7月29日の太宰治。
1935年(昭和10年)7月29日。
太宰治 26歳。
七月二十九日付で、山岸外史に葉書を送る。
「なぜ、君は遊びに来ないのか」
今日は、太宰が親友・山岸外史に宛てて、1935年(昭和10年)7月から8月にかけて書いたハガキ5通を紹介します。
太宰は、1935年(昭和10年)7月1日、「最も愛着が深かった」という町・船橋に引越します。船橋への引越しについては、7月1日付の記事で紹介しました。
紹介するハガキの1通目は、引越しの当日。1935年(昭和10年)7月1日付で送られたハガキです。
千葉県船橋町五日市本宿一九二八より
東京本郷区駒込千駄木町五〇
山岸外史宛
病気全快して左記へ転居いたしました、とりあえず、お知らせ申上げます。
千葉県船橋町五日市本宿一九二八
山岸に転居した船橋の住所を知らせる内容です。
2通目は、1通目の28日後、同年7月29日付で送られたハガキです。
千葉県船橋町五日市本宿一九二八より
東京本郷区駒込千駄木町五〇
山岸外史宛
なぜ、君は遊びに来ないのか。電車賃は三十四五銭だそうじゃないか。かえりの電車賃くらいは僕のほうで都合できる。五六日まえから、暑気にやられてムヤミに怒り狂い、医者は脳梅だといっているらしいが、バカな奴だ。僕にはそんなおぼえがない! 強度のヒステリイということになって、その治療を受けている。いままで、あんなにやっていた酒タバコをよしたからこんな結果になったのだろうと思っている。この二三日、まちのものと三回ケンカをした。
太宰が船橋に転居してから、約1ヶ月間。山岸は太宰のもとを訪れなかったのでしょうか。太宰は、「なぜ、君は遊びに来ないのか」と腹を立て、「かえりの電車賃くらいは僕のほうで都合できる」とまで言っています。太宰、山岸、檀一雄の3人は「三馬鹿」と呼ばれるほど仲が良かったのですが、よっぽど太宰は、山岸に船橋へ遊びに来てほしかったようです。
3通目のハガキは、2通目の9日後、8月7日付で送られたハガキです。
千葉県船橋町五日市本宿一九二八より
東京本郷区駒込千駄木町五〇
山岸外史宛
じゃれてみたのだ。ところが、――おれの爪が君のウロコにひっかかった。老猿と怪龍。雲を呼んで、ついに不足税六銭をとられた。君、僕たちはもう、うっかりじゃれることもできない巨 いなるものだ。そのうち、また書く。土曜に来ないか。君に対する悪意はみじんもない。
さらに続けて、4通目と5通目のハガキは、同日8月8日付で2通送られています。
まずは、8月8日付の1通目から。
千葉県船橋町五日市本宿一九二八より
東京本郷区駒込千駄木町五〇
山岸外史宛
山岸君
今夕の君の手紙、いままた繰りかえして読み、屈辱、無念やるかたなく転てんした。私は侮辱を受けた。しかもかつてないほどの侮辱を。
けれどもぼくは君の友人だ。こうなると、いよいよこの親友と離れがたい。君も同じ思いであろうと思う。
ソロモンの夢が破れて一匹の蟻。
いまは夜の一時頃だ。
土曜あたりに、また逢って話したいのだが。
私は、きょうよりまた書生になろうと思っている。いままでの僕はたぶんに「作家」であった。七日午前しるす。
おれはしかし、病人でない。絶対に狂っていない。八日朝しるす。
三服のスイミン薬と三本の注射でふらふらだ。昨夜一睡もせず。八日朝しるす。
続けて、8月8日付の2通目のハガキです。
千葉県船橋町五日市本宿一九二八より
東京本郷区駒込千駄木町五〇
山岸外史宛
「いま再び粧って熾烈を求む 」これがカンシャクのたね であった。ぼく「熾烈」の点では兄に劣らないと思っている。
誰が何といっても、いまでも、そう確信している。
土曜のバンに来いよ。また船に乗ろう。
太宰は、「また逢って話したいのだが」「また船に乗ろう」と書いています。
山岸は、『人間太宰治』で、次のように回想しています。
太宰の船橋時代のある日、太宰の家に偶然、檀一雄、古谷綱武、それにぼくの三人が集ったことがある。昭和十年か十一年頃だったと思う。太宰がこの土地に移転してまもないときだったような記憶もあるが、正確ではない。きわめて天気のいい日だった。雑談している間に、四人で船に乗って、海上にでてみようということになった。海の気に触れて憂さ晴らしをしようというようなことではなかったかと思う。太宰の発言だったかも知れない。船橋の海岸に出て、一艘、和船を借りた。
このあと、山岸は「夏もおわって秋近い頃だったと思う。やや風が冷たかったような記憶がある。」と書いており、時期の正確性には欠けますが、「太宰がこの土地に移転してまもないときだったような記憶もある」とも書いていることから、太宰が引越した7月に船橋の海岸で船に乗った可能性もあると思われます。
太宰の船橋転居後、7月29日までの1ヶ月の間に、山岸は太宰宅を訪れていたようなので、ハガキに「なぜ、君は遊びに来ないのか」と書いた太宰は、よっぽど山岸に会って話したかったのでしょう。
【了】
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【参考文献】
・山岸外史『人間太宰治』(ちくま文庫、1989年)
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
・日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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