記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日刊 太宰治全小説】#173「猿塚」(『新釈諸国噺』)

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【冒頭】
むかし筑前の国、大宰府の町に、白坂徳右衛門とて代々酒屋を営み大宰府一の長者、その息女お蘭の美形ならびなく、七つ八つの頃から見る人すべて瞠若(どうじゃく)し、おのれの鼻垂れの娘の顔を思い出してやけ酒を飲み、町内は明るく浮き浮きして、ことし十に六つ七つ余り、骨細く振袖も重げに、春光ほのかに身辺をつつみ、生みの母親もわが娘に話かけて、ふと口を(つぐ)んで見とれ、名花の(ほまれ)は国中にかぐわしく、見ぬ人も見ぬ恋に沈むという有様であった。

【結句】
ふたたび、庵に住むも物憂く、秋草をわけていずこへとも無く二人旅立つ。 

 

猿塚(さるづか)」(新釈諸国噺(しんしゃくしょこくばなし))について

新潮文庫お伽草紙』所収。
・昭和20年1月27日、生活社から刊行の『新釈諸国噺』に収載。


お伽草紙 (新潮文庫)

 

全文掲載(「青空文庫」より)

 
猿塚   (筑前ちくぜん) 懐硯ふところすずり、四十六歳
 
 むかし筑前ちくぜんの国、太宰府だざいふの町に、白坂徳右衛門とくえもんとて代々酒屋を営み太宰府一の長者、その息女おらんの美形ならびなく、七つ八つのころから見る人すべて瞠若どうじゃくし、おのれの鼻垂れの娘の顔を思い出してやけ酒を飲み、町内は明るく浮き浮きして、ことし十に六つ七つ余り、骨細く振袖ふりそでも重げに、春光ほのかに身辺をつつみ、生みの母親もわが娘に話かけて、ふと口をつぐんで見とれ、名花のほまれは国中にかぐわしく、見ぬ人も見ぬ恋に沈むという有様であった。ここに桑盛次郎右衛門くわもりじろうえもんとて、隣町の裕福な質屋の若旦那わかだんな醜男ぶおとこではないけれども、鼻が大きく目尻めじりの垂れ下った何のへんてつも無い律儀りちぎそうな鬚男ひげおとこ、歯の綺麗きれいなのが取柄とりえで笑顔にちょっと愛嬌あいきょうのあるところがよかったのか、る日の雨宿りが縁になって、人は見かけにらぬもの、縁は異なもの、馬鹿ばからしいもの、お蘭に慕われるという飛んでもない大果報を得たというのがこの物語の発端である。両方の親は知らず、次郎右衛門ひそかに、出入のさかなやの伝六に頼み、徳右衛門方に縁組の内相談を持ちかけさせた。伝六はかねがねこの質屋に一かたならず面倒をかけている事とて、次郎右衛門の言いにくそうな頼みを聞いて、向うは酒屋、うまく橋渡しが出来たら思うぞんぶん飲めるであろう、かつはこちらの質の利息払いの期限をのばしてもらうのはこの時と勇み立ち、あつかましくも質流れの紋服で身を飾り、知らぬ人が見たらどなたさまかと思うほどの分別ありげの様子をして徳右衛門方に乗り込み、えへへと笑い扇子を鳴らして庭の石をめ、相手は薄気味悪く、何か御用でも、と言い、伝六あわてず、いや何、と言い、やがてそれとなく次郎右衛門の希望をにおわせ、こちらさまは酒屋、向うさまは質屋、まんざら縁の無い御商売ではございませぬ、酒屋へ走る前には必ず質屋へ立寄り、質屋を出てからは必ず酒屋へ立寄るもので、わば坊主ぼうずとお医者のごとくこの二つが親戚しんせきだったら、鬼に金棒で、町内の者が皆殺されてしまいます、などとけしからぬ事まで口走り、一世一代の無い智慧ちえを絞って懸命に取りなせば、徳右衛門も少し心が動き、
「桑盛様の御総領ならば、私のほうでも不足はございませんが、時に、桑盛さまの御宗旨ごしゅうしは?」
「ええと、それは、」意外の質問なので、伝六はぐっとつまり、「はっきりは、わかりませぬが、たしか浄土宗で。」
「それならば、お断り申します。」と口を曲げて憎々しげに言い渡した。「私の家では代々の法華宗ほっけしゅうで、ことにも私の代になりましてから、深く日蓮にちれん様に帰依きえつかまつって、朝夕南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょうのお題目を怠らず、娘にもそのように仕込んでありますので、いまさら他宗へ嫁にやるわけには行きません。あなたも縁談の橋渡しをしようというほどの男なら、それくらいの事を調べてからおいでになったらどうです。」
