小舘善四郎
◆「炎天汗談」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。
12月19日の太宰治。 1935年(昭和10年)12月19日。 太宰治 26歳。 次姉トシの長男逸郎(二十三歳、東京医学専門学校在籍)とともに、懐中五十円、「()碧眼托鉢(へきがんたくはつ)」の旅に出て、湯河原温泉の翠明館、箱根等に遊び、風邪気味…
12月4日の太宰治。 1935年(昭和10年)12月4日。 太宰治 26歳。 十二月四日付で、小舘善四郎と津村信夫に手紙を送る。 小舘善四郎と津村信夫への手紙 今日は、1935年(昭和10年)12月4日付で、太宰が、小舘善四郎と津村信夫に宛てて…
11月27日の太宰治。 1935年(昭和10年)11月27日。 太宰治 26歳。 随想「人物に就いて」で言及される、小舘保治郎没。 『人物に就いて』 1935年(昭和10年)11月27日、太宰のエッセイ『人物に就いて』の中に登場する小舘保治郎が…
11月12日の太宰治。 1936年(昭和11年)11月12日。 太宰治 27歳。 午後一時ニ十分退院した。 太宰、東京武蔵野病院を退院 1936年(昭和11年)11月12日、太宰は、同年10月13日から1ヶ月間、パビナール中毒療養のために入院し…
10月19日の太宰治。 1936年(昭和11年)10月19日。 太宰治 27歳。 太宰の入院中の三十一日間、毎日「看護日誌」が記録されている。 東京武蔵野病院入院中の太宰① 1936年(昭和11年)10月13日、太宰はパビナール中毒療養のため、北…
10月15日の太宰治。 1936年(昭和11年)10月15日。 太宰治 27歳。 篠原病院に入院中の小舘善四郎には、母小舘せい(勢以)が上京し付添い看護する予定であったが、都合で来られなくなり、小舘礼子に代って初代が付添い、看護をすることにな…
10月9日の太宰治。 1936年(昭和11年)10月9日。 太宰治 27歳。 小舘善四郎(こだてぜんしろう)が、手首の静脈を切って鰭崎潤(ひれざきじゅん)宅に駆け込んだ。 小舘善四郎(こだてぜんしろう)の自殺未遂 1936年(昭和11年)10月10日…
9月28日の太宰治。 1932年(昭和7年)9月28日。 太宰治 23歳。 下大崎二丁目の北芳四郎(きたよししろう)宅に帰った後、高台にあった芝区白金三光町二百七十六番地高木方の、幕末幕府の歩兵奉行で、工部大学校校長、学習院院長、清国特命全権公…
9月27日の太宰治。 1935年(昭和10年)9月27日。 太宰治 26歳。 翠明館(すいめいかん)に宿泊した翌日も朝から酒を飲み続け、九月二十八日に帰宅した。 はじめての原稿料で湯河原旅行② 1935年(昭和10年)9月26日、「三馬鹿」と呼ばれ…
9月26日の太宰治。 1935年(昭和10年)9月26日。 太宰治 26歳。 八月末に脱稿して送付した「ダス・ゲマイネ」の原稿料が入ったので、檀一雄、小舘善四郎、山岸外史とともに湯河原に遊び、翠明館(すいめいかん)に宿泊。 はじめての原稿料で湯河…
8月23日の太宰治。 1935年(昭和10年)8月23日。 太宰治 26歳。 八月下旬、鰭崎潤(ひれざきじゅん)が、小舘善四郎に誘われて船橋に訪れた。( 鰭崎潤(ひれざきじゅん)と「聖書知識」 1935年(昭和10年)8月下旬頃、鰭崎潤(ひれざきじゅ…
8月21日の太宰治。 1933年(昭和10年)8月21日。 太宰治 26歳。 八月二十一日付で、小舘善四郎(こだてぜんしろう)に葉書を送る。 第一回芥川龍之介賞、落選直後 今日は、太宰が義弟・小舘善四郎(こだてぜんしろう)に宛てて書いた2通のハガキ…
7月31日の太宰治。 1935年(昭和10年)7月31日。 太宰治 25歳。 七月三十一日付で、小舘善四郎(こだてぜんしろう)に葉書を送る。 弟のように可愛がった小舘善四郎(こだてぜんしろう) 今日は、1935年(昭和10年)7月31日付で、小舘善…
4月27日の太宰治。 1932年(昭和7年)4月27日。 太宰治 22歳。 四月 小舘善四郎(こだてぜんしろう)(大正三年十一月二十九日生、十九歳)が帝国美術学校西洋画科に入学、小舘保と葛西信造とが住んでいた四谷区坂町の借家に同居するようになって…
3月5日の太宰治。 1937年(昭和12年)3月5日。 太宰治 27歳。 三月上旬。小舘善四郎(こだてぜんしろう)が、帝国美術学校に卒業作品を提出するために上京、提出後、久富邦夫と碧雲荘(へきうんそう)に立ち寄り、「初代の手料理」で酒盃を傾けた。…