3月24日の太宰治。
1925年(大正14年)3月24日。
太宰治 15歳。
三月二十四日付で、青森中学校「校友会誌」第三十四号が発行され、「最後の太閤」を津島修治の署名で発表。この頃から、作家になることを願望しはじめて、創作に熱中した。
最初の創作『最後の太閤』
太宰が青森中学2年生の時、本名・津島修治の署名で「校友会誌」に発表した『最後の太閤』は、太宰最初の創作。臨終の床にある太閤・豊臣秀吉が、自身の人生を回顧する話です。
今日は、太宰の最初の創作である『最後の太閤』を全文紹介します。
最後の太閤
それは太閤の命も已 に、あやうく見えた時であった。宏大 な伏見城の奥のうす暗い大広間である。広間には諸侯がうようよとうごめいて居る。陰気な暗い重い湿った空気がぐんぐんとささやく彼等の言葉さえなんとなく暗く思われた。裏山の杉の林からジージーージジーーと暑苦しい重たそうな蝉 の声がはっきり聞えて来る。
隣部屋に寝て居る太閤は今どんなことを考えて居るだろう。傍には秀頼も居る。淀方 も居る。しかし北政所 方の居ないのは妙にさびしい。太閤は目を細く開いて秀頼の顔を見上げた。淀方の方に眸 をむけた。隣間の諸侯の話声に耳をかたむけた。そして彼は又満足気に目をつぶった。彼の頭には色々な考えが幻の如く、まわり燈籠 の如く浮んで来た。父、彌右ェ門と山に薪をとりに行く彼の姿。父は彼の頬にキッスをした。父と子――飾りけのない貴い姿――あの時と今と――
彼はウットリとなって居た。そして考えは次から次へと進んで行った。
天正十年のことであった。山崎で逆臣光秀 を討って主君の仇 を報いた時の嬉しさ。彼はたった今でもそれを味わうことが出来た。
つづいて起った賤ケ嶽 の戦。それらは皆眼前に幻となってはっきりと現われた。彼の口元には勝ほこった者のような微笑が浮び出た。
同十二年!! 小牧山の戦!! 彼の微笑がもう顔のどこにも見あたらなくなって居た。どうしても徳川公を亡 ぼすことが出来ず和睦を申し込んだ時の彼の心「わともあろうものが……」と彼は彼自身にも聞きとれそうもない程ひくいひくいひとりごとをもらした。隣間から徳川公の咳がゴホンゴホンとじめじめした空気を伝って彼の耳にとどいた。彼の顔色はだんだん暗くなって行った。
関白―太政 大臣、彼の栄達は実に古今に類がなかった。あの当時の彼の勢。彼は今それを思い出したのである。自分でさえ自分自身の勢が恐ろしくてたまらなかった位であった。彼はもうたまらなくなってウーとうなりだした。聚楽第の御幸! 文武百官を率いて諸侯と共に「天皇をうやまい申す」との誓いを立てた時の有様は……おお彼の目は涙でうるんで居る。太閤は心から泣いた。君恩は彼を泣かしめたのだ。四辺の空気は尚一層じめじめして来た。文禄元年の朝鮮征伐が目の先にちらついて来た。彼はどこを見るともなくまた目を開いた。彼の手はかたくかたくにぎられて居た。汗まで手の中にひそんで居た。
彼は急にフーと長い長い歎息 をもらした。
慶長元年の明使をおっぱらった時の光景が目の前に浮び出たのである。
しかし彼はすぐにはれやかな色を顔にただよわした。彼はあのはなやかであった彼の醍醐の花見を思い出したのだ。ほほえみが彼のやせこけた頬にうかんだ。もう彼の頭はボーとして来て何が何やらさっぱりわからなくなってしまった。……秀頼の顔が大きく大きく彼の目に幻となって現われた。
そして秀頼はニッコリ笑った。太閤はもうたえられなくなってしまった。そして大声でウハッハッハッハッハッと笑いこけてしまった。
枕もとに侍 って居た人々は驚異の目を見はった。隣間の諸侯が急にがやがやとさわぎ始めた。それをおし静めて居るのが前田公であった。
ああ一世代の英雄太閤は遂に没した。
その死顔に微笑を浮べて……。
華かなりし彼の一生よ。
広間の中からはすすり泣きの声が洩れて来た。
諸侯は誰も面を上げ得なかった。
夕日は血がにじむような毒々しい赤黒い光線を室になげつけた。諸侯の顔も衣服も皆血で洗われてしまったように見える。否彼等の心に迄も血がにじんで居るだろう。裏の林の蝉が又一しきり鳴き始めた。
夕日はかくして次第に西山に沈んで行く……。
太閤はかくしてあの世に沈んで行ったのである。
■中学時代の太宰と、弟礼治、中村貞次郎。中村は太宰の親友で「津軽」に登場する「N君」のモデル。
【了】
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【参考文献】
・日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・太宰治『地図 初期作品集』(新潮文庫、2009年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・『太宰治生誕110年記念展 ー太宰治と弘前ー』(弘前市立郷土文学館、2019年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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