記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】7月6日

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7月6日の太宰治

  1936年(昭和11年)7月6日。
 太宰治 27歳。

 七月六日付で、井伏鱒二に手紙を送る。

井伏の叱責と、太宰の言い訳

 今日は、太宰が、1936年(昭和11年)7月6日付で、師匠・井伏鱒二に送った手紙を紹介します。
 太宰は、同年6月25日付で、処女短篇集晩年を刊行しており、その直後に書かれた手紙です。

 この日、太宰は井伏から譴責(けんせき)のハガキを受け取り、それに対する返信の手紙だったようです。

  千葉県船橋町五日市本宿一九二八より
  東京市杉並区清水町二四
   井伏鱒二

 井伏さん「どういうことになっているのか伺います。」
 太宰、沈思数刻、顔あげ、誠実こめて「かなしきことになって居ります。」
 井伏様
 おハガキただいま拝誦いたし、くりかえしくりかえし、わが心の奥にも言い聞かせ眼が熱くなって、それから、はね起きて、れいの悪筆不文、お目の汚れにならぬよう、それでも一字、一字、懸命でございます。
 被告の如き気持ちにて、この六月、完全にひと月間、二、三百のお金のことで、毎日、毎日、東京、テクテク歩きまわって、運の悪いことのみつづいて、死ぬること考え、己の無知の家人には、つとめて華やか、根も葉もなきそらごとのみ申しきかせ、死ぬる紀念に家人をつれて、同伴六年ぶり千葉市へあそびに行きました。

 

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■太宰と、太宰が「己の無知の家人」と書いた妻・小山初代

 

 千葉のまちまちは、老萎のすがた、一つの見るべきもの無之、活動写真館へ、ラムネと、水気なきナシと、を買いいれて、はいり、暗闇の中で大いに泣きました。
 ときどき、ひとりで泣きます。男の「くやしなみだ」のほうが多く、たまには「めそめそ」いたします、六月中、多くの人の居るまえで、声たてて泣いたこと二度。誠実のみ、愛情のみ、ふたつのこりました。わが誠実、わが愛情、これを触知し得ぬひと、二人、三人、われから離れ、われをののしり居ること、耳にはいり、神の子キリストの明敏、慈愛、献身を以ってしてさえ、なかなかにゆるされ得ぬ、かの審判の大権が、いま東京の一隅にて、しかも不敏、早合点にて用いられて居るらしいのがかなしく、すぐさま井伏さんへわが愚痴、聞いていただき度く、いつわりませぬ、三度書いては破り、書いては破りいたし、このわが手簡もむずかしく、かきはじめてきょうで五日目でございます。友人の陰口申したくなかったからです。御明察ねがいます。
 井伏さんからは、お手紙の不許可掲載については、どのような叱正をも、かえってありがたく、私、内心うれしくお受けするつもりでございました。、けれども、他の四、五人の審判の被告にはなりたくございませぬ。

 

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■太宰と井伏

 

文學界」の小説の中の、さまざまの手簡、四分の三ほどは私の虚構、あと三十枚ほどは事実、それも、その御当人に傷つけること万々なきこと確信、その御当人の誠実、胸あたたかに友情うれしく思われたるお手紙だけを載せさせてもらいました。御当人一点のごめいわくなしと確信して居ります。真実にまで切迫し、その言々尊く、生き行かん意欲、懸命の叫びこもれるお手紙だけを載せさせてもらいました。
 私は、今からだを損じて寝ています。けれども、死にたくございませぬ。未だちっとも仕事らしいもの残さず、四十歳ごろ辛じて、どうにか恥かしからぬもの書き得る気持ちで、切実、四十まで生きたく存じます。
 タバコやめました。注射きれいにやめました。酒もやめました。ウソでございません。生き伸びるために、誠実、赤手、全裸、不義理の借銭ございますが、これは国の兄へ、かしていただくようたのみ、明日お金着いて皆へ返却申す筈でございます。死なず生きて行くために、友人すべて許して呉れることと存じます。私ひとり、とがめられ罰せられます。私の心いたらず、私の文いたらぬ故と、夜々おのれを攻めて居ります。(十夜に一夜は、わが身ふびんに思うことございます。)
 近日、おわびに参上いたします。「武者ひとり叱られている土用干(どようぼし)。」という川柳思い出し、なつかしく微笑。子供が土用干の家宝のかぶとかぶって母に叱られて泣いている図。むかしのままの私です。まごまご、吃咄。迂愚のすがた。
 夾竹桃咲いているうちに、いちどおいで下さい。(伊馬兄も。)成田山、中山の鬼子母神さますぐ近く、慶ちゃま、ばば様、奥様、みんなおいで下さってもちっとも困らず、生涯たのしき思い出になります。

 

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■太宰と、「伊馬兄」こと伊馬春部

 

 お願いいたします。ヒナ子ちゃん、大ちゃん、ずいぶん伸びたことと、お目にかかる日、たのしみでございます。
 言ってしまったら、からっとして、もう、みんな飛散消滅、なにも、のこらず、ただ深き蒼空のみ。誠実一路。
     修 治 拝
  井 伏 鱒 二 様
 追伸 出版記念会すべて本屋に一任いたしました。

  太宰が井伏に叱責されたのは、手紙中に出てくる、井伏の「お手紙の不許可掲載」が原因。井伏の手紙が「不許可掲載」されたのは、「『文學界』の小説」『虚構の春でした。
 虚構の春は、書簡体の小説。「太宰治」と呼ばれる新進作家に宛てて書かれた、多くの発信者による83通の書簡集が並べられた、変わった体裁の作品です。
 虚構の春で手紙を引用列挙されたのは、井伏のほかにも、小林倉三郎、楢崎勤、山岸外史、今官一浅見淵保田與重郎、白石凡、飛島定城、佐藤春夫、中村地平、竹内俊吉、津島逸郎、井伏鱒二檀一雄田中英光、小野正文、田村文雄、小舘善四郎、内山徹、鰭崎潤、伊馬春部、中畑慶吉など。
 1936年(昭和11年)7月1日付発行「文學界」に初出の際は、実名で登場していましたが、短篇集虚構の彷徨  ダス・ゲマイネ収録時には、名前が改変されました。私信を実名引用されたことへの抗議を受けた上での配慮だったのでしょう。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
志村有弘・渡部芳紀 編『太宰治大事典』(勉誠出版、2005年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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