記憶の宮殿

僕は、記憶の宮殿を自由に旅する。太宰治がソウルフレンド。

【日刊 太宰治全小説】#104「ろまん燈籠」その四

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【冒頭】

三日目。

元日に、次男は郊外の私の家に遊びに来て、近代の日本の小説を片っ端からこきおろし、ひとりで興奮して、日の暮れる頃、「こりゃ、いけない。熱が出たようだ。」と呟き、大急ぎで帰って行った。果せるかな、その夜から微熱が出て、きのうは寝たり起きたり、けさになっても全快せず、まだ少し頭が重いそうで蒲団の中で鬱々としている。あまり、人の作品の悪口を言うと、こんな具合いに風邪をひくものである。

【結句】

ラプンツェルは、この姿のような醜い顔になる筈が無い。」

「わしが、なんで嘘など言うものか。よろしい。そんならば、ラプンツェルを末永く生かして置いてあげよう。どんなに醜い顔になっても、お前さまは、変らずラプンツェルを可愛がってあげますか?」

 

「ろまん燈籠 その四」について

新潮文庫『ろまん燈籠』所収。

・昭和16年3月上旬頃までに脱稿。

・昭和16年4月1日、『婦人画報』四月号に発表。

ろまん燈籠 (新潮文庫)

 

全文掲載(「青空文庫」より)

