記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】11月13日

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11月13日の太宰治

  1939年(昭和14年)11月13日。
 太宰治 30歳。

 「困惑の弁」十枚を脱稿。

『困惑の弁』

 今日は、太宰のエッセイ『困惑の弁』を紹介します。
 『困惑の弁』の原稿10枚は、1939年(昭和14年)11月13日に脱稿。翌1940年(昭和15年)1月20日付発行の「懸賞界」第六巻第二号(一月下旬号)に発表されました。

『困惑の弁』

 正直言うと、私は、この雑誌(懸賞界)から原稿書くように言いつけられて、多少、困ったのである。応諾の御返事を、すぐには書けなかったのである。それは、私の虚傲(きょごう)からでは無いのである。全然、それと反対である。私は、この雑誌を、とりわけ卑俗なものとは思っていない。卑俗といえば、どんな雑誌だってみんな卑俗だ。そこに発表されて在る作品だって、みんな卑俗だ。私だって、もとより卑俗の作家である。他の卑俗を嘲うことは私には許されていない。人おのおの懸命の生きかたが在る。それは尊重されなければいけない。
 私の困惑は、他に在るのだ。それは、私がみじんも大家で無い、という一事である。この雑誌の、八月上旬号、九月下旬号、十月下旬号の三冊を、私は編集者から恵送せられたのであるが、一覧するに、この雑誌の読者は、すべてこれから「文学というもの」を試みたいと心うごき始めたばかりの人の様子なのである。そのような心の状態に在るとき、人は、大空を仰ぐような、一点けがれ無き高い希望を有しているものである。そうして、その希望は、人をも己をも欺かざる作品を書こうという具体的なものでは無くして、ただ漠然と、天下に名を挙げようという野望なのである。それは当りまえのことで、何も非難される筋合いのものでは無い。日頃、同僚から軽蔑され、親兄弟に心配を掛け、女房、恋人にまで信用されず、よろしい、それならば乃公の、奮発しよう、むかしバイロンという人は、一朝めざめたら其の名が世に高くなっていたとかいうではないか、やってみよう、というような経緯は、誰にだってあることで、極めて自然の人情である。その時、その人は興奮して本屋に出掛け、先ずこの雑誌(懸賞界)を取り挙げ、ひらいてみると太宰なぞという、聞いたことも無いへんな名前の人が、先生顔して書いている。実に、拍子抜けがすると思う。その人の脳裏に在るのは、夏目漱石森鷗外尾崎紅葉徳富蘆花、それから先日文化勲章をもらった幸田露伴。それら文豪以外のひとは問題ではないのである。それは、しかし、当然なことなのである。文豪以外は、問題にせぬというその人の態度は、全く正しいのである。いつまでも、その態度を持ちつづけてもらいたいと思う。みじめなのは、その雑誌に先生顔して何やら呟きを書いていた太宰という男である。
 いっこうに有名でない。この雑誌の読者は、すべてこれから文学を試み、天下に名を成そうという謂わば青雲の志を持って居られる。いささかの卑屈もない。肩を張って蒼穹を仰いている。傷一つ受けていない。無染である。その人に、太宰という下手くそな作家の、醜怪に(しゃが)れた呟きが、いったい聞えるものかどうか。私の困惑は、ここに在る。
 私は今まで、なんのいい小説も書いていない。すべて人真似である。学問はない。未だ三十一歳である。青二歳である。未だ世間を知らぬと言われても致しかたが無い。何も、無い。誇るべきもの何も無いのである。たった一つ、芥子粒(けしつぶ)ほどのプライドがある。それは、私が馬鹿であるということである。全く無益な、路傍の苦労ばかり、それも自ら求めて十年間、転輾(てんてん)して来たということである。
 けれども、また、考えてみると、それは、読者諸君が、これから文豪になるために、ちっとも必要なことではない。むだな苦労は、避け得られたら、それは避けたほうがよいのである。何事も、聡明に越したことはない。けれども私は、よほど頭がわるく、それにまた身のほど知らぬ自惚れもあり、人の静止も聞かばこそ、なに大丈夫だ、大丈夫だと匹夫(ひっぷ)(ゆう)、泳げもせぬのに深潭(しんたん)に飛び込み、たちまち、あおおうあっぷ、眼もあてられぬ有様であった。そのような愚かな作家が、未来の鷗外、漱石を志しているこの雑誌の読者に、いったいどんなことを語ればいいのか。実に、困惑するのである。
 私は、悪名のほうが、むしろ高い作家なのである。さまざまに曲解せられているようである。けれども、それは、やはり私の至らぬせいであろうと思っている。実に、むずかしいものである。私は、いまは、気永にやって行くつもりである。私は頭が悪くて、一時にすべてを解決することは、できぬ。手さぐりで、そろそろ這って歩いて行くより他に仕方がない。長生きしたいと思っている。
 そんな情態なので、私は諸君に語るべきもの、一つも持っていない。たったひとつ、芥子粒(けしつぶ)ほどのプライドがあると、さっき書いたが、あれもいまは消し去りたい気持ちである。ばかな苦労は、誇りにならない。けれども私は、(わら)ひとすじに(すが)る思いで、これまでの愚かな苦労に執着しているということも告白しなければならない。若し語ることがあるとすれば、ただ一つ、そのことだけである。私は、こんなばかな苦労をして、そうして、なんにもならなかったら、せめて君だけでも、自重してこんなばかな真似はなさらぬようにという極めて消極的な無力な忠告くらいは、私にも、できるように思う。燈台が高く明るい光を放っているのは、燈台みずからが誇っているのでは無くして、ここは難所ゆえ近づいてはいけませんという忠告の意味なのである。

