記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】5月28日

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5月28日の太宰治

  1941年(昭和16年)5月28日。
 太宰治 31歳。

 五月頃、堤重久と吉祥寺駅辺りの飲み屋を遍歴し、井之頭公園を散歩した。

真夜中のサイダー

 今日は、太宰が一番弟子の堤重久と、吉祥寺駅周辺の飲み屋を飲み歩いたあと、井之頭公園を散歩したときのエピソードを、堤のエッセイ『あのころ』を引用して紹介します。

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 「東京八景」という御本が、はじめて出版された直後のことと記憶しているから、たしか昭和十六年五月ごろのことである。私は先生のお供をして、例のごとく吉祥寺駅へんの飲屋を遍歴したあげく、先生をお送りして井之頭の森のよこ手にさしかゝったとき、先生がふと足をおとめになって夜空をあおいで、
 「おい、見ろよ。あの月のすぐそばに、星がひとつ小さく光っているだろう」
 見あげると、なるほど先生のおっしゃるように、巨大な亡霊のように立ちならんだ森の(こずえ)ちかく、十三夜ぐらいの月がうかんでいて、その月から二間ほどはなれた感じで、小さな青い星が、ひっそり光っていた。
 「つかずはなれず、はにかんだようにつつましく光っていやがる。いゝなあ。マリヤの感じだな」
 私はしばらく眺めてから、
「月にはなれそうもありませんから、あの小さな星でも結構です。僕はあの星になりたいと思います」
「でもじゃないよ」だいぶ御酩酊気味の先生は、大袈裟に片手をお振りになった。
「あれだけで大したもんなんだよ、あの星になろうとして、芸術家は狂ってしまうのだ。俺たちなんざ、ま、あそこらへんにごちゃごちゃかたまっている星屑のひとつさ」
 そう自嘲なさって、あらあらしい息づかいをなさりながら、なおその星をじっと見つめておられた。
 かれこれ十一時近かったので、もう少しお送りしてからお別れすると言うと、先生は例によって承知せず、まあ、そう言うな、いゝひとが待っているわけでもあるまい、もう少しつきあえとおっしゃって、井之頭公園の池にでる杉林にはさまれた石段を、あぶないお足どりをしながら、先にたってどんどん降りてゆかれた。

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■井之頭公園 太宰は、弟子や来訪者たちを連れて、よく井之頭公園を散歩したそうです。2017年、著者撮影。

 葉をもれ、枝をもれて、月が森のなかを夢のようにあかるくしていた。つぎつぎに現われる杉の大樹に先生の影がよろめきとつぜん先生が、異様な蛮声をおはりあげはじめた。
 「先生、それなんですか」
 蛮声にひとくぎりつくのを待って、私はあきれてお尋ねした。
 「海ゆかばさ。知らんのかね」
 「海ゆかばなら知ってますけど、そうですか、まさか歌とは思わなかった」
 「お前は音痴か」
 「いや、音痴は先生です。先生のお歌には、かいもくリズムというものがありません。密林のなかでライオンが吠えているようなものです」
 先生は、あははとおわらいになり、杉の根もとに小便をなさりながら、
 「さては見やぶられたか。何をかくそう、俺は音痴なのだ」
とおっしゃった。
 杉林をぬけ、池の左手にそって半町ほどゆくと、池のふちすれすれに一軒の茶屋がある。先生はお顔をうつむきかげんにして、唇をへの字にむすんで、暗い池畔をよろめき歩いておられたが、その茶屋のまえまで来るとつとその葦簾(よしず)ばりの囲いのなかにお入りになった。
 「戸をたゝいて、起きていたらサイダーでももらえ」
 先生はそうおっしゃりながら、縁台のあいだをとおって茶屋の向側の、水のうえに張りだした手摺(てすり)のついたせまい縁側に、下駄をぬいであがってゆかれた。
 あまり遅すぎるし、私はだめかも知れないとあやぶんだ。しかし、御命令なので仕方なく、雨戸をつよく何度もたゝくと、たぶん寝ていたらしいねむそうな話し声が(ふた)こと()こときこえやがて足音がちかづいて雨戸が一尺ほどひらかれた。奥の間からの逆行線で顔はぼんやりとしか見えなかったが、はたち前後のなんだかすごくきれいな娘さんが、肩もあらわなシュミーズ一枚の上半身をのぞかせて、大きな黒眼でいぶかしそうに私を見おろしていたのである。
 まだ大学生であった私は、とつぜんの美人出現にひどく狼狽した。サイダーをセイダーと発音などして、とにかく慌てゝそのセイダーとコップをのせたお盆を受けとると、ビッグ・ニュースとばかりに息をはずませてさっそく先生に注進におよんだ。縁側のはばがせまいので、長いお膝をおりまげて、穴におちこんだような格好で坐っておられた先生は、無理な姿勢で煙草に火をおつけになりながら、にやりとおわらいになって、
 「お前も運のいい男だな。その女は評判の美人で、井之頭小町と言われているんだ。こんなにおそく、サイダーを出してくれるなんて、お前に惚れたのかも知れない。と言うのはお世辞で、いゝひとが来たのかと思って雨戸をあけて見たら、知らないお前が立っていたので、あわてゝサイダー二本で追いはらったのだろう。それにちげえねえ」とおもしろくないことをおっしゃった。
 先生と私は、森にかこまれて暗くしずまりかえった真夜中の池をまえにして、あたりかまわずの大声で馬鹿ばなしを続けていたが、そのうち先生はふと真面目なお口調で、
 「お前は、俺の女房をどう思う」
 「かざりけのないいゝお方だと思います」
 「そうだろう。そうだろうはひどいが、ま、そりゃそうさ」
先生は髪をかきあげ、うれしそうにおっしゃった。

