2月9日の太宰治。
1948年(昭和23年)2月9日。
太宰治 38歳。
大映女優関千恵子が、大映宣伝部杉田邦男と共に三鷹の自宅に訪れ、対談した。約一時間半に亘った対談の内容の一部は、「大映ファン」五月号に、関千恵子「太宰治先生訪問記」として発表された。
「太宰治先生訪問記」
『パンドラの匣』を映画化した「看護日記」に主演の女優・関千恵子のインタビューで、映画のこと、高田浩吉や丸山定夫ら俳優との交流のことなどを語りました。
今日は、「大映ファン」五月号に掲載された当該記事を、引用して紹介します。
太宰治先生訪問記
二月九日、私のかねてからお慕いしていた作家太宰治先生をお尋ね致しました。先生のあのキラキラと輝くような、お作を、常々愛読させて頂いていると云うだけではなく、私にとって、太宰先生は、私の恩人でもあるのです。それは、私が、始めて抜擢出演させて頂いた、あの吉村監督の「看護婦の日記」こそは、実は、太宰先生御作の「パンドラの匣」が原作であるからです。
省線三鷹駅から、約十五分位。丁度、私が先生のお宅へ行った時、先生は、お床を延べてお休みになられていた。「なに、宿酔ですよ。」と仰言って、お起きになって下さる。
それから一時間程、新潮社の方が見えるまで、お邪魔してしまう。随分お尻の長い奴だと、後で先生にそう思われなかったか知らと、心配致してます。けれど、先生のお傍に居る時は、うれしくって、一時間半が、ほんの十分か十五分位の感じでした。
映画はあまり御覧にならない由、
「あれも癖でね。観はじめると、続けて見ますが、見ないとなるとさっぱり見ません。最近のでは、"小麦は緑"を観ましたよ。あの、ちょっとふけた女優は何て云うんですか。」
「ベット・デヴィスです。」
「そう、デヴィスは良かった。それから"矢はれた週末"は、アル中が出るから、見てはいけないなんて、友達がいうんです。」
先生は、そんなに、お酒を召上がるのか知ら、さっきも宿酔いだなって云われてたけれど……。
「お酒、随分召上るのですか。」
と、そんな無 しつけなことを、お訊ねしてみる。
「そうですね、おいしいもんじゃない。決して美味ではないけど、呑みますよ。闘いなんだ。ドウンて知っていますか。デイ、ダヴリエエヌ、ドウン。夜が明ける時の、暁ともちがう。その少し前の、あの瞬間。あれはかなわない。憂鬱ですね。暁よりもっと生臭くって。そんな時、呑みたくなります。此の間、書いたんだけど、犯人がドウンに堪え兼ねて、犯罪を白状してしまう、そんな事、ありますよ。」
先生らしい観方。先生は素晴らしい。そんなこと心で呟く。先生の作に"みみずく通信"というのがあって、高等学校の生徒が、先生らしい主人公に向って、「先生はもっと気難しい方だと思っていましたのに」と云う場面がありますけれど、私は、失礼な言い方ですけど、想像していた先生と、現実の先生と、ピッタリ。それで、甘えて、いちばん怖ろしい事を伺う。
「先生、"看護婦の日記"は如何でした。」
「あれは、つまらなかった。途中で出ちゃった。面白くないんだもの。お客だって、お愛想に笑ってくれて居るんだ。」
私はどきんとする。
「あの越後獅子になった徳川夢声ね。あれはいけないね。重々しすぎる。みんなが刺身を食べている時に、一人で蟹を食っている感じだ。それに、ヒバリだって、あんなヒバリはないね。まるでスズメだよ。」
それなら、私は、マー坊でなくダー坊だったかも知れない。「すみません。」と、心の中で謝る。
「大体、日本人には、軽さ、いわゆるほんとうの意味の軽薄さがないね。誠実、真面目、そんなものにだまされ易いんだ。芭蕉だってワビ、サビ、シヲリ、この外に、晩年になって、カルミ、という事を云っているけど、尤 も少しも、軽くはならなかったけれど、兎に角、軽みは必要だ。僕は、映画俳優では、ルイ・ジュヴェ、それから羽左衛門がいいな。軽いよ。どうも一般に、重々しすぎる。何かと云うと、ベートーヴェン。いけないな。モツアルトの軽み。あれは絶対だ。」
そうも仰言られる。
「文学だってそうですよ。誠実、真面目。そんなものにごまかされているんだ。可笑しい話だ。ルイ・ジュヴェですよ。あの雰囲気は楽しい。日本では、高田浩吉、あのひとには軽薄があるんではないかな。古いものだけど。"家族会議"の高田浩吉はよかった。それから丸山定夫。このひともいい。」
いつか、大分以前だけれど、西尾官房長官をお訊ねした時も、長官は、「芝居をしすぎるのはいけない。いつでも肩を怒らしているのは変だ。」というようなことを言われたけれど、それと、同じ意味が含まれているように、思われる。本当に、そうだ。勉強、勉強、と心に誓う。
「先生のペンネームの由来をお聴かせ下さい。」
こんな事も伺ってみる。
「特別に、由来だなんて、ないんですよ。小説を書くと、家の者に叱られるので、雑誌に発表する時、本名の津島修治では、いけないんで、友だちが考えてくれたんですが、万葉集をめくって、始め、柿本人麻呂から、柿本修治はどうかというんですが、柿本修治は、どうもね。そのうちに、太宰権帥 大伴の何とかって云う人が、酒の歌を詠っていたので、酒が好きだから、これがいいっていうわけで、太宰。修治は、どちらも、おさめるで、二つはいらないというので太宰治としたのです。」
と云って、笑われる。笑うと云えば、大映ファンの方が、写真を撮る時、小説新潮二月号に載っている写真は、笑って、奥様に、さんざんいじめられた由で、
「今日は笑いませんよ。笑うと、口は耳までさけ、歯は三本。なんて云われますから、そんなに、僕の口は大きい?」
などと云われるので、本当にそんなに大きくないから、「いいえ。」と、お世辞でなく、私は、そう申し上げると、
「それでも、笑いません。絶対に笑わない。」
と仰言って、それでも、気軽るに、私と並んで下さる。
ドウンのお話。軽みのお話。色々と為になるお話を伺わせて頂く。
帰りにおねだりして頂いた、先生の書かれた、伊藤左千夫の歌。
池みづは
濁りににごり
藤なみの
影もうつらず
雨ふりしきる
註・太宰治原作"パンドラの匣"は昨年七月大映多摩川で映画化され、監督は吉村廉、出演者は折原啓子、小林圭樹、里見凡太郎、杉狂児、徳川夢声でした。本文中にある、越後獅子、ヒバリは看護婦が名付けた患者のニックネームです、老詩人大月(徳川夢声)が越後獅子、患者小柴(小林圭樹)がヒバリでした。関千恵子は看護婦正子(マア坊)でデビューしました。
(『大映ファン』一九四八年五月号)
【了】
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【参考文献】
・齋藤愼爾 責任編集『太宰治・坂口安吾 ー反逆のエチカ』(柏書房、1998年)
・日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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