1月11日の太宰治。
1938年(昭和13年)1月11日。
太宰治 28歳。
東京市杉並区天沼一ノ二一三 鎌滝方より
東京市下谷区上野桜木町二七 山崎剛平方 尾崎一雄宛
拝啓
昨年は、いろいろ御むりをお願いいたし、さぞ ごめいわく でございましたでしょう、どうやら 切り抜けました故 他事ながら御安心下さい、原稿なかなか むづかしく、どうやら三枚、本日別封にてお送りいたしました、あんなのでよかったら、どうか御使用下さいまし、
年賀状いただき、私喪中ゆえ欠礼いたしました、あしからず御了承下さい、
末筆ながら山崎様にもよろしく 不一
「晩年」に就いて
ハガキの宛先である尾崎一雄(1899-1983)と太宰との出会いは、1933年(昭和8年)の秋。尾崎が檀一雄の住む上落合の家に引っ越して、二階に檀一雄、一階に尾崎一家が住むようになります。そして、檀のところへやって来る訪問客の一人が太宰でした。太宰より10歳年長の尾崎は、その頃『
ハガキに出て来る「どうやら三枚、本日別封にてお送りいたしました」とは、同年2月1日発行の「文筆」に発表されたエッセイ「他人に語る」を指します。これは、のちに昭南書房版『
「晩年」に就いて
「晩年」は、私の最初の小説集なのです。もう、これが、私の唯一の遺言になるだろうと思いましたから、題も、「晩年」としたのです。
読んで面白い小説も、二、三ありますから、おひまの折に読んでみて下さい。
私の小説を読んだところで、あなたの生活が、ちっとも楽になりません。ちっとも偉くなりません。なんにもなりません。だから、私は、あまり、おすすめできません。
「思い出」など、読んで面白いのではないでしょうか。きっと、あなたは、大笑いしますよ。それでいいのです。「ロマネスク」なども、滑稽 で出鱈目 に満ち満ちていますが、これは、すこし、すさんでいますから、あまり、おすすめできません。
こんど、ひとつ、ただ、わけもなく面白い長篇小説を書いてあげましょうね。いまの小説、みな、面白くないでしょう?
やさしくて、かなしくて、おかしくて、気高くて、他に何が要るのでしょう?
あのね、読んで面白くない小説はね、それは下手な小説なのです。こわいことなんかない。面白くない小説は、きっぱり拒否したほうがいいのです。
みんな、面白くないからねえ。面白がらせようと努めて、いっこう面白くもなんともない小説は、あれは、あなた、なんだか死にたくなりますね。
こんな、ものの言いかたが、どんなにいやらしく響くか、私、知っています。それこそ人をばかにしたような言いかたかもわからぬ。
けれども私は、自身の感覚をいつわることができません。くだらないのです。いまさら、あなたに、なんにも言いたくないのです。
激情の極には、人は、どんな表情をするでしょう。無表情。私は微笑の能面になりました。いいえ、残忍のみみずくになりました。こわいことなんかない。私も、やっと世の中を知った、というだけのことなのです。
「晩年」をお読みになりますか? 美しさは、人から指定されて感じいるものではなくて、自分で、自分ひとりで、ふっと発見するものです。「晩年」の中から、あなたは、美しさを発見できるかどうか、それは、あなたの自由です。読者の黄金権です。だから、あまりおすすめしたくないのです。わからん奴には、ぶん殴ったって、こんりんざい判りっこないんだから。
もう、これで、しつれいいたします。私はいま、とっても面白い小説を書きかけているので、なかば上 の空で、対談していました。おゆるし下さい。
尾崎は、友人の
尾崎の回想によれば、4番目には尾崎の『暢気眼鏡』が予定されていたが、檀一雄の要請によって『晩年』が先に刊行されたとのこと。当時、太宰はパビナール中毒だったため、早く本が出版され、印税が入っていることを望んだからのようです。
上野精養軒で開かれた『晩年』の出版記念会には、尾崎も出席しています。
【了】
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【参考文献】
・『太宰治全集 11随想』(筑摩書房、1999年)
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
・日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・志村有弘・渡部芳紀 編『太宰治大事典』(勉誠出版、2005年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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