記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】10月2日

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10月2日の太宰治

  1940年(昭和15年)10月2日。
 太宰治 31歳。

 十月上旬、東京商科大学で「近代の病」と題して講演した。

太宰の講演「近代の病」

 1940年(昭和15年)10月上旬、太宰は、東京商科大学「近代の病」と題して講演を行いました。
 太宰が講演を行った東京商科大学は、1920年(昭和9年)4月、東京市に設立された旧制官立大学で、略称は「東京商大」。現在の一橋大学の前身にあたります。設立当時は、日本最初の官立単科大学でした。

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東京商科大学正門 1921年(昭和10年)撮影。

 1940年(昭和15年)というと、日中戦争(1937~1945)の真っただ中、太平洋戦争(1941~1945)勃発の前年にあたります。
 太宰の私生活面から見ていくと、前年1939年(昭和14年)1月8日、津島美知子と結婚。同年9月1日、心機一転、三鷹の借家に引っ越しています。

 太宰が講演を引き受けたのは、20代のパビナール中毒や、荒んだ生活に終止符を打ち、新たな家庭生活の中で、改めて作家として身を立てて行こうと、決意を新たにし、創作意欲に突き動かされていた頃でした。

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■東京商大にて「近代の病」と題して講演中の太宰

 この講演の詳細については、資料が残っておらず、当時の講演内容を知る術はないのですが、講演中の太宰を撮影した写真が1枚残っています。
 太宰が背にしている黒板には、

演題 近代の病
講師 太宰治

と書かれた紙が貼られており、太宰がチョークで書いたと思しき「完全人」「無報酬」の文字があります。「無報酬」の「無」の字は、一度チョークで抹消された形跡があり、注視して見ると、「無償」と読みとることができます。
 「無償」というと、太宰作品に見られる「無償の愛」「サーヴィス」というキーワードを思い浮かべてしまいますが、一度消されているところをみると、講演の流れの中で、「無償」を「無報酬」と書き改めながら、報酬を全く期待せず、善行に励む「完全人」というような内容を熱弁していたのだろうか…と想像が膨らみます。
 この2つのキーワードを見ると、走れメロス人間失格などの太宰作品を連想してしまいます。

 太宰が「講演」と聞くと、意外に思う方も多いと思いますが、太宰は、1945年(昭和20年)7月31日から故郷の金木町に疎開し、約1年3ヶ月半滞在している間に、長兄・津島文治の選挙応援のために、演説を行ったりもしています。太宰の応援演説については、3月3日の記事で紹介しています。

 太宰は、緊張しいの汗っかきで、友人たちの回想には、緊張するとハンカチで額の汗を拭っていたという記述も見られます。この時の太宰も、ハンカチで汗を拭いながら、演題である「近代の病」について、熱弁したのかもしれません。

 【了】

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【参考文献】
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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