記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】9月8日

f:id:shige97:20191205224501j:image

9月8日の太宰治

  1947年(昭和22年)9月8日。
 太宰治 38歳。

 1947年(昭和22年)1月1日付発行の「鱒」第一号に「同じ星」を発表。「同じ星」は、1946年(昭和21年)9月8日に脱稿された。

『同じ星』と宮崎譲(みやざきゆずる)

 今日は最初に、太宰のエッセイ『同じ星』を紹介します。
 『同じ星』は、1947年(昭和22年)1月1日付発行の「鱒」第一巻第一号に発表されました。エッセイの最後に記された日付から、1946年(昭和21年)9月8日に脱稿されたものと推測されます。

『同じ星』

 自分と同年同月同日に生れたひとに対して、無関心で居られるものであろうか。
 私は明治四十二年の六月十九日に生れたのであるが、この「鱒」という雑誌の編集をして居られる宮崎譲(みやざきゆずる)氏も(また)、明治四十二年の六月十九日に生れたという。
 七、八年も前の事であるが、私は宮崎氏からお手紙をもらった。それにはだいたい、次のような事柄が記されてあったと記憶している。
 文芸年間に依って、君が明治四十二年の六月十九日に誕生した事を知った。実に奇怪な感じを受けた。実は僕も明治四十二年の六月十九日に誕生したのである。この不思議な合致をいままで知らずにいたのは残念である。飲もう。君の都合のよい日時を知らせてくれ。僕は詩人である。
 そのような内容のお手紙を受取り、私はへんな、夢見心地に似たものを感じた。
 断言してもよかろうと思われるが、明治四十二年に生れた人で、幸福な人はひとりも無いのである。やりきれない星なのである。しかも、六月。しかも、十九日。
 罪、誕生の時刻に在り。
 自分自身のやりきれなさを、私は自分の誕生の時刻に帰着せしめた事さえあったのである。
 その恐怖すべき日に、ナンテ、そんな「恐怖すべき」ナンテ、そんな、たかがそんな、ありきたりの形容で軽く片づけられるものではなくて、鏡を二つ合せてあの映像の数を勘定するような絶望に似たいやな困難な形容詞が必要なのであるが、とにかく、その日に生れた詩人と一緒にお酒を飲むのが、私にはひどく躊躇せられたのである。
 結果は、しかし、清涼であった。逢ってみたら、この宮崎譲氏は、私の知っている人の中で、最も、ういういしい人であった。ういういしい、という形容も亦、甚だ以てきざであるが、誠実、と置きかえてみても、なおきざである。
 とにかく私は、宮崎氏と会見して、救われたところがあるのだ。救われる、ナンテ言葉も実に軽薄であるが、私は宮崎氏の無事をしんから祈っている、とでも言うより他に仕様が無い。
 お大事に。と千万の(これもどうにもきざだが)祈りをこめて宮崎氏に言いたい。
 こんど雑誌を出されるそうだが、いままでの、いままでの、あなたのとおりに、生きていて下さい。後略。
 昭和二十一年九月八日。

 宮崎譲(みやざきゆずる)(1909~1967)は、佐賀県嬉野村生まれの詩人で、『神』『竹槍隊』などの詩集を発表しています。太宰と宮崎は、同年同月同日の生まれという縁で、付き合いがはじまりました。
 太宰は、1940年(昭和17年)7月5日付で発行された「博浪抄」七月号に掲載されたエッセイ六月十九日に、宮崎のことを記しています。また、1941年(昭和16年)2月20日付で、赤塚書房より刊行された宮崎の詩集『竹槍隊』には、「序文」として、犯しもせぬ罪をを寄稿しています。

f:id:shige97:20200906173141j:image
■宮崎譲『竹槍隊』(赤塚書房) 1941年(昭和16年)2月20日発行。定価1円20銭、四六判、114頁、角背フランス装外装無。

 ほか、宮崎本人について知る術はありませんが、宮崎は、1948年(昭和23年)の太宰の死を悲しみ、追悼文太宰治を憶う』を記しています。

太宰治を憶う』

 太宰治の死体が発見され、仕事部屋を借りていた「千草」で検屍を受けている間、雨に濡れながら井伏鱒二氏と私達は表に立っていた。太宰治の恩師であり、彼の結婚の仲人でもある井伏鱒二氏は、太宰が結婚する時ネ、一札入れてあるんだといった。それは太宰治は放浪・孤独にたえかね結婚してもし家をすてるようなことがあったら、私を狂人として絶交してくれという文章だそうである。
 今朝それをとりだして読んできた、という井伏氏の沈痛な面持に、私はうなだれた。その太宰治が妻子を残して、一女性と、人喰川に入水死を遂げたのである。
 彼の文学に親しむ程の人ならば、彼の生への焦躁、死を賭している苦悩を、読みとっていることであろう。
 だが彼のああした死について、私は疑問を抱いている。健康も相当害していた。しかし、あと半年や一年は生きることができたであろう。この夏も信州の山の温泉に旅行する日どりまで決めてあったのである。
 恐らくは、泥酔の果て、冗談のような、サッチャン(山崎富栄さんのこと)とのトラブルに駒がでて、不本意な死に引きずりこまれたのではないだろうか。泥酔の彼の遺書などは、ほんとうの死に対してはたいした意味をもたない。彼は陰惨な冗談で、そうしたものを書き捨てるのである。
 土堤をすべり落ちる瞬間、ハッ、と冷たく覚め、驚愕と苦悩の抵抗を続けたのではないだろうか。現場の、草はむしれ、深すぎる土のえぐれた跡を見て、私は慄然と、流れに落ち悶絶するまでの太宰治の動顚した苦悩を思う。
おしゃれ童子」や「火の鳥」を書いた彼。

