記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】6月9日

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6月9日の太宰治

  1939年(昭和14年)6月9日。
 太宰治 29歳。

 六月九日付で、砂子屋書房(すなごやしょぼう) 山崎剛平(やまざきごうへい)宛にハガキを送る。

太宰、創作集の装幀(そうてい)を依頼する

 今日紹介するのは、1939年(昭和14年)6月9日付で太宰が送った、砂子屋書房(すなごやしょぼう) 山崎剛平(やまざきごうへい)宛のハガキです。

 歌人山崎剛平(やまざきごうへい)は、1935年(昭和10年)10月に砂子屋書房(すなごやしょぼう)を創立します。砂小屋書房は、1936年(昭和11年)6月に、太宰の処女短篇集晩年を刊行した出版社です。

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■処女短篇集『晩年』初版本 発行者には、山崎剛平の名前。2019年、著者撮影。

 太宰は、1940年(昭和15年)、砂子屋書房が創立5周年を迎えた際、エッセイ『砂子屋』を執筆し、「書房を展開せられて、もう五周年記念日を迎えられる由、おめでとう存じます」「書房の名前の砂子屋は、彼の出生の地、播州「砂子村」に由来しているようであります」「君の遠大の浪漫を、見事に満開なさるよう御努力下さい」と、山崎に期待と応援の言葉を寄せています。

 それでは、太宰が山崎に宛てて書いたハガキを引用してみます。

  甲府市御崎町五六より
  東京市谷区上野桜木町二七
   砂子屋書房 山崎剛平

 拝啓、
 きょう、山田貞一(やまださだかず)氏より、絵が、やっとできて、砂小屋のほうへ、速達で送る、という たよりございました。
 どうか、よろしくお願いいたします。
 山田氏は、大いに、凝り性ですから、いままで、毎日のように花を写生し、あれでもない、これでもない、と、片っぱしから破って、やっと意に満ちたもの、できたらしく、アマチュアとして、癖のない、率直な絵が、できたことと存じます。どうか、それを表紙に、使用して下さい。そうして、本のどこかの隅に、表紙絵、山田貞一と、印刷して置いて下さい。
 題が「女生徒」ですから、少し装幀を派手にして下さい。心から、お願い申し上げます。    不一。

 太宰の第5創作集女生徒の表紙絵についてのやり取りです。
 山田貞一(やまださだかず)は、太宰の妻・美知子の三姉・宇多子の夫。山田は、東京帝国大学工学部卒、東京火薬工業(株)に勤務する技師で、東京市板橋区板橋町7丁目444番地に住んでいました。
 太宰は、第5創作集を出版する際の表紙絵を、「アマチュア「凝り性」の義姉の夫に依頼したのでした。

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■1939年(昭和14年)1月8日、太宰と美知子の結婚式 前列右より井伏鱒二、太宰、美知子、井伏夫人・節代、後列右より北芳四郎、山田貞一、中畑慶吉、1人置いて宇多子。

 しかし、同日、太宰は山崎に宛てて、もう1通ハガキを書いています。

  甲府市御崎町五六より
  東京市谷区上野桜木町二七
   砂子屋書房 山崎剛平

 拝啓、けさ おハガキ 差上げましたが、ただいま 山田氏から ハガキが来て、表紙の絵は、「まっ白い紙に すっきりと出して もらいたい」と、希望を述べてまいりましたが、山崎さん、その辺よろしく お願い申します。
 私のほうでは、山崎さんを、ほんとうに、何もかも信じて居りますから、どうか 御一存で、美しくして下さい。
 おいそがしいことで ございましょう。皆様にも、よろしく。

 太宰は、山田の依頼を受け、表紙デザインを、当初の「少し装幀を派手に」 から、「まっ白い紙に すっきりと出して もらいたい」に変更したいと、2通目のハガキを送ります。

 紆余曲折あった上で、1939年(昭和14年)7月20日付で、砂小屋書房から刊行された第5創作集女生徒がこちら。

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■第5創作集『女生徒 短篇集。「満願」「女生徒」「I can speak」「富嶽百景」「懶惰の歌留多」「姥捨」「黄金風景」収載。

 山崎は、山田と太宰の要望を受け入れ、太宰に表紙デザインを案内したようです。
 最後に紹介するのは、それを受けて、同年6月27日付、山崎宛のハガキです。

  甲府市御崎町五六より
  東京市谷区上野桜木町二七
   砂子屋書房 山崎剛平

 拝啓、
 表紙絵、フレッシュの出来の(よし)にて、なにより と存じます。どうか、山崎さん 御自身の工夫にて、よろしく 活用 下されたく、いまから 大いに たのしみにして居ります。よろしくお願いいたします。皆様に、よろしく。       不一。

 ちなみに、処女短篇集晩年の題字は、太宰の最初の妻・小山初代の叔父・吉沢祐によるものでした。

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■吉沢祐(本名:祐五郎) 晩年の題字を書いた頃。吉沢の職業は、現在のグラフィックデザイナー。太宰は、初代の叔父である吉沢を、何かと頼った。

 太宰の創作活動は、信頼・信用できる人たちとの、共同作業だったのかもしれません。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 12  書簡』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
志村有弘・渡部芳紀 編『太宰治大事典』(勉誠出版、2005年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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