記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】2月27日

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2月27日の太宰治

  1933年(昭和8年)2月27日。
 太宰治 23歳。

 小山初代(おやまはつよ)の母・小山きみ宛に書簡を出す。

奥さんの母・小山きみ宛の書簡

 1931年(昭和6年)、東京帝国大学一年生の太宰が最初の奥さんと新婚生活をはじめた時のエピソードについては、2月7日付の記事で紹介しました。
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■小山初代。入籍はしていなかったため、"内縁の妻"だった。1932年(昭和7年)夏に撮影。

 筆まめでお馴染みの太宰は、奥さんの母親である小山きみにも手紙を書いていて、太宰治全集 12 書簡』には、3通の書簡が掲載されています。
 今回紹介するのは、1933年(昭和8年)の今日付けで書かれたもの。
 書簡に登場する「誠一」は、初代の3歳下の弟のこと。誠一は、1929年(昭和4年)に上京し、魚河岸で働いていました。新婚生活をはじめたばかりの初代は、誠一に太宰を紹介しています。面識が出来てから、誠一は毎週のように2人の住まいを訪れるようになったといいます。
 また、「叔父さん」「新富町の」と登場するのは、小山きみの弟・吉沢祐(本名・祐五郎)。太宰は初代の叔父である吉沢を何かと頼っていました。グラフィックデザイナーをしていた吉沢は、処女短篇集『晩年』の題字も書いています。

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  東京市杉並区天沼三ノ七四一 飛島方より
  青森市新浜町 永倉一郎方 小山きみ宛

 拝啓
 ながいこと御ぶさた申しています。相すみません。誠一のことでは さぞ御心配なさいましたでしょう。御察しいたします。
 たいてい 今迄のことは 叔父さんから お聞きになったことと存じます。私はなにも誠一のことで気を悪くしたりなどしては いませんから、御心配なさらぬ よう。
 誠一も 馬鹿では ありませんから、行く末のこと は考えていることと思います。こうなって(しま)ったものを、あとで とやかく言った とて なんにも成りませんのですから、此の上は、よく誠一の心 を聞いて、誠一の希望を とげさせてやるのが いいと 考えます。
 誠一は、河岸(かし) で職を捜していたようですが、思わしくないようです。
 こっちで長く 方々へ めいわくをかけるのも どうかと思われます故、とにかく一度 帰郷して母上とも面談して、将来のこときめたら いいように存じます。いかゞでしょう。
 幸い、新富町の叔母さんが、来月の始めに帰青するそうでありますから、叔母さんにたのんで、一緒に連れて行ってもらったら どうでしょう。
 河岸(かし)へも、もう用事がなくなった ようですから、今日、誠一を私のところへ引取りました。河岸へ職を捜しに行くようでしたら、私のところは、不便で、どうしても叔父さんのお世話にならねば いけませんが、もう河岸へ職を求めるのも 一時切りあげた のですから、私のところにいても、差し支えないと思います。
 誠一の たゞいまの希望としては、青森の肴屋(さかなや) へ奉公することらしゅうございます。新富町の叔母さんの話ですと、井上さんという人の所で、肴屋をひらいて、店のものがいないで困っているそうでうが、誠一も そんな所へ奉公したい と言っています。母上も、だから、誠一をそんなとこへ でも奉公させたら どうですか。
 北海道の方へ おいでになりたい旨、承りましたが、そんなにまでなさらないでも、青森で いましばらく御辛棒なされたら いかゞです。こんどは誠一と二人暮しですし、以前ほど、淋しくはないと思います。御熟考 して ください。とにかく母上が、誠一を青森へ帰すようにしたいとお思いなら、その旨、ハガキでもなんでもかまいませんから、至急 御返事下さい。そうするとすぐ誠一を新富町の叔母さんへたのんで 連れて行ってもらいますから。

 誠一の貯金も もう二三日 したら壽賀竹から 返してもらえることになっていますから、返してもらったら、そっくり 誠一にあずけてやるつもりであります。

 では、至急御返事 待っています。
 重ね重ねあまり心配なさらぬよう。
 寒いですから、おからだを大切にして下さい。
                    修 治

 太宰が、小山きみに「さぞ御心配なさいましたでしょう」と書いたのが、 何の出来事を指しているのかが分かりません。1932年(昭和7年)6月下旬、左翼運動に加担していた太宰の転居を手伝ったりもしていたので、左翼運動絡みでしょうか(ちなみに、同年12月、共産党は壊滅しています)。

 この後、誠一は青森に帰郷。母親のきみと一緒に青森市郊外の浅虫温泉に住み、魚屋の仕事をはじめます。

 【了】

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【参考文献】
・『太宰治全集 12 書簡』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
志村有弘・渡部芳紀 編『太宰治大事典』(勉誠出版、2005年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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