 

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 私のところへも、ニ、三、学生がやって来るのである。私は、そのときにも、いまと同じ様な困惑を感じるのである。彼等は、もちろん私の小説を読んでいない。彼等もまた青雲の志を持っているのであるから、私の小説を軽蔑している。また、そうあるべきだと思う。私の小説などを読むひまがあったら、もっともっと外国の一流作家、または日本の古典を読むべきである。望みは、高いほどよいのである。そんなに、私の小説を軽蔑していながら、なぜ私のところへ来るのか。来易(きやす)いからである。それ以外の理由は、ないようである。玄関をがらっとあけると、私が、すぐそこに坐っている。家が狭いのである。
 せっかく訪ねて来てくれたのである。まさか悪意を持って、はるばるこんな田舎まで訪ねて来てくれる人もあるまい。私は知遇に報いなければならぬ。あがりたまえ、ようこそ、と言う。私は、ちっとも偉くないのだから、客を玄関で追いかえすなどは、とてもできない。私は、そんなに多忙な男でもないのである。忙中謝客などという、あざやかなことは永遠に私には、できないと思う。
僕よりもっと偉い作家が、日本にたくさんいるのだから、その人たちのところへ行きなさい。きっと得るところも、甚大であろうと思う、と私は或るとき一人の学生に、まじめに言ったことがあるけれども、そのとき学生は、にやりと笑って、行ったって、僕たちには逢ってくれないでしょう、と正直に答えたのである。そんなことは無いと思う。逢ってくれないならば、にぎりめし持参で門の外に頑張り、一夜でも二夜でも、ねばるがよい。ほんとうにその人を尊敬しているならば、そんな不穏の行動も、あながち悪事とは言えまい、と私は、やはりまじめに言ったのであるが、学生は、こんどは、げらげら笑い出して、それほど尊敬している人は、日本の作家の中には無い、ゲエテとか、ダヴィンチのお弟子になるんだったら、それくらいの苦心をしてもいいが、と(うそぶ)き、卓の上の饅頭を一つ素早く頬張った。青春無垢のころは、望みは、すべてこのように高くなければならぬのである。私は、その学生に向っては、何も言えなくなるのである。私は、軽蔑されている。けれども、その軽蔑は正しいのである。私は貧乏で、なまけもので、無学で、そうして甚だ、いい加減の小説ばかり書いている。軽蔑されて、至当なのである。
 君は苦しいか、と私は私の無邪気な訪客に尋ねる。それあ、苦しいですよ、と饅頭ぐっと呑みこんでから答える。苦しいにちがいないのである。青春は人生の花だというが、また一面、焦燥、孤独の地獄である。どうしていいか、わからないのである。苦しいにちがいない。
 なるほど、と私は首肯し、その苦しさを持てあまして、僕のところへ、こうしてやって来るのかね、ひょっとしたら太宰も案外いいこと言うかも知れん、いや、やっぱり、あいつはだめかな? などとそんな気持で、ふらふらここへ来るのかね、もし、そうだったら、僕では、だめだ、君に何んにもいいこと教えることができない。だいいち、いま僕自身あぶないのだ。僕は、頭がわるいから、なんにもわからないのだ。ただ、僕はいままで、ばかな失敗ばかりやって来たから、僕のばかな真似をするなとなんべんでも繰り返して言いたいだけだ。学校をなまけては、いけない。落第しては、いけない。カンニングしてもいいから、学校だけは、ちゃんと卒業しなければいけない。できるだけ本を読め。カフェに行って、お金を乱費してはいけない。酒を呑みたいなら、友人、先輩と牛鍋つつきながら悲憤慷慨せよ。それも一週間に一度以上多くやっては、いけない。侘びしさに堪えよ。三日堪えて、侘びしかったら、そいつは病気だ。冷水摩擦をはじめよ。必ず腹巻きをしなければいけない。ひとから金を借りるな。餓死するとも借銭はするな。世の中は、人を餓死させないようにできているものだ。安心するがいい。恋は、必ず片恋のままで、かくして置け。女に恋を打ち明けるなど、男子の恥だ。思えば、思われる。それを信じて、のんきにして居れ。万事、あせってはならぬ。漱石は、四十から小説を書いた。
 愚かな私の精一ぱいの忠告は、以上のような、甚だ高尚でないことばかりだったので、かの学生は、腹をかかえて大笑いしたのであるが、この雑誌の読者もまた、明日の鷗外、漱石、ゲエテをさえ志しているにちがいないのだから、このちっとも有名でないし、偉くもない作家の、おそろしく下等な叫び声には、さだめし失笑なされたことであろう。それでいいのだ。望みは高いほどよいのである。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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