記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を、自由に旅する。太宰治が、ソウルフレンド。

【日めくり太宰治】5月15日

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5月15日の太宰治

  1939年(昭和14年)5月15日。
 太宰治 29歳。

 五月十五日付発行の「帝国大学新聞」に「正直ノオト」を発表した。

『正直ノオト』

 今日は、太宰のエッセイ『正直ノオト』を紹介します。
 『正直ノオト』は、1939年(昭和14年)5月15日発行の「帝国大学新聞」第766号の第七面「文学」欄に発表されました。この欄には、ほかに「西欧精神の運命『クライティーリオン』廃刊に関連して」(中野与好夫)、「『文芸の遊撃戦』志那の抗戦文学に就いて」(増田捗)、「見事なる体験戦記 芹澤光治良氏『眠られぬ夜』 文芸六月」(寺崎浩)、「プーテルマン編 勝谷在賢訳 プーシキン 生涯と芸術」(湯浅芳子)が掲載されていました。

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『正直ノオト』

 正直に言うことに致しましょう。私は、これから書こうとする小説、または、過去に於いて書いた小説の意図、願望、その苦心を、あまり言いたくないのです。それは、私の虚傲(きょごう)からでは、ないと思うのです。書いてみて、それが相手に受け入れられなかったら、もうどう仕様もないことですし、これから書こうと思っている小説を、どんなにパッションもって語っても、いまのところ私は、そんなに優秀の大傑作、書けないのが、わかっていますし、現在の私の作家としての力量も、たいてい見当がついていますし、だいいち私は、いま、もっと正直にならなければいけません。多くの作家が、身のほど知らずの抱負を、無邪気に語っているのを聞いていると、私はその人たちを、うらやましく思い、生きていることが、矢鱈(やたら)に、つらく思われて来るのです。わかりますか? けれども私は、そんな作家たちを、決して拒否できないのです。
 私だって、薬を飲むときには、まず、その薬品に添附されて在る効能書を、たんねんに読んで、英語で書かれて在るところまであやしげな語学でもって読破して、それから、快心の微笑を浮べて、その優秀(と書かれて在る)薬品を服用し、たちどころに効きめが現われたような錯覚に落されて、そうして満足している状態なんですからね。効能書のない薬品なんて、絃の無いヴァイオリンみたいに、はかなく落ちつかない気が致します。効能書は、無ければ、いけないものなのでしょうね。
 けれども芸術は、薬であるか、どうか、ということになると、少し疑問も生じます。効能書のついたソーダ水を考えてみましょう。胃の為にいいという、交響楽を考えてみましょう。サクラの花を見に行くのは、蓄膿症をなおしに行くのでは、無いでしょう。私は、こんなことさえ考えます。芸術に、意義や利益の効能書を、ほしがる人は、かえって、自分の生きていることに自信を持てない病弱者なのだ。たくましく生きている職工さん、軍人さんは、いまこそ芸術を、美しさを、気ままに純粋に、たのしんでいるでは無いか。
「大デュマなんて、面白いじゃあないですか。ボードレエルの詩だって、なかなか変ったものですね。こないだ、なんといったかなあ、シュニッツラアとかいう人の短篇、読んでみましたけれど、あの人、うまいですねえ。」そうして、くったくなく、文学をたのしんでいるのです。こういう人たちには、効能書の必要は、あまり無いようですね。安心なものです。効能書を、必要とするのは、あなたが(おゆるし下さい)病弱者だけなのです。しっかりして下さい。
 私は、不親切な医者かも知れません。私は、私の作品を、これは傑作だなんて、言ったことは、ありません。悪作だ、と言ったこともありません。それは、傑作でもなければ、悪作でもないのが、わかっているからです。少し、いいほうかもしれない。けれども、今までのところ、私は一篇も、傑作を書いていません。それは、たしかです。こないだも、或る先輩のお方と話合ったことですが、じっさい、自分自身の胸にストンと全部、きれいに納得できるような作品、一つでも自分が書いていたら、また、いますぐ書ける自信があったら、なんで、こんな、どぶ鼠みたいに、うろうろしていようぞ。銀座でも、議事堂のまえでも、帝大の構内でも、りゅうとした身なりで、堂々あるいてみせるのだが、どうも、いけません、当分、私は、だめでしょう。そう言ったら、その先輩のお方も、なるほど、人から貴下の代表作は? と聞かれたとき、さあ、桜の園、三人姉妹なんか、どうでしょう、とつつましく答えることができるようだったら、いいねえ、としんみり答えたことでした。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 11 随筆』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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