記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を、自由に旅する。太宰治が、ソウルフレンド。

【日めくり太宰治】8月4日

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8月4日の太宰治

  1936年(昭和11年)8月4日。
 太宰治 27歳。

 八月四日付で、楢崎勤(ならさきつとむ)に葉書を送る。

『白猿狂乱』顛末記

 今日は、7月27日の記事で紹介した、「新潮」九月号に掲載する小説30枚用に、小説『白猿狂乱』を執筆しようとしますが、難渋。締め切りに間に合わないと悟った太宰が、佐藤春夫の紹介で掲載が決まっていた「東陽」十月号に掲載予定の狂言の神を「新潮」九月号に回そうと奔走したエピソードの顛末を、5通の書簡を引用しながら紹介します。

 まずは、1936年(昭和11年)7月31日付で、「新潮」編集部・楢崎勤(ならさきつとむ)(1901~1978)に宛てて書かれたハガキを紹介します。このハガキは2枚続きで、小川町郵便局から速達で出されています。

  東京市神田区小川町郵便局にて
  東京市牛込区矢来町
   新潮社「新潮」編集部 楢崎勤

①朝六時にお茶の水駅へ到着して、駅のベンチで、いろいろ考えました。小川町郵便局でこれ、したためて居ります。私、言葉いうのが下手で、たいていけいべつされたり、いやがられたりして、誠実、文字どおり生命惜しからぬ誠実わかって呉れませぬ。学兄の御好意、いちばん、身にしみています。高きおなさけ、のこりくまなく、キャッチして居るつもりでございます。今月末までに、くにの兄貴へ五十円(出版記念会に着て出る夏の袴と着物こしらえました)かえせば(デンポウがわせにて)きょう中に、むこうから、また、二百円借りることできるのです。
②その二百円にて、ほうぼうの不義理支払うことできます。全部とはいかずとも、とにかく不義理欠くこと、ないのでございます。小説は、三十枚までとお約束し、四十二枚ゆえ、きっと都合おわるくなったと拝察申します。六十円で、けっこうでございます。このハガキ、その受取証として、みんなに見せても、また、後日、発表なされても、かまいませぬ。事実と相違のこと一語もございませぬゆえ、御休心下さいまし。私について、いろいろ誤解の言葉風聞して、淋しくてなりません。いつか、きっと判る日があるのだとは思っていますけれど、自分から”オレは悪者”と言い得る悪者ございませぬ。私、義理と御恩、忘れたことございませぬ。

狂言の神」大兄ヘ、キット、ドッサリオムクイデキマス。
 コノ小説、確実ニ佳品ト信ジマス。
 カワセ、時間ナケレバ、アスアサ、何卒。
 夏ノウチ、オヨギニ来テ下サイ。
 病気で七年のばしていた兵隊ケンサ、二十八歳延期ならずと申渡され、昨日、チバで受けました。
 今日、オ金ワルケレバ一日デモ、ヨゴザイマス。
 六〇ゴムリデシタラ、四〇デモ。ゴ一任申シマス。

 内容は、実家から借りているお金を返さないといけない、というお金の話と、原稿用紙30枚までで執筆の約束をしていた『白猿狂乱』に代わって持参した、原稿用紙42枚と大幅にオーバーしている狂言の神についてです。「四十二枚ゆえ、きっと都合おわるくなったと拝察申します」としながらも、「コノ小説、確実ニ佳品ト信ジマス」と自信の程を語っています。
 そして、最終的に太宰が楢崎に要求するのは、原稿と引き換えのお金なのでした。太宰は、「六十円で、けっこうでございます」と書いていますが、当時の60円を現在の貨幣価値に換算すると、約10~12万円程度になります。

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楢崎勤

 さて、小川町郵便局から楢崎宛のハガキを速達で出した太宰ですが、同日、今度は駿河台郵便局からもハガキを投函しています。

  東京市神田区駿河台郵便局にて
  東京市牛込区矢来町
   新潮社「新潮」編集部 楢崎勤

 先刻、汚イ読ミニクキ、ハガキ(速達)サシアゲ、オ茶ノ水駅ヘヒキカエシ、フラフラシテ(コノ五六日、生レテハジメテノ身体酷使メマイシテナリマセン)ドウモ、ヨク、私ノ誠実オツタエデキナカッタヨウニ思ワレ、コノ小サイスルガダイノ郵便局ニテ、ズイブン考エマシタ(証人ハ四人ノ局員)私、イツモ、コンナヤリスギシテ、カエッテ、バカニサレマス、一点イツワリゴザイマセヌ、炎暑、ヨイ言葉出マセヌ、大キイ不満ノママ投筆。