「いや、あの、私は、」と冷汗を流し、「私は代々の法華宗日蓮様で、朝夕、南無妙法蓮華経と。」
「何を言っているのです。あなたに嫁をやるわけじゃあるまいし、桑盛様が浄土宗ならば、いかほど金銀を積んでも、またその御総領が御発明で男振りがよくっても、私は、いやと申します。日蓮様に相すみません。あんな陰気くさい浄土宗など、どこがいいのです。よくもこの代々の法華宗の家へ、娘がほしいなんて申込めたものだ。あなたの顔を見てさえ胸くそが悪い。お帰り下さい。」
 さんざんの不首尾で伝六は退散し、しょげ切ってこのよしを次郎右衛門に告げた。次郎右衛門は気軽に、なんだ、そんな事は何でもない、こちらの宗旨を変えたらいい、家は代々不信心だから浄土宗だって法華宗だってかまわないんだ、と言って、にわかにふさの長い珠数じゅずに持ちかえ、父母にもすすめて、朝夕お題目をあげて、父母は何の事かわからぬが子供に甘い親なので、とにかく次郎右衛門の言いつけどおりに、わきを見てあくびをしながら南無妙法蓮華経となえ、ふたたび伝六は、徳右衛門方におもむき、いまは桑盛様も一家中、日蓮様を信心してお題目をあげていますと得意満面で申し述べたが、徳右衛門はむずかしい男で、いやいや根抜きの法華でなければ信心が薄い、お蘭ほしさの改宗は見えすいて浅間あさまし、日蓮さまだっていい顔をなさるまい、ちょっと考えてもわかりそうな事だ、娘は或る知合いの法華の家へ嫁にやるようにきまっています、というむごい返事、次郎右衛門は聞いて仰天して、取敢とりあえずお蘭に、伝六なんの役にも立たざる事、ならびに、お前がよその法華へとつぐそうだが、畜生め、私はお前のために好きでもないお題目を称えて太鼓をたたき手に豆をこしらえたのだぞ、思えば私の次郎右衛門という名は、あずまの佐野の次郎左衛門に似ていて、かねてから気になっていたのだが、やはり東西左右の振られ男であった、私もこうなれば、刀を振りまわして百人りをするかも知れぬ、男の一念、馬鹿にするな、と涙を流して書き送れば、すぐに折り返しお蘭の便り、あなたのお手紙何が何やら合点がてんが行かず、とにかく刀を振りまわすなど危い事はよして下さい、百人斬りはおろか一人も斬らぬうちにあなたが斬られてしまいます、あなたの身にもしもの事があったなら、私はどうしたらいいのでしょう、あまりおどかさないで下さい、よその縁談の事など、本当に私には初耳です、あなたはいつもお鼻や目尻の事を気にして自信が無く、何のかのと言って私を疑うので困ってしまいます、私が今更どこへ行くものですか、安心していらっしゃい、もしもお父さんが私をよそへやるようだったら私はこの家から逃げてもあなたのところへ行くつもり、女の一念、覚えていらっしゃい、という事なので次郎右衛門すこし笑い、しかし、まだまだ安心はならぬと無理に顔をしかめて、とにかくお題目と今は本気に日蓮様におすがりしたくなって、南無妙法蓮華経と大声でわめいて滅多矢鱈めったやたらに太鼓をたたく。
 お蘭はそのあくる日、徳右衛門の居間に呼ばれて、本町紙屋彦作かみやひこさく様と縁談ととのった、これも日蓮様のおみちびき、有難ありがたくとこしなえの祝言しゅうげんを結べ、とおごそかに言い渡せば、お蘭はぎょっとしたが色に出さず、つつしんで一礼して部屋から出て、それから飛ぶようにして二階にけ上り、一筆しめしまいらせそうろう、来たわよ、いよいよ決行の日が来たわよ、私は逃げるつもりです、今宵こよいのうちに迎えたのむ、拝む、としどろもどろに書き散らし、丁稚でっちに言いつけて隣町へ走らせ、次郎右衛門はその手紙をざっと一読してがたがた震え、台所へ行って水を飲み、ここが思案のしどころと座敷のまん中に大あぐらをかいてみたが、別に何の思案も浮ばず、立ち上って着物を着換え、帳場へ行ってあちこちの引出しを掻きまわし、番頭に見とがめられて、いやちょっと、と言い、何がしの金子きんすをそそくさとたもとにほうり込んで、もう眼に物が見えぬ気持で、片ちんばの下駄げたをはいて出て途中で気がついて、家へ引返すのもおそろしく、はきもの屋に立ち寄って、もうこれだけしかお金が無いのだと思うと、けちになって一ばん安い草履を買い、その薄っぺらな草履をはいて歩くとぺたぺたと裸足はだしで地べたを歩いているような感じで心細く、歩きながら男泣きに泣いて、ようやく隣町の徳右衛門の家の裏口にたどりつくと、矢のようにお蘭は走り出て、ものも言わず次郎右衛門の手を取りさっさと自分からさきに歩き出し、次郎右衛門はあんまの如く手をひかれて、ぺたぺたと歩いて、またも大泣きに泣くのである。ここまでは、分別浅い愚かな男女の、取るにも足らぬふざけた話であるが、もちろん物語はここで終らぬ。世の中の厳粛な労苦は、このさきにあるようだ。
