記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】12月25日

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12月25日の太宰治

  1921年(昭和21年)12月25日。
 太宰治 37歳。

 一九四七年(昭和二十二年)一月一日付発行の「中央公論」新年号に「メリイクリスマス」を発表。

『ぼくのクリスマスプレゼント』

 太宰は、1947年(昭和22年)1月1日付発行の「中央公論」新年号に短篇メリイクリスマスを発表しました。

  東京は、かなしい活気を呈していた、とさいしょの書き出しの一行いちぎょうに書きしるすというような事になるのではあるまいか、と思って東京に舞い戻って来たのに、私の眼には、何の事も無い相変らずの「東京生活」のごとくに映った。
 私はそれまで一年三箇月間、津軽の生家で暮し、ことしの十一月の中旬に妻子を引き連れてまた東京に移住して来たのであるが、来て見ると、ほとんどまるで二三週間の小旅行から帰って来たみたいの気持がした。

 太宰自身を思わせる「私」の語りからはじまるメリイクリスマス。実際に、太宰が故郷・津軽での疎開生活を終え、家族と共に東京・三鷹に移住してきたのも1946年(昭和21年)11月14日でした。

 メリイクリスマスに登場するシズエ子とそののモデルは、林聖子と母・秋田富子「シズエ子」という名前は、少し不思議な感じですが、画家・林倭衛(はやししずえ)の娘だったことから、このように命名されたのだと思われます。
 太宰と秋田富子林聖子がはじめて出会ったのは、1941年(昭和16年)の夏。この時のエピソードについては、4月8日の記事で紹介しています。

 メリイクリスマスで、

  私は本屋にはいって、或る有名なユダヤ人の戯曲集を一冊買い、それをふところに入れて、ふと入口のほうを見ると、若い女のひとが、鳥の飛び立つ一瞬前のような感じで立って私を見ていた。口を小さくあけているが、まだ言葉を発しない。
 吉か凶か。
 昔、追いまわした事があるが、今では少しもそのひとを好きでない、そんな女のひととうのは最大の凶である。そうして私には、そんな女がたくさんあるのだ。いや、そんな女ばかりと言ってよい。
 新宿の、あれ、……あれは困る、しかし、あれかな?
「笠井さん。」女のひとはつぶやくように私の名を言い、かかとをおろしてかすかなお辞儀をした。
 緑色の帽子をかぶり、帽子のひもあごで結び、真赤なレンコオトを着ている。見る見るそのひとは若くなって、まるで十二、三の少女になり、私の思い出の中の或る影像とぴったり重って来た。
「シズエ子ちゃん。」
 吉だ。
「出よう、出よう。それとも何か、買いたい雑誌でもあるの?」
「いいえ。アリエルというご本を買いに来たのだけれども、もう、いいわ。」
 私たちは、師走ちかい東京の街に出た。
「大きくなったね。わからなかった。」

と書かれているのは、シズエ子と語り手「笠井」の再会シーンですが、このシーンは、実際に帰京直後の太宰と林聖子の場面を元に書かれています。
 この時のことを、林聖子は著書風紋五十年所収の『いとぐるま』で、次のように回想しています。

 二十一年十一月初めの日曜日、私は駅前の三鷹書店を覗いた。有島生馬さんが父のことを書いたという「ロゴス」を買おうと思ったのです。夕方の店内は、活字に飢えた人たちで一杯だった。店の人に「ロゴス」の所在を聞くため、一歩踏み出そうとしたとき、レジを離れようとしている男の人と向き合う形となった。私は魔法をかけられたようになった。「太宰さんの小父(おじ)さん」といいかけて、「小父(おじ)さん」の言葉を呑み込んだ。太宰さんには、もう三年余りも会っていない、多分、私のことなどもう覚えておられないだろう。「小父(おじ)さん」などという親し気な呼び方は、今の私には、もう許されない。ふとそう感じたのである。それに、今の私は、決して昔のような子供ではない。
 しかし、太宰さんは、やはり昔のままの太宰さんだった。「聖子ちゃん?」「やはり聖子ちゃんかあー」といいながら、近寄って来られた太宰さんは、温かい手をソッと私の肩に置いて、「無事だったのか、よかった、よかった」というように私の顔をのぞき込んだ。
 決して夢でも、人違いでもなかった。しかし、太宰さんをわが家にご案内する間も、やはり、私は、夢の中にいるような気がした。上京して初めて味わうような幸せな気持だった。その夜、私たち母娘は、改めて再会の喜びを分ち合った。
 それから半月ほどして、着物姿の太宰さんがわが家に来られた。そして、懐から「中央公論」新年号を取り出し、ひどく真面目な顔をして、「これは、ぼくのクリスマスプレゼント」といった。
 母と私は、早速、雑誌を開いた。そして、頬を寄せながら、太宰さんの「メリイクリスマス」を読んだ。「ロゴス」が「アリエル」となっていることと私が広島の原爆孤児になっていること以外は、半月前の再会のときの模様が、そっくりそのまま、というより、より洗練された形で、そこに定着されていた。
 私は、「メリイクリスマス」を手にするたびに、なんの苦もなく、四十年前の自分に還ることができる。母と太宰さんのおかげである。

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 秋田富子林聖子については、太宰の妻・津島美知子も、著書回想の太宰治で次のように回想しています。

  太宰は書簡を保存する習慣を持たない。にもかかわらず、この引き出しの一つには、数人の女性からの手紙が入っていた。没後、整理したら、T子さんからの来信が一番多かった。太宰の「メリイクリスマス」は、T子さんとその娘S子さんのイメージから書いた小説だが、「メリイクリスマス」を書いた頃、T子さんは病床に存った。

 秋田富子は、若い時から体を壊し、腎臓結核脊椎カリエスも患っており、耳が不自由で、肺浸潤にも侵されていました。太宰が心中した半年後、1948年(昭和23年)12月23日、結核性腹膜炎で亡くなっています。

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■幼少の頃の林聖子秋田富子

 【了】

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【参考文献】
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・津島美知子『回想の太宰治』(講談社文芸文庫、2008年)
・林聖子『風紋五十年』(パブリック・ブレイン、2012年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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