記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日刊 太宰治全小説】#14「逆行」決闘(『晩年』)

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【冒頭】
それは外国の真似ではなかった。誇張でなしに、相手を殺したいと願望したからである。けれどもその動機は深遠でなかった。

【結句】
私は泥にうつぶして、いまこそおいおい声をたてて泣こう泣こうとあせったけれど、あわれ、一滴の涙も出なかった。

 

逆行(ぎゃっこう) 決闘(けっとう)」について

新潮文庫『晩年』所収。
・昭和8年1月頃に初稿脱稿、昭和9年10月頃に発表稿脱稿。
・昭和10年2月1日、『文藝』二月号に発表。
同人誌以外に、太宰治の筆名で小説を発表したのは、これが最初。


晩年 (新潮文庫)

 

 全文掲載(「青空文庫」)

 それは外国の真似ではなかった。誇張でなしに、相手を殺したいと願望したからである。けれどもその動機は深遠でなかった。私とそっくりおなじ男がいて、この世にひとつものがふたつ要らぬという心から憎しみ合ったわけでもなければ、その男が私の妻の以前のいろであって、いつもいつもその二度三度の事実をこまかく自然主義ふうに隣人どもへ言いふらして歩いているというわけでもなかった。相手は、私とその夜はじめてカフェで落ち合ったばかりの、犬の毛皮の胴着をつけた若い百姓であった。私はその男の酒を盗んだのである。それが動機であった。
 私は北方の城下まちの高等学校の生徒である。遊ぶことが好きなのである。けれども金銭には割にけちであった。ふだん友人の煙草ばかりをふかし、散髪をせず、辛抱して五円の金がたまれば、ひとりでこっそりまちへ出てそれを一銭のこさず使った。一夜に、五円以上の金も使えなかったし、五円以下の金も使えなかった。しかも私はその五円でもって、つねに最大の効果を収めていたようである。私の貯めた粒粒の小金を、まず友人の五円紙幣と交換するのである。手の切れるほどあたらしい紙幣であれば、私の心はいっそうおどった。私はそれを無雑作らしくポケットにねじこみ、まちへ出掛けるのだ。月に一度か二度のこの外出のために、私は生きていたのである。当時、私は、わけの判らぬ憂愁にいじめられていた。絶対の孤独と一切の懐疑。口に出して言っては汚い! ニイチェやビロンや春夫よりも、モオパスサンやメリメや鴎外のほうがほんものらしく思えた。私は、五円の遊びに命を打ち込む。
 私がカフェにはいっても、決して意気込んだ様子を見せなかった。遊び疲れたふうをした。夏ならば、冷いビールを、と言った。冬ならば、熱い酒を、と言った。私が酒を呑むのも、単に季節のせいだと思わせたかった。いやいやそうに酒をみくだしつつ、私は美人の女給には眼もくれなかった。どこのカフェにも、色気に乏しい慾気ばかりの中年の女給がひとりばかりいるものであるが、私はそのような女給にだけ言葉をかけてやった。おもにその日の天候や物価について話し合った。私は、神も気づかぬ素早さで、呑みほした酒瓶さかびんの数を勘定するのが上手であった。テエブルに並べられたビイル瓶が六本になれば、日本酒の徳利が十本になれば、私は思い出したようにふらっと立ちあがり、お会計、とひくく呟くのである。五円を越えることはなかった。私は、わざとほうぼうのポケットに手をつっこんでみるのだ。金の仕舞いどころを忘れたつもりなのである。いよいよおしまいにかのズボンのポケットに気がつくのであった。私はポケットの中の右手をしばらくもじもじさせる。五六枚の紙幣をえらんでいるかたちである。ようやく、私はいちまいの紙幣をポケットから抜きとり、それを十円紙幣であるか五円紙幣であるか確かめてから、女給に手渡すのである。釣銭は、少いけれど、と言って見むきもせず全部くれてやった。肩をすぼめ、大股をつかってカフェを出てしまって、学校の寮につくまで私はいちども振りかえらぬのである。あくる日から、また粒粒の小銭を貯めにとりかかるのであった。
