒ぎまわったら、人は笑うね。はじめのうちこそ愛嬌あいきょうにもなるが、そのうちに、人は、てんで相手にしない。そんなものに、かまっている余裕なんて、かなしいことには、いまの世の中の人たち、誰にもないのだ。僕は知っているよ。君の思っていることくらい、見透みとおせないでたまるか。あたしは、虫けらだ。精一ぱいだ。命をあげる。ああ、信じてもらえないのかなあ。そうだろう? いずれ、そんなところだ。だけど、いいかい、真実というものは、心で思っているだけでは、どんなに深く思っていたって、どんなに固い覚悟を持っていたって、ただ、それだけでは、虚偽だ。いんちきだ。胸を割ってみせたいくらい、まっとうな愛情持っていたって、ただ、それだけで、だまっていたんじゃ、それは傲慢ごうまんだ、いい気なもんだ、ひとりよがりだ。真実は、行為だ。愛情も、行為だ。表現のない真実なんて、ありゃしない。愛情は胸のうち、言葉以前、というのは、あれも結局、修辞じゃないか。だまっていたんじゃ、わからない、そう突放つっぱなされても、それは、仕方のないことなんだ。真理は感ずるものじゃない。真理は、表現するものだ。時間をかけて、努力して、創りあげるものだ。愛情だって同じことだ。自身のしらじらしさや虚無を堪えて、やさしい挨拶送るところに、あやまりない愛情が在る。愛は、最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思っては、いけない。」また、番茶を、がぶがぶ呑んで、「君は一たい、いままで何をして来た。それを考えてみるがいい。言えないだろう。言えない筈だ。何もしやしない。僕は、君を、もう少し信頼していた。あの山宿を逃げるときだって、僕は、気まぐれから君に手伝いしたのじゃないのだぜ。君に、たしかな目的があって、制止できない渇望があって、そうして、ちゃんと聡明な、具体的な計画があっての、出京だとばかり思っていた。それが、どうだ、八重田数枝のとこに、ころがりこんで、そのまんま、何もしやしない。八重田数枝は、あんな、気のいいやつだから、だまって、のんきそうに君を世話していたようだったが、でも、ずいぶん迷惑だったろうと思うよ。君が精一ぱいなら、八重田数枝だって、自分ひとりを生かすのだけで、それだけで精一ぱい、やっとのところで生きているのだ。少しは、人の弱さを、大事にしろよ。君の思いあがりは、おそろしい。僕だって、君に、いくど恥をかかされているかわからない。あんな、薄汚い新聞記者と、喧嘩させて、だまって面白がって見ていやがって、僕は、あんなやつとは、口きくのさえいやなんだぜ。僕は、プライドの高い男だ。どんな偉い先輩にでも、呼び捨にされると、いやな気がする。僕は、ちゃんと、それだけの仕事をしている。あんな奴と、決闘して、あとで、僕は、どんなに恥ずかしく、くるしい思いしたか、君は知るまい。生れてはじめて、あんなぶざまな真似をした。君は、一たい僕をなんだと思っているのだ。八重田数枝のところに居辛いづらくなって、そうして、こんどは僕の家へ飛び込んで来て、自惚れちゃだめよ、仕事の相談に来たの、なんて、いつもの僕なら、君はいまごろ横っつらの二つや三つぶん殴られている。」三木は流石さすがに、蒼くなっていた。
 さちよは、ぼんやり顔をあげて、
「殴らないの?」
「寝て起きて来たようなこと言うなよ。」苦笑して、煙草のけむりを、ゆっくり吐いた。「かえり給え。僕は、言いたいだけのことは、言ったんだ。あとは、もっぱら敬遠主義だ。君も少しは考えるがいい。かえれ。路頭に迷ったって、僕の知ったことじゃない。」
 もじもじして、
「路頭は、寒くて、いや。」
 三木は、あやうく噴き出しそうになり、
「笑わせようたって、だめさ。」言いながら、はっきり負けたのを意識した。
「さちよ、ここにいるか。」
「いる。」
「女優になるか。」
「なる。」
「勉強するか。」
「する。」
 三木の腕の中で、さちよは、小声で答えていた。
「ばかなやつ。」三木は、さちよのからだから離れて、「おふくろと、どんな話をしていた?」いつもの、やさしい歴史的さんに、かえっていた。
「あたし、お母さん好きよ。」さちよは、髪をきあげて、「これから、うんと孝行するの。」
