記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】11月25日

 

f:id:shige97:20191205224501j:image

11月25日の太宰治

  1928年(昭和3年)11月25日。
 太宰治 19歳。

 青森に行き、平岡敏男(ひらおかとしお)とカフェー「太陽」で痛飲。

太宰、平岡敏男と痛飲

 1928年(昭和3年)11月25日、官立弘前高等学校2年生の太宰は、青森市に行き、友人・平岡敏男ひらおかとしお とカフェー「太陽」で痛飲しました。 
 平岡は、北海道旭川の出身。弘前高等学校で新聞部に所属し、一期下の太宰と親交があり、「弘高新聞」への参加を誘っています。
 今回は、この日の太宰と平岡について、太宰治に出会った日に収録されている平岡の『若き日の太宰治からの引用で紹介します。引用中に登場する「校友会雑誌」は、年2回発行されていた雑誌です。

  昭和三年、校友会新聞雑誌部が発行する校友会雑誌第十三号の奥付をみると私は編集兼印刷人になっている。十二月十五日発行である。印刷所は青森印刷株式会社。なぜ私が印刷人にもなっていたかよくわからない。その校友会雑誌の印刷用件で青森へいく汽車のなかで太宰といっしょになったのである。私が彼と知りあったのは三年生になってからである。彼に新聞雑誌部の委員になってもらうつもりで、学校の近くにある彼の下宿へいったら、委員の件については、あまりはきはきした応答をせずに「これがぼくのいまの気持です」といって読みだしたのが「此の夫婦」という小説であった。
 第十三号の「編集室」というあとがきは、私といま一人三年生理科の広瀬が書いており、そのあとに部長堀内先生、委員平岡敏男、広瀬英雄、南部農夫治、津久井信也上田重彦という名が出ている。しかし太宰すなわち津島修治の名は出ていないところをみると、委員の方はうやむやになったのであろう。しかし私は「此の夫婦」を校友会雑誌第十三号に掲載した。この小説は七十ページの雑誌の二十三ページを占めてる。短いものではない。もちろん全集にも収録されている。こんどまた読んでみた。彼がこれを書いたときは、いまの満年令でいえば二十一才になったかならなかったかのころである。文学的評価はさまざまであろうが、はっきりいえることは、おとなの小説であるということだ。太宰がいかに早熟であったかがわかる。そしてまた「此の夫婦」は、太宰が本名で発表した唯一の小説であるといっていいくらいだ。

 

f:id:shige97:20201122213954j:image
弘前市の喫茶店「みみづく」の前で 太宰と平岡敏男。

 

 日記にもどろう。青森印刷で要件をすませた私は、そこの支配人である藤田金一氏とランデンというカフェーで会ってカレーライスでもごちそうになったのかもしれない。汽車のなかでそういう約束ができたのかと思うが、そのあと太宰にあっているのだ、太宰は青森にも寄宿先があったので、そこで学生服を、りゅうとした和服に着かえて現われ、太陽というカフェーの二階にあがったのだ。カフェーというのは、いまのコーヒー店とバーとレストランを混合してひとつにしたような日本独特の店で、ホステスとはいわぬ女給がいた。ふたりであがった太陽というカフェーの二階は日本座敷になっていて、芸妓がよべたのである。太宰は、のちに細君となった紅子(べにこ)とのいきさつをのべたあと、かの女をよんで私に紹介するつもりであったのだが、かの女は来ずにその朋輩の芸妓が来た。太宰は、きげんがわるくなり、荒れてきて酔うほどにその芸妓に「こう見えても津島修治という男は……」などといったり、そうかと思うと「津島修治がこういっていたと紅子によくいっておけ……」などと啖呵めいた気焔をあげたりした。しかしふたりともまだ後年のような酒飲みにはなっていなかったので七本程度の銚子でかなり酩酊したのであろう。十一月末の青森は、すでに冬であった。カフェーを出たふたりはマントを着て肩を抱きあい、寮歌などうたいながら、青森駅へ行きここで私は太宰と別れて弘前へ帰ったのである。
 太宰と紅子(べにこ)の関係はいつごろできたかについていろいろの説をなすものがあるが、私の日記についていえば、昭和三年の九月ということになっている。”枕をかわす”などというのは今では耳ざわりのいいことばとはいえないが、そのころ義太夫などをやっていた太宰は、なんの抵抗もなくこういうことばを使っていたのである。

 

f:id:shige97:20201122123832j:plain
■「のちに細君となった紅子(べにこ)」こと小山初代

 【了】

********************
【参考文献】
・山内祥史 編『太宰治に出会った日』(ゆまに書房、1998年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
********************

【今日は何の日?
 "太宰カレンダー"はこちら!】

太宰治、全155作品はこちら!】