      その四

 三日目。
 元日に、次男は郊外の私の家に遊びに来て、近代の日本の小説を片っ端からこきおろし、ひとりで興奮して、日の暮れる頃、「こりゃ、いけない。熱が出たようだ。」と呟き、大急ぎで帰っていった。果せるかな、その夜から微熱が出て、きのうは寝たり起きたり、けさになっても全快せず、まだ少し頭が重いそうで蒲団ふとんの中で鬱々としている。あまり、人の作品の悪口を言うと、こんな具合いに風邪かぜをひくものである。
「いかがです、お加減は。」と言って母が部屋へはいって来て、枕元に坐り、病人のひたいにそっと手を載せてみて、「まだ少し、熱があるようだね。大事にして下さいよ。きのうは、お雑煮を食べたり、お屠蘇とそを飲んだり、ちょいちょい起きて不養生をしていましたね。無理をしては、いけません。熱のある時には、じっとして寝ているのが一ばんいいのです。あなたは、からだの弱い癖に、気ばかり強くていけません。」
 さかんに叱られている。次男は、意気銷沈しょうちんていである。かえす言葉も無く、ただ、かすかに苦笑して母のこごとを聞いている。この次男は、兄妹中で最も冷静な現実主義者で、したがって、かなり辛辣しんらつな毒舌家でもあるのだが、どういうものか、母に対してだけは、蔓草つるくさのように従順である。ちっとも意気があがらない。いつも病気をして、母にお手数をかけているという意識が胸の奥に、しみ込んでいるせいでもあろう。
「きょうは一日、寝ていなさい。むやみに起きて歩いてはいけませんよ。ごはんも、ここでおあがり。おかゆを、こしらえて置きました。さと(女中の名)が、いま持って来ますから。」
「お母さん。お願いがあるんだけど。」すこぶる弱い口調である。「きょうはね、僕の番なのです。書いてもいい?」
「なんです。」母には一向わからない。「なんの事です。」
「ほら、あの、連作を、またはじめているんですよ。きのう、僕は退屈だったものだから、姉さんに頼んで無理に原稿を見せてもらって、ゆうべ一晩、そのつづきを考えていたのです。今度のは、ちょっと、むずかしい。」
「いけません、いけません。」母は笑いながら、「文豪も、風邪をひいている時には、いい考えが浮びません。兄さんに代ってもらったらどう?」
「だめだよ。兄さんなんか、だめだよ。兄さんにはね、才能が、無いんですよ。兄さんが書くと、いつでも、演説みたいになってしまう。」
「そんな悪口を言っては、いけません。兄さんの書くものは、いつも、男らしくて立派じゃありませんか。お母さんなら、いつも兄さんのが一ばん好きなんだけどねえ。」
「わからん。お母さんには、わからん。どうしたって、今度は僕が書かなくちゃいけないんだ。あの続きは、僕でなくちゃ書けないんだ。お母さんお願い。書いてもいいね?」
「困りますね。あなたは、きょうは、寝ていなくちゃいけませんよ。兄さんに代ってもらいなさい。あなたは、明日でも、あさってでも、からだの調子が本当によくなってから書く事にしたらいいじゃありませんか。」
「だめだ。お母さんは、僕たちの遊びを馬鹿にしているんだからなあ。」大袈裟おおげさに溜息をいて、蒲団を頭から、かぶってしまった。
「わかりました。」母は笑って、「お母さんが悪かったね。それじゃね、こうしたらどう? あなたが寝ながら、ゆっくり言うのを私が、そのまま書いてあげる。ね、そうしましょう。去年の春に、あなたがやはり熱を出して寝ていた時、何やらむずかしい学校の論文を、あなたの言うとおりに、お母さんが筆記できたじゃないの。あの時も、お母さんは、案外上手だったでしょう?」
 病人は、蒲団をかぶったまま、返事もしない。母は、途方に暮れた。女中のさとが、朝食のお膳をささげて部屋へはいって来た。さとは、十三の時から、この入江の家に奉公している。沼津辺の漁村の生れである。ここへ来て、もう四年にもなるので、家族のロマンチックの気風にすっかり同化している。令嬢たちから婦人雑誌を借りて、仕事のひまひまに読んでいる。昔の仇討あだうち物語を、最も興奮して読んでいる。女はみさおが第一、という言葉も、たまらなく好きである。命をかけても守って見せると、ひとりでこっそり緊張している。柳行李やなぎごうりの中に、長女からもらった銀のペーパーナイフをかくしてある。懐剣のつもりなのである。色は浅黒いけれど、小さく引きしまった顔である。身なりも清潔に、きちんとしている。左の足が少し悪く、こころもち引きずって歩く様子も、かえって可憐である。入江の家族全部を、神さまか何かのように尊敬している。れいの祖父の銀貨勲章をも、眼がくらむ程に、もったいなく感じている。長女ほどの学者は世界中にいない、次女ほどの美人も世界中にいない、と固く信じている。けれども、とりわけ、病身の次男を、死ぬほど好いている。あんな綺麗な御主人のお伴をして仇討ちに出かけたら、どんなに楽しいだろう。今は、昔のように仇討ちの旅というものが無いから、つまらない、などと馬鹿な事を考えている。
 いま、さとは次男の枕元に、お膳をうやうやしく置いて、少し淋しい。次男は蒲団を引きかぶったままである。母堂は、それを、ただ静かに眺めて笑っている。さとは、誰にも相手にされない。ひっそり、そこに坐って、しばらく待ってみたが、何という事も無い。おそるおそる母堂に尋ねた。