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 「女房はよくやってくれるよ。だまって、がまんして、よく仕えてくれるよ。俺は感謝しているんだ。お前はまだ独身でわからないだろうが、家庭は神聖な場所だ。神聖だから、俺はふれずにそっととっておきたいんだ」
 私は、なんと言っていゝかわからず、眼をおとして黙っていた。先生は調子をかえて、
 「この池には、むかし鵞鳥(ガチョウ)がたくさんいたんだ。その鵞鳥をね、詩人のTが白鳥と、まちがえて、あゝ、ましろき白鳥ぞうかぶ井之頭の池よ、なんていう詩をつくっているんだ。ばかな奴だろう」
 そんなことをおっしゃって、私をわらわせてからお立ちあがりになった。私はすぐ縁側から降りて靴をはきだした。しかし、先生のいらっしゃりかたがあまりに遅いので何気なしにもとの場所をのぞくと、片手で手摺をおつかみになり、かゞみこまれた先生が、お首と上半身をいろいろに動かしながら、月光に()のところだけ、まだらに銀色ににぶく光った池の面を、すかすようにして一心に見つめておられた。私は魚でもいるのですかとお尋ねした。
 「いや、なに」と先生は、やはりそんな動作をおつづけになりながら、
 「あの水だがね、あの水の感じが書けたら一流なんだがなあ。俺にはまだ書けねえや」と冗談まじりに歎息なされた。
 その晩は、先生のお宅に泊めていただくことにして、池畔の路をひきかえして森をぬけ、例の石段をのぼって路上に出た。十二時ごろらしく、吉祥寺の町は掃きとったように人影がなかった。私の肩におつかまりになり、「堤や、堤や」などと、たわむれにおさゝやきになってよろよろとお歩きになりながら、ふとまた月をお見あげになった先生が、いきなりぷっとお噴きだしになった。
 「おい、おい、変なことになって来たぞ。さっきはあんなにほめてしまったが、いつのまにか月も星もうす赤くなって、距離もだいぶ近づいているじゃあないか」
 先生にそう言われると、ほんとに私にもそんな風に思われた。
 「いやらしい。見ちゃおられん。ペッ、ペッ、ペッ」と唾をおはきになる真似をなさり、先生と私は、地だんだを踏むほど大笑いした。
 その星は、まだ虚空に(かがや)いているであろうが、先生はもうおられない。先生、ひどいじゃないか。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治研究 臨時増刊』(審美社、1963年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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