記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【週刊 太宰治のエッセイ】容貌

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今週のエッセイ

◆『容貌』
 1941年(昭和16年)、太宰治 32歳。
 1941年(昭和16年)5月中旬頃に脱稿。
 『容貌』は、1941年(昭和16年)6月5日発行の「博浪沙」第六巻第六号に発表された。

「容貌

 私の顔は、このごろまた、ひとまわり大きくなったようである。もとから、小さい顔ではなかったが、このごろまた、ひとまわり大きくなった。美男子というものは、顔が小さくきちんとまとまっているものである。顔の非常に大きい美男子というのは、あまり実例が無いように思われる。想像する事も、むずかしい。顔の大きい人は、すべてを素直にあきらめて、「立派」あるいは「荘厳」あるいは「盛観」という事を心掛けるより他に仕様がないようである。濱口雄幸氏は、非常に顔の大きい人であった。やはり美男子ではなかった。けれども、盛観であった。荘厳でさえあった。容貌に就いては、ひそかに修養した事もあったであろうと思われる。私も、こうなれば、濱口氏になるように修養するより他は無いと思っている。
 顔が大きくなると、よっぽど気をつけなければ、人に傲慢と誤解される。大きいつらをしやがって、いったい、なんだと思っているんだ等と、不慮の攻撃を受ける事もあるものである。先日、私は新宿の或る店へはいって、ひとりでビイルを飲んでいたら、女の子が呼びもしないのに傍へ寄って来て、「あんたは、屋根裏の哲人みたいだね。ばかに偉そうにしているが、女には、もてませんね。きざに、芸術家気取りをしたって、だめだよ。夢を捨てる事だね。歌わざる詩人かね。よう! ようだ! あんたは偉いよ。こんなところへ来るにはね、まず歯医者にひとつき通ってから、おいでなさいだ。」と、ひどい事を言った。私の歯は、ぼろぼろに欠けているのである。私は返事に窮して、お勘定をたのんだ。さすがに、それから五、六日、外出したくなかった。静かに家で読書した。
 鼻が赤くならなければいいが、とも思っている。

 

1941年(昭和16年)の太宰治

 今回のエッセイ「容貌」が執筆された1941年(昭和16年)は、太宰を取り巻く環境が大きく変化した年でした。この一年の、太宰を取り巻く社会的環境の変化や第二次大戦の戦局、その中で太宰が執筆・発表した作品について見ていきます。
 1939年(昭和14年)、妻・津島美知子と結婚して2年後の事です。

<1941年1月>

1日
ろまん燈籠(その二)』(「婦人画報」新年号)発表。
東京八景』(「文学界」正月号)発表。
みみずく通信』(「知性」一月号)発表。
佐渡』(「公論」新年号)発表。
清貧譚』(「新潮」新年号)発表。
弱者の糧』(「日本映画」新年号)発表。
五所川原』(「西北新報」)発表。

