記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日めくり太宰治】4月7日

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4月7日の太宰治

  1948年(昭和23年)4月7日。
 太宰治 38歳。

 井伏鱒二選集「後記」を石井立(いしいたつ)に口述筆記させた。

井伏鱒二選集 第三巻 後記』

 石井立(いしいたつ)は、筑摩書房の出版部員です。
 今回、太宰が石井に後記を口述筆記させた井伏鱒二選集』は、太宰によって筑摩書房に刊行が打診され、全9巻が刊行されました。太宰は全ての後記を執筆する予定でしたが、第4巻の後記を執筆した時点で亡くなってしまったため、第5巻以降は、上林暁(かんばやしあかつき)が執筆しました。上林(かんばやし)は、太宰も参加していた阿佐ヶ谷会のメンバーでした。

 今日は、この日に口述筆記された、井伏鱒二選集 第三巻』の後記を引用します。

井伏鱒二選集 第三巻 後記』

 この巻には、井伏さんの所謂(いわゆる)円熟の、悠々たる筆致の作品三つを集めてみた。
 どの作品に於ても、読者は、充分にたんのうできる(はず)である。
 例によって、個々の作品の批評がましいことは避けて、こんども私自身の思い出を語るつもりである。
 この巻の作品を、お読みになった人には、すぐにおわかりのことと思うが、井伏さんと下宿生活というものの間には、非常な深い因縁があるように思われる。
 青春、その実体はなんだか私にもわからないが、若い頃という言葉に言い直せば、多少はっきりして来るだろう。その、青春時代、或いは、若い頃、どんな雰囲気の生活をして来たか、それに依って人間の生涯が、規定せられてしまうものの如く、思わせるのは、実に、井伏さんの下宿生活のにおいである。
 井伏さんは、所謂「早稲田界隈」をきらいだと言っていらしたのを、私は聞いている。あのにおいから脱けなければダメだ、とも言っていらした。
 けれども、井伏さんほど、そのにおいに哀しい愛著をお持ちになっていらっしゃる方を私は知らない。学生時代にボートの選手をしていたひとは、五十六十になっても、ボートを見ると、なつかしいという気持よりは、ぞっとするものらしいが、しかし、また、それこそ我知らず、食い入るように見つめているもののようである。
 早稲田界隈。
 下宿生活。
 井伏さんの青春は、そこに於て浪費せられたかの如くに思われる。汝を愛し、汝を憎む。井伏さんの下宿生活に対する感情も、それに近いのではないかと考えられる。
 いつか、私は、井伏さんと一緒に、(何の用事だったか、いま正確には思い出せないが、とにかく、何かの用事があったのだ)所謂早稲田界隈に出かけたことがあったけれども、その時の下宿屋街を歩いている井伏さんの姿には、金魚鉢から池に放たれた金魚の如き面影があった。
 私は、その頃まだ学生であった。しかし、早稲田界隈の下宿生活には縁が薄かった。謂わば、はじめて見たといってもよい。それは、遠慮なく言って、異様なものであった。
 井伏さんが、歩いていると、右から左から後から、所謂「後輩」というものが、いつのまにやら十人以上もまつわりついて、そうかと言って、別に井伏さんに話があるわけでも無いようで、ただ、磁石に引き寄せられる釘みたいに、ぞろぞろついて来るのである。いま思えば、その釘の中には、後年の流行作家も沢山いたようである。髪を長く伸ばして、背広、或いは着流し、およそ学生らしくない人たちばかりであったが、それでも皆、早稲田の文科生であったらしい。
 どこまでも、ついて来る。じっさい、どこまでも、ついて来る。
 そこで井伏さんも往生して、何かという、名前は忘れたが、或る小さいカフェに入った。どやどやと、つきものも入って来たのは勿論である。
 失礼ながら、井伏さんは、いまでもそうにちがいないが、当時はなおさら懐中貧困であった。私も、もちろん貧困だった。二人のアリガネを合わせても、とてもその「後輩」たちに酒肴を供するに足りる筈は無かったのである。
 しかし、事態は、そこまで到っている。皆、呑むつもりなのだ。早稲田界隈の親分を思いがけなく迎えて、当然、呑むべきだと思っているらしい気配なのだ。
 私は井伏さんの顔を見た。皆に囲まれて籐椅子に坐って、ああ、あの時の井伏さんの不安の表情。私は忘れることが出来ない。それから、どうなったか、私には、正確な記憶が無い。
 井伏さんも酔わず、私も酔わず、浅く呑んで、どうやら大過なく、引き上げたことだけはたしかである。
 井伏さんと早稲田界隈。私には、怪談みたいに思われる。
 井伏さんも、その日、よっぽど当惑した御様子で、私と一緒に省線で帰り、阿佐ヶ谷で降り、(阿佐ヶ谷には、井伏さんの、借りのきく飲み屋があった)改札口を出て、井伏さんは立ち止り、私の方にくるりと向き直って、こうおっしゃった。
「よかったねえ。どうなることかと思った。よかったねえ。」
 早稲田界隈の下宿街は、井伏さんに一生つきまとい、井伏さんは阿佐ヶ谷方面へお逃げになっても、やっぱり追いかけて行くだろう。
 井伏さんと下宿生活。
 けれども、日本の文学が、そのために、一つの重大な収穫を得たのである。

 【了】

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【参考文献】

・『太宰治全集 11 随想』(筑摩書房、1999年)
日本近代文学館 編『図説 太宰治』(ちくま学芸文庫、2000年)
・山内祥史『太宰治の年譜』(大修館書店、2012年)
・田村茂 写真『素顔の文士たち』(河出書房新社、2019年)
 ※モノクロ画像は、上記参考文献より引用しました。
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