     *

 宮崎さん、独りで泣くことありませんか? たしか去年の十一月頃だったと思う。サッチャンと、もう一人若い男と四人、「千草」でしたたかに飲み、自宅にかえるという太宰治と皆表に出た。若者は足許もさだかでなく彼にからみつき、サッチャンにからみつき、醜態であった。彼は閉口して、駅まで連れていってあげなさい、とサッチャンにいいつけて煙草を一箱にぎらせた。
 それから、私は彼を、おくって家にゆき、彼が冷酒を台所からコップに二つなみなみとついで持ってきたのを飲みだしたが、彼も私も、もう飲めなかった。彼は、一寸御免、といって床の間に頭をのせて目をつむり、掌を顔にあててひくい涙声でそういった。

     *

 私が彼を知ったのは九年前である。「デカダン抗議」という短篇を読み、私はその一篇で、尊敬などというよりも、ほれこんだといった方が適切な、関心を抱くようになった。その短篇は当時私の模索している文学の型態をいかんなく発揮しているものであると思われた。私は自分自身の心の奥にもやもやしているものを、えぐりとり、さらけ出してもらったような驚きと、共感と、快い敗北の感動をうけた。
 私は銀座でひどく酔って彼に手紙を書いた。一緒に飲もう、都合のよい日時を知らして下さい、という意味のものであったかと思う。同年同月同日の生れという者同志は、こうも、ものの感じ方や性格が似ているものであろうかと思ったのであった。私は花の中で一番、(あざみ)の花が好きなのであるが、彼も(あざみ)のとげとげした中に抱かれているやわらかい牡丹刷毛(ぼたんばけ)のような花をいっそう愛していたということを、彼の死後「千草」のおばさんにきいた。
 人一倍(きずつ)きやすい魂を抱いている彼が荒々しい時代にもまれもまれて生き悩んだ苦痛が私にも切なく同感される。

     *

 太宰治の死がいまだに私には実感されない。すべり落ちた現場の、抜けた雑草、えぐれている土肌をみても、お通夜をし、お葬式に参列しても。
 なんだか仕事先の山の温泉か、海辺の旅館から、騒がせてすみません、などと、はにかみの文字を秘めた手紙がひょっこり配達されてきはしないかなどと、その死がはっきりした現実であることが百も承知でありながら、なんだかふっと、そんな気がしたりして変にさびしくなったりする。
 お葬式もすみ一段落した太宰家で、新潮社の若い婦人記者達と、そうしたことなど話していると、廿一二(にじゅういちに)の記者が、
人間失格」のなかのネ、関西訛りの女給、
「こんなの、おすきか?」
「お酒だけか? うちも飲もう。」
 サッチャンが、こうした感じの女性だったら今日の太宰さんを死なせはしなかったろうといかにも残念そうに、「こんなのおすきか」とつぶやき関西訛りの女をいとおしむ、とてもやさしい表情をして語るのであった。

     *

 老年というものを(あじ)うことなく彼は去った。
 含羞屋こそ骨がらみのおしゃれ心をもっているものである。
 恐らく彼は老年を恐怖したであろう。
 四十歳、それは彼の場合、決して、早くもなく、またおそくもなかった。
 彼は身をもって人間の聡明を立証した。
 いまは、清涼な世界に憂鬱もなく、苦悩もなく、五月雨を聴く無明の静謐にすむ彼に、私はなにを語ろう。
 馬糞、鉄粉、泥ほこり、むっとする人間臭、うずのうずの灼熱の、恐ろしい夏の汗みどろの、涙とためいきの、
 あなたのすむ世界のこちらがわ、
 なまぐさい生地獄にあえぎながら、
 私はあなたになにを語ろう。

 以前、宮崎譲についての記事を書いた際、得られる情報が少なかったため、情報提供を求めたところ、「ゆふいん文学の森」さんが、佐賀県伊万里市民図書館に照会をかけ、その内容をフィードバックして下さいました。その際にご提供頂いた情報も、本記事を執筆する上で、参考にさせて頂きました。改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。 

 【了】

********************
【参考文献】
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
河出書房新社編集部 編『太宰よ! 45人の追悼文集』(河出文庫、2018年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
・HP「稀覯本の世界
 ※画像は、上記参考文献より引用しました。
********************

【今日は何の日?
 "太宰カレンダー"はこちら!】

太宰治、全155作品はこちら!】