記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

津島美知子

【太宰治】雨じゃない玉川心中

2022年6月19日は、74回目の桜桃忌。 「桜桃忌は太宰治の命日なの?」「太宰治が心中した日は雨が降っていたの?」といった、太宰について世間一般でよく誤解されている”2つの事実”について紹介します。

【週刊 太宰治のエッセイ】金銭の話

◆「金銭の話」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。

【週刊 太宰治のエッセイ】小照

◆「小照」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。文末コラムでは、太宰が遺書に「井伏さんは悪人です」と書いた、その真相に迫ります。

【週刊 太宰治のエッセイ】自身の無さ

◆「自身の無さ」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。

【週刊 太宰治のエッセイ】市井喧争

◆「市井喧争」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。

【週刊 太宰治のエッセイ】女人創造

◆「女人創造」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。

【週刊 太宰治のエッセイ】もの思う葦(その一)③

◆『もの思う葦(その一)』③ 「書簡集」 「兵法」 「in a word」 「病躯の文章とそのハンディキャップに就いて」 毎週月曜朝6時更新。太宰治の全エッセイ全163作品を執筆順に紹介します。

【日めくり太宰治】11月24日

11月24日の太宰治。 1944年(昭和19年)11月24日。 太宰治 35歳。 マリアナ基地を発進したアメリカ空軍B29型重爆撃機の大編隊が、三鷹町の北部に隣接する武蔵野中島飛行機上空に現れ爆撃攻撃をした。 戦時下における三鷹での太宰 194…

【日めくり太宰治】11月16日

11月16日の太宰治。 1938年(昭和13年)11月16日。 太宰治 29歳。 御坂峠を降りて、石原くらが見付けてくれた、石原家と齋藤家との中間辺り、甲府上府中中西寄りの、甲府市西竪町九十三番地の素人下宿寿館に止宿した。 太宰、天下茶屋を後に…

【日めくり太宰治】11月15日

11月15日の太宰治。 1947年(昭和22年)11月15日。 太宰治 38歳。 太田静子の弟太田通が来訪。 證(あかし)「この子は 私の 可愛い子」 1947年(昭和22年)3月中旬頃、太宰は、太田静子の住む下曽我の大雄山荘を訪れた際、静子から妊…

【日めくり太宰治】11月14日

11月14日の太宰治。 1946年(昭和21年)11月14日。 太宰治 37歳。 十一月十二日、十数名の人々に見送られ、羅紗(ラシャ)地の紺色に染め直した折襟の兵隊服、兵隊靴、それにゲートルを締めた姿で金木を出発。 太宰、金木から三鷹へ帰京 太宰…

【日めくり太宰治】11月6日

11月6日の太宰治。 1938年(昭和13年)11月6日。 太宰治 29歳。 午後四時頃から、石原家で、井伏鱒二、斎藤文二郎、せいの立会いで、石原美知子の叔母二人を招き、結婚披露の宴が催された。 太宰と美知子の結婚披露宴 1938年(昭和13年…

【日めくり太宰治】11月2日

11月2日の太宰治。 1942年(昭和17年)11月2日。 太宰治 33歳。 美知子、園子と共に五、六日生家に滞在したが、明日帰京と決まった日の午後、美知子、園子を連れて芦野(あしの)公園に遊び、十一月上旬に帰京した。 明日帰京と決まった日の午後…

【日めくり太宰治】10月28日

10月28日の太宰治。 1942年(昭和17年)10月28日。 太宰治 33歳。 八時青森着、十一時頃五所川原着、旭町七十一番地の中畑慶吉(なかはたけいきち)宅で一休みのあと、金木の生家を訪れた。 美知子、初めての金木 1942年(昭和17年)1…

【日めくり太宰治】10月24日

10月24日の太宰治。 1938年(昭和13年)10月24日。 太宰治 29歳。 井伏鱒二宛、二度と破婚はしない旨を記した誓約書を送付した。 太宰、井伏への「誓約書」 1938年(昭和13年)、天下茶屋に滞在中の太宰は、9月18日に師匠・井伏鱒…

【日めくり太宰治】9月18日

9月18日の太宰治。 1938年(昭和13年)9月18日。 太宰治 29歳。 井伏鱒二の付添い、斎藤せいの案内で、甲府駅の北約五分位の距離にあった、甲府市水門町二十九番地の石原家を訪問。結婚話の相手石原美知子と見合いをした。 太宰、石原美知子と…

【日めくり太宰治】9月13日

9月13日の太宰治。 1938年(昭和13年)9月13日。 太宰治 29歳。 井伏鱒二の勧めにより鎌滝方を引き払い、質屋から「夏の和服一揃を出して着かざり」、「淡茶色の鞄」一つ提げて、「思いをあらたにする覚悟」で、井伏鱒二の滞在していた山梨県…

