4月19日の太宰治。
1946年(昭和21年)4月19日。
太宰治 36歳。
四月十九日付で、井伏鱒二宛にハガキを送る。
戦後の原稿用紙不足
今日は、太宰が師匠・井伏鱒二に送ったハガキを紹介します。太宰は故郷の青森県金木町へ、井伏も故郷の広島県深安郡賀茂村へ疎開中でした。
青森県金木町 津島文治方より
広島県深安郡賀茂村 井伏鱒二宛
謹啓 「展望」の御作を拝読し、いよいよ佳境にはいらんと致しましたら、原稿用紙の不足、実に惜しい気持でした。原稿用紙ございますか。紙質が悪くてもかまわなければ、こちらに少しございますが、もしお困りでしたら、電報ででも御知らせ下さいまし。筑摩にも、たしかいい原稿用紙がある筈 でしたが。
永いこと御ぶさたしています。田舎暮しも、つらいものですねえ。御無事をお祈り申しています。 敬具。
ハガキの中に出てくる「『展望』の御作」とは、筑摩書房から刊行されていた雑誌「展望」四月号に掲載された、井伏の『二つの話』のことです。
太宰は、井伏の原稿用紙不足について心配しています。
日本の出版界は、第二次世界大戦の戦火が拡大する中で、政府から国家統制体制への参画を求められ、諸物資の統制、特に印刷用紙の統制割り当てを強いられました。「日本出版文化協会」(1943年(昭和18年)3月11日に日本出版会に改組)は、主としてその業務にあたっていましたが、終戦を契機に解散します。
1945年(昭和20年)10月に設立された業界の自主的団体「日本出版協会」は、多少形を変えたものの、用紙割り当て業務を引き継ぎ、1951年(昭和26年)5月の同制度終了まで、その任にあたりました。
戦時下の統制により200社程度に統合・整理された出版社ですが、その統制が解かれた途端、雨後の
このような用紙不足は、戦後の混乱からの脱却が進み、1850年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争による特需の発生などを契機に、徐々に改善されていきました。
■太宰の『斜陽』(長篇連載第二回、三と四)が掲載された雑誌「新潮」八月号(1947年(昭和22年)発行)の編集後記 「印刷スト」により、発行が遅れたことを詫びています。
太宰は井伏に「原稿用紙ございますか。紙質が悪くてもかまわなければ、こちらに少しございます」と書いています。
原稿用紙というと、400字詰め(20字×20字)を思い浮かべる人が多いと思いますが、太宰が好んで使ったのは、200字詰め(20字×10字)の原稿用紙でした。
■『人間失格』直筆原稿 200字詰め(20字×10字)の原稿用紙。原稿用紙の左隅には「筑摩書房」の印字がある。
「原稿用紙〇〇〇枚の大作!」なんてコピーを目にすることがありますが、これだと、だいぶ文字数が変わってきてしまいますね。
■『お伽草紙』の直筆原稿
ちなみに、太宰は『お伽草紙』を書く際、400字詰め原稿用紙を半裁して、200字詰め原稿用紙として使用していました。
【了】
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【参考文献】
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
・日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・太宰治『直筆で読む「人間失格」』(集英社新書ヴィジュアル版、2008年)
・日本近代文学館 編『太宰治 創作の舞台裏』(春陽堂書店、2019年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
・HP「一般社団法人 日本書籍出版協会」(http://www.jbpa.or.jp/nenshi/pdf/p266-271.pdf)
※画像は、上記参考文献より引用しました。
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