 決闘の夜、私は「ひまわり」というカフェにはいった。私は紺色の長いマントをひっかけ、純白の革手袋をはめていた。私はひとつカフェにつづけて二度は行かなかった。きまって五円紙幣を出すということに不審を持たれるのを怖れたのである。「ひまわり」への訪問は、私にとって二月ぶりであった。
 そのころ私のすがたにどこやら似たところのある異国の一青年が、活動役者として出世しかけていたので、私も少しずつ女の眼をひきはじめた。私がそのカフェの隅の倚子いすに坐ると、そこの女給四人すべてが、様様の着物を着て私のテエブルのまえに立ち並んだ。冬であった。私は、熱い酒を、と言った。そうしてさもさも寒そうに首筋をすくめた。活動役者との相似が、直接私に利益をもたらした。年若いひとりの女給が、私が黙っていても、煙草をいっぽんめぐんでくれたのである。
「ひまわり」は小さくてしかも汚い。束髪を結った一尺に二尺くらいの顔の女のぐったりと頬杖をつき、くるみの実ほどの大きな歯をむきだして微笑ほほえんでいるポスタアが、東側の壁にいちまい貼られていた。ポスタアのすそにはカブトビイルと横に黒く印刷されてある。それと向い合った西側の壁には一坪ばかりの鏡がかけられていた。鏡は金粉を塗った額縁に収められているのである。北側の入口には赤と黒とのしまのよごれたモスリンのカアテンがかけられ、そのうえの壁に、沼のほとりの草原に裸で寝ころんで大笑いをしている西洋の女の写真がピンでとめつけられていた。南側の壁には、紙の風船玉がひとつ、くっついていた。それがすぐ私の頭のうえにあるのである。腹の立つほど、調和がなかった。三つのテエブルと十脚の椅子。中央にストオヴ。土間は板張りであった。私はこのカフェでは、とうてい落ちつけないことを知っていた。電気が暗いので、まだしも幸いである。
 その夜、私は異様な歓待を受けた。私がその中年の女給に酌をされて熱い日本酒の最初の徳利をからにしたころ、さきに私に煙草をいっぽんめぐんで呉れたわかい女給が、突然、私の鼻先へ右のてのひらを差し出したのである。私はおどろかずに、ゆっくり顔をあげて、その女給の小さい瞳の奥をのぞいた。運命をうらなって呉れ、と言うのである。私はとっさのうちに了解した。たとえ私が黙っていても、私のからだから予言者らしい高い匂いが発するのだ。私は女の手に触れず、ちらと眼をくれ、きのう愛人を失った、と呟いた。当ったのである。そこで異様な歓待がはじまった。ひとりのふとった女給は、私を先生とさえ呼んだ。私は、みんなの手相を見てやった。十九歳だ。とらのとし生れだ。よすぎる男を思って苦労している。薔薇ばらの花が好きだ。君の家の犬は、仔犬こいぬを産んだ。仔犬の数は六。ことごとく当ったのである。かのせた、眼のすずしい中年の女給は、ふたりの亭主を失ったと言われて、みるみるくびをうなだれた。この不思議の的中は、みんなのうちで、私をいちばん興奮させた。すでに六本の徳利をからにしていたのである。このとき、犬の毛皮の胴着をつけた若い百姓が入口に現われた。
 百姓は私のテエブルのすぐ隣りのテエブルに、こっちへ毛皮の背をむけて坐り、ウイスキイと言った。犬の毛皮の模様は、ぶちであった。この百姓の出現のために、私のテエブルの有頂天は一時さめた。私はすでに六本の徳利をからにしたことを、ちくちく悔いはじめたのである。もっともっと酔いたかった。こよいの歓喜をさらにさらに誇張してみたかったのである。あと四本しか呑めぬ。それでは足りない。足りないのだ。盗もう。このウイスキイを盗もう。女給たちは、私が金銭のために盗むのでなく、予言者らしい突飛な冗談と見てとって、かえって喝采かっさいを送るだろう。この百姓もまた、酔いどれの悪ふざけとして苦笑をもらすくらいのところであろう。盗め! 私は手をのばし、隣りのテエブルのそのウイスキイのコップをとりあげ、おちついて呑みほした。喝采は起らなかった。しずかになった。百姓は私のほうをむいて立ちあがった。外へ出ろ。そう言って、入口のほうへ歩きはじめた。私も、にやにや笑いながら百姓のあとについて歩いた。金色の額縁におさめられてある鏡を通りすがりにちらとのぞいた。私は、ゆったりした美丈夫であった。鏡の奥底には、一尺に二尺の笑い顔が沈んでいた。私は心の平静をとりもどした。自信ありげに、モスリンのカアテンをぱっとはじいた。