 二人は、その夜のうちに七里歩み、左方に博多はかたの海が青く展開するのを夢のようにながめて、なおも飲まず食わず、背後に人の足音を聞くたびに追手かときもをひやし、生きた心地ここちも無くただ歩きに歩いて蹌踉そうろうとたどりついたところはの名も盛者必衰じょうしゃひっすい是生滅法ぜしょうめっぽうの鐘が崎、この鐘が崎の山添の野をわけて次郎右衛門のほのかな知合いの家をたずね、案の如く薄情のあしらいを受けて、けれどもそれも無理のない事と我慢して、ぶしつけながら、とお金を紙に包んで差し出し、その日は、納屋なやに休ませてもらい、浅間しき身のなりゆきと今はじめて思い当って青くやつれた顔を見合せて溜息ためいきをつき、お蘭は、手飼いのさるの吉兵衛の背をでながら、やたらに鼻をすすり上げた。この吉兵衛という名の猿は、小猿の頃からお蘭に可愛かわいがられて育ち、娘が男と一緒にひたすら夜道を急ぐ後を慕ってついて来て、一里あまり過ぎた頃、お蘭が見つけてしかって追っても、石を投げて追ってもひょこひょこついて来て、次郎右衛門は不憫ふびんに思い、せっかく慕って来たのだから仲間にいれておやり、と言い、お蘭は、おいで、と手招きすれば、うれしそうに駈け寄って来て、お蘭に抱かれて眼をぱちぱちさせて二人の顔を気の毒そうに眺める。いまはもう二人の忠義な下僕げぼくになりすまして、納屋へ食事を持ちはこぶやら、はえを追うやら、くしでお蘭のおくれ毛をき上げてやるやら、何かと要らないお手伝いをして、二人のさびしさを慰めてやろうと畜生ながら努めている。いかに世を忍ぶ身とは言え、いつまでも狭い納屋に隠れて暮しているわけにも行かず、次郎右衛門はさらに所持のお金の大半を出してその薄情の知合いの者にたのみ、すぐ近くの空地に見すぼらしいいおりを作ってもらい、夫婦と猿の下僕はそこに住み、わずかな土地を耕して、食膳しょくぜんに供するに足るくらいの野菜を作り、ひまひまに亭主ていしゅ煙草たばこを刻み、お蘭は木綿のかせというものを繰って細々と渡世し、好きもきらいも若い一時の阿呆あほらしい夢、親にそむいて家を飛び出し連添ってみても、何の事はない、いまはただありふれた貧乏世帯じょたいの、とと、かか、顔を見合せて、おかしくもなく、台所がかたりと鳴れば、ねずみか、小豆あずきふんされてはたまらぬ、と二人血相かえて立ち上り、秋の紅葉も春のすみれも、何の面白おもしろい事もなく、猿の吉兵衛は主人の恩に報いるはこの時と、近くの山に出かけてはかしわの枯枝や松の落葉を掻き集め、家に持ち帰ってかまどの下にしゃがみ、松葉の煙に顔をそむけながら渋団扇しぶうちわを矢鱈にばたばた鳴らし、やがてぬるいお茶を一服、夫婦にすすめて可笑おかしき中にも、しおらしく、ものこそ言わね貧乏世帯に気を遣い、夕食も遠慮して少量たべると満足のていでころりと寝て、次郎右衛門の食事がすむと駈け寄って次郎右衛門の肩をもむやら足腰をさするやら、それがすむと台所へ行きお蘭の後片附のお手伝いをしてさらをこわしたりして実に面目なさそうな顔つきをして、夫婦は、せめてこの吉兵衛を唯一ゆいいつのなぐさみにして身の上のきを忘れ、そのとしも過ぎて翌年の秋、一子菊之助をもうけ、久し振りに草の庵から夫婦の楽しそうな笑声が漏れ聞え、夫婦は急に生きる事にも張合いが出て来て、それめめをさました、あくびをしたと騷ぎ立てると、吉兵衛もはねまわって喜び、山から木の実を取って来て、赤ん坊の手に握らせて、お蘭に叱られ、それでも吉兵衛には子供が珍らしくてたまらぬ様子で、そばを離れず寝顔をのぞき込み、泣き出すと驚いてお蘭のもとに飛んで行きすそを引いて連れて来て、乳をませよ、と身振みぶりで教え、赤子の乳を呑むさまを、きちんとひざを折って坐って神妙に眺め、よい子守が出来たと夫婦は笑い、それにつけても、この菊之助も不憫なもの、もう一年さきに古里ふるさとの桑盛の家で生れたら、絹の蒲団ふとんに寝かせて、乳母を二人も三人もつけて、お祝いの産衣うぶぎが四方から山ほど集り、のみ一匹も寄せつけず玉のはだのままで立派に育て上げる事も出来たのに、一年おくれたばかりに、雨風も防ぎかねる草の庵に寝かされて、木の実のおもちゃなど持たされ、猿が子守とは、と自分たちの無分別な恋より起ったという事も忘れて、ひたすら子供をいとおしく思い、よし、よし、いまはこのようにみじめだが、この子の物心地のつくまでは、何とか一財産つくって古里の親たちを見かえしてやらなければならぬ、と次郎右衛門も、子への愛から発奮して、近所の者に、この頃のよろしき商売は何、などと尋ね、草の庵も去年にかわって活気を呈し、一子の菊之助もまるまると太ってよく笑い、母親のお蘭に似て輝くばかりの器量よし、猿の吉兵衛は野の秋草を手折たおって来て菊之助の顔ちかく差しのべて上手にあやし、夫婦は何の心配も無く共に裏の畑に出て大根を掘り、ことしの秋は、何かいい事でもあるか、と夫婦は幸福の予感にぬくまっていた。その頃、近所のお百姓から耳よりのもうけ話ありという事を聞き、夫婦は勇んで、或る秋晴れの日、二人そろってその者の家へ行ってくわしく話の内容を尋ね問いなどしている留守に、猿の吉兵衛、そろそろお坊ちゃんの入浴の時刻と心得顔で立ち上り、かねて奥様の仕方を見覚えていたとおりに、まず竈の下をきつけてお湯をわかし、湯玉の沸き立つを見て、その熱湯をたらいにちょうど一ぱいとり、何の加減も見る迄も無く、子供を丸裸にして仔細しさいらしく抱き上げ、奥様の真似まねして子供の顔をのぞき込んでやさしく二、三度うなずき、いきなりずぶりと盥に入れた。
 わっという声ばかりに菊之助の息絶え、異様の叫びを聞いて夫婦は顔を見合せて家に駈け戻れば、吉兵衛うろうろ、子供は盥の中に沈んで、取り上げて見ればはや茹海老ゆでえびの如く、二目と見られぬむざんの死骸しがい、お蘭はこけまろびて、わが身に代えても今一度もとの可愛い面影おもかげを見たしと狂ったように泣き叫ぶも道理、呆然ぼうぜんたる猿を捕えて、とかくなんじは我が子のかたき、いま打殺すと女だてらにまきを振上げ、次郎右衛門も胸つぶれ涙とどまらぬながら、ここは男の度量、よしこれも因果の生れ合せと観念して、お蘭の手から薪を取上げ、吉兵衛を打ち殺したく思うももっともながら、もはや返らぬ事に殺生せっしょうするは、かえって菊之助菩提ぼだいのため悪し、吉兵衛もあさましや我等われらへの奉公と思いてしたるべけれども、さすが畜生の智慧ちえ浅きは詮方せんかたなし、と泣き泣きさとせば、猿の吉兵衛も部屋のすみで涙を流して手を合せ、夫婦はその様を見るにつけいよいよつらく、いかなる前生の悪業あくごうありてかかる憂目うきめに遭うかと生きる望も消えて、菊之助ほうむった後には共にわずらい寝たきりになって、猿の吉兵衛は夜も眠らずまめまめしく二人を看護し、また七日々々にお坊ちゃんの墓所へ参り、折々の草花を手折って供え、夫婦すこしく恢復かいふくせし百日に当る朝、吉兵衛しょんぼりお墓に参って水心静かに手向け、竹のほこにてみずから喉笛のどぶえを突き通して相果てた。夫婦、猿の姿の見当らぬを怪しみ、つえにすがってまず菊之助墓所へ行き、猿のあわれな姿をひとめ見て一切を察し、菊之助無き後は、せめてこの吉兵衛だけが世の慰めとたのんでいたのに、とうらみ嘆き、ねんごろにとむらい、菊之助の墓の隣に猿塚を建て、その場にいて二人出家し、(と書いて作者は途方にくれた。お念仏かお題目か。原文には、かの庵に絶えず題目唱えて、法華読誦どくじゅの声やまず、とある。徳右衛門の頑固がんこな法華の主張がこんなところに顔を出しては、この哀話も、ぶちこわしになりそうだ。困った事になったものである。)ふたたび、庵に住むも物憂く、秋草をわけていずこへとも無く二人旅立つ。
懐硯ふところすずり、巻四の四、人真似は猿の行水)

 

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