記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】1月3日

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1月3日の太宰治

  1933年(昭和8年)1月3日。
 太宰治 23歳。

 (はかま)を着けて服装を改め、緊張した面持ちで、今官一とともに井伏鱒二を訪問。以後、疎開中を除き、井伏家参上が正月の恒例となった。同日、筆名「太宰治」を決定したと推定され、ほぼ同じ頃、第一短篇小説集『晩年』の書名も決定したと推定される。

ペンネームの由来

 太宰治」のペンネーム(筆名)の由来には、いくつかの説があり、太宰自身も複数の由来を語っているので、本当はどれなのか分かりませんが、主なものを紹介します。

 まずは、1948年(昭和23年)発行の雑誌『大映ファン』に掲載の「太宰治先生訪問記」から。インタビュアーは、女優の関千恵子。『パンドラの匣』の映画化である『看護日記』に関千恵子が主演したことから、このインタビューが実施されました。関千恵子の「先生のペンネームの由来をお聴かせ下さい。」という問いに対して、太宰は、

「特別に、由来だなんて、ないんですよ。小説を書くと、家の者に叱られるので、雑誌に発表する時本名の津島修治では、いけないんで、友だちが考えてくれたんですが、万葉集をめくって、初め、柿本人麻呂から、柿本修治はどうかというんですが、柿本修治は、どうもね。そのうち、太宰権帥大伴の何とかって云う人が、酒の歌を詠っていたので、酒が好きだから、これがいゝっていうわけで、太宰。修治は、どちらも、おさめるで、二つはいらないというので太宰治としたのです。」

と語っています。
 「太宰権帥(だざいごんのそち)大伴(おおとも)の何とか」は、万葉集に出て来る大伴旅人(おおとものたびと)のこと。実際は、大宰府次官の太宰権帥(だざいごんのそち)ではなく、大宰府長官・太宰帥(だざいのそち)でした。

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 「小説を書くと、家の者に叱られる」というのは、仕送りをしたり、太宰の心中未遂等の後始末をしてくれた、長兄の津島文治(金木町長、青森県知事、衆議院参議院議員を歴任。太宰の心中事件や薬物に関する事件に頭を悩ませていた)に、これ以上迷惑をかけられない、という意味が含まれています。

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 また、太宰の師である井伏鱒二は、

 太宰君は改名したと私に披露した。指さきで、手のひらに一字ずつ、太、宰、治、と書いて見せ、「ダザイ、オサム、と読むんです」と云った。すこし気恥ずかしそうな顔であった。改名怱々(そうそう)のことだから、云いにくかったのだろう。従来の津島では、本人が云うときには「チシマ」ときこえるが、太宰という発音は、津軽弁でも「ダザイ」である。よく考えたものだと私は感心した。

と、ペンネーム決定の頃について書いています。今ではそうでもないですが、当時は(なま)っていることが恥ずかしかった時代。この説も、一理あります。

 上記のほかにも、フランス学者・太宰旋門の姓からとった、弘前高校時代の同級生・太宰友次郎の姓からとった、「Desein(ダーザイン。"現存在"の意のドイツ語)」からとった、「ダダイズム」からとった等、様々な説があるようですが、私は個人的に、インタビューで話していた大伴旅人の役職「太宰権帥(だざいごんのそち)」と「本名から、片方の"おさめる"だけ残した」、「チシマスージ」のように訛らない「ダザイオサム」にした、のハイブリット案が、ペンネームの由来のような気がしています。

 ちなみに、太宰の奥さん・津島美知子は、太宰のペンネームについて、次のように回想しています。

 知り合ってから間もなくのことだったが、太宰治という筆名の由来について聞いたとき、彼は大体次のように言った。
 ペンネームをきめる必要が起った。そのとき一友人が傍にあった万葉集をパラパラ繰っているうちに、太宰というのはどうかと言った。それがよかろうということできめたのだと。
 どこでか、またその友人の名も聞かなかったけれども、時間をかけてきめた筆名、あれこれと凝って考えた末での命名でなかったことは確実である。彼の性格からいっても、意味あり気な筆名をつけるなど考えられない。
 筆名がきまってから、太宰ー大宰府菅原道真の配流と、連想が走ったのか、あるいはもともと好きな言葉で、たまたま、それにゆかりある筆名に決まったものかわからないが、太宰は「配所の月」という言葉が好きで、よく配所で月を見る心境に陥る人であった。
 (中略)
 名前については、「太宰」の由来を聞いたのとは別のときだったが、「オサメ、オサムだからなあ」と嘆ずるように言うのを聞いた。それが「身を修め、国を治める、二重のオサメ、オサムではやりきれない」という意味だったのならば、重複したオサムを一つにしたのである。

 奥さんの言うこと、何だか説得力がある気がします。

 【了】

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【参考文献】
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・津島美知子『回想の太宰治』(講談社文芸文庫、2008年)
齋藤愼爾 責任編集『太宰治坂口安吾の世界 ー反逆のエチカ』(柏書房、2010年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
井伏鱒二『太宰 治』(中公文庫、2018年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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