【日めくり太宰治】8月11日

8月11日の太宰治。 1938年(昭和13年)8月11日。 太宰治 29歳。 八月十一日付で、井伏鱒二に手紙を送る。 井伏鱒二へのお礼と決意表明 今日は、太宰が1938年(昭和13年)8月11日に、師匠・井伏鱒二に宛てて書いた手紙を紹介します。…

【日めくり太宰治】8月7日

8月7日の太宰治。 1938年(昭和13年)8月7日。 太宰治 29歳。 青森駅前通りの成田本店で、母くらから聞いた人の著書『虚構の彷徨、ダス・ゲマイネ』を発見して購い、連絡船の中で読んだという。 著作をめぐる2人の女性の物語 今日は、太宰を取…

【日めくり太宰治】7月28日

7月28日の太宰治。 1945年(昭和20年)7月28日。 太宰治 36歳。 朝、石原愛子、大内かね、和子などに甲府駅まで見送られ、焼土となった甲府をあとにし、妻子を連れて津軽へと旅立った。 太宰、甲府から津軽へ疎開 1945年(昭和20年)4…

【日めくり太宰治】7月13日

7月13日の太宰治。 1940年(昭和15年)7月13日。 太宰治 31歳。 美知子宛電報を打ち、滞在費を持って迎えに来させた。 太宰、「洪水に急襲」される 太宰は、1940年(昭和15年)7月3日から、「大判の東京明細地図」を携えて、東京在住…

【日めくり太宰治】7月7日

7月7日の太宰治。 1945年(昭和20年)7月7日。 太宰治 36歳。 明け方、愛子が久保寺家でもらってきたおにぎりを、焼け跡で受け取った。 太宰、「甲府空襲」に遭う 1945年(昭和20年)6月末に『お伽草紙』全4篇200枚の原稿を完成させ…

【日めくり太宰治】6月19日

6月19日の太宰治。 1909年(明治42年)6月19日。 太宰治 0歳。 青森県北津軽郡金木村大字金木字朝日山四百十四番地の新邸宅裏階段北側和室十畳間で、戸籍名津島修治が呱々(ここ)の声をあげた。 ダザイのトリセツ 1909年(明治42年)6月…

【日めくり太宰治】6月7日

6月7日の太宰治。 1941年(昭和16年)6月7日。 太宰治 31歳。 午前一時〇分、長女園子が、東京府北多摩郡三鷹町下連雀百十三番地において誕生した。 長女・園子の誕生 今日は、太宰の長女・津島園子(1941~2020)が生まれた日です。太…

【日めくり太宰治】6月6日

6月6日の太宰治。 1948年(昭和23年)6月6日。 太宰治 38歳。 朝、何時ものように「仕事部屋に行ってくるよ」といって、気軽に家を出たまま、自宅には帰らなかった。 最後の「行ってくるよ」 前日の1948年(昭和23年)6月5日、太宰は、…

【日めくり太宰治】6月4日

6月4日の太宰治。 1939年(昭和14年)6月4日。 太宰治 29歳。 六月二日、朝六時、美知子とともに甲府を出発し、貸家を捜すために上京。 難航する東京での貸家捜し 5月26日の記事で、太宰が、お目付け役・中畑慶吉(なかはたけいきち)宛の手紙…

【日めくり太宰治】5月29日

5月29日の太宰治。 1945年(昭和20年)5月29日。 太宰治 35歳。 五月下旬か六月上旬の頃、甲府市郊外、山向こうの御岳昇仙峡の入口の近くにある千代田村(ちよたむら)上野の石原家の遠戚久保寺家に、約七粁(キロメートル)の道程を、自ら大八車…

【日めくり太宰治】5月26日

5月26日の太宰治。 1939年(昭和14年)5月26日。 太宰治 29歳。 太宰が、浅川、八王子、国分寺近辺で貸家捜しをはじめる。 太宰、東京への移転を切望 1939年(昭和14年)1月8日、太宰は、師匠・井伏鱒二の媒酌で、石原美知子と結婚。…

【日めくり太宰治】5月16日

5月16日の太宰治。 1948年(昭和23年)5月16日。 太宰治 38歳。 山崎富栄、五月十六日の日記。 太宰と3人の女性たち まずは、1948年(昭和23年)5月16日付、太宰の愛人・山崎富栄の日記を引用して紹介します。 五月十六日 昨夕、ア…

【日めくり太宰治】5月5日

5月5日の太宰治。 1939年(昭和14年)5月5日。 太宰治 29歳。 八十八夜の頃、美知子とともに信州に二泊の旅に出た。 太宰と美知子の夫婦旅行 1939年(昭和14年)、この年の1月8日に、太宰は石原美知子と結婚し、山梨県甲府市御崎町に住…