記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】10月17日

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10月17日の太宰治

  1941年(昭和16年)10月17日。
 太宰治 32歳。

 十月十五日付発行の「早稲田大学新聞」に「世界的」を発表。

『世界的』

 今日は、太宰のエッセイ『世界的』を紹介します。
 『世界的』は、1941年(昭和16年)10月15日発行の「早稲田大学新聞」第二百二十六号の第四面「学芸」欄に発表されました。このエッセイは、太宰の書入れがある新聞切抜きが残っています。

『世界的』

 ヨーロッパの近代の人が書いた「キリスト伝」を二、三冊読んでみて、あまり感服できなかった。キリストを知らないのである。聖書を深く読んでいないらしいのだ。これは意外であった。
 考えてみると、僕たちだって、小さい時からお婆さんに連れられてお寺参りをしたり、またお葬式や法要の度毎に坊さんのお経を聞き、また国宝の仏像を見て歩いたりしているが、さて、仏教とはどんな宗教かと外国の人に改って聞かれたら、百人の中の九十九人は、へどもどするに違いないのだ。なんにも知らない。
 外国の人もまた、マリヤ様、エス様が、たいへんありがたいおかたであるという事は、教会の雰囲気に依って知らされ、小さい時からお祈りをする習慣だけは得ていながらも、かならずしも聖書にあらわれたキリストの悲願を知ってはいないのだ。J・М・マリイという人は、ヨーロッパの一流の思想家の由であるが、その「キリスト伝」には、こと新しい発見も無い。聖書を一度、情熱を以て精読した人なら、誰でも知っている筈のものを、ことごとしく取扱っているだけであった。この程度の「キリスト伝」が、外国の知識人たちに尊敬を以て読まれているんなら、一般の聖書知識の水準も、たかが知れていると思った。たいした事はないんだ。むかし日本の人に、キリストの精神を教えてくれたのは、欧米の人たちであるが、今では、別段彼等から教えてもらう必要も無い。「神学」としての歴史的地理的研究は、まだまだ日本は、外国に及ばないようであるが、キリスト精神への理解は、素早いのである。

 

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■グリューネルワルト「十字架を荷うキリスト」部分

 

 キリスト教の問題に限らず、このごろ日本人は、だんだん意気込んで来て、外国人の思想を、たいした事はないようだと、ひそひそ(ささや)き交すようになったのは、たいへんな進歩である。日本は、いまに世界文化の中心になるかも知れぬ。冗談を言っているのではない。
 先日、或る外国の新刊本をひらいてみたら、僕の友人の写真が出ているのを見て、おどろいた。日本の代表的な思想家という説明文が付いていて、その友人は、八つ手の傍で胸を張って堂々と構えていた。僕は、この友人と酒を飲んで「おまえは馬鹿だよ」と言った事があるのを思い出して、恐縮した。馬鹿どころではない。既に、世界的な評論家なのである。あまり身近かにいると、かえって真価がわからぬものである。気を付けなければならぬ。
 日本有数という形容は、そのまま世界有数という実相なのだから、自重しなければならぬ。

  【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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