1月5日の太宰治。
1929年(昭和4年)1月5日。
太宰治 19歳。
午後零時十五分、青森中学校在学中の弟礼治が、青森市大字寺町四十六番地の県立病院で、敗血症のために突如逝去した。享年十七歳。アヤ達十人が
太宰を慕う弟の死
太宰は、父・津島
上の写真、後列右から太宰、弟・礼治。前列右から次兄・英治、長兄・文治、三兄・圭治。
津島礼治は、1912年(明治45年)生まれ、太宰の3つ下の弟です。
1925年(大正14年)4月、県立青森中学校へ進学した礼治は、太宰の下宿していた親戚の豊田家に同宿します。同年10月、太宰は仲間とともに同人誌『
太宰の小説『思い出』の中にも、礼治との"思い出"が記されています。
私と弟とは子供のときから仲がわるくて、弟が中学へ受験する折にも、私は彼の失敗を願っていたほどであったけれど、こうしてふたりで故郷から離れて見ると、私にも弟のよい気質がだんだん
判 って来たのである。
几帳面で、何事にも控えめだった礼治は、成績優秀な太宰に対して劣等感を抱いていたそうです。
1929年(昭和4年)1月5日、礼治は鼻の手術の後に敗血症に冒され、下宿先で急逝します。多感な時期を、ひとつ屋根の下で共に過ごした弟・礼治。礼治の死は、太宰にとってもショッキングな出来事だったに違いありません。
【了】
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【参考文献】
・日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・志村有弘・渡部芳紀 編『太宰治大事典』(勉誠出版、2005年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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