記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を、自由に旅する。太宰治が、ソウルフレンド。

【日めくり太宰治】9月19日

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9月19日の太宰治

  1936年(昭和11年)9月19日。
 太宰治 27歳。

 「二十世紀旗手」の掲載を、「文藝春秋」千葉静一に依頼するために、上京。

「小説かきたくて、うずうず」

 1936年(昭和11年)9月19日、太宰は、前日に60枚近い枚数を書き上げて完成させた二十世紀旗手の原稿を携え、船橋から上京します。この上京は、二十世紀旗手の掲載を、「文藝春秋」千葉静一に依頼するためでした。最終的に二十世紀旗手は、翌1937年(昭和12年)1月1日付発行の「改造」新年号に発表されることになりました。

 完成したばかりの二十世紀旗手の原稿を携えて上京した同日、太宰は師匠の井伏鱒二佐藤春夫に宛てて手紙を書いています。今日は、師匠2人に宛てて書かれた、2通の手紙を紹介します。

 まずは、井伏鱒二に宛てて書かれた手紙です。

  千葉県船橋町五日市本宿一九二八より
  東京市杉並区清水町二四
   井伏鱒二

 幸福は一夜おくれて来る。
 おそろしきはおだてに乗らぬ男。飾らぬ女。雨の巷。
 私の悪いとこは「現状よりも誇張して悲鳴あげる。」と或る人申しました。苦悩高いほど尊いなど間違いと存じます。私、着飾ることはございましたが、現状の悲惨誇張して、どうのこうの、そんなものじゃないと思います。プライドのために仕事したことございませぬ。誰かひとり幸福にしてあげたくて。
 私、世の中を、いや四五の仲間をにぎやかに派手にするために、しし食ったふりをして、そうして、しし食ったむくい、苛烈のむくい受けています。食わないししのために。
 こんな、紙を変えたりなど、こんなこと、必要から私行ったのに、「悲惨をてらう」などの実例にされるのでは ないかしら。
 五年、十年後、死後のことも思い、一言 意識しながらの いつわり申したことございませぬ。
 ドンキホーテ。ふまれても、蹴られても、どこかに、小さい、ささやかな痩せた「青い鳥」いると、信じて、どうしても、傷ついた理想、捨てられませぬ。
 小説かきたくて、うずうずしていながら、注文ない、およそ損じられぬ現実。「裏の裏」などの注文、まさしく慈雨の思い、かいて、幾度となく むだ足、そうして、原稿つきかえされた。
 ひと一人、みとめられることの大事業なることを思い、今宵、千万の思い、黙して、井伏様のお手紙抱いて、臥します。
 昨夜、私上京中に、わがや 泥棒はいりました。ぶどう酒一本 ぬすんだきりで、それも、その、ぶどう酒半分のこして帰ったとか、きょう、どろの足跡、親密の思いで 眺めています。
 十月入院、たいてい 確定して医師は二年なら、全快保証するとのこと。私、その医者の言を信じています。
 信じて下さい。
 自殺して、『それくらいのことだったら、なんとかちょっと耳打ちしてくれたら、』という、あの、残念、のこしたくなく、その、ちょっと耳打ちの言葉、
 このごろの私の言葉すべてそのつもりなのでございます。

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井伏鱒二

 続いて、佐藤春夫に宛てて書かれた手紙です。

  千葉県船橋町五日市本宿一九二八より
  東京市小石川区関口町二〇七
   佐藤春夫

 御返事キット御不要ニシテ下サイマシ
 今朝十八日 清冷ノ天、人ノ子ノ心モ 澄ミ 塵芥スベテ 洗イ流レテ雲散霧消 汚キモノ姿失イ
 今朝六時、露シゲキ草ムラムラ掻キワケテ、カノ白イ雀捜シ出サン念願ノ朝寝ノアルジ、意外 一掬(ひとすくい)ノ砂金 キラキラ流レノ底ニ沈ンデイテ、(あるじ)、見ルヨリ天ヲ拝シ 地を拝シ スグサマ帰宅、オモムロニ墨ヲスッタ
 以下、言葉ノママニ キット御信頼下サイ
 芥川賞ハ ウタカタ。衛士ノ焚ク火ノ一時ハ焔サカンニ見エテモ 苦シサ心ノ底カラノモノデナイ故、ノドモト過グレバ、イツシカ、ケロット忘レテ、昨日カラ、プルタアク英雄伝静カニ読ミ ブルウタスノ内省懊悩 小説ニ構成シ直シタク思イマシタ
(色々、私の心の フイルム一駒一駒、説明しようと思ったのです けれども、もう、いい。)
 私、汚イコトヲシナカッタ、誰ヨリモ立派デス、キット オ報イ申シマス、
出版記念会の夜から、きょうまで、一言の蔭口なし、特別これと指される私語、誰とでも交わしたことなし。
 それが、友人先輩に対する せめて操と 懸命に守って来ました。
 偉くないひと二、三人見せつけられ、やっぱり佐藤さんひとり 図抜けて偉いな、と思って、うれしく、自動車にゆられゆられ泣いたこと、うれし泣きした一夜ございます、
 私は このような 私の状態を、「母の心」とこっそり呼んでいる。)
 佐藤さん、私の失態を どんなに高き好意もて、善意に 御解釈なされても、善すぎること ございませぬ、
 私、ずいぶん 善かった。
 悪口 言うたら口がくさるぞ、とそう言って置いて下さい、卑近の一例 挙げようと思いましたけれど、一握の善行ゆえに挙げ得べし、時々刻々、歩一歩の善行 いちいち枚挙のすべございませぬ。
 私も、先生のこと、日本で一番よい人と思う。十万、百万の人が何と言おうと、てんから聞えぬ。
 お互い、言葉に くるんで 評価推讃すること
 おそければおそいほど 正確に 近き審判 できるのだ、と わが身の青天白日 うたがいませぬ、
 佐藤さんも それゆえ、どうぞ、太宰についての、これと定った 鋳型、つくること お待ち下さい、だんだん はっきりいたします、
 かの魔物の森、毛の生えた魔性怪性のもの打ちとって悠々かえる 朝霧の底の金鞍白馬の騎士は誰。
 ああ、よかった、おれの考え、ものの見事に 間違っていたわい、とわが誤り不体裁忘れて、ただただうれし涙、わが心の暗くして、よきもの見得ざりし小さな美しき失敗、気になかけそ 一も二もなく喜ぶ姿の尊さよ、これ「母の心」の 至高の姿、神の子 抱けるマリヤ様。
          治 九拝
 二伸、
 十月末までに、仕事一応整理して、それから医師の命にしたがい、場所、その他 医師の言いつけ守ります。
 最短二年(医師は三年のサナトリアム主張)きっと平和の顔 とりもどしてまいります。

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佐藤春夫

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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