 五十円デモカマワヌノデスケレド、井伏サンノ「肩車」ト佐藤サンノ「掬水譚」買ッテ、オ二人ニ各々長兄ノ名前カイテイタダキ、オ送リスル約束シタモノデスカラ。
 アナタヘノイツワラザル深キ信頼。
 コノ郵便局タイヘン高価ノ筆ソナエテ、オクユカシク存ジマス。
 イマ十一時、カワセ、トテモ間ニ合ワヌト思イマス、アスアサ、フナバシヘ。
 今スグ、フナバシヘカエリマス、No money ニナッタカラ。

 このハガキが投函された翌日の8月1日、太宰は「ハナシアルスグコイ」の電報で佐藤に呼びつけられ、厳しい訓戒を与えられ、ただちに「新潮」から原稿を取り戻し、「東陽」編集・宮沢有為男に陳謝するように命じられます。この後、太宰は神田区小川町1の10に住む牧野吉晴を訪ね、同席した宮沢に散々叱られました。「東陽」は、宮沢と牧野が編集する美術雑誌で、原稿料の貰えない雑誌だったそうです。

 翌8月2日、太宰は佐藤に宛てた4枚のハガキで、宮沢と話した経緯を報告します。

  千葉県船橋町五日市本宿一九二八より
  東京市石川区関口町二〇七
   佐藤春夫

①つつしみつつしみ申し述べます。
 昨夜、だいぶ 道に迷い、事務所のほうには、どなたも居られず 小川町を先日一度の 記憶たどりたどり、一時間さがして、もうあきらめ、それでも、もいちど思って さがしたら 見つかりました。私が悪いのです。一言、弁明 らしきこと申そうと存じますが、それでも、「私は運が悪かったのです。」と、のみにて、ほかには、腹中 なにもございませぬ。牧野さんのお二階には、六、七人の男の人、居られて、マアジャンか何かして居られました。少し(つづく)
②工合い わるく存じましたが、今夜は、私、私のからだじゃない、と深くうなずき、みなさまの前に手をついて、こころからの誠実、消えもいる思いで おわび申しました。牧野さんは、すぐ おゆるし下さいましたが、宮ノ澤さん、厳格潔癖にて、たいへんに怒られ、さんざん叱られ、それから、いろいろ、噛んでふくめる口調にて、先生の深き思いやりに就いて たくさん教えて呉れました。そうして、許しては下さいませんでした。三日の十時、白紙の状態に
③かえって、先生の客間にて逢って下さることにきめて、それから、みんなにお辞儀して、かえりました。お茶の水駅についたときは、十二時二十五分でした。宮ノ澤さんには、私、「私は佐藤先生のお教え受けるのは、つい最近のことにて、いまだ、弟子とさえ言えぬほどにて、宮ノ澤さんは、一番古いお弟子ノ由も承って、いずれは、兄事する人にて、路傍の人として終らぬこと、かねがね考えて居りますゆえ、明後日十時には、ほかに人もはさまずに、ゆっ
④くり話合いたい」と申しあげ、宮ノ澤さんも、それは了として、玄関まで送って下さいました、私、ちっとも心いつわっては居りませぬゆえ、どうか 私の拙吃の言葉のままに信じて下さい。「狂言の神」どんな困難ございましても、きっと、明後日十時に持参いたし、あらためて、宮ノ澤さんへ、掲載のこと おねがい申します。五十円の、お金は、牧野さんのお話では、ずいぶん困難のご様子にて、私、考えて、奔走してもよろしゅうございます。お金、かえさなければならぬ人のみ多く、

 太宰は、佐藤に、「明後日」8月4日の10時、狂言の神「どんな困難」があっても「東陽」の宮沢に持参すると約束しました。

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佐藤春夫

 8月3日、太宰は楢崎に宛てて、8枚に及ぶ「宣言手記」を書いて詫びます。
 この「宣言手記」で、狂言の神は「東陽」に掲載決定していたことを告白し、自身の生活苦についても詳細に述べています。太宰は、この「宣言手記」を以て狂言の神の原稿を返却してもらい、『白猿狂乱』30枚は、8月中旬までに送ると約束します。