 そうして、三木との同棲がはじまった。三木は劇壇に、奇妙な勢力を持っていた。背後に、元老の鶴屋北水の頑強な支持もあって、その特異な作風が、劇壇の人たちに敬遠にちかいほどの畏怖いふの情を以て見られていた。さちよの職場は、すぐにきまった。鴎座である。そのころの鴎座は、素晴しかった。日本の知識人は、一様に、鴎座の努力を尊敬していた。一座の指導者は、尾沼栄蔵、由緒正しき貴族である。俳優も、一流の名優が競って参加し、外国の古典やら、また、日本の無名作家の戯曲をも、大胆に採用して、毎月一回一週間ずつの公演を行い、日本の文化を、たしかに高めた。元老、鶴屋北水の推薦と、三木朝太郎の奔走のおかげで、さちよは、いきなり大役をふられた。すなわち、三人姉妹の長女、オリガである。いいかい、オリガは、センチメントおさえて、おさえて、おさえ切れなくなる迄おさえて、幕切れで、どっとせきあげる、それだけ心掛けて居ればいいのだ、あとは尾沼君の言うこと信仰し給え、あれは偉い男だ。それから、ほかの役者の邪魔をしないように、ね。三木は、それだけ言って、あとは、何も教えなかった。三木には、また、三木の仕事があるのである。二階の六畳に閉じこもって、原稿用紙、少し書きかけては、くしゃくしゃに丸めて壁に投げつけ、寝ころんで煙草吸ったり、また起き上って、こつこつ書いたり、毎夜、おそくまで、眠らずにいる。何か大きい仕事にでも、とりかかった様子である。さちよも、なまけてはいなかった。毎日、毎日、尾沼栄蔵のサロンに、稽古に出かけて、ごほんごほん変なせきが出て、ゆたかな頬が、細くなるほど、心労つづけた。
 初日が、せまった。三木は、こっそり尾沼栄蔵のもとへ、さちよの様子を聞きに行った。帰って来てからさちよに、君がうまいんじゃないんだ、他の役者が下手くそなんだ、尾沼君は、そう言っていた。君は、こんどの公演で、きっと評判になるだろう、けれども、それは、君がうまいからじゃないんだ、日本の俳優が、それだけ、おくれているということなんだ、そう言っていた。いいかい、ちっとも君がすぐれているわけじゃないんだから、かならず、人の讃辞なんかに受けちゃいけないよ。叱りつけるような語調で言って聞かせて、それでも、その夜は、珍らしく老母とさちよを相手に、茶の間でお酒たくさん呑んだ。
 初日、はたして成功である。二日目、高野幸代は、もはや、日本的な女優であった。三日目、つまずいた。青年、高須隆哉の舌打が、高野幸代の完璧かんぺきの演技に、小さい深い蹉跌さてつを与えた。
 高須隆哉が楽屋を訪れたときには、ちょうど一幕目がおわって、さちよは、楽屋で大勢のひとに取り巻かれて坐って、大口あいて笑っていた。煙草のけむりが濛々もうもうと部屋に立ちこもり、誰か一こと言い出せば、どっと大勢のひとの笑いの浪が起って、和気あいあいの風景である。高須は、その入口に佇立ちょりつした。
 さちよは、高須に気がつかず、未だ演技直後の興奮からさめ切らぬ様子で、天井あおいでヒステリックな金切声たてて笑いこけていた。
「ちょっと、あなた、ごめんなさい。」
 耳もとで囁き、大きい黒揚羽くろあげはの蝶が、ひたと、高須の全身をおおい隠し、そのまま、すっと入口からさらっていって、廊下の隅まで、ものも言わず、とっとと押しかえして、
「まあ。ごめんなさい。」ほっそりした姿の女である。眼が大きく鼻筋の長い淋しい顔で、黒いドレスが似合っていた。「さちよと、逢わせたくなかったの。あの子は、とても、あなたのことを気にしている。せっかく評判も、いいところなんだし、ね、おねがい、あの子を、そっとして置いてやって。あの子、いま、一生懸命よ。つらいのよ。あたしには、それが判る。あら、あなたは、あたしをご存じない。」顔を赤くして、「ごめんなさい。あなた、高須さんね。そうでしょう? あたし、ひと目見て、はっと思ったの。ほんとうに、あたし、はじめてなのに、でも、すぐわかった。須々木乙彦の、御親戚。どう? あたし、なんでも知っているでしょう?」数枝である。芝居がはじまって、この二、三日、何かと気がもめて、きょうはホオルを休んで楽屋に来ている。

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