記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】3月11日

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3月11日の太宰治

  1947年(昭和22年)3月11日。
 太宰治 37歳。

 三月、小料理屋千草(ちぐさ)が、三鷹下連雀二百十二番地の野川あやの方の斜め向かいの下連雀二百十二番地で店を始め、店の夫婦(鶴巻幸之助、増田静江)と旧知の間柄であった太宰治が頻繁に店を訪れるようになった。

太宰と「千草」

 千草(ちぐさ)は、太宰が接待などにも使った小料理屋で、1947年(昭和22年)の7月頃から、2階の六畳間を仕事部屋として借りています。

 太宰と、店を経営する夫婦(鶴巻幸之助、増田静江)は「旧知の仲」だったということですが、太宰との出会いから再会までを、増田静江「太宰さんと『千草』」から引用して紹介します。

 太宰さんが、初めて私どもの店"千草"においでになったのは、確か昭和十五年頃だったと憶えて居ります。
 その当時、店は三鷹駅前の西に寄った辺りに在りました。今ではもう、二度目の上水寄りの店があった辺りもすっかり変ってしまいましたが――昭和十四、五年の頃は、駅前にお酒を呑ませる店の数はほんのかぞえるほどしかありませんでした。おまけにそろそろお酒が不自由になる時勢でしたので、太宰さんが、お酒を求めて歩き廻られ、たまたま私の店の暖簾(のれん)をくぐられたとしても、何の不思議もないかと思われます。
 "千草"も開店早々で、不慣れな私の応待では、太宰さんもきっと満足なさらなかったでしょうし、先ず敗戦後、再びお会いするまでは、つまり戦前、戦争中はおでん屋とお客とでも云った通り一片のおつきあいに過ぎなかった、と云っていいかと思います。
 太宰さんは、よく若い人たちをお連れになりました。学生さんなんかと、お酒を呑みにと云うより話をしに、何処か語れる場所をといった様子で、若い人たちとの交際を少しも苦になさらず、(むし)ろいろいろ気を遣っていらっしゃるような太宰さんでした。
 お話の上手な、優しい、ちょっと助平な、和服のよく似合う小説家――戦前の太宰さんからはそんな印象を受けた私でした。
 文学、太宰さんのお書きになるものに就いては、何も知らない私です。でもその頃の太宰さんは、生涯の中で一番落着いていらした時期の太宰さんだと人に教わりました。戦後のあの方に比べてみますと、確かに明るい感じの太宰さんだったと、私にも何か分るような気がいたします。

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■「千草」の鶴巻幸之助、増田静江。

 戦後、私どもが山梨県石和の疎開先から帰って来て間もない、あれは昭和二十二年の春だったと思います。三鷹駅前通りで、買物籠を提げた太宰さんにばったりお会いしたのです。私が「先生」と声をかけますと、びっくりしたようなお顔をなさって、
「これは珍しい人と……」
 私は、太宰さんが同じ山梨の甲府疎開なさっていた事は、迂闊(うかつ)にも全く知りませんでしたが、甲府で戦災にあい青森県の金木町に更に疎開なさった事はどういう訳か知って居りました。
「もうお店は開いているの?」
 太宰さんは戦後駅前に出来た露店、闇市場のような所で、相変らずお酒を、いいえ、カストリの類を愛用なさっておいでのようでした。
  (中略)
「また行ってもいいかい?」と仰言(おっしゃ)る太宰さんに、どうぞ いらして下さい、とお誘いして、その日は路上での立話しだけでお別れしましたが、太宰さんが、山崎さんを知ったのも、こんなひょっとしたきっかけからで、再び"千草"に来られるようになったのも、時間的に(ほと)んど同じ頃であった訳で、こじつけみたいですが、何か一つの暗合めいたものを感じたりもしています。当時太宰さんは、三鷹の何処かに仕事部屋を借りてお書きになって居られる様子でしたが、お仕事の方は忙しくなるばかりで、私が、或る時何げなく、店の二階が静かです、と申しあげましたところ早速お使いになることになりました。
 夕方まで外でお仕事をなさった日でも、夕方になると必ずどなたかと一緒にお見えになって、、二階でお酒になりました。そしてそのままお泊りになる事が多くなり、追々お食事の世話までも私どもでするようになっていきました。
 ときには御自分で台所に立たれることもありました。(たら)が好きで、三平汁とでも云うのでしょうか、お魚の頭などを(たき)込んだ塩附けをした汁を好まれました。また箸を使わずに手でつままれることが太宰さんの癖のようでした。

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【了】

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【参考文献】
・『太宰治研究 3』(審美社、1963年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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