記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】7月2日

f:id:shige97:20191205224501j:image

7月2日の太宰治

  1948年(昭和23年)7月2日。
 太宰治 39歳。

 七月一日付発行の「月刊読物」薫風号に「黒石の人たち」を発表。

『黒石の人たち』

 今日は、1948年(昭和23年)7月1日発行の「月刊読物」第一巻第五号に新仮名遣いで発表されたエッセイ『黒石の人たち』を紹介します。このエッセイは、太宰の死後に掲載、カットは、太宰と青森県立中学校の同級生だった阿部合成でした。
 この雑誌には、ほかに『知事と太宰治』(小林浮浪人)、『礼文島と私』(稲見五郎)、『李順栄』(竹内俊吉)、『友遠方より来たらず』(平井信作)、『恋愛ばやり』(沙和宗一)が掲載されていました。

『黒石の人たち』

 津軽疎開中、黒石町にいちど遊びに行った事があります。黒石民報の中村さんのところへ遊びに行ったのです。中村さんは、(しま)ズボンをはいていました。いつも、はにかんで、赤面し、微笑していました。頭のいいひとは、たいてい、こんな表情をしているものです。中村さんは、私に字を書かせました。そうして私の書いているのを傍で見ていながら、「こないだ、××さんにも書いてもらったが、あのひとは、うまかった」と言いかけ、ご自身ひとりで、ひどく狼狽していました。私の時には、いたく失望なさったらしいのですが、無理もないんです。

 

f:id:shige97:20200629071758j:image
■太宰、疎開中の書

 

 黒石民報社の主筆の福士さんは、黒石の詩人や作家たちを、私に紹介して下さいました。私のワイシャツの袖口のボタンなどはずれていると、福士さんはそれを気にして、無言で直してくれるのでした。私も安心して黙って福士さんに直してもらい、まるで私は福士さんにとって中風のおじいさんのようでした。
 北山さんという詩人は、雪の夜路を私と二人で歩いて、北山さんはその夜、特に新しい軍靴をはいて私に歓迎の心意気のほどを見せてくれたのですが、新しい軍靴は雪に滑って、北山さんは、何度も何度もころびました。北山さんは、一升瓶を持参していたので、私は、北山さんのころぶ度に、ひやりとしました。
 また対馬さんという詩人は、私を黒石の隣村に連れて行って、座談会をひらきましたが、村の人は坊主のお説教と間違ったのか、じいさん、ばあさんが、たくさん集ったのには、閉口しました。そのうちに、村の若者のひとりが、私を無視して、ご自分で演説をはじめ、甚だ座が白け、対馬さんは、その若者に演説をやめさせようとして大苦心の態でした。
 そこを引き上げて、私たち二人は、その村のお医者さんのところへ行き、お酒を飲んでも、ちっとも意気が上がりませんでした。実に、みじめな座談会ですが。
 また、黒石の近くの別の村の村長さんで神さんというおじいさんがあって、この人は、「津島のオンチャは、まだまだ、ものになっておらん、勉強しろ、こら、ばか者めが」と言って、やたらと私を叱るのです。叱られて、うれしい思いがしました。
 いまは仕事に追われて、ゆっくり書けませんが、こんどまた機会を見て、何か書かせていただきます。

f:id:shige97:20200629072018j:image
■金木の芦野公園にて

 【了】

********************
【参考文献】
・『新潮日本文学アルバム 19 太宰治』(新潮社、1983年)
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
********************

【今日は何の日?
 "太宰カレンダー"はこちら!】

太宰治、全155作品はこちら!】