記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】2月24日

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2月24日の太宰治

  1947年(昭和22年)2月24日。
 太宰治 37歳。

 夕方、太田静子に案内されて同じ下曽我村の谷津に住む尾崎一雄宅を訪問、午後十時頃、尾崎一雄の義弟に送られて大雄山荘に帰った。

太宰、尾崎一雄宅を訪問

 2月21日の記事でも紹介しましたが、太宰は太田静子の日記を借りることを目的に、神奈川県足柄下郡下曽我村原の大雄山荘を訪問、5日間滞在していました。

 今日紹介するのは、大雄山荘への滞在4日目のエピソードです。
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大雄山荘。『斜陽』の舞台となった、主人公かず子と母親の住む山荘のモデル。2009年(平成21年)12月26日早朝、原因不明の出火により全焼した。

 この日の夕方に太田静子と一緒に訪問したのが、同じ下曽我村に住んでいた、太宰より10歳年長の作家・尾崎一雄の家。尾崎については、1月11日の記事でも一度紹介しています。

 今回は、太田静子『あはれわが歌』から、この日の出来事を引用して紹介します。『あはれわが歌』によると、それは、大雄山荘を離れ、静子に伴われて伊豆へ向かおうとしている途中でした。

 国府津(こうづ)まで行って、国府津館の奥の一室で、海辺を洗っている白い波を見ているうちに、治はまた下曽我へ一緒に帰ると言い出した。
「やっぱり尾崎さんの家へ行かなければいけないんだ。ちょっと、用事を思い出したんだ。尾崎さんの家を知っている?」
「ええ」
「じゃあ、これから引きかえそう」
 二人はまた午後の御殿場線のプラットフォームに立っていた。早春の風に吹かれながら、山の方に向いて立って、
「僕は伊豆へ行きたくないんだ。小説より園子と別れるのが、とても淋しいんだ。一日も顔を見ないことが、僕は一番淋しいんだよ。園子と一緒だったら、伊豆へ行きたいと思うけれど、一緒でなかったら、少しも行きたくないんだ。ほんとう、ほんとうなんだ」と言うのを、園子は少し疲れたような悲しい顔をして聴いていた。

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 下曽我の駅前の菓子屋で鶏卵を買い、ひかりを二箱分けてもらった。まだ明るかったので、治は園子を梅林に誘った。丘にのぼり、陽の()れるまで芝生の上に座っていた。上り下りの汽車が、けむりを吐きながら、いくつか通過した。
「ほんとうに尾崎さんの家を知ってるの?」
「ええ。」
 鳥居をくぐって、暗い坂をのぼって行き、お宮の傍の洋風の石の門の家へ治を連れて行った。
「尾崎さんは堂々とした家に住んでいるんだなあ。ほんとうにこの家?」
「郵便局長さんの家の女中さんに教えてもらったのよ。間違いなくってよ」
「園子は尾崎さんの小説を読んでいないからそんなこと言うけど」と言いながら中へはいって行って、
「ごめん下さい。尾崎さんいらってやいますか?」と声をかけた。すると眼の大きい丸顔の少女が笑ったような顔をして出て来た。
「僕、太宰です」
 少女はうれしそうに笑いながら奥へ消えた。
「尾崎さんって、ああいう方?」
「うん。ちょっと似ている」
 奥から少女と何か話しながら、ちょっとアリー・シエールに似た和服の上品な老人が出て来た。
「尾崎さん、いらっしゃいますか?」
「お名前は?」
「いや、尾崎さんのお名前です。尾崎一雄さんではございませんか?」
 少女が門の外まで出て、
「あそこです。門のないお家です」と教えた。二人はいまのぼって来た道をあともどりして、門も垣根もない樹と草花に埋もれた格子戸の家へはいって行った。治は入口の樹のかげで立ちどまり、
「尾崎さんは貧乏小説の大家なんだよ」と言った。それから、二、三歩あるいて、小さい声で、
「尾崎さんはお酒が目的で僕が訪ねたとは思わないだろうなあ」と言った。そうして急に元気よく歩いて、格子戸をあけた。
「ごめん下さい。尾崎さんいらっしゃいますか? 太宰です」と大きい声で言った。
「はい」奥の方で大きい声がした。勤労奉仕の時、山で聴いたあの大きい声だった。玄関がぱっと明るくなった。
「まあ。やっぱり太宰さんだわ。太宰さんの声だと思ったら、やっぱり太宰さんだった」
「伊豆へ行く途中、ちょっと大谷さんのところへ立ちよりましたので、お姉さんに案内してもらって、伺いました。尾崎さんは、いかがですか?」
「太宰君、どうぞ、あがり給え」奥から尾崎らしいひとの声がした。夫人は外に立っている園子に、
「どうぞ、おはいり下さい」と笑いかけた。玄関で鶏卵を出して、治の後から部屋へはいった。

