記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】4月17日

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4月17日の太宰治

  1936年(昭和11年)4月17日。
 太宰治 26歳。

 四月十七日付で、淀野隆三(よどのりゅうぞう)宛に手紙を送る。

太宰、お金の無心をする

 今日は、太宰が淀野隆三(よどのりゅうぞう)に送った手紙を紹介します。
 まずは、実際に太宰が書いた手紙をご覧下さい。

  千葉県船橋町五日市本宿一九二八より
  京都市伏見区大手筋 淀野隆三宛

 謹啓
 ごぶさた申して居ります。
 さぞや、退屈、荒涼の日々を、お送りのことと深くお察しいたします。
 生涯には様々のことが、ございます。私なども何か貴兄のお役に立つように、なりたいと、死にたい、死にたい心を叱り叱り、一日一日を生きて居ります。
 唐突で、冷汗したたる思いでございますが、二十円、今月中にお貸し下さいまし。
 多くは語りません。生きて行くために、是非とも必要なので、ございます。
 五月中には、必ず必ず、お返し申します。五月には、かなり、お金がはいるのです。
 私を信じて下さい。
 拒絶しないで下さい。
 一日はやければ、はやいほど、助かります。
 心からおねがい申します。
 別封にて、ヴアレリイのゲエテ論、お送りいたしました。
 私の「晩年」も、来月早々、できる(はず)です。できあがり次第、お送りいたします。
 しゃれた本になりそうで、ございます。
 まずは、平素の御ぶさたを謝し、心からのおねがいまで。
 たのみます。
                 治
  淀野隆三学兄
 ふざけたことに使うお金ではございません。たのみます。

 「唐突で、冷汗したたる思いでございますが、二十円、今月中にお貸し下さいまし」「二十円」は、現在の貨幣価値に換算すると、約3万~4万円です。
 太宰は、お金が必要な理由として、「生きて行くために、是非とも必要」「ふざけたことに使うお金ではございません」と弁解していますが、パビナールを買うためのお金の無心でした。

 太宰は、従来から言われていたように「パビナール中毒」だったのか?という点については、4月4日の記事で、長篠康一郎氏の太宰治文学アルバム ―女性篇―』を引用しながら、「太宰は、本当に麻薬中毒だったのか?」と題して紹介しました。

 長篠氏によると、「パビナール中毒」と呼ぶ程ではなかったということですが、パビナールを常用していたことは確かで、太宰の船橋時代のパビナール使用については、3月12日の記事でも紹介しました。

 3月12日の記事では、「所持金が足りなくなって、お金の無心をする手紙を書いたりもしています」と紹介しましたが、今回、太宰がお金の無心をしたのは、誰だったのでしょうか?

 淀野隆三(よどのりゅうぞう)(1904~1967)は、京都府紀伊郡伏見町(現在の京都市伏見区)生まれのフランス文学者、翻訳家、評論家です。
 淀野は、1929年(昭和4年)10月、「文学」(第一書房)創刊号から佐藤正彰と、マルセール・プルースト失われた時を求めての最初の翻訳を行い、文壇に大きな影響を与えました。この共訳は、1930年(昭和5年)1月に中絶されますが、『マルセル・プルウスト全集 失ひし時を索めて第一巻 スワン家の方』(以下、『スワン家の方』)として、1931年(昭和6年)7月に武蔵野書院から刊行されました。

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 淀野と太宰の関係は、1934年(昭和9年)にはじまります。
 淀野の呼びかけをきっかけに、多くの同人誌を統合することになった「世紀」に、太宰も参加していた「青い花」同人も参加しました。
 ところが、翌年1935年(昭和10年)に中谷孝雄らと淀野が「世紀」を脱退し、「日本浪漫派」に合流。その後、中谷の仲介で太宰も「日本浪漫派」に参加し、同年5月に刊行された「日本浪漫派」第三号の同人一覧に、淀野と共に名を連ねています。ここに、太宰は道化の華を、淀野は『人生劇場を読む』を寄稿しています。

 また、淀野は、太宰の処女短篇集晩年の装丁にも影響を与えています。
 1935年(昭和10年)11月下旬、晩年刊行のための打ち合わせのため、船橋の自宅へ壇一夫、砂子屋書房主・山崎剛平、編集・浅見淵が訪問した時のこと。太宰は、1冊の本を彼らに渡し、同じ体裁で晩年を作ることを要望します。それが、菊判、フランス装(アンカット本)で作られた、淀野隆三・佐藤正彰共訳『スワン家の方』でした。

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■上が『スワン家の方』、下が『晩年』。

 さて、最後に太宰のお金の無心について。
 太宰は、冒頭で紹介した手紙の後にも、4月23日付で、

 私の、いのちのために、おねがいしたのでございます。
 誓います、生涯に、いちどのおねがいです。

 4月26日付で、

 こんなに、たびたび、お手紙さしあげ、羞恥のために、死ぬる思いでございます。何卒、おねがい申します。他に手段ございませぬゆえ、せっぱつまっての、おねがいでございます。たのみます。まことに、生涯にいちどでございます。

と、3度にわたって借金を依頼する手紙を送っています。

 太宰に20円を貸した淀野は、4月27日付の礼状を受け取ります。

 このたびは、たいへんありがとう。かならずお報い申します。私は、信じられて(、、、、、)、うれしくてなりません。きょうのこのよろこびを語る言葉なし。私は誇るべき友を持った。天にも昇る気持ちです。私の貴兄に対する誠実を了解していただけて、バンザイが、ついのどまで、来るのです。

 太宰は淀野に、ちゃんと返金できたのでしょうか。

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 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
志村有弘・渡部芳紀 編『太宰治大事典』(勉誠出版、2005年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
山梨県立文学館 特設展「太宰治 生誕110年―作家をめぐる物語―」
 2019年6月15日 対談「太宰治・著書と資料をめぐって」配布資料
・HP「日本円貨幣価値計算機」(https://yaruzou.net/hprice/hprice-calc.html
 ※画像は、上記参考文献より引用しました。
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