「よほど、お悪いのでしょうか。」
「さあ、どうでしょうかねえ。」母は、笑っている。
 突然、次男は蒲団をはねのけ、くるり腹這はらばいになり、お膳を引き寄せてはしをとり、寝たまま、むしゃむしゃと食事をはじめた。さとはびっくりしたが、すぐに落ちついて給仕した。次男の意外な元気の様子に、ほっと安心したのである。次男は、ものも言わず、猛烈な勢いでかゆすすり、憤然と梅干を頬張り、食慾は十分に旺盛のようである。
「さとは、どう思うかねえ。」半熟卵を割りながら、ふいと言い出した。「たとえば、だね、僕がお前と結婚したら、お前は、どんな気がすると思うかね。」実に、意外の質問である。
 さとよりも、母のほうが十倍も狼狽した。
「ま! なんという、ばかな事を言うのです。冗談にも、そんな、ねえ、さとや、お前をからかっているのです。そんな、乱暴な、冗談にも、そんな。」
「たとえば、ですよ。」次男は、落ちついている。先刻から、もっぱら小説の筋書ばかり考えているのである。そのたとえが、さとの小さい胸を、どんなに痛く刺したか、てんで気附かないでいるのである。勝手な子である。「さとは、どんな気がするだろうなあ。言ってごらん。小説の参考になるんだよ。実に、むずかしいところなんだ。」
「そんな、突拍子ない事を言ったって、」母は、ひそかにほっとして、「さとには、わかりませんよ、ねえ、さとや。たけし(次男の名)は、ばかげた事ばかり言っています。」
「わたくしならば、」さとは、次男の役に立つ事なら、なんでも言おうと思った。母堂の当惑そうな眼くばせをも無視して、ここぞと、こぶしを固くして答えた。「わたくしならば、死にます。」
「なあんだ。」次男は、がっかりした様子である。「つまらない。死んじゃったんでは、つまらないんだよ。ラプンツェルが死んじゃったら、物語も、おしまいだよ。だめだねえ。ああ、むずかしい。どんな事にしたらいいかなあ。」しきりに小説の筋書ばかり考えている。さとの必死の答弁も、一向に、役に立たなかった様子である。
 さとは大いにしょげて、こそこそとお膳を片附け、てれ隠しにわざと、おほほほと笑いながら、またお膳を捧げて部屋から逃げて出て、廊下を歩きながら、泣いてみたいと思ったが、べつに悲しくなかったので、こんどは心から笑ってしまった。
 母は、若い者の無心な淡泊たんぱくさに、そっとお礼を言いたいような気がしていた。自分の濁った狼狽振りを恥ずかしく思った。信頼していていいのだと思った。
「どう? 考えがまとまりましたか? おやすみになったままで、どんどん言ったらいい。お母さんが、筆記してあげますからね。」
 次男は、また仰向あおむけに寝て蒲団を胸まで掛けて眼をつぶり、あれこれ考え、くるしんでいる態である。やがて、ひどくもったい振ったおごそかな声で、
「まとまったようです。お願い致します。」と言った。母は、ついふき出した。
 以下は、その日の、母子協力の口述筆記全文である。
 ――玉のような子が生れました。男の子でした。城中は喜びにきかえりました。けれども産後のラプンツェルは、日一日と衰弱しました。国中の名医が寄り集り、さまざまに手をつくしてみましたが愈々いよいよはかなく、命のほども危く見えました。
「だから、だから、」ラプンツェルは、寝床の中で静かに涙を流しながら王子に言いました。「だから、あたしは、子供を産むのは、いやですと申し上げたじゃありませんか。あたしは魔法使いの娘ですから、自分の運命をぼんやり予感する事が出来るのです。あたしが子供を産むと、きっと何か、わるい事が起るような気がしてならなかった。あたしの予感は、いつでも必ず当ります。あたしが、いま死んで、それだけで、わざわいが済むといいのですけれど、なんだか、それだけでは済まないような恐ろしい予感もするのです。神さまというものが、あなたのお教え下さったように、もしいらっしゃるならば、あたしは、その神さまにお祈りしたい気持です。あたしたちは、きっと誰かに憎まれています。あたしたちは、ひどくいけない間違いをして来たのではないでしょうか。」
「そんな事は無い。そんな事は無い。」と王子は病床の枕もとを、うろうろ歩き廻って、矢鱈やたらに反対しましたが、内心は、途方にくれていたのです。男子誕生の喜びもつか、いまはラプンツェルの意味不明の衰弱に、魂も動転し、夜も眠れず、ただ、うろうろ病床のまわりを、まごついているのです。王子は、やっぱり、しんからラプンツェルを愛していました。ラプンツェルの顔や姿の美しさ、または、ちがう環境に育った花の、もの珍らしさ、あるいは、どこやら憐憫れんびんを誘うような、あわれな盲目の無智、それらの事がらにのみかれて王子が夢中で愛撫しているだけの話で、精神的な高い共鳴と信頼から生れた愛情でもなし、また、お互い同じ祖先の血筋を感じ合い、同じ宿命に殉じましょうという深い諦念と理解に結ばれた愛情でもないという理由から、この王子の愛情の本質を矢鱈に狐疑こぎするのも、いけない事です。王子は、心からラプンツェルを可愛いと思っているのです。仕様の無いほど好きなのです。