記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【週刊 太宰治のエッセイ】一つの約束

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今週のエッセイ

◆『一つの約束』
 1944年(昭和19年)、太宰治 35歳。
 1944年(昭和19年)頃に脱稿。
 『一つの約束』は、1944年(昭和19年)頃、青森県で発行された雑誌に発表されたものと推定される。この作品には、雑誌切抜が残っている。

「一つの約束

 難破して、わが身は怒涛に巻き込まれ、海岸にたたきつけられ、必死にしがみついた所は、燈台の窓縁である。やれ、嬉しや、たすけを求めて叫ぼうとして、窓の内を見ると、今しも燈台守の夫婦とその幼き女児とが、つつましくも仕合わせな夕食の最中である。ああ、いけねえ、と思った。おれの凄惨な一声で、この団欒(だんらん)が滅茶々々になるのだ、と思ったら(のど)まで出かかった「助けて!」の声がほんの一瞬戸惑った。ほんの一瞬である。たちまち、ざぶりと大波が押し寄せ、その内気な遭難者のからだを一呑みにして、沖遠く(らっ)し去った。
 もはや、たすかる道理は無い。
 この遭難者の美しい行為を、一体、誰が見ていたのだろう。誰も見てやしない。燈台守は何も知らずに一家団欒(だんらん)の食事を続けていたに違いないし、遭難者は怒涛にもまれて(或いは吹雪の夜であったかも知れぬ)ひとりで死んでいったのだ。月も星も、それを見ていなかった。しかも、その美しい行為は厳然だる事実として、語られている。
 言いかえれば、これは作者の一夜の幻想に端を発しているのである。
 けれども、その美談は決して嘘ではない。たしかに、そのような事実が、この世に在ったのである。
 ここに作者の幻想の不思議が存在する。事実は、小説より奇なり、と言う。しかし誰も見ていない事実だって世の中には、あるのだ。そうして、そのような事実にこそ、高貴な宝玉が光っている場合が多いのだ、それをこそ書きたいというのが、作者の生甲斐(いきがい)になっている。
 第一線に於いて、戦って居られる諸君。意を安んじ給え。誰にも知られぬ或る日、或る一隅に於ける諸君の美しい行為は、かならず一群の作者たちに依って、あやまたず、のこりくまなく、子々孫々に語り伝えられるだろう。日本の文学の歴史は、三千年来それを行い、今後もまた、変る事なく、その伝統を継承する。

 

太宰、お気に入りのエピソード

 太宰が生前に語った言葉は、堤重久別所直樹菊田義孝桂英澄戸石泰一小山清など、多くの弟子たちが書き留めていますが、その中の1人に小野才八郎がいます。

 太宰の弟子・小野才八郎(1920~2014)は、青森県北津軽郡嘉瀬村(現在の五所川原市)生まれの小説家です。青森師範学校(現在の国立弘前大学)を卒業後、尋常高等小学校の訓導を経て、2度の徴兵から復員し、青森県の公立小学校に勤務。1945年(昭和20年)11月13日、金木の生家に疎開中の太宰を訪ね、以後師事しました。
 1950年(昭和25年)に上京し、東京都の公立小学校に勤務。1970年代から、文芸雑誌「民主文学」を舞台に創作活動を続けました。太宰の友人・亀井勝一郎の知遇を得て、同人誌「詩と信実」の同人にもなっています。主に、イタコの生涯に取材した作品を執筆しました。また、桜桃忌には、太宰作品を朗読することも多かったそうです。

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■小野才八郎(1920~2014) 現在は、太宰と同じ三鷹禅林寺に眠っている。

 太宰の言葉を多く書き留めた小野の著書太宰治語録から、1つのエピソードを引用します。

  神と作者しか知らぬこと

「私は小説家で、小説のことしか知らない。したがって、君たちに教えることが出来るのはそれだけだ」と言って、太宰さんは、次のような話をしてくれた。
 嵐の夜、難破船から海に飛び込んだひとりの若い水夫が、必死に泳いでやっと岸にたどり着いた。そこは灯台の下だった。やれやれと窓辺にしがみついて中を覗いた。室内ではいましも一家の晩餐が始まろうとしていた。幸福な風景である。自分がいま助けを呼んだらこの幸福はたちまち壊れてしまうと、一瞬(ひる)んだ。そのとき大波が押し寄せて、彼は再び怒涛に吞み込まれてしまう。
「この事を知っているのは誰か。神と作者しかいないのだ」
 当然と言えば当然である。神は別として、作者はこの物語を作った本人なのだから。太宰さんの本意は、作家としてこういう誰も知らない真実を逃してはならない、乃至(ないし)は作れなければならないというところにあった。
 この例話はもちろん太宰さんの創作であろうが、本人は余程これが気に入ったのか、小説に二度、随筆に一度出て来る。珍しいといえば珍しい。