 THE HIMAWARI と黄色いロオマ字が書かれてある四角の軒燈の下で、私たちは立ちどまった。女給四人は、薄暗い門口に白い顔を四つ浮かせていた。
 私たちは次のような争論をはじめたのである。
 ――あまり馬鹿にするなよ。
 ――馬鹿にしたのじゃない。甘えたのさ。いいじゃないか。
 ――おれは百姓だ。甘えられて、腹がたつ。
 私は百姓の顔を見直した。短い角刈にした小さい頭と、うすい眉と、一重瞼ひとえまぶた三白眼さんぱくがんと、蒼黒おぐい皮膚であった。身丈は私より確かに五寸はひくかった。私は、あくまで茶化してしまおうと思った。
 ――ウイスキイが呑みたかったのさ。おいしそうだったからな。
 ――おれだって呑みたかった。ウイスキイが惜しいのだ。それだけだ。
 ――君は正直だ。可愛い。
 ――生意気いうな。たかが学生じゃないか。つらにおしろいをぬたくりやがって。
 ――ところが僕は、易者だということになっている。予言者だよ。驚いたろう。
 ――酔ったふりなんかするな。手をついてあやまれ。
 ――僕を理解するには何よりも勇気が要る。いい言葉じゃないか。僕はフリイドリッヒ・ニイチェだ。
 私は女給たちのとめて呉れるのを、いまかいまかと待っていた。女給たちはしかし、そろって冷い顔して私の殴られるのを待っていた。そのうちに私は殴られた。右のこぶしが横からぐんと飛んで来たので、私は首筋を素早くすくめた。十間ほどふっとんだ。私の白線の帽子が身がわりになって呉れたのである。私は微笑みつつ、わざとゆっくりその帽子を拾いに歩きはじめた。毎日毎日のみぞれのために、道はとろとろ溶けていた。しゃがんで、泥にまみれた帽子を拾ったとたんに、私は逃げようと考えた。五円たすかる。別のところで、もいちど呑むのだ。私は二あし三あし走った。滑った。仰向にひっくりかえった。踏みつぶされた雨蛙あまがえるの姿に似ていたようであった。自身のぶざまが、私を少し立腹させたのである。手袋も上衣もズボンもそれからマントも、泥まみれになっている。私はのろのろと起きあがり、頭をあげて百姓のもとへ引返した。百姓は、女給たちに取りまかれ、まもられていた。誰ひとり味方がない。その確信が私の兇暴きょうぼうさを呼びさましたのである。
 ――お礼をしたいのだ。
 せせら笑ってそう言ってから、私は手袋を脱ぎ捨て、もっと高価なマントをさえ泥のなかへかなぐり捨てた。私は自身の大時代なせりふとみぶりにやや満足していた。誰かとめて呉れ。
 百姓は、もそもそと犬の毛皮の胴着を脱ぎ、それを私に煙草をめぐんで呉れた美人の女給に手渡して、それから懐のなかへ片手をいれた。
 ――汚い真似をするな。
 私は身構えて、そう注意してやった。
 懐から一本の銀笛が出た。銀笛は軒燈の灯にきらきら反射した。銀笛はふたりの亭主を失った中年の女給に手渡された。
 百姓のこのよさが、私を夢中にさせたのだ。それは小説のうえでなく、真実、私はこの百姓を殺そうと思った。
 ――出ろ。
 そう叫んで、私は百姓の向うずねを泥靴で力いっぱいにあげた。蹴たおして、それから澄んだ三白眼をくり抜く。泥靴はむなしく空を蹴ったのである。私は自身の不恰好ぶかっこうに気づいた。悲しく思った。ほのあたたかいこぶしが、私の左の眼から大きい鼻にかけて命中した。眼からまっかなほのおが噴き出た。私はそれを見た。私はよろめいたふりをした。右の耳朶みみたぶから頬にかけてぴしゃっと平手が命中した。私は泥のなかに両手をついた。とっさのうちに百姓の片脚をがぶと噛んだ。脚は固かった。路傍の白楊はこやなぎくいであった。私は泥にうつぶして、いまこそおいおい声をたてて泣こう泣こうとあせったけれど、あわれ、一滴の涙も出なかった。

 

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