ただ、好きなのです。それで、いいではありませんか。純粋な愛情とは、そんなものです。女性が、心の底で、こっそり求めているものも、そのような、ひたむきな正直な好意以外のものでは無いと思います。精神的な高い信頼だの、同じ宿命に殉じるだのと言っても、お互い、きらいだったら滅茶滅茶です。なんにも、なりやしません。何だか好きなところがあるからこそ、精神的だの、宿命だのという気障きざな言葉も、本当らしく聞えて来るだけの話です。そんな言葉は、互いの好意の氾濫はんらんを整理するためか、或いは、情熱の行いの反省、弁解の為に用いられているだけなのです。わかい男女の恋愛にいて、そんな弁解ほど、胸くその悪いものはありません。ことに、「女を救うため」などという男の偽善には、がまん出来ない。好きなら、好きと、なぜ明朗に言えないのか。おととい、作家のDさんのところへ遊びに行った時にも、そんな話が出たけれどDさんは、その時、僕を俗物だと言いやがった。そういうDさんだって、僕があの人の日常生活を親しくちょいちょい覗いてみたところにると、なあに御自分の好き嫌いを基準にしてちゃっかり生活しているんだ。あの人は、嘘つきだ。僕は俗物だって何だってかまわない。事実を、そのままはっきり言うのは、僕の好むところだ。人間は、好むところのものを行うのが一ばんいいのさ。脱線を致しました。僕は、精神的だの、理解だのの恋愛を考えられないだけの事です。王子の恋愛は正直です。王子のラプンツェルに対する愛情こそ、純粋なものだと思います。王子は、心からラプンツェルを愛していました。
「死ぬなんてばかな事を言ってはいけない。」と大いに不満そうに口をとがらせて言いました。
「私は君を、どんなに愛しているのか、わからないのか。」とも言いました。王子は、正直な人でした。でも、正直の美徳だけでは、ラプンツェルの重い病気をなおす事は出来ません。
「生きていてくれ!」とうめきました。「死んでは、いかん!」と叫びました。他に何も、言うべき言葉が無いのです。
「ただ、生きて、生きてだけ、いてくれ。」と声を落してつぶやいた時、その時、
「ほんとうかね。生きてさえ居れば、いいのじゃな?」というしわがれた声を、耳元にささやかれ、愕然がくぜんとして振り向くと、ああ、王子の髪は逆立ちました。全身に冷水を浴びせられた気持でした。老婆が、魔法使いの老婆が、すぐ背後に、ひっそり立っていたのです。
「何しに来た!」王子は勇気の故ではなく、あまりの恐怖の故に、思わず大声で叫びました。
「娘を助けに来たのじゃないか。」老婆は、平気な口調で答え、それから、にやりと笑いました。「知っていたのだよ。婆さんには、の世で、わからない事は無いのだよ。みんな知っていましたよ。お前さまが、わしの娘を此の城に連れて来て、可愛いがっていなさる事は、とうから知っていましたよ。ただ、一時の、もて遊びものになさる気だったら、わしだって黙ってはいなかったのだが、そうでもないらしいので、わしは今まで我慢してやっていたのだよ。わしだって、娘が仕合せに暮していると、少しは嬉しいさ。けれども、もう、だめなようだね。お前さまは知るまいが魔法使いの家に生れた女の子は、男に可愛がられて子供を産むと、死ぬか、でもなければ、世の中で一ばん醜い顔になってしまうか、どちらかに、きまっているのだよ。ラプンツェルは、その事を、はっきりは知っていなかったようだが、でも、何かしらかんでわかっていた筈だね。子供を産むのを、いやがっていたろうに。可哀そうな事になったわい。お前さまは、一体、ラプンツェルを、どうなさるつもりだね。見殺しにするか、それとも、わしのような醜い顔になっても、生かして置きたいか。お前さまは、さっき、どんな事があっても、生きてだけいておくれ、と念じていなさったが、どうかね、わしのような顔になっても、生きていたほうがよいのかね。わしだって、若い頃には、ラプンツェルに決して負けない綺麗な娘だったが、旅の猟師に可愛がられラプンツェルを産んで、わしの母から死ぬか、生きていたいかとたずねられ、わしは何としても生きていたかったから、生かして置いてくれとたのんだら、母は、まじないをして、わしの命を助けてくれたが、おかげで、わしはごらんのとおりの美事な顔になりましたよ。どうだね、さっきのお前さまの念願には、嘘が無いかね?」
「死なせて下さい。」ラプンツェルは、病床でかすかに身悶みもだえして、言いました。「あたしさえ死ねば、もう、みなさん無事にお暮し出来るのです。王子さま、ラプンツェルは、いままでお世話になって、もう何の不足もございません。生きて、つらい目に遭うのは、いやです。」
「生かしてやってくれ!」王子は、こんどは本当の勇気をもって、きっぱりと言いました。額には苦悶の油汗が浮いていました。「ラプンツェルは、この婆のような醜い顔になる筈が無い。」
「わしが、なんで嘘など言うものか。よろしい。そんならば、ラプンツェルを末永く生かして置いてあげよう。どんなに醜い顔になっても、お前さまは、変らずラプンツェルを可愛がってあげますか?」

 

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