4日
中国、皖南(かんなん)事件。

5日
男女川(みなのがわ)羽左はざ)』(「都新聞」)発表。

6日
官吏制度改革交付、施行。

8日
東條陸相が「戦陣訓」を通達。

11日
新聞紙等掲載制限令、交付。
青森』(「月刊東奥」新年号)発表。

15日
妻・津島美知子と共に伊豆・伊東温泉に一泊旅をした。

16日
大日本青少年団、結成。

22日
閣議で人口政策確立要綱を決定。


<1941年2月>

1日
服装に就いて』(「文藝春秋」二月号)発表。

7日
米穀法改正案を提出(代用食の国家管理)。

11日
日満親善公演<歌う李香蘭>で日劇周辺に警官が出動する騒ぎ。
一夜、山岸外史と遊ぶ。

17日
トルコ、ブルガリア不可侵条約締結。

20日
宮崎譲『竹槍隊』(赤塚書房)に、「序文」として『犯しもせぬ罪を』を起稿。

26日
内閣情報局総合雑誌編集部に執筆禁止者リストを示す。


<1941年3月>

1日
ブルガリア、日独伊三国同盟に加盟。
国民学校令施行規則公布。
連載ろまん燈籠 その三』(「婦人画報」三月号)発表。

2日
ドイツ、ブルガリア領内に進駐。

10日
治安維持法改正、予防拘禁制追加。

15日
「ピノチオ」での阿佐ヶ谷将棋会に出席した。

20日
国家総動員法改正、施行。


<1941年4月>

1日
国民学校令施行。
大都市で米穀配給通帳制実施。
生活必需物資統制令公布。
連載ろまん燈籠 その四』(「婦人画報」四月号)発表。

13日
日ソ中立条約締結。

<1941年5月>

1日
社団法人日本映画社(日映)が設立され、ニュース・文化映画を製作する。
連載ろまん燈籠 その五』(「婦人画報」五月号)発表。

3日
「東京八景」(実業之日本社)刊行。

5日
日本出版配給株式会社が創立される。

6日
スターリンソ連首相に就任。

10日
ドイツ副総統ヘスが英国へ単独飛行し、対英和平打診を企てるが失敗。

11日
野村大使が米ハル国務長官に日米交渉修正案を提出する。

19日
ホーチミンを盟主にベトナム独立同盟を結成。
反仏・反日民族解放路線決定。

27日
米大統領、国家非常事態を宣言。

5月頃、一番弟子・堤重久と吉祥寺辺りの飲み屋を遍歴し、井の頭公園を散歩した。


<1941年6月>

1日
ろまん燈籠 その六』(「婦人画報」六月号)発表。
令嬢アユ』(「新女苑」六月号)発表。
千代女』(「改造」六月号)発表。

5日
『容貌』(「博浪抄」六月号)発表。

7日
午前1時、長女・園子が誕生した。

9日
農林省、麦類配給統制規則を公布する。

11日
山岸外史に再婚を薦める。

18日
弟子・小山清にハガキを送る。

20日
「晩年」と「女性徒」』(「文筆」夏季版)発表。

22日
ドイツ軍300万がバルト海から黒海にわたる戦線でソ連を攻撃。独ソ戦争開始。
続いてイタリア、ルーマニアフィンランドハンガリーソ連へ宣戦布告する。

23日
中共反日独伊・反ファシスト国際統一戦線を呼びかける。

25日
連絡会議において南方施策促進(南部仏印進駐)に関する件を決定。

30日
鶯谷の料亭「志保原」において、佐藤春夫の媒酌で、山岸外史と佐藤やすとの結婚披露宴があり、尽力した。


<1941年7月>

1日
全国の隣組が一斉に常会を開く。

2日
御前会議において、帝国国策要綱を決定する(対ソ戦を準備、南方進出のため対英米戦を辞せず)。
大本営、「関東軍特殊演習」の名目で70万の兵力を満州に動員する。
最初の書下し中篇小説「新ハムレット」(文藝春秋社)刊行。

10日
『私の著作集』(「日本学藝新聞」)発表。

16日
第二次近衛内閣総辞職

18日
第三次近衛内閣成立。

25日
重慶で米・英・中の軍事合作協議が行われる。

27日
満州文芸家協会が設立される。

28日
日本軍が南部仏印に進駐。


<1941年8月>

1日
米、全侵略国への石油輸出を禁止。対日石油輸出が停止となる。

2日
井伏鱒二に手紙を送る。

3日
弟子・菊田義孝、太宰の三鷹の住居を初訪問。

8日
文部省、各学校に全校組織の学校報国隊の編成を訓令する。

12日
ルーズベルト大統領とチャーチル首相が米英共同宣言(大西洋憲章)を発表する。

17日
故郷の母・夕子(たね)の衰弱が甚だしいとの事で、10年振り帰郷。

25日
短篇集「千代女」(筑摩書房)刊行。

30日
大学の学部に軍事教練担当の現役将校を配属する。


<1941年9月>

上旬頃
太田静子、三鷹の家を訪問。

3日
ドイツ軍、アウシュビッツ強制収容所で、ソ連兵捕虜600人とユダヤ人250人に初の毒ガス処刑執行。

6日
日米交渉が難航する中、御前会議が帝国国策遂行要領を決定。10月上旬までに外交交渉が進展しない場合は、対米戦争を決意。

8日
ドイツ軍、レニングラード包囲。

15日
米穀国家管理実施要綱。

産業報国会、勤労秩序確定、勤労総動員。生産力増強のスローガンの下、”働け運動”開始。


<1941年10月>

12日
ドイツ軍、モスクワ攻撃開始。

15日
ソ連共産党員で赤軍第四本部所属のドイツ人スパイ、リヒャルト・ゾルゲ、尾崎秀實、諜報活動容疑で検挙。
世界的』(「早稲田大学新聞」)発表。

16日
第三次近衛文麿内閣が総辞職。

18日
開戦派の東條英機内務省陸相兼務のまま、東條英機内閣成立。

28日
重要産業第一次指定(鉄鋼、石炭、造船など12業種)決定。

31日
国民購買力の吸収と消費節約を狙った臨時増税案要綱が発表。


<1941年11月>

1日
風の便り』(「文学界」十一月号)発表。
』(「文藝」十一月号)発表。

5日
御前会議、帝国国策遂行要領を決定。作戦準備を進め、12月1日までに交渉成立なら、武力発動中止。

15日
兵役法改正。丙種合格で第二国民兵編入者も召集に。

17日
本郷区役所二階講堂で徴用のための検査を受けた。

26日
アメリカがハル・ノート(①中国・仏印からの撤退、②三国同盟死文化、③重慶国民政府以外の中国政府拒否)を提示。大本営連絡会議はハル・ノートを日本への採集通牒と結論。東條陸相は、撤退に断固反対を主張する。
択捉島・単冠湾に集結した機動部隊が出港。無線封鎖を行いながら、ハワイ海域へ向かう。

国民勤労報国協力会設立。


<1941年12月>

1日
旅信』(「新潮」十二月号)発表。
』(「知性」十二月号)発表。

2日
『私信』(「都新聞」)発表。

8日
日本軍、マレー半島に上陸開始。午前3時19分、日本の機動部隊がハワイ真珠湾を奇襲。11時45分、対米英宣戦の大詔発表。
津島美知子「太平洋戦争が始まった」

11日
独伊、対米宣戦布告。

12日
対米英戦を「支那事変」も含め、「大東亜戦争」と呼ぶことに閣議決定

19日
言論・出版・結社等臨時取締法公布。

25日
香港島の英軍降伏。第二三軍、香港を占領する。

中旬、東京駅で太田静子と落ち合い、新宿の「LILAS」という地下レストランで対談した。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・内海紀子/小澤純/平浩一『太宰治と戦争』(ひつじ書房、2019年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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