記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を、自由に旅する。太宰治が、ソウルフレンド。

【日めくり太宰治】1月24日

f:id:shige97:20191205224501j:image

1月24日の太宰治

  1935年(昭和10年)1月24日。
 太宰治 25歳。

 井伏鱒二の紹介で、当時東京帝国大学仏蘭西文学科講師をしていた中島健蔵を、檀一雄とともに研究室に訪ね、「鉢の木」で逢って九時頃まで会談した。

東京帝大を卒業するために

 この日、太宰が檀と一緒に訪ねたのは、中島健蔵(なかじまけんぞう)(1903~1979)。
 中島はフランス文学者・文芸評論家で、当時はまだ無名だった宮沢賢治の作品に光を当て、戦後は進歩的知識人の1人として反戦平和運動に貢献すると共に、日本文芸家協会日本ペンクラブの再建や著作権保護、日中の文化交流に尽力しました。中国切手の世界的なコレクターとしても有名です。
f:id:shige97:20200112110914j:image
 中島は、1年前の1934年(昭和9年)に東京帝大仏文科の講師になったばかりで、この時32歳。

 太宰が中島に会いに行ったのは、大学の卒業が目的でした。
 この時、太宰は東京帝大5年目(取得単位ゼロ!)で、卒業できなければ長兄・津島文治との仕送り契約が切れてしまうという状況だったため、講師の中島に大学卒業の世話を頼みに行きます。
 太宰は、前年の「帝大新聞」に、師匠・井伏鱒二の代作で、中島の評論集『懐疑と象徴』の批評を書いていました。井伏と中島は同人雑誌『作品』の同人仲間で、井伏は仲間を褒める批評を用意する立場にありました。書きあぐねている井伏を見た太宰は批評を代作したのですが、この時のことをツテに、何とか卒業の交渉ができないか…と考えた太宰は、井伏に中島の紹介を依頼しました。

 この日、太宰と一緒に中島のもとを訪れたのが、太宰の3つ後輩・檀一雄です。
f:id:shige97:20200112115905j:image
■1935年(昭和10年)秋、湯河原にて。左から太宰、小舘善四郎、山岸外史、檀。太宰・檀・山岸外史は「三馬鹿」といわれるほどの友人でした。

 ちなみに、檀は経済学部3年目で、この時点での取得単位は7でした。
 この時のエピソードを、檀は著書『小説 太宰治で次のように書いています。

 それにしても、いよいよ学生の終りが近づいて来ることは、耐えきれぬほどの焦燥(しょうそう)のようだった。私はそれとなく、仏文科の友人たちに頼み込んで、鈴木信太朗氏や中島健蔵氏達の意見をきいてみたが、ちょっと卒業は絶望のようだった。なにしろ単位は一単位もうけていない。
 が、太宰の卒業への憧れは人一倍激しかった。自分の嘘が一どきに暴露されるからである。津軽のお兄さんに対する、言いつくろい。飛島さんに対する言いつくろい。北さんに対する言いつくろい。いや、初代さんですら、今度は卒業だと(だま)し込んでいるに違いない。
 私も全く、同一の立場だった。一年の時に、七単位受けたものの、それ以後全然学校には通っていなかった。
「行こうか?」と、私達は猛然(もうぜん)と立ち上がって、医学部の横を抜け、下町の方に急いでいった。
 それから間もなくの事だった。井伏さんからの紹介があり、ひとつ泣き落しで、中島健蔵氏を、くどきおとそう、という事になった。
 私の家で、勢揃いして、
「寿美ちゃん、チョコレートの靴墨持っていない」
「ええ、持っています。あら、磨きましょうか?」と、妹が云うのに、
「いや、いいんだ」と、太宰は例の編上げ靴を手に取って、丁寧に磨きあげた事を覚えている。
 考えてみると、まだあの頃は、芳賀檀氏を知らなかった。赤門をくぐり、研究室の煉瓦(れんが)造りの中に這入りこんで、
檀君。こういうところ、こわくない。胸が(ふる)えるねえ」
 それでも、中島講師は、気さくに会ってくれた。
「ああ、太宰君と檀君。ちょっとこっちの用事がすむまで、鉢の木で待っていてくれ給え」
 意外の答えで、これは脈があるのかと、太宰も私も喜びながら、鉢の木の二階にあがっていった。間もなく中島健蔵氏が現われた。オードブルから始って、ビールが次々と泡を吹いた。
 酔が(まわ)るにつれて、はじめの意気込みは、消え失せるのである。卒業なぞ、どうでもよかった。ボードレール、ベルレーヌ、ランボー小林秀雄等々と、太宰と私の怪気焔(かいきえん)は、途方もない方向に逸脱して、「じゃ、またやってき給え」と云う、中島氏の声を、後ろの方でうわの空にきいた。太宰の卒業に関しては、それっきりだった。
 今思い直してみると、都新聞の入社試験があったのは、三月前だったような気持がする。しかし、いずれにせよ、私に卒業の準備にと母から百円の金が送られて、太宰の見立てで、六拾円の青色の背広を買った前後のことだった。
 かりに、東大の卒業が駄目になるような事があるにせよ、都新聞にさえ這入れれば、と、太宰のこれは可憐(かれん)なまでの悲願だった。

 【了】

********************
【参考文献】
檀一雄『小説 太宰治』(岩波現代文庫、2000年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
志村有弘・渡部芳紀 編『太宰治大事典』(勉誠出版、2005年)
猪瀬直樹ピカレスク 太宰治伝』(文春文庫、2007年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
・HP「麹町界隈わがまち人物館」(https://jinbutsukan.net/person/5a04.html?abc50
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
********************

【今日は何の日?
 "太宰カレンダー"はこちら!】

太宰治、全155作品はこちら!】