2月16日の太宰治。
1936年(昭和11年)2月16日。
太宰治 26歳。
東京市芝区赤羽町一 済生会芝病院新病棟より
東京府下小金井村新田四六四鰭崎潤 宛
お手紙を只今ありがたく拝誦いたしました。ずいぶん誤植があったんですね。早速本屋へ言ってやります。私は、六日くらいまえから入院して居ります。もう一週間くらいは居ります。おひまの折に、おあそびに。
太宰と鰭崎潤
鰭崎潤は洋画家で、太宰の四姉きやうの義弟・
今日、取り上げたハガキは、太宰がパビナール中毒治療のため、芝済生会病院に入院していた時に書かれたものです。
鰭崎は、太宰の小説『虚構の春』に、太宰からの金の無心に対して「今月は自分でも馬鹿なことを仕出かして大変、困っているのです。従って到底御用立て出来ませんから、悪しからず御了承下さい」という返書を送ってよこした細野鉄次郎という人物として登場しています。『虚構の春』への登場について、鰭崎は、「例の注射が段々こうじて悲惨なことになりかかったのだが、『虚構の春』に言い争った時の私の手紙も一つ利用されていたが、こんなものが自分の作品といえるのか、ひどいものだ、いいいよ窮してここまで来たかと思った」と非難していますが、2人の交流はその後も続き、太宰と美知子夫人が結婚し、甲府から東京に出て来る際の三鷹での新居を世話したのも鰭崎でした。
また、クリスチャンだった鰭崎は、太宰に"聖書体験"を提供した人物の一人でもありました。鰭崎は、「船橋時代からキリスト教についてよく話をもちだしていたが、無教会的聖書研究雑誌『聖書知識』を毎日もっていっては話合っていた」と記しています。『聖書知識』は、キリスト教無教会主義の伝道者で新約聖書研究家である、
太宰の最初の"聖書体験"は、山岸外史によるものではないか、といわれていますが、キリスト教に対して興味を抱いていた太宰の"聖書体験"をさらに深めた人物といえるかもしれません。
1936年(昭和11年)10月、パビナール中毒治療のために入院した武蔵野病院を退院した直後の、鰭崎宛書簡には「入院中はバイブルだけ読んでいた」と書かれていました。
ここに登場する「バイブル」は、太宰と同様に入院していた医師・齋藤達也氏から借りた、黒崎幸吉編『新約聖書略註 全』(四六版、日英堂書店、1934年刊)。2018年9月、齋藤氏の遺族が神奈川近代文学館に寄贈し、話題になりました。
本の見返しに墨書きで、「かりそめの/人のなさけの/身にしみて/まなこうるむも/老いのはじめや 治」という短歌が書かれていますが、太宰が入院中のことを日記形式で書いた小説『HUMAN LOST』の11月8日付のところにも、同様の短歌か登場します。その下には黒インクで、「聖書送ってよこす奥さんがあれば僕もも少し笑顔の似合う顔になれるのだけれど 太宰治」と書かれています。
ちなみに、冒頭に紹介したハガキに出て来る「ずいぶん誤植があったんですね。早速本屋へ言ってやります。」ですが、太宰の処女短篇集『晩年』の原稿のことです。
『晩年』の校正作業は、太宰の友人・檀一雄が行っており、檀は『小説 太宰治』で次のように書いています。
最初のゲラが私の手許に届いた時には、私も全く自分のことのように嬉しかった。
「晩年」の校正は、まず妹にやらせ、それから私が見た。つまり一校に二度ずつの眼を通して、今でも誤植が少なかったという自信がある。しかし太宰はきっと、蔭では、
「誤植が多くてね。駄目だね。檀はセンスないよ」
と、云っていただろう。
太宰に、蔭で言われていましたね…。
果たして、檀のこの記述は、太宰のこの書簡を知って書かれたものなのか、そうでないのか。
■檀一雄
【了】
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【参考文献】
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
・檀一雄『小説 太宰治』(岩波現代文庫、2000年)
・日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・志村有弘・渡部芳紀 編『太宰治大事典』(勉誠出版、2005年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
・HP「CHRISTIAN PRESS 太宰治が入院中に手にした聖書/神奈川近代文学館で公開」(https://www.christianpress.jp/dazai-osamu-bible/)
※画像は、上記参考文献より引用しました。
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