  千葉県船橋町五日市本宿一九二八より
  東京市牛込区矢来町
   新潮社「新潮」編集部 楢崎勤

    宣言手記
     (八枚全)
 拙稿、創作「狂言ノ神」ハ、ハジメ「東陽」ナル美術雑誌ヘ、御採用、懇願イタシ、「東陽」編集同人諸兄ノ高キ御理解ト深キ御海容ニ依リ、ワガ願イ御了承、同誌十月号掲載決定、ワレモ喜ビ、待テバ、海路ノ日和ナド、ト、内心ノヨロコビ、オ伝エ申シ、一日一日、発行ノトキヲ、待チワビテイマシタ。
 シカルニ、好事魔、赤貧、迂愚ノ者ノ背後ニ立チ、一策囁キ、夜半、病床ヲ捨テ、アタフタ、上京、「狂言ノ神」一片ノ名刺ト交換ニテ、持チ去リ、カネテ、七月末日マデ、三十枚トノ条件ニテ、カタキ、約束、交セシ、文芸雑誌「新潮」ヘ持チ込ンデシマッタ。
 盗人ナラヌ三分ノ理、七月末日マデ、家郷ノ兄ヨメアテ、五十円、返送スレバ、二百円マタ、アラタメテ、拝借可能ノ黙契有之、ワレ、日頃ノ安逸、五、六人ノ友人、先輩、師ヨリ、少カラザル、借銭アリ、読書、思索、執筆、モシクハ、一家談笑ノ、ユトリ、失イ、古キ、知己、一人去リ、二人去リ、針ノ山、火ノ川、血ノ池、サカサニ吊リサゲラレテ居ル思イニテ、寝タ間モ地獄、五十円、ノドカラ手ノ出ルホドニ、枯渇、アサマシナド、忘却、狂乱ノ二十八歳、イマハ掌カエシ、コレ以上ハ言ウニ、シノビザル、我儘、「新潮」編集長楢崎勤氏ヘ、窮状イツワラズ、披歴、懇願ノ折、フト、ワガ邪道、傲慢、無礼ニ気ヅキ、カクノ如キ振舞イ、二、三ニ及ベバ、ワレ、九天直下、一夜ニシテ、ルンペン、見事ニ社会的破産者、タラム、コト、火ヲ指サスヨリモ的確、今カラデモオソクナイ、ワガ非、誰ヨリモ深ク悔イ、誰ヨリモ酷烈ニ鞭ウチ、先夜ノ罪、一生カカッテモ、ツグナイ申シマス。
 一策アラズ、一計アラズ、スベテハ、ワガ咄吃ノ言葉ノママ、胸中オワビノ、朽葉デ、一パイデアリマス。
 今朝、快晴、全クノ白紙ニカエリ、秘メタル愛憎アルナシ、不文ノママ、底知レヌホドニモ深キ、オワビ、ノミ。
 コノ罪ノツグナイノタメニハ、私イノチニモ恋着ゴザイマセヌ。
 芸ナキ山猿ノ誠実コメタル宣言、笑ワズ、オ聞キ納メ下サイ。
            太 宰 治㊞
  楢 崎 勤 様
   昭和十一年八月三日

 同文ノモノ二通作製、一通ハ楢崎様、一通ハ「東陽」編集同人諸氏ヘ。尚、「新潮」ヘハ「白猿ノ狂乱」トイウ三十枚見当ノ創作九月号ヘト思ッテ、精進、鞭ウッテイタノデスガ、シバシバ発熱執筆禁ジラレ七月二十八日午後八時ニ至ッテモ八枚、トウテイ完成ノ見コミナキコトヲ知リ同夜ペンヲ投ジ、湯タンポ腹ヘアテタママ唯一ノ食料クズ湯粉一袋持参、ソウシテ罪ヲ犯シマシタ。日夜、書キツヅケテ居リマス。「白猿ノ狂乱」三十枚。八月中旬マデニハオ送リデキマスユエ、御一読ノ上、正当ノ御配慮オ願イ申シアゲマス。コンドコソナンニモ我儘申シマセヌ。オ金モイツデモ又ヨロシュウゴザイマス。

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 同8月3日、太宰は狂言の神の原稿を携えて小石川の佐藤宅を訪問。宮沢と白紙の状態にかえって話し合った上で、改めて「東陽」への掲載を依頼しました。

 翌8月4日、太宰は楢崎に宛ててハガキを書きました。
 楢崎の寛容な態度に感謝の気持ちを述べ、佐藤から尊い知己言のためにも、失敗つぐない、佳品、お送り申さねばならぬ」と言われたと記しています。

  千葉県船橋町五日市本宿一九二八より
  東京市牛込区矢来町
   新潮社「新潮」編集部 楢崎勤

 昨日失礼申しました。
 以下、一点イツワリございませぬ。
 佐藤春夫先生へ、私、「私は楢崎氏を得がたき知己と信じていますゆえ、このたびの拙稿おかえしのことも、他の編集者と事情異り、何十倍となく苦しく存じましたが、楢崎さんは、微笑薫風の裡に理解され、一作家の将来の歴史的地位を信じ、責任作家のうちにあり、と、たいへん有難く存じました。」先生もよろこばれ、「この尊い知己言のためにも、失敗つぐない、佳品、お送り申さねばならぬ、」と、ごきげんよかった。中旬までに、必ず佳品を持参申します。
「東陽」十月号に載る筈、決定。お金は何も、もらいませぬ、今日、これから奔走。

 太宰はこの後、「新潮」に掲載する小説の執筆をはじめます。
 最終的に『白猿狂乱』は完成せず、幻の小説となり、「新潮」十月号に創世記が掲載されました。

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 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
・HP「日本円貨幣価値計算機
・HP「公立大学法人山口県立大学 所蔵資料
・HP「青森県出身の作家太宰治「誓言手記」、東京・神田の古書市出品へ/困窮した心情記した第一級資料」(ニュースパス)
 ※画像は、上記参考文献より引用しました。
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