記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】10月21日

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10月21日の太宰治

  1925年(大正14年)10月21日。
 太宰治 16歳。

 十月二十日付で青森中学校「校友会誌」第三十五号が発行され、辻魔首氏の筆名で「角力(すもう)」を発表。

角力(すもう)

 今日は、太宰が青森県立青森中学校3年生の時に書いた、掌編角力(すもう)を紹介します。
 角力(すもう)は、1925年(大正14年)10月20日付で発行された「校友会誌」第三十五号に、「辻島首氏」ペンネームで発表されました。

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角力(すもう)

 誠二は快活に「案外弱いナア」と言った。勿論それは角力(すもう)で見事兄を負かした自分の強さを表現する一つの手段に過ぎなかった。
 誠二は兄に勝ったという喜びよりも、今の勝負を見て居る自分の友達の中で自分を常々そんなに強くない――(むし)ろ弱い――と思って居る友達がどんなにか「誠二は此頃(このごろ)メッキリ強くなった」ということに驚いて居るだろう。と思うてさえも微笑を禁ずることが出来なかった。
 誠二は何気なくホントに何気なく、自分に負けた兄の方を見た。おひとよし(、、、、、)の兄は誠二を見てニヤニヤ笑いながら「負けたナア、ウム見ん事負けた、サアこんどからは誠ちゃんがえばるによいナ、羨ましいナア」と高くしゃべってカラカラ笑った。誠二はニッコリともしなかった。誠二は淋しくなったからだ。誠二は兄のさっきの言葉を聞いて居るうちに、その兄の言葉のどこかに淋しさのあるのを知った。又その笑声もあきらかにウソの笑声であることも知った、それらを知った時に誠二は急に淋しくなったのだ。そしてそれは兄に対して済まない心からの淋しさではなかった。それと全然反対の自分が頼みがいのない兄を持ったという淋しさなのだ。
 兄が自分より弱い、そして自分に負けてベソをかいて居るよ。誠二はヤケに似たの心嘲罵(ちょうば)も起きて来た。(しか)し彼の淋しさはだんだん深くなるばかりだ、頼みがいの無い兄、たった一人でもいい自分をつまみ出せるような強い兄を持ちたい。彼はこんなことまで真面目に考えて見るようになった。
 誠二はこの間兄が村はずれの源太に手ひどくたたかれて泣きはらしたような眼をして紫にはれ上った頬を押えて父母に見つからぬように家の裏口からコッソリ入って来たイヤな光景を思い浮べずには居られなかった。兄がこんなだから僕迄友達に馬鹿にされるのだ。自分より弱い兄を持って居ることは誠二の自尊心を傷つけるものだと考えたりした。
 アア僕の兄が自分に勝って()れたら。
 アア僕の兄に自分が負けたら…………誠二は自分より強い兄を要求する心から兄より弱い自分を要求する心に変って行ったのは無理もないことである。
 誠二はこの弱い兄を自分より強くするのは到底不可能だと思った。(しか)し自分は兄より弱くなるのはあながち不可能な事ではないと思われた。
「もう一回兄と角力(すもう)をとろう。そして自分は立派に兄に勝をゆずろう」誠二はそう決心したのはそれからホンの少したってからのことであった。
 誠二のその決心は頼みがいのない兄を持った自分の淋しさを癒そうとの考えからで決して兄が負けたから、こんどは自分が負けて兄の気持を悪くしたくないからでも又兄に勝って失礼したのをおわびしたいからでもなかった。「兄さんもう一回やって見ましょう」と何気なく誠二は言ったつもりであったろうが、その声にはなんとも言えぬ鋭さがあったのは争われぬことだ。
 兄は「もうごめんだよ、若い者は勝に乗じて何回もやりたがるものだナア」とおかしみたっぷりに言った。誠二にはその言葉が又この上なく皮肉に聞えたのであった。ムットして「何でもいいからやりましょう」と鋭く言った、兄も流石に真顔になって「それじゃあ! やろう」と云って立ち上った。あたりで見て居た誠二の友達はどっちが勝ってもいいような様子をして戯謔(ぎぎゃく)を言え言((ママ))、二人に声援をして居た。誠二が兄と取組んでからは(ほとん)ど夢中と言ってよい位であった。ただ膝頭がガクガク震えて居るのばかりが彼にはハッキリわかって居た。それでも「もういいだろう」という事が夢中になって居る誠二の頭に浮んで来た。誠二はワザとゴロリと横になった。それは自分ながら驚く程自然にころんだのだ。友達はこの意外な勝負を見てワッとばかり叫んだ、それは兄をほめる歓声でなかった。

 

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 誠二を(ののし)る叫びだった。兄は得意そうに微笑(ほほえ)んで居た。そうしてたおれて居る誠二の脚を彼の足先で一寸(ちょっと)つついた。
 誠二はだまって立ち上った。彼の友達はがやがや騒ぎだした、中にはこんな声もまじってあった。「そら見ろい、あの通り誠ちゃんが負けるんだよ、誠ちゃんの兄さんがわざとさっきは負けてやったんだよ、誠ちゃんが泣くといけないからナ」「そうだとも一回で止めとけばよかったのに、勝ったもんだから癖にして又やったらこの始末さアハハハハハハハハハハハ」誠二はだまってこの話声を聞いて居た、誠二の心はこんどは淋しさを通りこして、取り返しのつかない侮辱を受けて無念でたまらないような気がしてならなかった、兄の方を見た、兄はまだ喜んで居るようだ。誠二は兄のその喜んで居る様子を見てもチッとも嬉しくはならなかった。自分にだまされて勝って喜んで居る兄を見て増々頼みがいの無い兄だと云うなさけない思いがして来た。
 アア負けねばよかった。又勝ってやればよかった。誠二には深い後悔の念が堪えられない程わき出たのであった。
 もう友達は大分彼の家から帰って行った。兄も誠二の部屋から去った、誠二は後悔の念に満ちた心を持って部屋の窓から空を見上げた。どんより曇った灰色の空は低く大地を包んで居た。風もなかった。誠二には太陽の光もない様に思われた。
 誠二の肩をたたくものがある、信ちゃんであった。誠二のたった一人のホントの友達の信ちゃんであった。信ちゃんは快活に「今の勝負。あれア君がわざと負けたのじゃないか」と言った。誠二はこれを聞いて嬉しくって嬉しくってたまらなかった。そして自分をホントに知ってて()れる人は信ちゃんであると思った。誠二は急に顔に微笑を浮べて信ちゃんの手を固くにぎりだまって頭を縦に振って見せた。信ちゃんは大得意になって「そうだろう、なんだかおかしいと思った。あんなにたやすく兄さんに負けはしまいと僕は思って居たんだ。だがなぜ兄さんに勝たせたんだい」と聞いた。それを聞いて誠二はハッとしたようにしてだんだん暗い顔になって来た。
 やや沈黙が続いた後信ちゃんはトンキョウな声を挙げて「ハハアわかった、誠ちゃん君えらいネ、兄さんに赤恥をかかせまいと思って負けたんだネ、そうだろう」と叫ぶように言った。誠二はそれに対して「ソウダ」と言うことがどうしても出来なかったのは無論である。

  【了】

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【参考文献】
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
太宰治『地図 初期作品集』(新潮文庫、2009年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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