記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】7月5日

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7月5日の太宰治

  1933年(昭和8年)7月5日。
 太宰治 24歳。

 「良暦記」に「津島修治至。成思出装画十二葉。」とある。

手製の『思い出』

 「良暦記」は、青森出身の画家・根市良三(ねいちりょうぞう)(1914~1947)が書いていた日記です。根市は、太宰の友人である小舘善四郎と従兄弟で、また、根市の兄・根市祐三は、青森中学時代の太宰と同級生で、同人誌蜃気楼(しんきろう)の同人でもありました。
 根市については、3月29日の記事でも紹介しました。

 さて、1933年(昭和8年)7月5日付の根市の日記「良暦記」に、「津島修治至。成思出装画十二葉。」という記述があります。
 この頃、太宰は、同人誌海豹(かいひょう)に連載し、「幼年及び少年時代」の自身の告白を記したという小説思い出を切り取って、「手製で薄ッぺらな本」を三、四冊作りました。
 太宰の最初の妻・小山初代の叔父・吉沢祐によると、この本は、「同郷の、足の悪い松葉杖の青年が、日本紙に手摺の木版刷にして作った」といいます。この「青年」が根市です。根市は、幼少の頃に小児麻痺にかかり、足が不自由でした。

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■根市良三

 「手製」のその本は、 A5判一段組38ページ。「一章」が15ページ、「二章」が12ページ、「三章」が11ページあり、思い出のみで構成されていました。
 表紙は厚手の和紙で、木版刷り。表紙全面が藍色で塗られていて、「中心から左下にかけて大小三輪の薔薇の花が描かれている。深紅で縁どられたピンクの花の周りには、葉脈まで描きこまれた暗緑色の六枚の花も添えられている。また右上方には縦書きの黒い文字で「思い出」と記されて」いたそうです。

 作られた「三、四冊」は、吉沢祐古谷綱武那須辰造などに寄贈されました。

 吉沢に送られた一冊は、のちに太宰の手元に。古谷に送られた一冊は、のちに檀一雄の手元に。那須に送られた一冊は、のちに思い出の草稿とともに「ある人」の手元に渡りました。
 古谷に薦められて思い出を読んだ檀は、「作為された肉感が明滅するふうのやるせない抒情人生だ」と、心惹かれたそうです。

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檀一雄

 【了】

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【参考文献】
檀一雄『小説 檀一雄』(岩波現代文庫、2000年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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