記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】3月30日

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3月30日の太宰治

  1947年(昭和22年)3月30日。
 太宰治 37歳。

 次女里子が、東京都北多摩郡三鷹下連雀一一三番地で誕生した。

次女・里子の誕生

 今日は、太宰の次女・津島里子(1947~2016)が生まれた日です。
 里子は、津島佑子(つしまゆうこ)というペンネームで作家活動をしていました。彼女の作品は、英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語・オランダ語アラビア語・中国語などに翻訳されており、国際的にも高い評価を得ています。

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 代表作に、『葎の母』(1975年)、『寵児』(1978年)、『水府』(1982年)、『夜の光に追われて』(1986年)、『火の山ー山猿記』(1988年)、『ナラ・レポート』(2004年)などがあります。

 『火の山―山猿記』は、第34回谷崎潤一郎賞、第51回野間文芸賞を受賞。2006年(平成18年)に、本作が原案、宮崎あおい主演で、NHK連続テレビ小説純情きらり』として放送されました。
 津島佑子の母方の祖父である石原初太郎は、山梨県甲府に住み、県嘱託として山梨の地質や動植物調査に携わった地質学者で、この石原家が作品に登場する家族のモデルになっています。タイトルにもなっている「火の山」は、富士山を意味し、富士に寄り添い、激動の時代を過ごした有森家5代の歴史を、一族の書簡や日記を織り交ぜる形で構成されています。