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 「本人は余程これが気に入ったのか、小説に二度、随筆に一度出て来る」という、このエピソード。登場するのは、

 ・小説雪の夜の話(1944年(昭和19年))
 ・随筆『一つの約束』(1944年(昭和19年))
 ・小説惜別(1945年(昭和20年))

の3作品です。
 作品の登場時期は集中しており、太宰が小野に語った時期も同時期であることから、ちょうどこの頃の太宰のお気に入りエピソードだったのかもしれません。

 人間の眼玉は、風景をたくわえる事が出来ると、いつか兄さんが教えて下さった。電球をちょっとのあいだ見つめて、それから眼をつぶっても眼蓋まぶたの裏にありありと電球が見えるだろう、それが証拠だ、それに就いて、むかしデンマークに、こんな話があった、と兄さんが次のような短いロマンスを私に教えて下さったが、兄さんのお話は、いつもでたらめばっかりで、少しもあてにならないけれど、でもあの時のお話だけは、たとい兄さんの嘘のつくり話であっても、ちょっといいお話だと思いました。
 むかし、デンマークの或るお医者が、難破した若い水夫の死体を解剖して、その眼球を顕微鏡でもって調べその網膜に美しい一家団欒だんらんの光景が写されているのを見つけて、友人の小説家にそれを報告したところが、その小説家はたちどころにその不思議の現象に対して次のような解説を与えた。その若い水夫は難破して怒濤どとうに巻き込まれ、岸にたたきつけられ、無我夢中でしがみついたところは、燈台の窓縁であった、やれうれしや、たすけを求めて叫ぼうとして、ふと窓の中をのぞくと、いましも燈台守の一家がつつましくも楽しい夕食をはじめようとしている、ああ、いけない、おれがいま「たすけてえ!」とすごい声を出して叫ぶとこの一家の団欒が滅茶苦茶になると思ったら、窓縁にしがみついた指先の力が抜けたとたんに、ざあっとまた大浪が来て、水夫のからだを沖に連れて行ってしまったのだ、たしかにそうだ、この水夫は世の中で一ばん優しくてそうして気高い人なのだ、という解釈を下し、お医者もそれに賛成して、二人でその水夫の死体をねんごろに葬ったというお話。

(前略)周さんは更にこんな即興の譬話たとえばなしでもって私を啓発してくれた事があった。
「難破して、自分の身が怒濤どとうに巻き込まれ、海岸にたたきつけられ、必死にしがみついた所は、燈台の窓縁。やれ、うれしや、と助けを求めて叫ぼうとして、窓の内を見ると、今しも燈台守の夫婦とその幼い女児とが、つつましくも仕合せな夕食の最中だったのですね。ああ、いけない、と男は一瞬戸惑った。遠慮しちゃったのですね。たちまち、どぶんと大波が押し寄せ、その内気な遭難者のからだを一みにして、沖遠くらっし去った、とまあ、こんな話があるとしますね。遭難者は、もはや助かる筈はない。怒濤にもまれて、ひょっとしたら吹雪ふぶきの夜だったかもしれないし、ひとりで、誰にも知られず死んだのです。もちろん、燈台守は何も知らずに、一家団欒だんらんの食事を続けていたに違いないし、もし吹雪の夜だとしたら、月も星も、それを見ていなかったわけです。結局、誰も知らない。事実は小説よりも奇なり、なんて言う人もあるようですが、誰も知らない事実だって、この世の中にあるのです。しかも、そのような、誰にも目撃せられていない人生の片隅に於いて行われている事実にこそ、高貴な宝玉が光っている場合が多いのです。それを天賦てんぷの不思議な触角で捜し出すのが文芸です。文芸の創造は、だから、世の中に表彰せられている事実よりも、さらに真実に近いのです。文芸が無ければ、この世の中は、すきまだらけです。文芸は、その不公平な空洞を、水が低きに流れるように自然に充溢じゅういつさせて行くのです。」
 そんな話を聞かせてもらうと、私のような野暮やぼな山猿にも、なるほど、そんなものか、やはりこの世の中には、文芸というものが無ければ、油の注入の少い車輪のように、どんなに始めは勢いよく廻転しても、すぐにきしって破滅してしまうものかも知れない、と合点が行くものの、しかし、また一方、あんなに熱心に周さんの医学の勉強を指導して下さっている藤野先生の事を思うと、悲しくなって、深い溜息ためいきの出る事もあるのである。

 同じエピソードであっても、引用の仕方によって、全く異なる印象を与えるところが秀逸です。

 【了】

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【参考文献】
・小野才八郎『太宰治語録』(津軽書房、1998年)
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
・HP「青森県立図書館・青森県立文学館
 ※画像は、上記参考文献より引用しました。
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