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玄関のつづきのその部屋はいろいろなものがいっぱい置いてあった。部屋の真中に臥床が敷いてあって、尾崎は丹前姿で臥床の上に起き直っていた 治を見ると、
「勇ましい格好をして、なかなか元気そうじゃあないか」と笑いかけた。髪の毛をのばして顔色のわるい尾崎は、いかにも長い病人という感じがしたが、額と眼と唇元とそうして少しつんとした鼻は少しも病人らしくなかった。
「おい、酒があるだろう」病人らしくない、大きい声で台所の方へ呼びかけた。食卓がはこばれ、お茶が出ると、尾崎は自分で立って台所へ行き、二、三合はいった一升瓶をさげて来た。
 山の芋のとろろと生卵が出て、お酒があたためられた。治は長押(なげし)の上の槍と薙刀(なぎなた)を見あげて、
「これは、まるで鉢の木ですね」と言った。尾崎は代々宗我神社の神官であった尾崎家の歴史を語り、自分の代になって家、屋敷を飲んでしまったことを話した。それから二人に共通の作家、友人のその後の消息や女流作家のことなど話していたが、そのうち尾崎がちょっと語気を改め、
「この間、君は新聞に『織田君、君はよくやった』と書いたけれど、あれは君、よくないよ」
と言った。すると治の顔がさっとあかくなった。
「僕は、よくやったと思うんです」
「いや、よくないよ。無茶な生活をして徹夜で書きとばし、病気をわるくして死ぬなんてよくないよ」
「織田はもっと、もっと書きたかったんです」
「それなら、もっと生活を大事にして、ヒロポンなんか打たないで、ゆっくり落着いて書かなければいけなかった。それでなければ一番大事なところは書けないと思う」
「僕もそう思っています、だから僕はもう夜は書かないんです」
「織田は我慢が足りなかったんじゃあないかなあ」
「あいつは我慢が出来なかったんです。いまの日本のデカダンに我慢が出来なかったんです。僕はここ二、三年が一番苦しい時だと思っています。デカダンスどん底まで()ちてみなければ民主主義もないと思うんです」
「それはそうだが、いまの敗戦国の日本はたしかにデカダンスだが、しかしそれに反抗しなければならないと思う。だいたい織田君は女性的だと思うんだ。デカダンスに我慢出来ないなら猛烈に立ち向かえばいいんじゃあないか。そういう手がかりもない程優しいのかね? 女性的だとも思えないが」

●尾崎が「この間、君は新聞に『織田君、君はよくやった』と書いたけれど、あれは君、よくないよ」と言った、太宰のエッセイ『織田君の死』。

 それから尾崎は、いろいろの作家の名をあげて、男性的な作家、女性的な作家と名をあげて行った。勿論治は女性的だった。女性的な作家というのは、それは孤独に耐えられない作家、何かに巻きついて物を書く作家、ひとりで受胎することの出来ない作家、という意味に思われた。園子はその尾崎の言葉は正しいと思った。けれども治は決して承認しないような態度で、真赤な顔をして俯向いて聴いていた。
 八時が鳴った。園子の傍へ来て座っていた小さい女の児が、眠くなったらしく座を立ったので、少女につづいて園子も座を立った。尾崎は別に引きとめなかった。挨拶をして襖を閉めようとすると、不意に治が、
「では僕はもう少しお邪魔しておりますから、どうぞ弟さんによろしく仰って下さい」
と取り澄ました声で、言った。園子は彼が人前をとりつくろっているのだと思いながら、彼の空(そぼ)け方が余り上手だったので、急に不安になった。
 家に帰って、居間の炉に火を入れて、(ひじ)つきに綿を入れながら待っていると、一時間ほどして元気よく帰って来た。
「尾崎さんは、もう古いね」とオウヴァのまま炉に座り、不服そうに言った。上気した顔をしていた。
「尾崎さんは、古いよ」と繰りかえしながら、園子の見つめるような瞳に逢うと、
「だから、園子のことも『恋愛です』なんて言えなかったんだ。尾崎さんや奥さんや、それから尾崎さんのことを『若い者』と言った、あのお母さんの前では『恋愛です』なんて言えなかったんだ。園子が可哀そうだったんだ」
 園子はだまっていた。自在鉤に吊した鉄瓶のお湯がしゅんしゅん沸って来た。治はひとりごとのように、
「尾崎さんは僕をお世辞者だと思っているのだろうなあ」と言った。それから又、
「僕は園子のねがいはみんな、ひとつ残らず、かなえさせてやりたいけれど、尾崎さんの家なんかへ行くと園子が可哀そうで仕方ないんだ。帰り途でね、胸がいっぱいになって、不安になって、死にそうな気持になっていたんだよ。その不安な切ない気持が、園子の顔を見た瞬間に消えてしまった。」
 翌日は尾崎夫人に逢うのを恐れて家の中ばかりにいて、夕方暗くなってから、駅前の旅館へ出かけた。門を出て少し行くと治は園子の手を握りしめて、
「このまま倒れて死んでしまいたい」と言った。

 【了】

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【参考文献】
・太田静子『あはれわが歌』(ジープ社、1950年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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