 今日は、往復書簡集やエッセイから、彼女から見た太宰についての記述を引用して紹介します。

 まずは、韓国の作家・申京淑(シンギョンスク)との往復書簡集『山のある家 井戸のある家』から引用します。

 (前略)父は私が一歳のときにこの世を去っているので、なんの記憶もないのです。ただ、自分の家庭になにかしら、暗くて重い「秘密」があるとだけははじめからわかっていて、それはなんなのだろう、と私の好奇心とおびえの対象ではありました。
 幼稚園のころ、母に聞いたことがあります。お父さんはなんで死んだの? 母は一瞬、考えてから、うん、心臓が止まったから、と答えました。それからというもの、父が心臓病で死んだというのは、母がちゃんと看病しなかったからじゃないのか、などと私は思いつづけていました。なんだか笑い話のようですが、本当にそんなことを考えていたのです。「病人ごっこ」も好きになりました。それは寝床のなかでのひとりの想像の遊びだったのですが、もうすぐ死にそうな病人になったつもりで、最期の言葉を息も絶え絶えに肉親に向かってつぶやいたりするのです。
 やがて、どこかから父の肖像写真を見つけました。たぶん、お葬式のときに使った写真だったのでしょう。母にこの写真をちょうだい、とねだりました。私の気持としては、全然知らない父親なのだから、そのぐらいは許されるだろう、と思っていたのですが、母はびっくりするような剣幕で怒り、とんでもない、と私から写真を奪い取ってしまいました。それで、ああ、母に父のことを聞いてはいけないんだな、と思うようになりました。
 父が小説家だったということは、家に本があったので、早くからわかっていました。でも、それ以上のことはわからないままでした。父方の親族は、父自身が実家から勘当されていたので、会ったこともありません。母方の親族とは仲良くつきあっていたけれど、父はいったい何者であったのか、そんなことを聞けるわけもありません。そう言えば、一度だけ、ラジオの前に坐らされ、これは子ども向けのものだから、と父の書いた小説をもとにしたラジオドラマを聞かされたことがありました。びっくりするほど、それは珍しいことだったのです。ラジオドラマが終わってから、母におもしろかったと言えばいいのか、つまらなかったと言ったほうがいいのか、迷ったことをおぼえています。うれしいとか、誇らしいという気持はまるで起きませんでした。そんな余裕もなかったのでしょうね。
 小学校四年生になったとき、同級生のひとりから、君のお父さんって人殺しなんだって? と言われました。そんなはずはない、でも自分は父についてなにも知らないから反駁(はんばく)もできない、と思い悩んで、学校の図書室に行きました。図書室の人名辞典で父のことを調べようと思いついたのです。そんなところに名前が出ている作家だと、私は気がついていたことになります。そして、むずかしい漢字でいっぱいある説明文を必死に読みました。さいわい、人殺しだったとは書いてありませんでした。でも、私にはわからない言葉で父の一生が締めくくられていました。まだ若い司書の先生がいたので、素知らぬふりで、この「入水(じゅすい)」という言葉の意味を教えてください、と質問しました。司書の先生はとても冷静に、それは海や川に自分から落ちて死ぬことよ、と教えてくれました。ありがとうございました、と私はできるだけ元気にお礼を言い、図書室を離れました。
 おとなたちには知られずに、とてもじょうずに父のことを知ることができたと私は鼻高々だったのですが、今考えれば、私はその図書室の常連だったのですから、たぶん、司書の先生は私の父についてすでに知っていたのでしょう。でも、私にはなにもよけいなことは言わずにいてくださったのだと思います。それは、本当にありがたい配慮だったと感謝しています。
 とにかく、父は人殺しではなかった、そのことに私は安堵(あんど)していました。その後、父にはほかの女性とのあいだに娘がいることも知りました。私とは異母妹ということになります。そのことにも、私はいやな気持はしませんでした。もしかしたら、異母兄とか、ぞくぞくと私の知らない兄弟姉妹が現れるのかもしれない、と期待したりもしました。ある日、すてきな異母兄が私の目の前に現れてくれたらいいなあ、などとあこがれたものです。
 私の男性観はそんな父によって、ずいぶん変てこなものになってしまっているのではないか、という気がしないでもないのです。実際に知っている肉親の男性は、知的障害のある兄だけで、その兄も十五歳で死んでいますから、おとなの男性のモデルにはなりません。男というものは、家庭を裏切る存在であり、よそに子どもを作り、あげくの果てに、ふつうではない死に方をする人間なのだ、とどこかで思うようになっていた気がします。それを肯定していたわけではありません。ただ、自分の父が現にそのような男性だったことは否定できず、どんな男もそうした可能性を持っているのかもしれない、でも、それはちょっとつらいなあ、という気持でした。
 四十代になってから、父の場合、日本の敗戦直後という特殊な時代背景も大きな意味を持っていたのだろうと考えるようになりましたが、男性について、どうも私はまっとうな理解ができないままでいるのかもしれない、というとまどい、あるいは劣等感を、今でも引きずりつづけています。女の子にとって、父親の存在は大きなものだと思います。その父親との関係がしあわせなものだったら、どんなにその女性はその人生において精神的に恵まれていることだろう、と考えたくなります。実際には、どうなのでしょう。
 私は結局のところ、現実社会のさまざまな意味を理解したくて、小説の登場人物と一緒にあれこれと考えようとしてきたのでしょうか。若い男になってみたり、老人になってみたり、少年になってみたり。男性にとって女性の魅力ってなんなのだろう、父親にとって娘とはどんな存在なのだろう、そんなことを考えるには、私にとって小説を書くしかないのです。

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■1948年(昭和23年)4月、三鷹の自宅にて。長女・津島園子、次女・津島里子(津島佑子)と。

  続いて、彼女の処女エッセイ集『透明空間が見える時』に収録されている、「戦後文学」という言葉について思いを巡らせる「薄暗い背景」から引用します。

 (前略)これは私の個人的な事情なのだが、太宰治の作品だけは、その人が私の父親であることから、かなり早くから読みはじめていた。そこにどうしても、戦争という時代背景が現われてくる。しかし、これまた、あくまでも背景としか捉えず、作品の根に避けがたい影響を与えているとは考えなかった。時代が違えば、作品の縁取りにいくらかの違いは出てくるかもしれないが、質には大差ないように思えた。また、作品の質が違ってしまうものならば、世代の違う読者である私が困ってしまうことにもなる。戦争をしらない読者としては、できるだけ戦争に価値を置きたくないのだ。と、このように意識していたわけではないが、芥川や谷崎の愛読者であった私は、太宰の作品をも芥川と同列のところに並べて読んでいた。すなわち、価値をすでに見出され、教科書にも載るような作家として読んでいたわけで、時代背景の生き生きした臨場感はほとんど味わうことはなかった。

 津島佑子は、2016年(平成28年)2月18日、肺がんのために亡くなっています。享年68歳でした。

 【了】

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【参考文献】
津島佑子『透明空間が見える時』(青銅社、1977年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
津島佑子・申京淑『山のある家 井戸のある家 東京ソウル往復書簡』(集英社、2007年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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